ウィキメディア・コモンズには、笠置山の戦いに関連するカテゴリがあります。 笠置山の戦い(かさぎやまのたたかい)は、鎌倉時代後期の元弘元年(1331年)9月に山城国相楽郡笠置山(現在の京都府相楽郡笠置町)において、鎌倉幕府打倒を目指す後醍醐天皇側と、幕府側との間で行われた戦いである。...
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笠置山にある笠置寺の境内からは弥生時代の石剣が出土している。寺が創建されたのは7世紀末とされる。 笠置山が有名になったのが元弘の乱で、鎌倉幕府の倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置寺に行幸して御在所とし、鎌倉方の大軍が押し寄せて籠城戦となった(笠置山の戦い)。 山の...
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子・護良親王や、河内国の悪党・楠木正成もこれに呼応し、それぞれ挙兵した。 幕府は大仏貞直、金沢貞冬、足利高氏(後の尊氏)、新田義貞らの討伐軍を差し向けた。9月に笠置山は陥落し(笠置山の戦い)、楠木軍が守る下赤坂城が残った。ここで幕府軍は苦戦を強いられる。楠木軍は城壁に取り付いた幕府軍に対して大木を落...
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ウィキメディア・コモンズには、笠置町に関連するカテゴリがあります。 公式ウェブサイト 京都府公式メディア(笠置町観光) かさぎ-カッサイ-活彩-笠置町役場 (かさぎ-カッサイ-活彩-笠置町役場-1484897261839753) - Facebook 笠置町南部青年団Facebook 笠置町内のキジ肉店 笠置町内の笠置山の料理旅館...
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赤坂城の戦い(あかさかじょうのたたかい)は、鎌倉時代末期元弘元年(1331年)9月11日に起こった戦い。河内国・赤坂城(下赤坂城)に於いて、楠木正成が笠置山を落ち延びた護良親王を擁し、寡兵をもって鎌倉幕府の正規軍全4軍とわたり合った籠城戦である。赤坂城は一ヶ月余りの...
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笠置寺(かさぎでら)は、京都府相楽郡笠置町笠置山にある真言宗智山派の寺院。山号は鹿鷺山(しかさぎさん)。本尊は弥勒菩薩。開基は大海人皇子または大友皇子と伝える。歴史的に南都(奈良)の東大寺や興福寺などと関係が深く、貞慶などの著名な僧が当寺に住したことで知られ日本仏教史上重要な寺院である。また、境内は...
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千種忠顕 (category 鎌倉時代の公家)
ただあき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。権中納言・六条有忠の次男。官位は従三位・参議、贈従二位。千種家の祖。 後醍醐天皇の近臣となり、皇太子・邦良親王の早期即位を画策する父・有忠と敵対した。 元徳3年(1331年)元弘の乱が発生し、同年8月に後醍醐天皇が笠置山で挙兵すると、忠顕もこれに従う。しかし、9月に笠置山...
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楠木正成 (category 日本の紙幣の人物)
元弘の乱が発生し、天皇が笠置山に籠ると、笠置寺の衆徒や近国の豪族らが兵を率いて駆けつけてきたが、名ある武士や、百騎、二百騎を率いた大名などは一人も来なかった。そのため、後醍醐天皇は皇居の警備もままならないと不安になり、心配になって休んだ際に夢を見た。その夢の...
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の北条仲時と共に笠置山の戦い、赤坂城の戦いで激戦の末に勝利し、後醍醐天皇を隠岐島に配流する。 元弘3年/正慶2年(1333年)初頭からは後醍醐天皇の綸旨を受けて挙兵に応じた赤松則村ら反幕府軍と戦うが、5月7日に綸旨に応じて寝返った足利尊氏(高氏)に六波羅を攻略されたため、六波羅探題北方の...
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倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が神器とともに奈良・笠置山に逃れる 天正元年(ユリウス暦1573年9月23日) - 織田信長が、妹・お市の方の嫁ぎ先である浅井長政の近江・小谷城を攻撃 明治元年(グレゴリオ暦1868年10月12日) - 京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行 周・霊王20年(ユリウス暦紀元前551年9月28日)...
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南朝 (日本) (category 奈良県の歴史)
の後醍醐天皇は倒幕計画を企て、元弘元年/元徳3年(1331年)に三種の神器を持って笠置山へ入り挙兵すると、幕府の奏請により持明院統の光厳天皇が践祚する。 元弘3年/正慶2年(1333年)、反幕勢力の結集により鎌倉幕府が滅亡すると後醍醐天皇は京へ戻り、光厳天皇と正慶年号を廃して建武の...
