• ネストリウス派の流れを汲むトマス派と呼ばれる集団があったが、アッシリア東方教会の子教会であるカルデア・シリア教会(英語版)と、東方典礼カトリック教会であるシリア=マラバル典礼カトリック教会(英語版)を除いて、多くは非カルケドン正教会(シリア正教会)の傘下に入り、さらにそこから東方典礼カトリ...
    16 KB (2,088 words) - 12:16, 29 November 2023
  • (アタナシオス派)と対峙し、ニカイアを主導するアレクサンドリアの主教アレクサンドロスによって弾劾・破門されたが、アリウス派はゲルマン人への布教により、教団としてはその後も200年ほど存続した。 集団は「アリウス派」と呼ばれ、その主張内容は「アリウス主義」(羅: Arianismus、英:...
    27 KB (3,416 words) - 12:48, 22 January 2024
  • 9780631232032 東西教会の分裂 正教会の教会機構一覧 教派別のキリスト教用語一覧 キリスト教諸教派の一覧 正教会(ギリシャ正教) 東方諸教会 非カルケドン正教会 アルメニア使徒教会 シリア正教会 コプト正教会 エチオピア正教会 ネストリウス派 アッシリア東方教会 トマス派 東方典礼カトリック教会...
    9 KB (1,078 words) - 08:43, 24 November 2022
  • 東方諸教会 (category キリスト教の教派)
    国の教会(のちの正教会)から分離した、いわゆる単性論と看做されたと、ネストリウス派の教会を指す総称である。 「単性論」と呼ばれる諸教会は、自らを「単性論」とはみなしておらず(これらの教会はエウテュケス主義のみを「単性論」と捉え、自の「合性論」を単性論とは看做さず)、単性論教会と分類されることを拒絶・否定している。...
    11 KB (1,311 words) - 21:36, 3 December 2022
  • ストの母マリアは神の母(聖母)ではないとする説を説いた。そのため、431年のエフェソス公会議でネストリウスの説は異端とされ、国外追放となり、エジプトへ移った。なおネストリウスの説は451年のカルケドン公会議において改めて異端とされた。 ネストリウスが異端認定された後、ネストリウス派...
    9 KB (1,167 words) - 02:23, 3 July 2023
  • トリック教会(マロン)や、ネストリウス派の流れを汲むカルデア典礼カトリック教会など、様々な東方教会を母体とした教会がある。 「ローマ・カトリック教会」と言った場合、これら東方典礼カトリック教会を含まない、ラテン典礼(英語版)を用いてローマ教皇庁の直属にある狭義のカトリック教会を指して用いられる。...
    59 KB (7,905 words) - 02:26, 24 March 2024
  • ス派教会」であって「非カルケドン教会」ではない)ネストリウス派(アッシリア東方教会など)が含まれることがある(この場合、非カルケドンネストリウス派=東方諸教会)。 カルケドン公会議でカルケドン正教会およびカトリ...
    10 KB (993 words) - 21:29, 3 December 2022
  • Church) ネストリウス派 アッシリア東方教会(w:Assyrian Church of the East) トマス派 カルデア・シリア教会(w:Chaldean Syrian Church) 霊的キリスト教 ドゥホボール モロカン 鞭身 スコプツィ(去勢) カトリック教会(ローマ・カトリック教会)...
    29 KB (3,052 words) - 05:43, 29 January 2023
  • アッシリア東方教会 (category ネストリウス派)
    ネストリウス派」の母体となったシリア語キリスト教徒コミュニティーは2世紀中に既にパルティア領内に成立し、公会議の動向と関係なくサーサーン朝内でも存続・拡大しており、この教会共同体が5世紀にネストリウスと同じ立場に立つ人々の受け皿になったものである。事実、ペルシア領内のキリスト教教会はネストリウス...
    13 KB (1,543 words) - 13:38, 5 December 2023
  • シリア語 (category ネストリウス派)
    現在は主にキリスト教会の典礼用語などとして用いられる。 東シリア語 - アッシリア東方教会(ネストリウス派)、カルデア典礼カトリック教会(東方典礼カトリック)など 西シリア語 - シリア正教会(非カルケドン)、マロン典礼カトリック教会(東方典礼カトリック)など...
    5 KB (631 words) - 09:35, 29 January 2024
  • ネストリウス派がニシビスに拠点を移した。ネストリウス派はローマ帝国と敵対する別種のキリスト教と解釈され、サーサーン朝と結びつき、クテシフォンの府主教座を獲得した(逆に非カルケドンの府主教は処刑に追い込まれた)。ネストリウス派はサーサーン朝に公認された唯一のキリスト...
