• アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853年2月18日 - 1908年9月21日)は、アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で明治時代に来日したお雇い外国人。日本美術を評価し、紹介に努めたことで知られる。 マサチューセッツ州セイラム生まれ。父親のManuel...
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  • 友人たちに熱心に語り、しきりに日本行きを勧めた。後述するフェノロサとビゲローの来日もモースが仲立ちしたものであった。 アーネストフェノロサ(1853-1908)は、日本の近代美術史を語る上で忘れてはならない研究者・コレクターである。フェノロサは、モースと同じセイラムに住む知り合い同士であった。東京...
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  • 東京美術学校 (旧制) (category アーネストフェノロサ)
    の濱尾新は事務取扱にとどまり、1889年2月の開校後、1890年に就任した岡倉覚三が事実上の初代校長であった。副校長はフェノロサが務めた。開校時の他のスタッフは岡倉を幹事、フェノロサを「雇」(外国人教師)としたほか、教官は黒川真頼・橋本雅邦(「教諭」)・小島憲之(嘱託)であり、のち川端玉章・巨勢小石...
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  • 国宝 (category アーネストフェノロサ)
    財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。 「国宝」(national treasures, 国民/民族の宝物)の概念はアーネストフェノロサが考えたものだが、法令上、「国宝」の語が初めて使用されたのは1897年(明治30年)の古社寺保存法制定時である。同法の規定に基づき、同年1...
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  • アーネストフェノロサが来日し、東京帝国大学で哲学などを教えた。 フェノロサが日本の美術に強い関心を示し、評価したことは有名である。フェノロサが1882年に龍池会で行った講演『美術真説』で使った Japanese painting の翻訳が「日本画」という言葉の初出である。この講演でフェノロサ...
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  • 無縁坂 精霊流し 秋桜 山口百恵盤と同じく萩田光雄のアレンジを基に編曲されている。 トーク2 沈黙の音楽 アーネストフェノロサが薬師寺・東塔を「凍れる音楽」と形容したことに関する解釈。さだはフェノロサが"freeze"という言葉を使い「沈黙の音楽」と伝えたかったのではないかと推測している。トーク内容から5月19日のトークと考えられる。...
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  • 1月27日 - ヨハネス・ユストゥス・ライン、地理学者(+ 1918年) 1月28日 - ホセ・マルティ、キューバの革命家・作家(+ 1895年) 1月29日(嘉永5年12月20日) - 北里柴三郎、医学者・細菌学者(+ 1931年) 2月18日 - アーネストフェノロサ、哲学者・美術史家(+...
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  • 佐藤貞幹、自由民権運動家(* 1852年) 9月20日 - パブロ・デ・サラサーテ、作曲家・ヴァイオリニスト(* 1844年) 9月21日 - アーネストフェノロサ、哲学者(* 1853年) 10月7日 - ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト、医師(* 1829年) 10月16日 - 矢頭良一、発明家(*...
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  • 岡倉天心 (category ボストン美術館)
    英語学者。東京開成所(後の官立東京開成学校、現在の東京大学)に入所し、政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから同校講師のアーネストフェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。16歳のとき、大岡忠相の末裔でもある13歳の基子と結婚する。1882年(明治15年)に専修学校(現在の...
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  • お雇い外国人 (category 明治時代のキリスト教)
    横浜で生まれ、一時期、母国イギリスに留学した時以外は、死ぬまで日本で生活していた。 雇用された分野と異なる分野で、功績を残した人物も多い。アーネストフェノロサは、政治学や哲学の教授として招かれたが、日本美術の再評価においても名が知られる。ホーレス・ウィルソンは、英語教師として招かれたが、この時、...
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  • 横山大觀 内海桂子 - しげ 伊佐山ひろ子 - 時江 荒井注 - 高松 久米明 - 西園寺公望 南原宏治 - 田中光顕 ウイリアム・ロス - アーネストフェノロサ 庄司永建 - 曽根 松井範雄 - 岡倉由三郎 武内文平 前沢迪雄 阿木五郎 津村隆 白川恵子 室井滋 生田智子 - 駒子 吉川まり江 下坂泰雄...
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  • 学校以来のコレクションや歴代卒業生の作品などを収蔵展示している。 東京芸術大学美術学部の前身は、日本美術復興運動に取り組んでいた岡倉天心、アーネストフェノロサらの尽力によって1887年(明治20年)に設立され、1889年に開校した東京美術学校である。開校当時の教官には橋本雅邦、川端玉章らがおり、...