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14世紀 (category 日本語版記事がリダイレクトの仮リンクを含む記事)
8月 後醍醐天皇が三種の神器を持って笠置山に入る。笠置山の戦い、赤坂城の戦い。 9月 鎌倉幕府の奏請により、量仁親王が即位して北朝初代光厳天皇となる。笠置落ちの後醍醐天皇が捕らえられる。 10月 後醍醐天皇が神器を光厳天皇に渡す。 元朝で「至順2年の疫病」。 1332年...
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笠置山で元弘の乱を起こすが、笠置山の戦いで敗北し、間もなく捕らえられた。後醍醐天皇と前々から内通していた幕府御家人・得宗御内人の悪党楠木正成とその弟楠木正季も、9月上旬から根拠地下赤坂城で孤軍奮闘するが(下赤坂城の戦い)、10月後半、幕府の正規軍4軍からの...
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足助重範 (category 鎌倉時代の武士)
の笠置山の戦いでは天皇の元へ最初に馳せ参じ、幕府方の大軍を相手に強弓を以て荒尾九郎・弥五郎兄弟を討ち取るなど奮戦したが、笠置山の陥落後に捕縛され、翌2年5月3日、京都六条河原で処刑された(『太平記』巻四「笠置囚人死罪流刑事付藤房卿事」)。 1933年(昭和8年)5月26日 - 贈従三位 [脚注の使い方]...
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南部政光 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
の三光庵。 一方「嫡家系譜」によれば、1331年の笠置山の戦いでは子の義元が鎌倉に常在していたため政元は京都進撃には加わらなかったという。正慶2年(1333年)2月、新田義貞が鎌倉を攻めた時には、北条高時の命によって高時の弟・左近入道慧性が分倍河原の戦いに参加しており、この時南部次郎政元(政光の...
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六角時信 (category 南北朝時代の武将)
朝廷との関わりは深く、元徳2年(1330年)の後醍醐天皇の石清水行幸の際には橋渡を務めているが、元弘元年(1331年)の元弘の乱では鎌倉幕府方につき、8月、近江唐崎にて後醍醐天皇に応じた延暦寺衆徒と戦い敗れるものの、後醍醐天皇が内裏を脱出して笠置山に挙兵した際(笠置山の戦い...
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小御門神社 (category すべてのスタブ記事)
の一社である。 後醍醐天皇の側近の藤原師賢を祀る。師賢は元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の身代わりに比叡山で討幕の挙兵したが(元弘の変・笠置山の戦い)捕えられ、元弘2年に下総国に流されて、その3か月後に32歳で歿した。建武中興の際に太政大臣を追贈され、文貞公の諡号が与えられた。...
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恒良親王 (category 日本の皇太子)
の森茂暁は、この生年が妥当なところであろうとしている。 元弘元年(1331年)に後醍醐天皇と鎌倉幕府との戦い元弘の乱が始まるが、後醍醐は笠置山の戦いで敗れ、後醍醐および尊良親王ら深く関与した皇子は翌年3月に隠岐島に流された。その他の皇子で10歳以上のものは城外へ移された。一方、後醍醐の...
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のちの尊氏)らと共に大将軍として上洛した。9月26日には上洛軍を率いて笠置に向けて進発して、2日後に攻め落とした(笠置山の戦い)。10月の赤坂城の戦いにも勝利して戦功を挙げた。 元弘2年/正慶元年(1332年)9月、北条高時が派遣した上洛軍に加わり、正慶2年/元弘3年(1333年)2月からの...
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土岐頼貞 (category 出典を必要とする記述のある記事/2024年8月)
の戦乱で活躍して美濃守護となっているので、『太平記』の記述には混乱がある。 元弘元年(1331年)、笠置山の戦いと赤坂城の戦いには北条方として参戦したが、 元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の詔を受けた足利尊氏が討幕の挙兵をすると、頼貞は尊氏軍に加わった。後醍醐天皇の親政(建武の新政)のもとでの頼貞の動向ははっきりしない。...
