• スンナ派(アラビア語: أهل السنة (والجماعة)‎ 、ラテン文字転写:Ahl as-Sunnah (wa’l-Jamā‘ah))、あるいはスンは、イスラム教の二大宗派のひとつとされる。他のひとつはシーアである。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数...
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  • スンナ(アラビア語: سنة‎ Sunnah)は、字義通りには「踏み慣らされた道=慣行」。 主にイスラームにおける預言者ムハンマドの言行・範例(السنة النبوية as-Sunnatu’n-Nabawīyah:預言者のスンナ)を指す(その他の用法については後述)。スンナ派...
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  • る人のことをシーイー(شيعي、Shīʻī)と言い、スンナ派信徒を意味する「スンナに従う人」(スンニー)に対応する。従って、日本語で、シーアあるいはシーイーに「」という語を付すのは「」となり、厳密に言えば同一語の繰り返しである。 シーアの信者はイスラム教徒全体の10%から20%を占めると...
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  • 宗教は、イスラム教スンナ派が約70%。他のイスラム教の宗派(アラウィー、ドゥルーズ、イスマーイール、十二イマームなどがあわせて約20%、これらの少数宗派はすべてシーアとみなす場合もあるが、アラウィーとドゥルーズをシーアに含めない場合もある。 系統不明瞭なアラウィーが現在シーア...
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  • イマーム (category シーア)
    」を意味する語で、イスラム教の「指導者」を指す。他の日本語表記としてエマーム、イマムなど。 スンナ派においては、ムスリム(イスラム教徒)の大小の宗教共同体を指導する統率者のことをイマームと呼ぶ。一方、シーアにおいては宗教共同体にとって特別な存在である「最高指導者」をイマームと呼ぶ(後述)。...
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  • その後、ウスマーン、アリーに受け継がれ、ウマイヤ朝、アッバース朝に世襲されてゆく過程でハワーリジュ、シーアなどがカリフの権威を否定して分派し、従うのはスンナ派のみになった。 その後10世紀にアッバース朝のカリフがアミールに政権を委ねるようになるとカリフは実権を失った。...
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  • アリー・イブン・アビー・ターリブ (category シーアイマーム)
    彼のみがスンナ派スン)、シーアの両方から公認されたただ一人の指導者である。そのため、イラン・イラク戦争では、スンナ派のイラク兵はアリーの肖像を「お守り代わり」に持っていたといわれる(シーアのイラン人も「アリーの肖像」には銃口を向けられない。そのうえ、スンナ派自身の信仰にも反しない)。...
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  • ンナー県から始まり、2008年9月に11番目として初めてスンナ派が多数を占めるアンバール県の治安管理がイラク政府に返還された。 フセイン政権下では人口の2割の少数スンナ派が支配していた。フセイン政権崩壊後はこれまで支配下に置かれていたシーア勢力が政権の中枢に躍り出たが、スンナ派にとっては不満が残るものであった。...
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  • ジアラビアのサウード家と同じくアナイザ族(英語版)出身でスンナ派であるが、1782年以前はシーア以外の宗派を認めていなかったサファヴィー朝やアフシャール朝の支配下にあった経緯もあり、国民の大多数をシーアが占める。 1994年以後、シーアによる反政府運動が激化し、2001年2月に行われた国民投...
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  • 指導する資格があると主張する急進派のシーア(「アリーの党派(シーア・アリー)」の意)と、それ以外の体制スンナ派(「ムハンマド以来の慣習(スンナ)に従う者」の意)へと、イスラーム共同体は大きく分裂した。また、ウマイヤ朝下では、政治的少数となったシーアは次第に分派を繰り返していき、勢力を狭めた。...
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  • イバード(アラビア語: الإباضية‎)はオマーンに多く存在するイスラームの宗派。 アルジェリア、チュニジア、リビア、東アフリカの一部にも存在する。預言者ムハンマドが死亡してから約20年後の650年頃、またはスンナ派とシーアの両方に先んじて興った。ハワーリジュ...
