カプチン・フランシスコ修道会(ラテン語:Ordo Fratrum Minorum Capuccinorum, 略称: OFM Cap.)はカトリック教会の修道会の1つ。カプチン・フランシスコ会、カプチン小さき兄弟の会あるいはカプチン会とも呼ばれる。 16世紀はヨーロッパに宗教改革の嵐が吹き荒れた世...
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会(男子修道会)、第二会(女子修道会)、第三会(在俗会)を含む。現在、その活動は全世界にわたっている。 狭義には男子修道会、すなわち男子修道士による托鉢修道会である第一会に相当する3つの会のことを指し、特にそのなかの主流派である改革派フランシスコ会のみを指すこともある。この3つの会はいずれも「小さき兄弟会」Ordo...
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コンベンツァル聖フランシスコ修道会は、アッシジの聖フランシスコが1209年に創立した「小さき兄弟会」に由来している。 1517年に「小さき兄弟会」から「コンベンツアル派の小さき兄弟会」と「オッセルバンテス派の小さき兄弟会」に分かれる。 さらに「カプチン派の小さき兄弟会」が分かれ、フランシスコ会の三派がそれぞれ成立した。...
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殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会(英語版) スピノラ修道女会 ADC 聖心会 RSCJ 聖心侍女修道会 ACI 聖心のウルスラ宣教女修道会(イタリア語版) 聖体奉仕会 聖ドミニコ女子修道会 DSRC 聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会 DCSVP 聖フランシスコ病院修道女会 HSSF 聖ベルナルド女子修道会 ...
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白浜満司教(1962年生、サン・スルピス司祭会会員、2016年広島司教) ウェイン・フランシス・バーント司教(1954年生、カプチン・フランシスコ修道会会員、2018年那覇司教) ヨゼフ・アベイヤ司教(1949年生、クラレチアン宣教会会員、2018年大阪補佐司教、2020年福岡司教)...
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原音主義にしたがい、ここではイタリア語の「フランチェスコ」という表記を採っているが、日本のカトリック教会ではアシジの聖フランシスコと呼び慣らわし、典礼暦には「聖フランシスコ(アシジ)修道者」と記載されている。日本のフランシスコ会も「聖フランシスコ」の呼称を採用している。 アッシジのフランチェスコ...
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マリアの宣教者フランシスコ修道会(マリアのせんきょうしゃフランシスコしゅうどうかい、英語: Franciscan Missionaries of Mary、略称: F.M.M.)は、ローマに本部を置くカトリックの修道会で1877年にマリー・ド・ラ・パシオン(英語版)によってマリアの宣教会...
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フランソワ・ルクレール・デュ・トランブレー(フランス語: François Leclerc du Tremblay, 1577年 - 1638年)は、カプチン・フランシスコ修道会員で、「ジョゼフ神父」として知られる。フランスの宰相リシュリュー枢機卿の腹心、代理人であり、現代フランス語の灰色の枢機卿(フランス語:...
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こともあるが、ウィンナ・コーヒーは一般的にはオーストリアでは「フランツィスカーナー」(「フランシスコ会の僧侶」の意味)に相当する。なお、カプチーノも16世紀にフランシスコ会から分離したカプチン・フランシスコ修道会の僧侶に由来している。 コーヒー飲料の一覧(英語版) [脚注の使い方] ^ Das neue...
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けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会(けがれなきせいぼのきしせいふらんしすこしゅうどうじょかい)は、1949年、日本の長崎県で創立されたキリスト教 カトリックの女子修道会である。聖母の騎士修道女会は通称である。 要は、長崎大司教区立であって、「コンベンツァル聖フランシスコ修道会」とは一切関係はない。...
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日本国内には891の修道会・修道院があるが、その中の一部を示す。 イエズス会(上智大学、栄光学園、六甲中学校・高等学校などを経営) コンベンツァル聖フランシスコ修道会(仁川学院、聖母の騎士高等学校、聖母の騎士社、などを経営) 神言会(南山大学などを経営) 聖ヴィアトール修道会(洛星中学校・高等学校を経営)...