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  • ウィリアム・スタージス・ビゲロー (category アーネストフェノロサ)
    ストン市出身。ジェーコブ・ビゲローの孫。 著名な外科医の一人息子としてボストンに生まれる。1874年ハーバード大学医学部卒。1881年、エドワード・モースの講演を聞いて日本に興味を持ち、1882年来日、先に来日していたアーネストフェノロサ...
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  • ルイス・カムフォート・ティファニー、宝飾デザイナー、ガラス工芸家(+ 1933年) 1850年 - ジョージ・ヘンシェル、音楽家(+ 1934年) 1853年 - アーネストフェノロサ、東洋美術史家(+ 1908年) 1857年 - マックス・クリンガー、画家(+ 1920年) 1858年 - 三谷軌秀、政治家、実業家(+1934年)...
    53 KB (5,679 words) - 22:42, 31 March 2024
  • 法隆寺の救世観世音菩薩像は、200年間公開されていなかった厳重な秘仏で、1884年(明治17年)、国から調査の委嘱を受けたアーネストフェノロサが、夢殿厨子と救世観音の調査目的での公開を寺に求め、長い交渉の末、公開されたものである。後に著作『東亜美術史綱』で像影の写真付きで公刊され...
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  • 0年)に日本最初の商工会議所である東京商法会議所を結成、同年には佐野常民とともに龍池会を結成して副会頭に就任して美術奨励にあたった。また、アーネストフェノロサを支援して鑑画会設立に尽くす。 明治14年(1881年)に内務省から農商務省に商務局長兼工務局長として移籍する。明治15年(1882年)創...
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  • 狩野芳崖 (category アーネストフェノロサ)
    あろう。由一にとってイギリス人画家ワーグマンとの出会いが決定的であったのと同様、芳崖にとってはアメリカ人の美術史家フェノロサとの出会いが重要であった。日本美術を高く評価していたフェノロサは、日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた、新・日本画の創生を芳崖に託した。鮮やかな西洋顔料を取り入れ...
    14 KB (1,758 words) - 09:38, 24 December 2023
  • 江戸時代の文人画の代表者には、池大雅、与謝蕪村、谷文晁、渡辺崋山など。 明治時代の文人画の大家には滝和亭、松岡環翠、渡瀬凌雲、服部波山、奥原晴湖がいる。以降、美術界を主導するアーネストフェノロサや岡倉天心から低く評価され、富岡鉄斎や野口小蘋らが活躍するが、やがて衰退した。 [脚注の使い方] ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「文人画」の解説『文人画』...
    7 KB (1,001 words) - 16:35, 25 February 2024
  • ストン美術館東洋部長に就任。世界的ベストセラー「茶の本」を著すなど、日本近代美術の父といわれた岡倉天心。その華やかな活躍の影には、天心と若き弟子たちとの、壮絶な葛藤と創作の日々があった。明治初期。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、仏寺や伝統美術が失われようとするなか、“アーネストフェノロサ...
    9 KB (1,012 words) - 01:53, 7 March 2023
  • ディ博物館がある。モースは、日本では大森貝塚の発見者として知られている。 日本美術を高く評価し文化財保護に尽力した、東洋美術史家で哲学者のアーネストフェノロサは、この地に生まれ育った。 「セイラム」の名は、17世紀末に起こった魔女狩り(セイラム魔女裁判)でも知られる。ただし、事件の舞台となったのは本項のセイラム市(当時の名称は...
    9 KB (1,319 words) - 10:16, 14 August 2023
  • った。この後狩野派の絵師としての活動はほとんど出来なくなり、一時は油絵を描くことさえ余儀なくされた。 転機となったのはアーネストフェノロサによる伝統絵画の復興運動であり、フェノロサの庇護を受けていた芳崖と共に新しい表現技法を模索するようになる。明治15年(1882年)の第一回内国絵画共進会では、『...
    21 KB (1,618 words) - 14:37, 24 April 2024
  • ウォルター・スコット、詩人、小説家(* 1771年) 1860年 - アルトゥル・ショーペンハウアー、哲学者(* 1788年) 1874年 - ジャン=バティスト・エリー・ド・ボーモン、地質学者(* 1794年) 1908年 - アーネストフェノロサ、哲学者、東洋美術研究家(* 1853年) 1911年 -...
