• ウマイヤモスク(アラビア語: الجامع الأموي, ラテン文字転写: al-Jāmiʿ al-Umawī, 英: Umayyad Mosque)は、ダマスクスの旧市街にある世界で最も古いイスラーム教の礼拝所のひとつ。ダマスクスのマスジド・ジャーミイ(金曜モスク、大モスク)である。...
    62 KB (8,611 words) - 12:59, 8 October 2023
  • ウマイヤ朝 (الخلافة الأموية) الدولة الأموية ウマイヤ朝の最大版図 ウマイヤ朝(ウマイヤちょう、アラビア語: الدولة الأموية‎、al-Dawla al-Umawiyya)は、イスラム史上最初の世襲イスラム王朝である。大食(唐での呼称)、またはカリフ帝国や...
    53 KB (7,134 words) - 05:24, 6 April 2024
  • ウィキメディア・コモンズには、モスクに関連するメディアおよびカテゴリがあります。 イスラーム建築 著名なモスクの一覧 オールド・カイロ、アムルのモスク (日本語) ダマスクス、ウマイヤモスク (日本語) イスファハーン、シャイフ・ロトフォッラー・モスク (日本語) 中国北部のイスラーム建築」 北京のモスクなど 書籍、神谷武夫著『イスラーム建築』...
    15 KB (1,769 words) - 08:31, 8 June 2024
  • モスクワ(ロシア語: Москва [mɐˈskva] ( 音声ファイル) マスクヴァ)は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独で連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市(Город Москва)」となる。 人口約1...
    66 KB (6,599 words) - 09:01, 28 May 2024
  • 636年、ダマスカスは第2代正統カリフ・ウマル・イブン=ハッターブ(ウマル一世)に征服される。その直後、アンダルス(現在のスペイン)からインドまで広がるウマイヤ朝(661年-750年)の首都となったときに、この都市の力と威光は頂点に達した。705年にキリスト教会をモスクに改造したウマイヤド・モスク...
    42 KB (5,510 words) - 02:06, 18 March 2024
  • 宰相張柬之が張兄弟を倒し、則天武后を退位させる。 中宗が復位し、唐が再興される(神龍革命(中国語版))。この年に則天武后死去。 ウマイヤ朝カリフのワリード1世によりダマスクスのウマイヤド・モスクが完成する。 東ローマ皇帝ユスティニアノス2世がティベリオス3世を打倒し復位を果たす。 706年 慶雲の改革。 706年頃...
    72 KB (8,785 words) - 15:17, 17 May 2024
  • 諸国は、特定の宗教施設、社会施設を導入し続けた。これについては、少なくともウマイヤ朝の成立からアッバース朝が滅亡するまでの間は、ローマ式の社会制度と建築施設を各地に建設し続けたローマ建築と状況はよく似ている。実際に、礼拝モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設はイスラーム建築の最も目立つ共通性となっている。...
    123 KB (18,496 words) - 21:53, 4 December 2023
  • アル=アクサー・モスク (アラビア語: المسجد الأقصى‎ al-Masjid al-Aqṣā) は、エルサレム旧市街の「神殿の丘」あるいは「ハラム・シャリーフ」(al-Ḥaram al-Sharīf/al-Ḥaram al-Qudsī al-Sharīf)と呼ばれる聖域の南に、ウマイヤ...
    4 KB (481 words) - 20:32, 8 October 2023
  • エチオピアのアクスム王国の征服者が、現在のサウジアラビアにあるジッダの港を占拠 武周が北庭都護府を庭州に設置 ダマスカスのウマイヤモスクが完成 大宝律を全国に頒布 度器、量器を初めて全国に頒布 薩摩の隼人征討 粟田真人、山上憶良を遣唐使に派遣...
    3 KB (341 words) - 10:02, 25 February 2024
  • 厩戸皇子が斑鳩宮で死去、その墓は叡福寺北古墳(磯長墓)と伝わる。 ムハンマドがメディナへ遷る(ヒジュラ(聖遷)- ヒジュラ暦元年)。メディナに最初のモスクであるクバー・モスクが建設される。 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがサーサーン朝への反撃を開始。 623年 アヴァールから独立した西スラブ人がサモ王国を建てる(...
    64 KB (8,329 words) - 09:19, 13 February 2024
  • 、狭い入り組んだ道になっているが、東西に走る真っ直ぐな道(Straight Street)は、新約聖書にも登場している。 世界最古のモスクといわれる、ウマイヤド・モスクも旧市街地にある。 エジプトとメソポタミアを結ぶ交通の要衝であり、紀元前3000年ごろから都市が形成しはじめたと考えられている。...
