アクティウムの海戦(アクティウムのかいせん、ラテン語: Actiaca pugna)は、紀元前31年9月にオクタウィアヌス支持派とプトレマイオス朝およびマルクス・アントニウス支持派連合軍の間で行われた海戦である。海戦の名は戦場がイオニア海のアクティウム沖(現在のギリシャ共和国プレヴェザ)だったことに因む。...
6 KB (611 words) - 20:11, 11 August 2023
アウグストゥス (redirect from ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス)
の対決の布石は整い、以前ギリシア西海岸に遊学していたこともありオクタウィアヌスが立地条件に詳しかったアクティウム沖、現在のニコポリス(英語版)にアントニウスとクレオパトラが誘い出されて、狭い海峡で両軍が激突することになった。この戦いに、当時世界最大の海軍を保有していたアントニウスとクレオパトラの...
57 KB (7,276 words) - 13:13, 10 February 2025
凱旋式のファスティ(がいせんしきのファスティ、ラテン語: Fasti Triumphales / Acta Triumphalia)は、アウグストゥス帝統治下の紀元前19年頃、フォルム・ロマヌムに建てられたアクティウムの海戦記念凱旋門につけられたと考えられている石版である。石版には凱旋式を実施した...
43 KB (3,926 words) - 15:46, 29 June 2023
アクティウム (ギリシア語: Ἄκτιον) は、西ギリシアのアカルナニア地方の北西、アンヴラキコス湾の入り口にあたる岬にあった古代の都市。紀元前31年にオクタヴィアヌスがマルクス・アントニウスを破ったアクティウムの海戦で知られる。現行政上における位置はエトリア=アカルナニア県アクティオ=ヴォニツァ。...
3 KB (293 words) - 09:25, 27 April 2024
プレヴェザの海戦(プレヴェザのかいせん)は、1538年9月28日、バルバロス・ハイレッディンの指揮するオスマン帝国艦隊と、アンドレア・ドーリアが指揮するスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊とによって戦われた海戦。イオニア海、レフカダ島沖が戦場となった。連合艦隊は統制が取れずに敗走し、オスマン...
6 KB (487 words) - 04:32, 15 November 2024
の10年間を指す十年紀。 紀元前37年から紀元前31年の間にヘロデ大王が避難所としてマサダを建設した。 紀元前33年 - アントニウスがクレオパトラと結婚。 紀元前33年 - 王昭君が匈奴の呼韓邪単于に嫁す。 9月2日、アクティウムの海戦...
2 KB (226 words) - 06:16, 7 March 2022
アウグストゥスが3度目の執政官になった。もう1人はマルクス・ウァレリウス・メッサッラ・コルウィヌスだった。 9月2日 - ギリシア西岸で、アウグストゥスの軍がマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世の軍を破った(アクティウムの海戦)。 マサダ要塞の建築が完了した。 ヘレニズム期が終わった。 注釈 出典 [脚注の使い方]...
2 KB (424 words) - 01:37, 26 January 2022
- 3735年 アクティウムの海戦でライバルのアントニウスを破ってローマの最高権力を握ったオクタヴィアヌスは、1月13日、自身が掌握していた独裁権力を元老院に返上し、ローマを共和政に戻すことを宣言する。感激した元老院は、16日にオクタヴィアヌスに「アウグストゥス(尊厳なる者)」の...
4 KB (650 words) - 12:59, 1 September 2022
プレヴェザ県 (section 旧自治体(ディモティキ・エノティタ))
プレヴェザを擁する半島はアクティオ岬と向き合って狭い海峡をなしており、イオニア海とアンヴラキコス湾(アルタ湾)を隔てている。アンヴラキコス湾口一帯は、アクティウムの海戦(紀元前31年)やプレヴェザの海戦(1538年)の舞台として知られる。 プレヴェザ県の...
13 KB (1,077 words) - 06:45, 24 August 2022
海戦(かいせん、英: Naval battle, Naval warfare)は、狭義には艦艇同士の海上戦闘をいうが、広義には航空機、ミサイルなどを用いて海上で行われる戦闘の総称をいう。 武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦...
34 KB (5,420 words) - 22:14, 12 January 2025
エジプト海軍 (category すべてのスタブ記事)
のアクティウムの海戦で敗北したことを機に、プトレマイオス朝の滅亡と同時に崩壊した。 およそ1800年後、オスマン帝国の自治州という立ち位置にあったムハンマド・アリー朝にて、国家の近代化政策において地中海と紅海の沿岸部を守備する西欧式の近代的な海軍が建設される。これが現在のエジプト海軍の始まりとなる。...
