• ヨブクル(モンゴル語: Юбугур Yobuqur、中国語: 薬木忽児、? - 1324年)は、チンギス・カンの孫アリクブケの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では薬木忽児/薬木忽而/岳木忽而、『集史』などのペルシア語史料ではیوبوقور(Yūbūqūr)と記され、ユブクル(Yubuqur)とも表記される。...
    15 KB (2,643 words) - 10:39, 12 March 2024
  • ことを餌に叛乱に誘い、この企てにモンケ家のサルバン、アリクブケ家のヨブクルとメリク・テムル、コルゲン家のクルタイら諸王は賛同し叛乱に荷担した。ただ、トルイの庶子のボチュクの孫のヤクドゥのみは叛乱に荷担することを拒んでシリギ、ヨブクル、トク・テムルらに攻められ、トク・テムルによって生け捕りにされたヤクドゥはシリギ軍の捕虜とされた。...
    26 KB (4,233 words) - 02:36, 6 May 2023
  • 棄した後、至元3年(1266年)に病没すると、祖父のトルイのウルス(所領)であるモンゴル高原のうち、アリクブケが与えられていた北西部の一帯を長兄のヨブクルら兄弟とともに継承した。アリクブケの妃の実家であるオイラト部のいた地域(現在のトゥヴァ共和国)に地理的に近いため、オイラトがメリク・テムル兄弟と連...
    12 KB (1,492 words) - 03:48, 31 March 2024
  • 脱走したサルバンによって逆にシリギとアリク・ブケ家のヨブクルは捕らえられてしまった。 ヨブクルはサルバンによって大元ウルスに引き渡される前に脱走し、弟のメリク・テムルのいるカイドゥ・ウルスではなく、オルダ・ウルスのコニチの下に逃れた。この後ヨブクル、ウルス・ブカらはオルダ・ウルスの下を去って同じモン...
    9 KB (1,285 words) - 16:50, 7 June 2022
  • ハン朝を創始した。フレグ家は1335年に断絶し、イルハン朝も1353年までに消滅した。 アリクブケは継承戦争に敗れて間もなく死去したが、その長男のヨブクルはシリギと協力してクビライに反乱を起こした。その後、1世紀を経てイェスデルがクビライ家に復讐している。また、フレグ家が断絶した後、一族からイルハン朝の君主となっている者も存在する。...
    4 KB (594 words) - 04:18, 19 May 2023
  • 喚した。[ドゥルダカは]恐れ少数の部下達と逃げ、アリク・プケの子ヨブクル及びモンケ・カアンの孫でシリギの子であるウルス・ブカと結んだ。そして彼のもとにいた」とあり、ドゥルダカは何物かの密告によってクビライに処罰されることを恐れ、ヨブクルとウルス・ブカを頼ってカイドゥ・ウルス側に亡命したと記される。『...
    17 KB (3,128 words) - 13:39, 11 December 2023
  • ことを餌に叛乱に誘い、この企てにモンケ家のサルバン、アリクブケ家のヨブクルとメリク・テムル、コルゲン家のクルタイら諸王は賛同し叛乱に荷担した。ただ、トルイの庶子のボチュクの孫のヤクドゥのみは叛乱に荷担することを拒んでシリギ、ヨブクル、トク・テムルらに攻められ、トク・テムルによって生け捕りにされたヤクドゥはシリギ軍の捕虜とされた。...
    20 KB (3,564 words) - 09:54, 7 August 2022
  • 部下に救出され、至元18年(1281年)再びシリギに決戦を挑んだところ、シリギ・ヨブクルの軍隊が寝返ってサルバン側についたことによって勝利を収めた。サルバンはシリギとヨブクルを連れてクビライに投降しようとしたが、ヨブクルのみはオッチギン家の人間と協力することでカイドゥの下へ逃れ、サルバンとシリギは至...
    8 KB (1,243 words) - 01:40, 23 April 2023
  • ヨブクルやメリク・テムルらとともにカイドゥ側の諸王として知られるようになった。 1294年にクビライ・カアンが死去しオルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)が即位してより2年、元貞2年(1296年)秋にモンケ家のウルス・ブカ及びアリクブケ家のヨブクル...
    12 KB (1,934 words) - 16:13, 3 September 2023
  • 家領の中心であるアルマリクに進駐し、中央アジアで勢力を振るっていたオゴデイ家のカイドゥを圧迫するに至った。しかし同年夏、シリギやアリクブケの遺児のヨブクル、メリク・テムル兄弟らクビライ家の支配に不満を持っていた高原西部の旧アリクブケ派の諸王族が軍中で反乱を起こし、ノムガンとココチュの兄弟、アントンらを捕縛してモンゴル高原に戻った。...