    56 KB (7,863 words) - 20:27, 23 February 2024
  • エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。 聖母マリアの「テオトコス(神の母・生神女)」の称号が公式に認められる。 432年 ローマ教皇シクストゥス3世の命によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が建立される。 パトリウスがアイルランドでのキリスト教宣教を始める。 ヴェスヴィオ火山大噴火。...
    50 KB (6,172 words) - 10:37, 8 October 2023
  • アッシリア人 (category ネストリウス派の信者)
    451年にコンスタンティノープルの大主教ネストリウスがエフェソス公会議で異端とされて破門されると、彼の説を支持する者たちが東ローマ帝国領エデッサから当時ペルシアの領土であったニシビス(現トルコ東南部のヌサイビン)に本拠地を移して布教したのが、今日のアッシリア東方教会の始まりである。当時ネストリウス派...
    36 KB (4,613 words) - 13:41, 5 December 2023
  • エフェソス公会議 (category ネストリウス派)
    ネスネストリオスの破門を受け入れて合同信条を発表し、キュリロスの一派と和解した。 ネストリオスの教えは異端とされたが、東方において存続し、今でも中東やインドの一部で信じられている。ネストリウス派はイラクのアッシリア東方教会およびその分枝であるインドのトマス派教会(マラバル)につらなっている。...
    6 KB (724 words) - 08:14, 11 October 2023
  • アテナイから亡命してきたアカデメイアの学長、新アカデメイア派のラリッサのフィロン(英語版)から徹底的懐疑主義を学ぶ。他にもエピクロス派のパイドロス(英語版)や、ストのディオドトス(英語版)らの影響を受け、弁論家ポセイドニオスも師の一人として名を挙げている。21才の頃、クセノポンの『家政論』をラ...
    65 KB (8,084 words) - 05:34, 31 October 2023
  • 「唐代三夷教」とは、 キリストネストリウス派(景教) ゾロアスター教(祆教) マニ教(明教) の3宗教を指している。 このうちゾロアスター教が南北朝時代にまず中国に伝わり、ついで唐代に入りネストリウス派キリスト教とマニ教が伝わる。いずれも、当時「西域」と呼ばれた地域...
    21 KB (2,911 words) - 02:04, 30 March 2023
  • 411年 ペラギウス論争起こる。 431年 エフェソス公会議でペラギウスとネストリウスを異端とする。ネストリウス派はペルシアに亡命。 432年 パトリウスがアイルランドに伝道(ケルト系キリスト教の始まり)。 440年 ローマ司教レオ1世が、ローマ司教の首位権(教皇権)を主張する。...
    41 KB (5,294 words) - 06:20, 14 October 2023
  • ケレイト (category ネストリウス派の信者)
    熾烈な覇権争いを展開することになった。アブール・ファラジによれば、ケレイト族は11世紀の初頭にオングト、ナイマンら西方の遊牧諸部族とともにネストリウス派キリスト教を信仰し、ウイグル文字を用い、文化的に進んだ部族となっていたという。 『遼史』に登場する阻卜という民族がケレイトに比定されている。...
    28 KB (4,395 words) - 08:26, 21 November 2023
  • キュニコス派(キュニコスは、英語: Cynicism、古代ギリシア語: κυνισμός)とは、アンティステネスを開祖とするヘレニズム期のギリシア哲学の一学派。小ソクラテス学派の一つ。犬儒(けんじゅは)とも呼ばれる。 キュニコス派にとって、人生の目的とは自然に与えられたものだけで満足して生きること...
    40 KB (5,426 words) - 12:08, 13 December 2023
  • - ヒルデガルト・フォン・ビンゲン - ファリサイ -ファウスト - フィレモンへの手紙 - フィロカリア - フォティオス - 福音 - 福音記者 - 福音書 - 福音 - 福音宣布協会 - 福者 - 不思議のメダイ - 府主教 - フス派 - 復活 - 復活祭 - 復活大祭 - 葡萄十字 -...
    23 KB (1,858 words) - 07:14, 20 April 2024
  • ティノス4世がドヌスに書簡を送り、将来の公会議の準備として神学的な協議会を開くため、代表者を派遣することを要請した。しかし、この時、すでにドヌスは死去しており、これは実現されなかった。 また、ローマにあったネストリウス派の修道院を解散させたこと、いくつかの教会を修復して装飾を施したことが知られる。...
