藤波畷の戦い(ふじなみなわてのたたかい)は、永禄4年(1561年)9月13日(旧暦)に行われた、東条吉良氏の居城東条城をめぐる吉良氏と松平元康(徳川家康)の一連の攻防戦の1つである。 この戦いで吉良義昭の家老富永忠元(伴五郎)が本多広孝に城下の藤波畷(愛知県西尾市吉良町瀬戸藤波付近)で討たれ、吉良義昭は降伏したとされる。...
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善明堤の戦い(ぜんみょうつつみのたたかい)は、永禄4年(1561年)4月15日に三河国(現・愛知県)において松平元康(後の徳川家康)と吉良義昭との間で起った戦い。今川氏から独立した家康の三河統一事業の過程で起きた合戦の1つである。 駿河国の戦国大名・今川義元の...
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の政治抗争の過程でこの体制は徐々に崩壊してゆき、戦役の結果により消滅することになる。 政争の原因については以下のようなものが想定されているが、関ヶ原の戦いにおける東西の対立関係は複雑なものであり、各大名の動向を決定した要因は多岐にわたるものと考えられる。また、地方での戦...
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の鉄砲隊に対して鉄砲の装備率や兵数に劣りながらも、突撃を敢行して窮地を脱したことがあった(逆に敗れた例もある)。 後年の合戦でも沖田畷の戦いや戸次川の戦いでは大量に鉄砲を装備した龍造寺軍や豊臣軍に対して島津軍は弓の援護と太刀による突撃を繰り返し(鉄砲の数では島津軍が劣る)、弾の装填に時間の...
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小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、天正12年(1584年)3月から11月にかけて、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。尾張北部の小牧山城・犬山城・楽田城を中心に、尾張南部・美濃西部・美濃東部・伊勢北・紀伊・和泉・摂津の...
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東条城 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
現地案内板より ^ 一般社団法人西尾市観光協会 大久保忠教(原著)日本戦史会編『三河物語』(日本戦史会、1890年)。 中部地方の史跡一覧 吉良氏 松平康親 善明堤の戦い 藤波畷の戦い ウィキメディア・コモンズには、東条城に関連するカテゴリがあります。 古城公園(東条城跡) - 西尾観光(一般社団法人西尾市観光協会)...
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b 小林輝久彦「天文・弘治年間の三河吉良氏」『安城市歴史博物館研究紀要』12号、2012年。 /所収:大石泰史 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第27巻〉、2019年6月、263-276頁。ISBN 978-4-86403-325-1。 善明堤の戦い 藤波畷の戦い 富永忠元...
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富永忠元 (category 三河国の人物)
の留守部隊は松平好景勢の退路を遮断、義昭の本隊と挟み撃ちにして壊滅させている。合戦後、東条城へ入城。味方の西尾城が落ち、東条城が包囲されると出戦を主張。9月13日、手勢を率いて東条城の西方、藤波畷に出撃、本多広孝・酒井正親らの部隊と戦い戦死した(藤波畷の戦い)。享年25。...
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三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市中央区三方原町近辺)で起こった武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦い。 信長包囲網に参加すべく上洛の途上にあった信玄率いる武田軍を徳川・織田の連合軍が迎え撃ったが敗退した。...
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桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間での織田信長軍と今川義元軍の合戦。2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲、または正面から攻撃し、今川義元を討ち取った。...
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大久保忠包 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
ただかね、天文9年(1540年) - 永禄4年9月13日(1561年10月21日))は、戦国時代の武将。通称大八郎 。 父は大久保忠員、母は某氏。初め僧侶となって慶典と号した。後に還俗し、永禄4年(1561年)9月13日ら藤波畷の戦いで討死した 。法名日常。 『寛政重修諸家譜第4輯』(国民図書、1923年、794p)...
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本多広孝 (category 三河国の人物)
の在世中にその望みが受け入れられることはなかった。 永禄3年(1560年)5月の今川義元の戦死後、松平元康(家康)が岡崎に帰城すると、広孝は領国回復の戦いに忠節を尽くした。とりわけ、永禄4年(1561年)の東条吉良氏との戦い、いわゆる藤波畷の戦いには劣勢となり多くの...