    58 KB (6,352 words) - 20:29, 22 April 2024
  • 画学校創立に先立つ1876年(明治9年)、工部美術学校などで導入されていたからである。工部美術学校がアーネストフェノロサらによって西洋美術学習・研究の発展を妨害され、後発の東京美術学校もフェノロサや岡倉天心の意向によりながらく西洋画科が置かれなかったのとは対照的である。...
    27 KB (3,306 words) - 11:03, 2 April 2024
  • アメリカのジャーナリスト アーネスト・ヒリアード - アメリカ合衆国の映画俳優 アーネストフェノロサ - アメリカの東洋美術史家、哲学者。 アーネスト・ファーラー - イングランドの作曲家。 アーネスト・ウィリアム・ブラウン - イギリスの数学者、天文学者 アーネスト・ブラマ - イギリス出身の作家。 アーネスト・ペイン...
    10 KB (972 words) - 06:20, 23 June 2023
  • 園城寺 (category アーネストフェノロサ)
    火御子を祀る。 中門 庫裏 法明院 - 境内最北にある子院。園城寺唯一の律院。明治時代に日本美術の普及啓蒙に功績のあったアメリカ人アーネストフェノロサが長く滞在し、フェノロサやウィリアム・スタージス・ビゲローともゆかりがあることで知られる。 本堂 祖師堂(開山堂) - 18世紀中頃の建立。義瑞性慶をまつる。...
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  • また、フランスで西洋美術や美術行政に触れたことがきっかけでこの分野への関心を持った。この後にアーネストフェノロサや岡倉天心と面識を持ち、その美術研究の支援者となる。後援を受けたフェノロサらは京都や奈良をはじめ全国各地で寺社などにある文化財の調査を効率的に進めた。...
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  • 狩野永悳 (category アーネストフェノロサ)
    明治維新後も皇居造営の際に、皇后宮御殿御杉戸や小襖に多くの作品を描く。明治11年(1878年)に来日し日本美術の研究を始めたアーネストフェノロサに、古画の研究と鑑定法を教授する。甥の狩野友信と連書で、フェノロサに一代狩野姓を許し「狩野永探理信」の名を与えるなど、日本における美術史学の形成にも間接的に寄与した。明治1...
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  • 美術商 (redirect from アーフェ)
    その詳しい経緯は不明である。震災・戦災による資料の喪失や、戦後になって日本美術協会が皇族の力の喪失とともに弱体化したこと、龍池会に対抗してアーネストフェノロサや文部省官僚らが主導して革新派の美術家を集め発足した美術団体「鑑画会」が後に日本美術の主流になったことから龍池会側の関係者が忘却されたためと見られる。...
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  • 梶田半古 富岡永洗 水野年方 川上操六 近衛篤麿 金子堅太郎 都筑馨六 大倉喜八郎 高田早苗 角田竹冷 島田三郎 田口卯吉 矢野文雄 徳富蘇峰 アーネストフェノロサ ウィリアム・ビゲロー 姓名50音順、日本美術院創立時のもの。 岡倉覚三(おかくらかくぞう) 岡崎雪聲(おかざきせっせい) 尾形月耕(おがたげっこう)...
    18 KB (2,646 words) - 12:54, 11 April 2024
  • 1984 ジョサイア・コンドル『河鍋暁斎』岩波文庫 2006 アーネストフェノロサフェノロサ美術論集』中央公論美術出版 1988、オンデマンド版2004 オーレル・スタイン『砂に埋もれたホータンの廃墟』五代徹共訳 白水社 1999 『フェノロサ社会論集』思文閣出版 2000 スーザン・ウィットフィールド『唐シルクロード十話』白水社...
    3 KB (314 words) - 00:31, 20 November 2023
  • アーネストフェノロサと知り合い、フェノロサに狩野派の画法や古画鑑定法を講じるだけでなく、狩野永悳や狩野芳崖を紹介するなど、フェノロサの日本美術研究の良き協力者となった。明治13年(1880年)の夏休みには、フェノロサに連れられ、関西の古寺社に残る古画を住吉弘賢と共に模写しており、現在ボスト...
    9 KB (1,298 words) - 09:27, 3 February 2024