    10 KB (1,372 words) - 02:45, 31 March 2024
  • アリク・ブケ大王(Ariq Buke >阿里不哥/ālǐbúgē,اریغ بوکا/Arīq būkā) 威定王ヨブクル(Yobuqur >薬木忽児/yàomùhūěr,یوبوقور/Yūbūqūr) メリク・テムル(Melik temür >明里帖木児/mínglǐ...
    17 KB (2,270 words) - 13:32, 29 April 2023
  • アリクブケ大王(Ariq Buke >阿里不哥/ālǐbúgē,اریغ بوکا/Arīq būkā) 威定王ヨブクル(Yobuqur >薬木忽児/yàomùhūěr,یوبوقور/Yūbūqūr) メリク・テムル(Melik temür >明里帖木児/mínglǐ...
    7 KB (858 words) - 12:27, 8 June 2023
  • アリクブケ大王(Ariq Buke >阿里不哥/ālǐbúgē,اریغ بوکا/Arīq būkā) 威定王ヨブクル(Yobuqur >薬木忽児/yàomùhūěr,یوبوقور/Yūbūqūr) メリク・テムル(Melik temür >明里帖木児/mínglǐ...
    2 KB (295 words) - 05:14, 19 October 2023
  • 、オルジェイは初めて史書に名が記される。この時、オルジェイは成宗テムルより無邑国名の印を与えられている。 大徳9年(1305年)にはアリクブケ家のヨブクルとともに金印を賜り、衛安王に封ぜられた。これはウルス・ブカがそうであったように、元朝に敵対的であった諸王を優遇することでいまだ中央アジアで敵対を続...
    7 KB (1,088 words) - 23:05, 6 June 2022
  • 至元31年(1294年)、クビライの死後にテムルが即位すると引き続きこれに仕え、大徳元年(1297年)にはカイドゥ・ウルスから投降してきたヨブクルらを許し厚遇することで他の者の投降を誘うよう進言している。その後間もなくしてボロカンは63歳で亡くなった。 ^ 『元史』巻121列伝8博羅歓伝...
    9 KB (1,883 words) - 14:24, 27 March 2022
  • アスト、キプチャク兵が初めて活躍したのは1276年に始まる「シリギの乱」であり、このときアスト軍団長アダチは王族のヨブクルをトーラ川で破る功績を挙げている。また、「ナヤンの乱」においても同様に活躍している。クビライの死後、オルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)の治世にカ...
    25 KB (4,194 words) - 10:05, 7 August 2022
  • 元14年)にはシリギの乱に呼応して応昌路で挙兵したジルワダイを討伐した。その後はイェス・ムレン地方(現在のトゥヴァ一帯)で反乱軍の首魁たるシリギ、ヨブクルらを破る功績を挙げた。その後、ナヤンの乱鎮圧戦にも従軍したが、この時トゴンの弟ヒントムが病の身を押して力戦したと伝えられている。...
    8 KB (1,453 words) - 12:25, 31 May 2022
  • 同年冬に始めてトトガクはオルジェイトゥ・カアンの下に入朝し、多くの褒賞を受け、引き続き北辺に駐屯した。元貞2年(1296年)、カイドゥ配下の多くのヨブクル・ウルス・ブカ・ドゥルダカが帰順すると、これを率いて京師に入朝し、御衣と様々な賞金が与えられた。大徳元年(1297年)正月、銀青栄禄大夫・上柱国・...
    21 KB (3,559 words) - 12:43, 20 December 2023
  • イが1294年に死去すると両国の情勢は大きく変動した。 純粋にカイドゥを慕っていたというよりは、クビライに反感を覚えてカイドゥの傘下に入った領侯(ヨブクル、ウルス・ブカ、ドゥルダカら)がクビライの死をきっかけとして大元ウルスに投降するようになり、これに危機感を覚えたカイドゥは1290年代末よりモンゴ...
    18 KB (2,603 words) - 09:30, 7 August 2022
  • 性が高く、『集史』の述べる「バヤンが奪回した」地域にはこのイビル・シビル地方も含まれているのではないかと推測している。 1296年(元貞2年)にはヨブクル、ウルス・ブカ、ドゥルダカら三王侯がカイドゥ・ウルスから大元ウルスに投降するという大事件が起こった。これに危機感を覚えたカイドゥは大元ウルスに対し...
    13 KB (1,929 words) - 15:08, 22 November 2023
  • ったため馬に乗ったままこれ渡り、敵軍の多くを捕虜とした。また、この時の戦いで北安王ノムガンは敵軍の捕虜となってしまったことがあったが、ユワスは諸王ヨブクルとともにこれを追ってアルタイ山脈を越えてノムガンを奪還し、この功績によりユワスは白金50両・鈔2500貫を与えられて定遠大将軍・前衛親軍都指揮使に...