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  • にいたるまでムスリムの信仰生活について広範な規範・遵守すべき慣行(スンナ)を提示している。このためハディースはイスラーム法(シャリーア)上、クルアーンと並ぶ重要な法源として位置付けられている。スンナ派やシーア、さらにイスラーム法学ごとに採用されるハディース、およびハディース集成書に違いがある。9...
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  • ワッハーブ(アラビア語: وهابية‎, Wahhābiyyah、英: Wahhabism)は、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の改革運動による宗派である。宗派としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学的には、イスラム法学のうち厳格なことで知られるハンバル派に属する。...
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  • 国家元首の役割を果たすのは共和国大統領および2人の副大統領で構成される大統領評議会である。それぞれ、イラク国民の3大勢力である、スンナ派 (スン)、シーア、クルド人から各1名ずつが立法府によって選ばれる。大統領は、国民統合の象徴として、儀礼的職務を行う。大統領宮殿位置は北緯33度17分03秒...
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  • 、Al-Khilafah al-Fāṭimīyah)は、シーアの一派、イスマーイールが建国したイスラム王朝である(909年 - 1171年)。その君主は、イスマーイールが他のシーアからの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数であるスンナ派...
    28 KB (2,765 words) - 01:03, 16 September 2023
  • タウヒード (category シーア)
    たとえ、そうであったとしても、シーアの人々は、クルアーンは完全なものであると信じているのである。 シーアの人々は、スンナ派の信仰は、真実からの逸脱と見なしている。しかしながら、シーアの人々は、スンナの人々を多神教とは論じていない点で誤解してはならない。 シーアの人々の批判は、スンナ派...
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  • ハワーリジュ(アラビア語: الخوارج‎ al-Khawārij)は、イスラーム教の初期に多数(のちのスンナ派とシーア)から政治的理由で分離することで成立した。ハワーリジュは「出ていった者・離反した者」を意味し、単数形はハーリジー (خارجي‎ Khārijī)...
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  • ブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの4人を指して、スンナ派では伝統的に「正統カリフ」 الخلفاء الراشدون al-Khulafā' al-Rāshidūn (「正しく導かれた代理人たち」)と呼んでいる。(後述のように、シーアではほとんどの場合、アリー以外の預言者ムハンマドからのイ...
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  • スンナ派ではムハンマド最愛の妻と考えられている。 ただしこれらはあくまでスンナ派の伝承であり、シーアでは信じられていない。 アーイシャはムハンマドに近侍したことから彼の言行をよく記憶し、2210に及ぶハディースや伝承を伝えたとされる。 ムハンマドの死後、アーイシャは預言者最愛の妻としてスンナ派...
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  • 指導者とは異なり名実ともに権力を一手にした。 山村の貧しい家柄出身でアラウィーのH.アサドは、強力な特権意識を持ち数百年間の血縁で結ばれたスンニ名望家に対抗するために、地縁で結ばれたラタキアのアラウィーを積極的に登用していく。それと同時にスンナ派...
    39 KB (5,286 words) - 11:11, 14 June 2023
  • ニューソート イバード スン ハナフィー学派(スンナ派の四大法学の1つ) マーリク学派(スンナ派の四大法学の1つ) シャーフィイー学派(スンナ派の四大法学の1つ) ハンバル学派(スンナ派の四大法学の1つ) ワッハーブ(厳密には宗派ではない) シーア ザイド 十二イマーム...
    21 KB (2,151 words) - 03:12, 29 April 2024
  • 二人は、ムハンマドが後継者としてアリーを選んだと主張した。 シーアの伝承によると、アブー・バクルはガディール・フンムの出来事においてアリーに忠誠を誓った。ファーティマは死後、秘かに埋葬され、正確な埋葬場所は不明である 。 スンナ派の伝承によれば606年、シーアの伝承によれば614年に、預言者ムハンマドとその最...
