『大かうさまくんきのうち』(たいこうさまぐんきのうち)は、太田牛一が記した豊臣秀吉の一代記。書名は「太閤様軍記の内」の意で、その名の通り、牛一が著した『太閤軍記』(二巻本)の内から抜粋した選集であるが、元本が現存しないため内容も唯一のものとなっている。成立は1610年(慶長15年)前後と推定される。...
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金切裂指物使番 (category 織豊政権の政策制度)
『大かうさまくんきのうち』にある金切裂指物使番 伏屋小兵衛(為長) [脚注の使い方] ^ 「指物」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。https://kotobank.jp/word/%E6%8C%87%E7%89%A9。コトバンクより2020年7月11日閲覧。 ^ 山代とも書く。関ヶ原の...
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太閤記 (category 日本の伝記)
秀吉は生前、御伽衆大村由己に命じて天正年間の功業を描いた『天正記』を著させたが、これが最も古い秀吉の一代記であると考えられている。同様に秀吉に仕えた太田牛一も秀吉の功業を覚書風に記した『太閤軍記』を著した。『太閤軍記』そのものは残っていないが、抄本である『大かうさまくんきのうち(太閤さま軍記のうち...
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黄母衣衆 (category 織豊政権の政策制度)
の他に赤母衣衆も選び、黄母衣衆の何名かは後に赤母衣衆や腰母衣衆や大母衣衆となったと記されている。また、太田牛一の『大かうさまくんきのうち』(太閤様軍記の内)には朝鮮出兵の際の御母衣衆として同様に列記しているのでこれも記すが、母衣の種類は不明。 黄母衣衆(24名) 戸田民部少輔 (勝隆)...
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斎藤義龍 (category 出典を必要とする記述のある記事/2024年6月)
大かうさまぐんきのうち』を見るとハンセン病ではなく、奇病で妻と息子とともに同時に死去したとされる。 勝俣鎮夫は、道三から義龍への継承、道三の戦死までの経緯に関して、従来の説を批判している。道三の美濃国内における発給文書の少なさを指摘して、義龍の家督継承は、国内政治を省みない道三の...
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豊臣仙千代丸 (category 室町・安土桃山時代の武士)
の末寺である)瑞龍寺の過去帳によると法名は妙泉。 [脚注の使い方] ^ a b 黒川道祐 著、上村觀光 編『黒川道祐近畿游覧誌稿』淳風房、1910年、98頁。 ^ 美濃斎藤氏旧臣で斎藤義龍の側近「日比野清実」と推測される。 ^ a b 『大かうさまくんきのうち...
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豊臣百丸 (category 室町・安土桃山時代の武士)
『武功夜話』によると前野長康の養女という。 ^ 父である秀次の法名が道意であり、若君の中で百丸だけに誓道または道喜と、同じ「道」の一字が用いられていて、他の3人の男児は「妙」の字である。『大かうさまくんきのうち』では若君は3人しか登場せず、仙千代丸は登場しないので、登場するなかで最年長の百丸が嫡男の扱いを受けているようである。...
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深芳野 (斎藤道三側室) (category 戦国時代の女性 (日本))
の娘で良通の姉とし、『土岐累代記』は丹後国宮津の城主一色左京大夫の娘とする。 これらの文献は道三が義龍よりも実子である弟たちをかわいがり、それに加えて実父が頼芸であることを知った義龍が父の敵である道三を討ったと説明する。 しかし太田牛一『信長公記』『大かうさまくんきのうち...
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慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 (category 日本の私立教育機関の研究所)
室町時代物語類現存本簡明目録』三省堂〈御伽草子の世界〉、1982年8月、51-136頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/1360271/1/3。 『平家物語:四部合戦状本』汲古書院、1967年。 『平家物語:百二十句本』汲古書院、1970年。 『大かうさまくんきのうち』汲古書院、1975年。 ...
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露月院 (category 摂津国の人物)
浄土宗慈舟山瑞泉寺にある秀次公一族の法名を記した名簿によると、享年9で、戒名は露月院殿誓槿大童女。ただし日蓮宗(本圀寺の末寺である)瑞龍寺の過去帳に彼女についての記載はない。 [脚注の使い方] ^ 出身地により「小浜の局」ともいう。 ^ 『大かうさまくんきのうち』では「小浜殿」とされる人物。 ^...
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前野長康 (category 出典テンプレートの呼び出しエラーがある記事/accessdate)
の記述あり ^ 『細川忠興軍功記』続群書類従第二十輯下「摂政関白秀次御身体果申次第」 ^ 父である秀次の法名が道意であり、若君の中で百丸だけに誓道または道喜と、同じ「道」の一字が用いられていて、他の3人の男児は「妙」の字である。『大かうさまくんきのうち...