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アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群(アッシジ、フランチェスコせいどうとかんれんしゅうどうしせつぐん)は、イタリアのアッシジにあるユネスコの世界遺産登録物件名。 アッシジは、イタリア中部のスバジオ山(モンテスバジオ、標高約1,300m)の斜面に広がる人口2万人強の小さな町であるが、フランシスコ会...
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フランシスコ会レコレ派修道院は、フランス、ヴェルサイユの旧市街に遺る建物である。ルイ14世下の17世紀にフランシスコ会修道士のために建てられた。フランス革命により修道会が退去させられて以来、フランス軍関係が使用する建物となっている。 この修道院は、1684年にルイ14世の命により、聖職者として従軍...
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ミエチスラオ・マリア・ミロハナ (category ポーランドのフランシスコ会士)
ミエチスラオ・マリア・ミロハナ(ポーランド語: Mieczysław Maria Mirochna、1908年11月21日 - 1989年2月15日)は、ポーランド出身のカトリック教会神父でコンベンツァル聖フランシスコ修道会士。「けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会」の創立者である。 アントニオ・ミエチスラオ・ミロハナ(Antoni...
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ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群は、メキシコの世界遺産のひとつ。シエラ・ゴルダ地方の伝道所群は、メキシコのキリスト教化の過程で、フランシスコ会士によって18世紀半ばに設立されたものである。この伝道所群は、伝道が余り行われてこなかったアリゾナ、テキサスなどへの伝道の拠点としても機能した...
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フランシスコ修道会の修道士となった。ニコラス・デ・アルバラーテ修道士らとともに、1549年にフランシスコ修道会の5回目の派遣でユカタン地方を訪れ、司祭に叙階された。 イサマルの修道院長をへて、1560年にフランシスコ会ユカタン教区長とメリダ修道院長を兼任した。...
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カトリック那覇教区 (category 日本のカトリック教会の教区)
アポリナリス・バウムガートナー(カプチン・フランシスコ修道会) 1947年 – 1949年 2代 – フェリックス・レイ(英語版)(カプチン・フランシスコ修道会) 1949年 – 1972年 初代 – ペトロ・バプティスタ石神忠真郎(カプチン・フランシスコ修道会) 1973年 – 1997年 2代...
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ホアキナ・デ・ベドゥルナ (category スペインのフランシスコ会士)
ある日、ベドゥルナはカプチン会司祭エステバン・デ・オロと出会う。司祭の出会いが彼女を生涯を一転させた。ベドゥルナはオロの指導を受け、自分が望んでいた観想修道院ではなく活動修道会設立が使命であることに気づく。その間、長男、次女は結婚、他の娘らは修道院入りし、孫を持つ祖母となった。 1825年、フランシスコ会第三会...
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マキシミリアノ・コルベ (category ポーランドのフランシスコ会士)
父のユリオ・コルベは、在俗フランシスコ会のリーダーであった。そして、愛国心に富んだ彼は、第一次世界大戦中にポーランド独立のための義勇軍に参加し、ロシア軍に捕らえられ、1914年に処刑されている。母のマリア・ドンブロフスカは、結婚前は修道生活を志したことがあったが、帝政ロシアの統治下にあった地域ではカトリックの修道...
28 KB (3,767 words) - 05:22, 1 March 2024
1468年に羊飼いの前に聖母が現れた後、フランシスコ修道会の聖堂(教会堂)が建設され、1522年には修道生活に入ったばかりのイグナチオ・デ・ロヨラも訪れた。聖堂は数度の火災に見舞われ、オリジナルの部分は完全に焼失したが、1950年に再建計画が考案され、バスク地方の芸術家たちがバシリカの再建に携わった。フランシスコ...
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オドリコ (category イタリアのフランシスコ会士)
この町には四人のフランシスコ修道会士がおり、彼らのうち三人はイタリア人で、もう一人はグルジア人だった。彼らは少し前にムスリムの知事の手で殉教させられていた。殉教した修道士の骨をカタルーニャの修道士ヨルダヌス(英語版)とドミニコ修道会の修道...