    2 KB (159 words) - 08:36, 18 January 2024
  • リウスは部族国家という政治単位に分断されつつある西欧世界の現実の中で、教会の統一を守ろうとし、教皇の優位性は必要であった。教皇という核がなければ、西欧世界での教会の統一はたちまち失われ、部族国家ごとに教会は分断されかねない。現に一部の部族国家は異端のアリウス派...
    7 KB (882 words) - 08:44, 18 January 2024
  • そもそも、教会(会衆)は一切設けない無教会主義。 他に、ネストリウス派など主教に世襲制を設けるものがある[要出典]。 [脚注の使い方] ^ 教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答(日本語訳) カトリック中央協議会 ^ 八巻正治『『聖書とハンディキャップ』(一粒社、1991年)』(pp...
    11 KB (1,505 words) - 07:31, 16 August 2023
  • スリランカでも植民地化以前からトマス派の信徒が生活していたとされている。 ポルトガル人がインドに来航するとカトリックを受け入れるものとそうでないものに分かれ、前者は東方典礼カトリック教会を形成し、後者の多くはシリアから伝わったヤコブを受け入れてインド正教会と呼ばれる教会を立て、ごく一部はネストリウス派に留まってアッシリア東方教会と合一した。...
    4 KB (353 words) - 13:41, 5 December 2023
  • リウス・カルボ、マリウスの子小マリウスがこれを迎え撃ったが、グナエウス・ポンペイウスやマルクス・リキニウス・クラッスス、ルキウス・セルギウス・カティリナ、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスらがスッラに合流してこれを破り、翌紀元前82年に再びローマに入ったスッラはマリウス派...
    57 KB (7,747 words) - 12:56, 1 November 2023
  • ケレスティヌス1世 (ローマ教皇) (category カトリック教会の聖人)
    ラテン語原文は失われてしまった。 ケレスティヌスは正統信仰を守るのに熱心でペラギウス主義者を排斥した。また、431年にパラディウス(英語版)をアイルランド島に司教として派遣した。彼の後を継いだパトリウスは宣教したのである。翻ってローマではケレスティヌスはノヴァティアヌス派に強く反対した;...
    7 KB (786 words) - 08:55, 18 January 2024
  • 公主)が降嫁し、オングト駙馬王家とも称される。元では趙王の爵位に封じられて、そのまま内モンゴルのオロン・スムを居城とした。オングトは敬虔なネストリウス派キリスト教徒であり、首長はその司教位も保持していたという。 元の崩壊後は明の攻撃を受けてオロン・スムが陥落し、その末裔はダヤン・ハーンの時代にはトゥメト部右翼の一部となっていた。...
    6 KB (813 words) - 01:37, 5 November 2023
  • 合性論 (category 非カルケドン)
    歴史的に、カルケドン(ギリシャ正教、カトリック教会等)は合性論を一般に正統派の解釈に従うことのできるものと考えてきたが、それにもかかわらずカルケドンは非カルケドンの合性論を単性論の一種だと受け取ってきた。非カルケドン正教会自身はこういった混同を否定する。 「合性論」という用語はネストリウス派...
    12 KB (1,622 words) - 14:54, 18 May 2022
  • シリア文字 (category キリスト教の歴史)
    主要な書体には次の三種類がある。 エストランゲロ体(ܐܣܛܪܢܓܠܐ、もっとも古い書体。他の2書体の元になった) ネストリウス体(ܡܕܢܚܝܐ、東方書体とも。ネストリウス派で用いた) セルトー体(ܣܪܛܐ、西方書体とも。ヤコブやマロンで用いた) ほかに、メルキト体などがある。 シリア文字は原則として子音のみを表記するが、ʾ...
    13 KB (923 words) - 10:18, 14 February 2024
  • 325年、キリスト教徒の暴力抗争を解決するため、アリウス派は異端の教派とされ追放された。 380年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教と宣言した。 381年、コンスタンティノープルで第1コンスタンティノポリス公会議がニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択した。 392年、国教となったキリスト...
    134 KB (15,848 words) - 06:13, 30 March 2024
  • 974年 - 975年 ユダヤ暦 : 4191年 - 4192年 431年のカレンダー(ユリウス暦) 夏が西秦を滅ぼす。 北魏が夏を滅ぼす。 エフェソス公会議が開かれ、ネストリウス派が異端認定される。 アナスタシウス1世、東ローマ帝国の皇帝(+ 518年) 乞伏暮末、五胡十六国時代の西秦の第4代王(*...
    2 KB (463 words) - 05:26, 5 July 2020