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松平康親 (category 三河国の人物)
同年4月、東条城の吉良義昭を攻め、6月より津の平(現在の愛知県西尾市吉良町津平)に砦を構えて対陣、9月に至り藤波畷の戦いに破って降伏させた。永禄6年(1563年)、義昭が三河一向一揆に主将として担がれ東条城に籠城すると、忠次は再度これを攻めて翌年春に降伏させた。義昭は追放され、かわって亀千代が東条城主になる(東条松平家の事実上の成立)。また、忠次も500貫文加増で3...
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平岩元重 (category 三河国の人物)
の部隊を引率して参陣。藤波畷に富永忠元を誘い出した。出陣に先立ち、本多広孝は今日こそ富永を討つまでは結びを解かずと鎧の上帯の緒を元重に切らせたと富永氏所伝は記す。果たして、富永忠元は本多広孝主従に藤波畷で討ち取られた(藤波畷の戦い)。...
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牛久保城 (category 愛知県の城)
の旗本(牧野助十郎家)になった。 ^ 古図以外では弘治3年(1557年)の牧野成定宛今川義元朱印状に原四郎次郎、牧野右近(既出)、同平七郎(既出)、牧野家「御家譜」等に藤波畷の戦いに吉良氏の救援に差し向けた須瀬宮内、また牧野成定の知行宛行状の...
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善明堤の戦い(ぜんみょうつつみ 三河国 - 愛知県) 1561年 : 藤波畷の戦い(ふじなみなわて 三河国 - 愛知県西尾市) 1561年 : 将軍地蔵山の戦い(しょうぐんじぞうやま 山城国 - 京都市左京区) 1561年 : 第四次川中島の戦い(かわなかじま 信濃国) 1561年 : 川上峡合戦(かわかみきょう 肥前国...
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戦いが始まった。 天正3年(1575年)5月には三河の長篠城を巡って武田勝頼軍と織田・徳川連合軍との間で長篠の戦いが発生した。この戦いで、武田軍は大敗北し、主要な家臣たちを多く失って、武田家領国は動揺した。 長篠合戦の後、武田氏の外戚である木曾義昌(武田信玄の娘で勝頼の妹・真理姫の...
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姉川の戦い(あねがわのたたかい)は、戦国時代の元亀元年6月28日(1570年7月30日/グレゴリオ暦8月9日)に近江国浅井郡姉川河原(現在の滋賀県長浜市野村町及び三田町一帯)で、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の間で行われた合戦である。 「姉川の戦い」「姉川合戦」という呼称は元々は徳川氏によるもの...
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西尾市 (category 1906年設置の日本の市町村)
藤波畷の戦いでは西条吉良氏家老の富永忠元が討たれた。その後東条城の西条吉良氏・吉良義昭は降伏して岡崎に移され、東条城には東条松平家が入った。また義昭の兄吉良義安は、東条吉良氏を継いでいたが、徳川家康と親しく、義昭の逃亡後、家康に許されて東条西条の吉良氏を統一した。...
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高天神城の戦い(たかてんじんじょうのたたかい)は、1574年(天正2年)と1581年(天正9年)に武田勝頼と徳川家康の間で行われた、現在の静岡県掛川市にあたる遠江国・高天神城における2度の攻城戦を指す。 高天神城(遠江国)は元は今川氏の支城であった。桶狭間の戦い...
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の敗北を知らされた元康により、その真偽を確かめるために平岩元重、服部久左衛門とともに派遣された。 元康が今川氏から自立した後、元康に従って東条松平家の松平家忠の陣代になった松井忠次(松平康親)に属した。永禄4年(1561年)、東条城の戦い(藤波畷の戦い)で忠次が敵の...
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清洲同盟 (category 織豊政権の政策制度)
の吉良氏などの三河における親今川勢力を攻撃しはじめる(善明堤の戦い及び藤波畷の戦い)。これに怒った今川義元の子今川氏真は、永禄4年(1561年)に家臣の吉田城代小原(大原)肥前守鎮実に命じ、松平(徳川)側の人質を城下の龍拈寺口で殺した。一説には串刺しと言う。東の駿河国の...