37 KB (5,352 words) - 22:18, 3 February 2025
古天明平蜘蛛 (category すべてのスタブ記事)
の戦い)、『山上宗二記』によれば、この際に平蜘蛛は失われたという。太田牛一の『大かうさまくんきのうち』では、久秀自身の手で平蜘蛛を打ち砕いたとされる。 『松屋名物集』には多羅尾光信が落城した信貴山城から「平蛛ノ釜ツキ集メ持ナリ」と破片を集めて復元した記述があり、津田宗及の...
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講談社 1995.2 すすきのはらのおくりもの 新学社・全家研 1996.5 ひみつのひきだしあけた? PHP研究所 1996.2 あのこはだあれ リーブル 1996.9 ぼうしねこはほんとねこ ポプラ社 1997.4 海うさぎのきた日 小峰書店 1998.6 花をかう日 ポプラ社 1999.6 わすれんぼ一年生...
15 KB (2,382 words) - 11:00, 11 May 2025
『ぼくは王さま』(ぼくはおうさま)は、理論社から発売されている寺村輝夫の長編童話。 続編と併せて「王さまシリーズ」の名(理論社の広告では「王さまの本」)で知られるため、当稿ではシリーズ全体を紹介する。児童文学ということもあり、正式な表記は「王様」ではない。挿絵については、特筆していない部分は全て和歌...
50 KB (7,419 words) - 09:01, 8 July 2025
太田牛一 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
ウィキソースに信長公記(我自刊我書、町田本)の原文があります。 ウィキソースに太田和泉守覺書の原文があります。 『信長公記』(「信長記」、「安土記」、「安土日記」) 『大かうさまくんきのうち』(「太田牛一雑記」) 『関ヶ原合戦双紙』(「太田和泉守記」、「内府公軍記」)...
15 KB (2,309 words) - 11:59, 29 July 2025
軍記物 (section 両細川の乱~三好家の台頭(畿内))
天正伊賀の乱:参考伊乱記 天目山の戦い:甲乱記/ 理慶尼の記/ 反町大膳訴状 本能寺の変・山崎の戦い: 惟任退治記/明智軍記/明智物語/山崎合戦記/本城惣右衛門覚書/総見院殿追善記*/神流川合戦記* 能登荒山合戦:荒山合戦記/畠山殿伝記* 豊臣秀吉一代の軍記:大かうさまくんきのうち/天正記/太閤記/...
24 KB (3,524 words) - 16:34, 13 May 2025
土岐頼香 (戦国時代) (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
大かうさまくんきのうち』にも見える。 頼香の最後の発給文書は天文17年(1548年)11月の禁制(「華厳寺文書」)なので、殺害されたのはそれ以降となる。この時期織田信秀が美濃に侵攻していたが、これは道三と対立した頼香の要請によるものの可能性がある。 頼充の...
5 KB (674 words) - 14:58, 6 August 2024
虎岩玄隆 (category 日本の禅僧 (臨済宗))
文禄4年(1595年)に秀次が高野山蟄居となった際に請われて同行。『大かうさまくんきのうち』によれば、秀次が切腹する直前、目をかけて下さった恩義に報いるために彼岸の導きをすると言って、名刀村雲を貰って見事に切腹して冥土に先に旅立ち、殉死を果たした。享年35。 井村眞栞...
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野々村幸成 (category 江戸時代の武士)
子の治兵衛は『大かうさまくんきのうち』によれば御母衣衆に列しているが、父に先立ち慶長17年(1612年)に病没している。享年29。 慶長20年(1615年)、幸成は大坂の陣において豊臣家臣として討死した。『野々村氏略系圖』によれば享年55。 [脚注の使い方] ^ a b c 国書刊行会...
5 KB (580 words) - 14:39, 31 December 2024
二観別岳(にかんべつだけ) 仁頃山(にころやま) 似峡岳(にさまだけ) 西川岳(にしかわだけ) 西クマネシリ岳(にしくまねしりだけ) 西昆布岳(にしこんぶだけ) 西暑寒別岳(にししょかんべつだけ) 西竹山(にしたけやま) 西ヌプカウシヌプリ(にしぬぷかうしぬぷり) 西別岳(にしべつだけ) ニシュオマナイ岳(にしゅおまないだけ)...
30 KB (4,016 words) - 20:34, 26 May 2025
き大がらん奈良の大仏殿、十月十日の夜、すでに灰燼となす。そのむくゐ、たちまち来たつて、十月十日の夜、月日じこくもかはらず、松永父子妻女一門れき〱、天守に火をかけ、平蜘蛛の釜うちくだき、やけ死に候。 — 大かうさまくんきのうち 一、後、人〱のさんだんには、是は松永殿大和のしぎ山の城にて切腹の...