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  • も有力な学派である。現在全ムスリムのおよそ30パーセントが本学派に属す。 ハナフィーは他のスンナ派法学と同じく、クルアーンをもっとも重要な法源とし、スンナをそれに次ぐものとする。しかし他の学派に対するハナフィーの特徴としては、法解釈においてキヤース(類推)の意義を重視することがあげられる。また...
    8 KB (1,132 words) - 14:51, 21 July 2022
  • al-Madhhab al-Mālikī, المالكية al-Mālikīya)はスンナ派におけるイスラーム法学の学派(マズハブ)の一つ。マーリキ法学とも表記される。4大法学派のうちで二番目に大きく、ムスリム全体のおよそ25%がこの法学に属し、北アフリカ、西アフリカ、アラブ首長国連邦、クウェート、サウジア...
    16 KB (2,193 words) - 22:09, 28 July 2022
  • 六信(ろくしん)とは、ムスリム(イスラーム教徒スンナ派)が信じなければならない6つの信仰箇条。 五行とともにイスラームの根幹を成す重要な定めである。 クルアーン中に6つを同時に述べた箇所は無いが、第2章177節や第54章49節のように部分的に言及している箇所はいくつかある。 なおシーアでは五信である。 [脚注の使い方]...
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  • であり、バーレーン国民の多数はシーアである。ただし、バーレーンでもスンナ派の人々は、バーレーン方言を話すことはなく、湾岸方言の中でもカタールの都市部の方言にかなり近い方言を話し、スンナ派はバーレーンの少数にもかかわらず、有力な支配層であるがためにバーレーン方言話者もバーレーンのスンナ派...
    5 KB (497 words) - 21:00, 7 November 2022
  • 正子内親王、嵯峨天皇の皇女(+ 879年) 源潔姫、嵯峨天皇の皇女(+ 856年) 源信、平安時代の公卿、初代源氏長者(+ 869年) ムハンマド・アル=ブハーリー、スンナ派のハディース学者、イスラム法学者(+ 870年) ゴズフレズ、デンマーク王(* 生年未詳) 10月16日(大同5年9月11日) - 藤原仲成、平安時代の公卿(*...
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  • 法学者である。ウラマーは特定の地位や職業を指すわけではなく、知識を持つ者が人々の間でウラマーであると認識されて成り立つ。 日本の報道などではスンナ派・シーアのウラマーを中心に聖職者と紹介されることが多いが、キリスト教の司祭、ユダヤ教のラビのような聖職者とは違い教会組織を持たないため、または歴史的...
    6 KB (902 words) - 13:11, 30 December 2022
  • これについて、スンナ派のハディース集である『真正集』(ブハーリー編纂)の「預言者の教友達の美点の書」の7章4節において、イブン・ウマルからの伝として「預言者の時代に最も優れた教友はアブー・バクル、次はウマル、次はウスマーンであり、その他については区別立てしない。」というものがあり、スンナ派のカリフ継承順は正当なものであったと主張している...
    15 KB (2,207 words) - 10:33, 13 January 2024
  • (+ 948年) 3月24日 (貞観12年2月19日) - 春澄善縄、平安時代の公卿、学者 (* 797年) ムハンマド・アル=ブハーリー、スンナ派のハディース学者、イスラム法学者 (* 810年) ラスチスラフ、モラヴィア王国の第2代君主 (* 生年未詳) 注釈 出典 [脚注の使い方]...
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  • ブワイフ朝は当時はイランにおいても少数であった十二イマームに属し、出自としても家祖ブワイフ以前のことはほとんどわからないような微賎な家系であったので、スンナ派が多数を占めるイラン・イラクを支配するためには、カリフによる権威の承認を必要とした。そのためにブワイフ朝は自身はシーアの信徒であるにもかかわらずスンナ派...
    23 KB (2,823 words) - 14:36, 27 August 2023