    4 KB (680 words) - 19:09, 6 April 2024
  • ウマイヤ朝時代にこの岩を覆うように築かれた岩のドームは、通称ウマル・モスクと呼ばれる。またウマルはソフロニオスから神への祈りを共にするよう誘われたが、ムスリムとして先例を残す事を好まずそれを断ったとされている。 644年11月、ウマルはマディーナのモスク...
    15 KB (2,207 words) - 10:33, 13 January 2024
  • ワリード1世 (category ウマイヤ朝の君主)
    スクスにウマイヤモスクを建設し、さらにはエルサレムのアル=アクサー・モスクやマディーナの預言者のモスクなどの建築や拡張に資金を投じた。また、シリアのアラブ系イスラーム教徒の貧困層や障害者を支援する社会福祉事業にも取り組んだ。 ワリードの治世は国内的には平和と繁栄の時代であり、ウマイヤ...
    81 KB (10,649 words) - 16:31, 29 March 2024
  • しかし、拡大とともに内紛も生じ、2代カリフ・ウマルの暗殺後、ウスマーンが後を継ぐが、イスラム教徒内でわだかまっていたウマイヤ家(クライシュ族の中の有力部族)への反発から、やがて彼も殺され、ムハンマドの従弟のアリーが4代目カリフとなる。が、ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィアは反発し、両者の間で戦...
    122 KB (18,880 words) - 12:26, 21 June 2024
  • 世紀の時点ではミナレットは建てられておらず、礼拝の呼びかけは屋根の上で行われていた。705年にウマイヤ朝のカリフに即位したワリード1世はマディーナ(メディナ)の預言者のモスクの改築を行い、改装されたモスクの四隅に一辺4m、高さ25m超のミナレットが備えられていたと伝えられている。...
    16 KB (2,215 words) - 00:18, 6 February 2024
  • て機能した。632年、ムハンマドが没するとこのモスクにその亡きがらが葬られた。706年、ウマイヤ朝の6代目カリフであるワリード1世はこのモスクの大改装を命じ、5年の歳月をかけて既存の建物をすべて壊したうえで新しいモスクを建設した。その後、預言者のモスクは少なくとも2度の火災に見舞われた。1483年...
    8 KB (1,074 words) - 21:24, 4 December 2023
  • そうであったと指摘している。10世紀の歴史家のジャフシヤーリー(英語版)(942年没)によれば、スライマーンは父親のアブドゥルマリクやダマスクスのウマイヤモスクの創建者であるワリード1世に倣い、偉大な建築者として恒久的な評価を得たいと考えていた。一方でニムロド・ルスは、ラムラの建設はスライマーンの...
    75 KB (10,095 words) - 06:21, 22 November 2023
  • イスラム国家の帝国的な支配体制のうち、アッバース朝において実現された、ムスリム(イスラム教徒)であれば平等に支配される国家体制のこと。正統カリフ時代からウマイヤ朝の時代において、ムスリムであっても軍人として俸給(アター)を受け、人頭税(ジズヤ)を免除されるのはアラブ人のみというように、アラブが支配階級とし...
    9 KB (1,116 words) - 07:10, 2 August 2023
  • 711年にイスラム教徒によって西ゴート王国が征服された(グアダレーテ河畔の戦い)。756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)であった。10世紀にアブド・アッラフマーン3世とハカム2世の治世下で繁栄を遂げ、大図書館が建てられて多くの学者が...
    8 KB (663 words) - 12:06, 4 December 2023
  • Rock)は、メッカのカアバ、マディーナの預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、東エルサレムの神殿の丘と呼ばれる聖域にある。638年にエルサレムを制服した第2代正統カリフのウマルを記念して、ヒジュラ暦72年(691/2年)にウマイア朝第5代カリフのアブドゥルマリクにより建設・完成されたためウマル・モスクとも呼ばれる。...
    17 KB (2,174 words) - 06:02, 11 April 2024
  • その後ハギア・ソフィア大聖堂などはモスクへ改修された。 ハギア・ソフィア大聖堂(アギア・ソフィア大聖堂、アヤソフィア) 初期ビザンティン建築の最高傑作。帝国最大の教会で、東ローマ帝国期には総主教座が置かれていた。コンスタンティノープルの陥落後、モスクに改修され、近代に政教分離政策で無宗教の博物館になったあと、2020年に再びモスク...