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東勝寺合戦 (category 1333年の戦闘)
の1333年(元弘3年、正慶2年)に相模国鎌倉(現在の鎌倉市)で行われた戦い。1331年(元弘元年、元徳3年)から開始された後醍醐天皇の倒幕運動である元弘の乱の最後の戦いである。北条氏が率いる鎌倉幕府はこれに負け滅亡した。 鎌倉幕府得宗の北条高時と一族の北条氏は、最後は討幕軍に包囲され鎌倉の...
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下赤坂城 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
の史跡に指定された。楠木七城の一つ。 元弘の乱の主要な舞台となった。元弘元年(1331年)、倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置山で挙兵すると、楠木正成もこれに呼応して当地で挙兵。熱湯や二重塀の活用、大木の投下等の奇策を用いて鎌倉幕府軍を翻弄したと伝えられるが、にわか造りの下赤坂城は大軍の...
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1331年 : 笠置山の戦い(かさぎやま 山城国) 1331年 : 赤坂城の戦い(あかさかじょう 河内国) 1333年 : 瀬川合戦(せがわ 摂津国) 1333年 : 千早城の戦い(ちはやじょう 河内国) 1333年 : 船上山の戦い(せんじょうさん 伯耆国) 1333年 : 六波羅探題の戦い(ろくはらたんだい 山城国、近江国)...
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時期不明ながら、天台座主となった尊雲法親王(後の護良親王)に伺候するようになる。尊雲法親王が還俗し、兵を挙げるようになってからもそれに従うが、元弘2年(1332年)6月21日に笠置山の戦いで後醍醐天皇(護良親王の父)が敗北すると捕縛され、一時六波羅探題の獄につながれる(『太平記』巻四)。その後も護良親王の...
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佐野氏 (category 出典のページ番号が要望されている記事)
元弘元年(1331年)9月の笠置山の戦いでは、鎌倉幕府方として佐野安房弥太郎が見える(『太平記』)。 鎌倉幕府の滅亡から建武の新政の時期の動向ははっきりしない。建武2年~3年には佐野義綱と佐野一王丸が北朝方で活動していたのが「佐野義綱軍忠状」「佐野安房一王丸軍忠状」(「落合文書」)で分かる。義綱は南朝方の...
20 KB (2,561 words) - 01:24, 8 June 2025
武田政義 (category 南北朝時代の武将)
の名が見られる。 鎌倉時代後期の元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が倒幕を企てて笠置山(京都府笠置町)において挙兵する(笠置山の戦い)。鎌倉幕府では京都に差し向ける軍勢を編制し乱の鎮圧のため派兵しているが、このときの軍勢の...
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四条隆資 (category 鎌倉時代の公家)
の猛攻を受けて笠置山は落城して天皇と隆量が捕らえられてしまう(『尊卑分脈』によれば、隆量は捕縛の後佐々木氏にその身柄を預けられて、翌年誅殺されたとある)。幸い幕府軍の追跡を逃れた隆資は護良親王・楠木正成を頼るが、幕府軍の攻撃にあって敗れて紀伊国に落ち延びて出家した。...
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デーン人により包囲されていたカンタベリーの総主教エルフィア(英語版)が捕らえられる。 1227年 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が十字軍不参加を理由に教皇グレゴリウス9世により破門される。 1331年(元徳3/元弘元年8月27日) - 元弘の変: 倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が京都府笠置町の笠置山に行幸される。 1364年...
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笠置山で挙兵し元弘の乱が起こると皇子、護良親王も参戦した(この時は、まだ仏門に入っており「尊雲法親王」といった。還俗して「護良」と名乗るのは『太平記』では十津川郷に滞在中)。護良親王は南都の般若寺で笠置山の動向を伺っていたが、笠置山が陥落し後醍醐天皇も囚われの身となる。護良親王にも捜索の...
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千早城の戦い(ちはやじょうのたたかい)は、1333年(元弘3年、正慶2年)に後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった包囲戦。千早城は上赤坂城・下赤坂城と並び、現在の大阪府千早赤阪村に位置する山城である。 軍記物『太平記』では、2月2日に赤坂城で戦い...
29 KB (4,581 words) - 13:13, 10 April 2025
船上山の戦い(せんじょうさんのたたかい)は、1333年(元弘3年、正慶2年)、後醍醐天皇を奉じた伯耆国の武将である名和長年と、鎌倉幕府軍との間で起こった元弘の乱における一連の戦いの1つ。船上山は、現在の鳥取県東伯郡琴浦町に位置する山である。 元弘の乱により流罪とされていた後醍醐天皇は幽閉先の...
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