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小笠原長茲 (category 特筆性の基準を満たしていないおそれのある記事/2023年1月)
小笠原 長茲(おがさわら ながこれ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。 三河(幡豆)小笠原氏。通称三九郎。小笠原長是とも。 小笠原長浮(安芸守)の弟 。永禄年(1561年)藤波畷の戦いで大将として180余騎を率いて糟塚砦に配置された。 詳細は分かっていないが小笠原吉次に比定する説もある。 ^ 早稲田大学出版部...
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平岩氏 (category 出典を必要とする記述のある記事/2025年3月)
小笠原金兵衛の子。元重の遺領を継ぐ。 初祖は平岩矢之助。参謀本部編纂の『日本戦史』によれば名は基親で、桶狭間の戦いの前哨戦である松平勢の丸根砦攻めに参加している。『士林泝洄』によれば東条松平家の松平家忠の陣代になった松井忠次(松平康親)に属して東条城の戦い(藤波畷の戦い)、姉川の戦い、鳶ヶ巣山の戦い...
15 KB (2,091 words) - 11:43, 18 April 2025
さだまさ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。尾張藩士。 東条松平家の松平家忠及びその家老・松平康親に仕える。永禄4年(1561年)藤波畷の戦いに13歳で従軍。永禄11年(1568年)掛川城の戦いで敵の首級を挙げる。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いでは殿軍を務めた。天正3年(1575年)長篠の戦いでは鳶ヶ巣山砦攻撃に参加し、砦への...
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徳川家康 (category CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付)
藤波畷の戦いなどに勝利して、西三河の諸城を攻略する。 永禄4年(1561年)先に今川氏を見限り織田氏と同盟を結んだ伯父・水野信元の仲介もあって、信長と和睦し、今川氏と断交して信長と同盟を結んだ(清洲同盟)(『史料総覧』巻10)。同年4月西三河で今川氏との戦いが開始された。...
287 KB (47,376 words) - 17:21, 13 July 2025
野田城の戦い(のだじょうのたたかい)は、元亀4年(1573年)1月から2月にかけて、三河国野田城をめぐり、武田信玄率いる武田軍と徳川家の間で行われた戦い。 西上作戦の最終盤の戦いであり、三方ヶ原の戦いの関連で紹介されることもある。武田信玄最後の戦いでもある。...
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吉良氏 (category 出典のページ番号が要望されている記事)
の勢力が後退すると、その支配を目指す松平家康(のちの徳川家康)と義昭は対立することになる。義昭は善明堤の戦いや藤波畷の戦いを経て家康に降伏する。永禄6年(1563年)、三河一向一揆が勃発するとこれに加担して再び家康に敗れ、家康は今川氏の人質時代に面識があったという義安に吉良氏の家督を相続させた。...
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鷲塚城 (category 三河国の城)
鷲塚村は永禄4年(1561年)まで吉良氏の支配を受けていた。この年、吉良義昭が藤波畷の戦い(西尾市吉良町)において徳川家康に敗れると、岡崎の徳川家康の支配地に変わった。鷲塚城は永禄5年(1562年)徳川家康の命により築造された。 刈谷城主水野忠政の九男水野忠重は、鷲塚村の片山家に身を寄せていたが、永禄4年より岡崎の...
4 KB (601 words) - 06:50, 14 July 2024
上田合戦(うえだかっせん)は、信濃国の上田城(現:長野県上田市)と近隣の山城周辺、上田市の東部を南北に流れる神川付近などで行われた真田氏と徳川氏との戦いの総称である。 (他氏も参加していた。) この地で真田氏と徳川氏の戦は2回行われ、天正13年(1585年)の戦を第一次、慶長5年(1600年)の戦を第二次とし区別する事もある。...
17 KB (2,530 words) - 05:39, 31 October 2024
一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい)は、元亀3年(1572年)10月に遠江国二俣城をめぐり、武田信玄と徳川家康の間で行われた戦い。家康の退却戦である。 武田信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、二俣城の戦い(あるいはそれを含めて三方ヶ原の戦い)の前哨戦である。...
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