5 KB (612 words) - 13:44, 5 March 2024
キュプルス属州 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
実際には紀元前31年のアクティウムの海戦でローマが勝利して以降、4世紀にビザンティンの影響下に組み込まれるまでの間が、ローマ人がこの島を統治した期間である。 キュプルス属州内は、サラミス、パフォス、アマソス(Amathous)、ラペソス(Lapethos)の4つの...
7 KB (694 words) - 09:53, 12 May 2023
ローマ軍 (category 書きかけの節のある項目)
の産地であり頑丈で性能の良い大型船舶を作ることができ、さまざまな意味でフェニキア人の海軍は地中海で「最強」とされていたので、それに比べてローマ海軍は弱く、操船術や練度や船の性能などで劣っていたので、フェニキアの艦隊との海戦では大敗してしまうことが多かった。 ダキア戦争の際のローマ海軍を描いたレリーフ...
7 KB (790 words) - 13:41, 31 October 2024
紀元前1世紀 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
匈奴の呼韓邪単于が再び前漢に入朝し、王昭君が呼韓邪単于に嫁ぐ。 この時期に前漢の領土は最大となる。元帝が死去し、成帝が即位。 紀元前32年 - オルメカの祭祀センターのトレス・サポーテスの石碑Cの日付。 紀元前31年 - アクティウムの海戦でオクタウィアヌスがアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。 紀元前30年...
37 KB (4,000 words) - 15:32, 14 May 2025
紀元前47年にカエサルからローマの公立図書館長に任命された。紀元前44年にカエサルが暗殺(英語版)されマルクス・アントニウスが権力を握るとウァッロは追放され、結果としてウァッロの蔵書を含む多くの資産が失われた。アクティウムの海戦でアントニウスが敗死しアウグストゥスが覇権を掴むと、側近のガイウス・マエケナスの影響もあって文化の...
9 KB (929 words) - 02:05, 27 May 2025
Arta)という別名は、アンブラキアの後身に当たる中世以来の都市アルタに由来する。 アクティウム湾(英: Gulf of Actium)の名は、湾口にある岬の古代の名称アクティウム(現代ギリシャ語ではアクティオ)から採られている。 湾口は幅700mほどの海峡となっており、北にプレヴェザ、南にアクティオ(古代のアクティウム)の...
5 KB (518 words) - 14:27, 31 March 2023
のうちに14回の演説を行う。 紀元前44年 - クレオパトラ7世が息子のプトレマイオス15世カエサリオンをプトレマイオス朝の共同統治者とすることを宣言。 紀元前31年 - アクティウムの海戦。 1192年 - ヤッファ条約(Treaty of Jaffa)がリチャード獅子心王とサラディンの間で締結。第3回十字軍が終了。...
57 KB (5,760 words) - 07:42, 22 May 2025
すると、最初アントニウス側につき東方へと向かうが、アントニウスがプトレマイオス朝のクレオパトラ7世と親しくなると離反、アクティウムの海戦直前にオクタウィアヌスの側につく。そして海戦が終わって直後に没した。 ^ MRR2, p. 417. ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス 著、国原吉之助 訳『ローマ皇帝伝...
6 KB (239 words) - 19:17, 22 October 2023
クレオパトラ7世 (redirect from クレオパトラ7世の死)
アクティウムに関する記述はなく、その存在すら疑われるほどで、ただクレオパトラが敵視されていたことだけは分かるという。当時の東西の経済格差からいって、内乱の続いたイタリアを立て直すため、アントニウスを単独で支えることが可能であったエジプトを奪う必要があり、クレオパトラが敵視されたの...
59 KB (6,689 words) - 12:45, 30 March 2025
のオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスが第二回三頭政治を行った。カエサルの遺言状で相続人に指名されたオクタウィアヌスは紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスに勝利し、紀元前27年に「尊厳者(アウグストゥス)」、「第一の市民(プリンケプス)」の称号を得て、共和政の...
21 KB (2,672 words) - 17:23, 20 May 2025
プレヴェザ (category すべてのスタブ記事)
Tunnel) は、ギリシャ最初の(2015年現在唯一の)海底トンネルである。ニコポリス (Nicopolis) の遺跡は市街から北へ7kmにの位置にある。 プレヴェザの近海では、紀元前31年にアクティウムの海戦が、1538年にはプレヴェザの海戦が勃発した。 欧州自動車道路 E55号線 (en) :...