    14 KB (2,604 words) - 10:30, 12 March 2024
  • クビライの存命中は大元ウルスとカイドゥ・ウルスとの間の戦線は膠着状態にあったが、1294年のクビライの死を切っ掛けに事態は急変する。1296年にアリクブケ家のヨブクル、モンケ家のウルス・ブカらがカイドゥ・ウルスを見限って大元ウルスに投降するという事件が起こり、大元ウルスは政治的効果を狙って両者を厚遇するとともに...
    65 KB (9,236 words) - 02:58, 16 April 2024
  • 合戦が行われ、敵将のタス・ブカが築いた城塁を攻略したアスト部のバイダルの功績をベクレミシュがクビライに報告している。また、この頃「シリギの乱」にはヨブクルやメリク・テムルといったアリクブケの諸子も参加していたため、アリク・ブケ家と縁の深いオイラト部もシリギ軍に合流していた。オイラト人たるベクレミシュ...
    13 KB (2,023 words) - 01:10, 20 May 2023
  • なった。1277年(至元14年)には叛乱を起こして応昌を包囲したコンギラト部のジルワダイ討伐に参加し、その後は更に北上して「シリギの乱」に参加したヨブクルを撃破した。1280年(至元17年)、以上の功績によって金符を賜り、昇進して武略将軍・侍衛軍百戸となった。この頃、既に滅ぼされた元南宋の領土には未...
    6 KB (1,219 words) - 14:41, 6 January 2022
  • り、クビライの存命中は両国の大規模な軍事衝突はあまり見られなかった。 情勢が大きく変動したのはクビライが死去してからで、1296年(元貞2年)にはヨブクル、ウルス・ブカ、ドゥルダカら三王侯がカイドゥ・ウルスから大元ウルスに投降するという大事件が起こった。これを受けて大元ウルスは「大徳」と改元して祝し...
    27 KB (4,365 words) - 09:09, 9 January 2024
  • モンゴル高原を巡る情勢は一変した。「シリギの乱」そのものは比較的短期間で鎮圧されたものの、叛乱に参加していたモンケ家のウルス・ブカ、アリクブケ家のヨブクルとメリク・テムルらがカイドゥの下に投じた結果、カイドゥの勢力圏はモンゴル高原西部まで広がり、直接モンゴル高原に侵攻することが可能となった。この頃の...
    27 KB (5,057 words) - 21:45, 7 June 2022
  • 1264年8月21日 戴冠式 1259年 出生 1219年頃 死去 至元3年(1266年) 配偶者 エルチクマシュ   クイティクタ   クトゥル   イラグイ   エシタイ 子女 ヨブクル、メリク・テムル、ナイラク・ブカ 家名 トルイ家 父親 トルイ 母親 ソルコクタニ・ベキ 宗教 テングリ崇拝 テンプレートを表示...
    3 KB (335 words) - 03:34, 25 August 2023
  • イガム家に代々に仕えるフー族の子孫の忍者。 身軽で口から放つ手裏剣や火炎放射を武器とし、分身・変装・声帯模写など、多彩な技を使いこなす。同じ忍術使いであるイエローマスクやオヨブーとはライバル関係にある。 イガムへの忠誠心は厚く、イガムの双子の妹のイアル姫に対しては憐れみを抱く。 イガムが女性であることを知った後も「私も女で...
    132 KB (16,952 words) - 01:43, 19 May 2024
  • くに応じなかった。クビライは南宋戦線からバヤンをカラコルムへ転戦させると、反乱軍は速やかに鎮圧されてしまった。反乱軍に加わっていたアリク・ブケ家のヨブクルやメリク・テムルはクビライからの処罰を恐れてカイドゥのもとに逃れた。こうしてシリギの叛乱は収束したが、クビライによる中央アジア直接支配の計画は2度...
    94 KB (15,794 words) - 06:20, 12 May 2024
  • aiko(8月22日 - 8月26日) Ken(8月29日 - 9月2日) スガシカオ(9月5日 - 9月9日) マシュー南(9月12日 - 9月16日) コブクロ(9月19日 - 9月22日) 絢香(9月26日 - 9月29日) 徳永英明(10月3日 - 10月7日) ステイシー・オリコ(10月10日 - 10月14日)...
    25 KB (4,510 words) - 14:35, 10 October 2023
  • リギの乱)。「シリギの乱」はクビライの迅速な対応によって失敗に終わったが、捕虜とされたノムガンがジョチ・ウルスに送られ、首謀者の一人アリクブケ家のヨブクルは一時的にコニチの下に逃れるなど、この頃コニチ(オルダ・ウルス)が反クビライ勢力と密接な関係にあったことが窺える。...
    72 KB (10,409 words) - 00:03, 14 October 2023