    33 KB (4,807 words) - 06:57, 22 November 2023
  • イヤーン朝(1236年-1550年)であった。 アンダルスのウマイヤ朝は、イブン=ルシュドの思想など、西洋世界では知られていなかった哲学や科学の広がりを可能にした数々の大学のほか、美術にも富んでいた。建築では首都コルドバのメスキータ(大モスク...
    157 KB (20,034 words) - 09:39, 31 March 2024
  • ミフラーブ (category モスク)
    イスラム教は偶像崇拝が禁止されているため、モスクにおける装飾の類はミフラーブぐらいなものであり、それもあくまで祈りのための目印としての意味合いしかない。 シリア、ダマスカスのウマイヤド・モスク トルコのアヤソフィア モロッコのブー・イナーニーヤ・マドラサ エジプト、カイロ...
    2 KB (301 words) - 13:07, 21 September 2022
  • が独立した。アグラブ朝は9世紀初頭にアッバース朝に認められ、1世紀程独立首長国として君臨した。アグラブ朝時代には、チュニスの地に港やザイトゥーナ・モスクが建設され、カイラワーンに次ぐ聖地として知られるようになった。 909年、アグラブ朝を滅ぼしたファーティマ朝がマフディーヤを中心にイスマーイール派...
    18 KB (1,745 words) - 17:27, 22 February 2023
  • イヤはムハンマドの下に帰された。また、ウスマーンはイスラームの教えを拒否する二人の妻と離婚した。ウスマーンが離婚したことを知ったアブー・バクルは、ムハンマドにウスマーンとルカイヤの結婚を提案する。ムハンマドはクライシュ族の有力家系であるウマイヤ家の人間の改宗を喜び、ルカイヤをウスマーンの元に嫁がせて友好関係の継続を望んだ。...
    41 KB (6,214 words) - 14:53, 14 November 2023
  • モスクに変えてしまった。12世紀半ばにアレッポに本拠を置いたザンギー朝の王、ザンギーの息子であるヌールッディーンは熱心なイスラム教徒で、大聖堂の建物を取り巻くようにマドラサ(宗教大学)を創建した。 アレッポの大モスク(ジャーミー・ハラブ・アル=カビール)はもともとウマイヤ...
    28 KB (3,363 words) - 18:19, 30 December 2023
  • ファーティマ朝の第5代カリフ(在位975年 - 996年)・アズハルモスク付属のアズハル学院を創設 アブド・アッラフマーン3世(889年 - 961年) - 後ウマイヤ朝の初代カリフ(在位929年 - 961年)・王朝の最盛期・ザフラー宮殿を造営 ハカム2世(914年 - 976年) - 後ウマイヤ朝の第2代カリフ(在位961年 -...
    76 KB (9,323 words) - 14:55, 25 March 2024
  • る。建設年については636年/7年、638年/9年、639年/40年と諸説ある。外郭は正方形に近い形で、モスクと知事の庁舎が町の中心となり、アラブ遊牧民が部族単位で居住区を形成していた。ウマイヤ朝初期までに約140,000人のアラブ人がクーファに移住したと考えられ、後に現地の人間もクーファに居住す...
    10 KB (1,133 words) - 12:04, 11 February 2023
  • には属していない。スンナ派の信徒。日本語メディアでは「ムアズ・ハティーブ」「モアズ・ハティブ」と表記されることがある。 ダマスカス出身。元はウマイヤド・モスクのイマームであり、アル=フラート石油会社に技術者として勤務していたことがある。 2012年11月11日、反体制派の統合組織「反政府・革命勢力...
    3 KB (270 words) - 19:47, 30 May 2024
  • アレッポの大モスク(アレッポのだいモスク、英語: Great Mosque of Aleppo、アラビア語: جامع حلب الكبير‎ Jāmi‘ Halab al-Kabīr)は、アレッポのウマイヤモスク(英語: Umayyad Mosque of Aleppo、アラビア語: جامع بني...
    20 KB (2,578 words) - 01:07, 12 February 2023
  • モスクを建立したという。 やがてフェズはエジプトのファーティマ朝の支配下に入り、919年/930年にカイラワーン地区のカラウィーン・モスクは金曜モスクとされる。933年から980年までフェズは後ウマイヤ朝の支配下に置かれ、この時代にはイベリア半島からの影響を強く受けた建築物が作られる。後ウマイヤ...
    63 KB (9,186 words) - 04:52, 13 October 2023