3 KB (184 words) - 17:09, 21 June 2022
マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ (category ユリウス=クラウディウス家)
て政治の表舞台に立つことになった。そして軍才のないオクタウィアヌスの代理、実質的な最高司令官として内乱を戦い、紀元前36年9月3日のナウロクス沖の海戦ではオクタウィアヌスの海軍を指揮しセクストゥス・ポンペイウス軍に勝利する。紀元前31年のアクティウムの海戦ではマルクス・アントニウス派およびプトレマイオス朝連合軍を破り、勝利へ導いた。...
9 KB (886 words) - 18:22, 13 February 2024
カリュドン (category ギリシャの考古遺跡)
この都市は、アルテミス・ラフリアとアポロン・ラフリアに捧げられ、ラフリオンの名で知られたアエトリアの重要な聖所を蔵していた。 紀元前31年、ローマ皇帝オクタウィアヌスは、この都市の全住民を新しい植民都市ニコポリス(en:Nicopolis)へ移住させた。ニコポリスは、その年にあったアクティウムの海戦の...
2 KB (300 words) - 15:29, 8 July 2021
ウェルギリウス (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
の書とみなされることもあった。あるいは、アウグストゥスやカエサルなどの功績、カルタゴ戦争を暗喩しているとする読みもあり、アエネーアースの盾にはアクティウムの海戦におけるアウグストゥスの勝利が描かれているとまで言われている。 アエネーアースという登場人物に焦点を当てた研究もある。叙事詩の...
51 KB (6,375 words) - 03:46, 9 June 2025
フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸) ディウウス・カエサル神殿(ラテン語: Aedes Divi Iulii、イタリア語: Tempio del Divo Giulio)はローマのフォロ・ロマーノ(ラテン語: Forum Romanum)にある古代の建築物である。紀元前29年8月29日に、アクティウムの海戦...
2 KB (205 words) - 01:19, 17 March 2021
アテナイの政治家・軍人・サラミスの海戦でペルシア軍に勝利する パウサニアス(? - 前470年) - スパルタの王族・レオニダス1世の甥・ギリシア連合軍を率いプラタイアの戦いで勝利する ミレトスのヒッポダモス(生没年不詳) - ギリシア人の都市計画家・ミレトスやピレウスの都市計画に関与しアーバニズムの先駆者となる...
40 KB (4,693 words) - 15:36, 14 May 2025
ローマ海軍 (category 各国の海軍)
の反乱を完全に沈めた。 オクタヴィアヌスはその後、紀元前31年、マルクス・アントニウスとエジプトの女王クレオパトラ7世の連合艦隊をアクティウムの海戦で破った。この海戦では、アントニウスは500隻、オクタヴィアヌスは400隻の艦隊を徴集していたという。この最後の、ローマ共和制期における海戦...
38 KB (5,487 words) - 12:22, 26 December 2024
ヌミディア (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
なお、オクタウィアヌスが紀元前31年にアクティウムの海戦に勝利してローマの覇権を握った後、一度はユバ1世の息子ユバ2世をヌミディア王としたが、紀元前25年にマウレタニア王へ転出させ、ヌミディアは再びローマ属州となった。 193年、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの下で、ヌミディアは属州アフリカ・ウェトゥス...
13 KB (1,474 words) - 20:16, 3 May 2023
アウグストゥス廟 (category イタリアの歴史関連のスタブ項目)
の美しさは保たれていないが、カンプス・マルティウス北端部のランドマーク的建物の一つである。 アウグストゥス廟は、紀元前31年にアクティウムの海戦に勝利し(唯一の統治者としての)地位を確立したアウグストゥスが、ローマ市内の再整備に取り掛かった時の最初の施設である。霊廟は同心円状の建物に円錐形の...
7 KB (851 words) - 14:41, 1 February 2024
プトレマイオス15世 (category エジプトの歴史関連のスタブ項目)
のファラオとなった。紀元前34年には諸王の王と称された。 カエサルの養子で後継者であるオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)との正統性に関する抗争の道具にされ、アクティウムの海戦ののちクレオパトラ7世はカエサリオンを国外に逃亡させようとした。しかし、紀元前30年のクレオパトラ7世の死後、教育係の...
5 KB (363 words) - 16:17, 26 November 2024
ガイウス・ソシウス (category 紀元前1世紀の古代ローマ人)
ウスも戦死したとする。しかしその後に行われたアクティウムの海戦ではアントニウス艦隊の左翼を指揮したことが分かっている。海戦での敗北後、ソシウスは脱出したものの結局は捕らえられ、オクタウィアヌスの面前に引き出された。しかしルキウス・アッルンティウス(en)の取り成しにより助命されている。ローマに戻った...
8 KB (686 words) - 13:13, 15 April 2023