18 KB (2,710 words) - 21:00, 8 June 2024
祝重正 (category 尾張国の人物)
日条にある名護屋城での能楽会で、重正が狂言を演じる姿が記されている。また文禄・慶長の役に同行した御伽衆の中にも名がある。 これが史料における最後の登場であり、没年などについては定かでない。 ^ a b c 『信長公記』 ^ 『伊達家治家城録』 ^ 『織田信雄分限帳』 ^ 『大かうさまくんきのうち』...
3 KB (370 words) - 12:32, 11 September 2023
落ち武者狩り (category 織豊政権の政策制度)
特に、天正10年(1582年)6月13日、山崎の戦い後に起きた、明智光秀の小栗栖(前述した旧・伏見荘の1村)または山科または醍醐での落ち武者狩りの百姓による鑓あるいは打ち殺し(『多聞院日記』、『大かうさまくんきのうち』)による殺害が有名である。これに先立つ本能寺の...
15 KB (2,604 words) - 10:07, 22 October 2024
豊臣秀次 (category 出典の日付が正しくないページ)
さま軍記のうち』ではどんな経緯だったのか詳しく書かれていない。 フロイス指摘「秀次の一大不徳」 『日本西教史』によれば、秀次には「人を殺すを嗜む野蛮の醜行」があり、罪人が処刑される際には自ら処刑人を務めるのが常であったという。関白の居館の一里ほど先の高地に刑場が設けられ、周囲に土塀を築き...
169 KB (28,804 words) - 13:40, 26 July 2025
糟屋武則 (category 織豊政権の大名)
『川角太閤記』の記述。『太閤記』や『大かうさまくんきのうち』では木下吉隆の屋敷となっている。 ^ なお片桐且元も同日に同じ理由で加増を受けている。 ^ この時点での武則の領知には播磨の他に大和国宇陀郡本郷村・追間村も飛び領として含まれていた。 ^ 『加古川市誌』では関ヶ原の本戦には参戦せず大坂に滞在したと記述されている。...
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若政所 (category 戦国時代の女性 (日本))
htm ^ 太田牛一. 『大かうさまくんきのうち』 ^ 遠藤珠紀「豊臣秀次事件と金銭問題」『日本歴史』867号、2020年。 /所収:黒田基樹 編『羽柴秀吉一門』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究 13〉、2024年11月、255-263頁。ISBN 978-4-86403-546-0。 ...
7 KB (1,012 words) - 08:05, 10 May 2025
道三は従来義龍を「無能」と評していたが、長良川の戦いにおける義龍の采配を見て、「さすが道三の子にて候」とその評価を改め、後悔したという(『大かうさまくんきのうち』)。 天文15年(1546年)、もしくは天文16年(1547年)5月21日に道三が出した書状には、陣中見舞いとし...
43 KB (6,773 words) - 05:28, 14 July 2025
『信長公記』 太田牛一著 『大かうさまくんきのうち』 太田牛一著 『明智軍記』 著者不詳。元禄頃の成立。明智光秀の唯一の伝記。しかし史料的価値は低いとされる。 『 浅井三代記』 『陰徳太平記』 安芸毛利氏を中心に中国地方の戦国時代を描写した戦国軍記。17世紀末頃の成立。岩国藩の家老香川正矩著。毛利元就礼讃の傾向が強い。...
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『おくさまが生徒会長!』(おくさまがせいとかいちょう)は、中田ゆみによる日本の漫画作品。『月刊ComicREX』(一迅社)2011年10月号から2018年10月号まで連載された。中田が『comicキャンドール』(実業之日本社)にて連載していた『奥さまは生徒会長(おくさまはせいとかいちょう)』のセルフリメイク作である。...
30 KB (3,658 words) - 09:30, 27 January 2025
豊臣秀吉 (category 出典を必要とする記述のある記事/2022年3月)
秀吉は大陸侵攻(唐入り)の準備をしつつ、周辺諸国やスペイン・ポルトガルの植民地に対し服属入貢を要求した。 秀吉における海外進出の構想は天正15年(1587年)の九州遠征の時期に行われたとみられ、5月9日に秀吉夫妻に仕える「こほ」という女性への書状において「かうらい国へ御人しゆつか(はし)かの...
237 KB (37,795 words) - 11:02, 29 July 2025
六ヶ浦漁港(むつがうら - )陸前高田市 大祝漁港(おおいわい - )陸前高田市 三鏡漁港(さんきょう - )陸前高田市 根岬漁港(ねさき - )陸前高田市 大陽漁港(おおよう - )陸前高田市 矢の浦漁港(やのうら - )陸前高田市 両替漁港(りょうがえ - )陸前高田市 脇之沢漁港(わきのさわ - )陸前高田市 要谷漁港(ようがい...
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