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ランジェロとの交遊でも知られる ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494年 - 1557年) - マニエリスムのフィレンツェの画家・サンタ・フェリチタ聖堂「十字架降架」が有名・『日記』もある マテオ・ダ・バッシ(英語版)(1495年 - 1552年) - カプチン会の創始者・フランシスコ会の修道規則を厳格に適用した...
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ピオ神父 (category イタリアのフランシスコ会士)
(Morcone)まで出掛けた。修道士会はフランチェスコを受け入れることに興味を示したが、そのためには更なる学歴が必要だった。 フランチェスコの父親は息子に教育を与えるために、家庭教師を雇わなくてはならなかった。そこでその資金を得るためにアメリカへ出稼ぎに行った。そうすればフランチェスコがカプチン修道会...
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日本二十六聖人 (category フランシスコ会)
メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。メキシコの初聖人(列聖順)。 ゴンザロ・ガルシア ポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。 フランシスコ・ブランコ(ガリシア語版、英語版) スペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。 フランシスコ・デ・サン・ミゲル...
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フランシスコ会訳聖書(ふらんしすこかいやくせいしょ)は、フランシスコ会聖書研究所による日本語訳聖書のことである。おもにカトリック教会で用いられる。 フランシスコ会聖書研究所が「聖書 原文校訂による口語訳」として刊行している日本語訳聖書であり、詳細な注釈を付した分冊版が順次刊行され、その後に合冊版が...
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イタリアのシチリア島にあるカプチン・フランシスコ修道会の地下納骨堂に安置されているロザリア・ロンバルドのミイラは、世界一美しいミイラ(永久死体)として有名な死蝋である。 1977年、改葬のために発掘された福澤諭吉の遺体は完全に死蝋化していたといわれる。その後、遺族の希望で火葬された。 1950年、デンマークのユトラン...
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マリオ・カンドゥッチ (category イタリアのフランシスコ会士)
Canducci,1934年5月18日-2020年2月16日)は、イタリア、リミニ市出身のカトリックの司祭、宣教師、教育者、平和運動家、歴史解明家、フランシスコ修道会会員である。 マリオ・カンドゥッチは6人兄弟の長男として、1934年5月18日、北イタリアのアドリア海に面するリミニ市に生まれた。出生当時の...
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神聖同盟 (1684年) (category ポーランドの歴史 (1569–1795))
ランド・リトアニア共和国、ヴェネツィア共和国が結成した同盟。1686年にはロシア・ツァーリ国も加わった。1699年のカルロヴィッツ条約で大トルコ戦争は終結し、それに伴って同盟は解消された。 同盟結成にあたって、インノケンティウス11世はカプチン・フランシスコ修道会...
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クララ会(Ordo Sanctae Clarae)はカトリック教会の女子観想修道会。 1212年3月18日、聖クララ会はフランシスコ会の創立者アッシジのフランチェスコと、その精神と生き方に感銘を受けたアッシジのキアラ(クララ)により創立、1253年8月10日に教皇インノケンティウス4世によって認可さ...
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フランシスコの平和の祈り(ふらんしすこのへいわのいのり)は、13世紀にイタリア半島で活動したフランシスコ会の創設者、アッシジのフランチェスコ(聖フランシスコ)に由来するとされた祈祷文。実際にはフランシスコの作ではないが、そのように広く信じられて愛唱されており、マザー・テレサやヨハネ・パウロ2世、マー...
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ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ (category イタリアのフランシスコ会士)
と6年の二通の書簡はカザリア(クリミア)のフランシスコ修道会管区に向けて記載されたもので、前者では聖人伝・聖歌集等の布教用の書籍の送付や同志の派遣を依頼している。 モンテコルヴィノは11年間、一人で働いていた。1303年になってようやくドイツ人フランシスコ会士アルノルドが中国にたどりついた。1307...
10 KB (1,561 words) - 13:36, 16 January 2024