ピウス12世(Pius XII、1876年3月2日 - 1958年10月9日)は、第260代ローマ教皇(在位:1939年3月2日 - 1958年10月9日)。本名はエウジェニオ・マリア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・パチェッリ(Eugenio Maria Giuseppe Giovanni Pacelli)。ピオ12世とも表記される。...
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4385139059 ローマ教皇の一覧 教皇勅書 教皇冠 教皇庁 教皇庁立アルゼンチンカトリック大学 教皇領 教皇派と皇帝派 教皇不可謬説 教皇首位説 教皇子午線 バチカン フランシスコ コンクラーヴェ 公会議 皇帝教皇主義 叙任権闘争 女教皇ヨハンナ 対立教皇 名誉教皇 教皇 (タロット) 黄金のバラ...
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ピウス11世(Pius XI、1857年5月31日 - 1939年2月10日)は、ローマ教皇(在位:1922年2月6日 - 1939年2月10日)、カトリック教会の教皇。本名はアキッレ・ラッティ(Achille Ratti)。二つの世界大戦のはざまの時期(戦間期)にあって、19世紀以来とだえていた諸...
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ピウス5世(ピウス5せい、Pius V、1504年1月17日 - 1572年5月1日)は、ローマ教皇(在位:1566年 - 1572年)。本名アントニオ・ギスリエーリ(Antonio Ghislieri)。異端審問の世界で活躍した後、教皇として異端とプロテスタントへの対抗に力に入れ、対抗宗教改革を...
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ピウス9世(Pius IX、1792年5月13日 - 1878年2月7日)は、第255代ローマ教皇(在位:1846年6月16日 - 1878年2月7日)、カトリック教会の司祭。本名はジョヴァンニ・マリア・マスタイ=フェッレッティ(Giovanni Maria...
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ピウス6世(Pius VI、1717年12月25日 - 1799年8月29日)は、ローマ教皇(在位:1775年2月15日 - 1799年8月29日)。本名はジョヴァンニ・アンジェロ・ブラスキ(Giovanni Angelo Braschi)。在位は24年と長かったが、フランス革命とそれに続いて起きた...
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ピウス4世(Pius IV、1499年3月31日 - 1565年12月9日)は、ローマ教皇(在位:1559年 - 1565年)。本名はジョヴァンニ・アンジェロ・メディチ(Giovanni Angelo Medici)。中断していたトリエント公会議を再開し、完了させたことでカトリックの対抗宗教改革の...
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Stato Pontificio)は、ローマ教皇あるいはローマ教皇庁の支配していた領土である。歴史的には国家としての体裁も持ったため、教皇国、教皇国家とも呼ばれる。 教皇国家あるいは教皇領と呼ばれる教皇の世俗支配の形成過程を概観する。ローマ司教の優位性はイエスの言葉に求められた。イエスはペテロに向...
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ピウス7世(Pius VII、1742年8月14日 - 1823年8月20日)は、第251代ローマ教皇(在位:1800年3月14日-1823年8月20日)、カトリック教会の司祭。本名、ジョルジョ・バルナバ・ルイージ・キアラモンティ(Giorgio Barnaba Luigi...
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[脚注の使い方] ^ ローマ教皇。オランダ出身。在位:1522年 - 1523年。 ^ 祝日は10月22日(「ヨアンネス・パウルス 2 世」『新カトリック大事典』)。 ^ 教皇の列聖はピウス10世以来、列聖年基準で60年ぶりである。 ^ 1975年、真言宗醍醐派品川寺の僧侶である仲田順和は、教皇...
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ウィキメディア・コモンズには、ピウス10世 (ローマ教皇)に関連するメディアがあります。 ピウス10世(Pius X、1835年6月2日 - 1914年8月20日)あるいはピオ10世は、ローマ教皇(在位:1903年8月4日 - 1914年8月20日)、カトリック教会の教皇。本名はジュゼッペ・メルキオッレ・サルト(Giuseppe...
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ピウス3世(Pius III、1439年5月29日 - 1503年10月18日)は、在位期間が極めて短いルネサンス期のローマ教皇(在位:1503年)。本名はフランチェスコ・トデスキーニ・ピッコローミニ(イタリア語: Francesco Todeschini Piccolomini)。在位わずか26日で死去した。...
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ピウス1世(Pius I、? - 155年?)は、ローマ教皇(在位:142年? - 155年?)。伝承によるとアクイレイア出身のイタリア人であり、殉教者とされてきた。カトリック教会、正教会の聖人。「ピウス」はラテン語で「敬虔な人」の意。カトリック教会では伝統的に初期のローマ教皇...
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ピウス2世(Pius II、1405年10月18日 - 1464年8月14日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1458年 - 1464年)。本名はアエネアス・シルウィウス・ピッコローミニ(ラテン語: Aeneas Silvius Piccolomini, イタリア語: Enea Silvio Piccolomini)。...
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ピウス8世(Pius VIII、1761年11月20日 - 1830年11月30日)は、ローマ教皇(在位1829年3月31日 - 1830年11月30日)、カトリック教会の司祭。本名、フランチェスコ・サヴェリオ・カスティリオーニ(Francesco Saverio...
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ローマ教皇庁でのポストを得、教皇庁の国務省長官にまでなった。1907年にボローニャの大司教になり、1914年に枢機卿にあげられた。第一次世界大戦が勃発してすぐにピウス10世が亡くなると、キエーザは教皇に選ばれ、ベネディクトゥス15世を名乗った。 ベネディクトゥス15世は教皇...
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関係の業務についた。枢機卿にあげられたのは教皇ピウス4世の時代であり、トリエント公会議にも参加している。 1572年5月、教皇ピウス5世の死去を受けておこなわれたコンクラーヴェにおいてブオンコンパーニ枢機卿が新教皇に選ばれ、グレゴリウス13世を名乗った。教皇位についた彼がまず全精力を傾けて取り組んだ...
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ユリウス2世(ユリウス2せい、Julius Ⅱ、1443年12月5日 - 1513年2月21日)は、16世紀初めのローマ教皇(在位:1503年 - 1513年)。本名はジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(Giuliano della Rovere)。芸術を愛好し、多くの芸術家を支援したことでローマ...
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第2バチカン公会議をヨハネ23世から引き継いで全うし、その理念の実施を促進した。 北イタリアのサレッツォの田舎貴族の家に生まれたジョヴァンニ・モンティーニは、1920年に司祭叙階された。グレゴリアン大学などで学んだ後、ピウス11世の時代に教皇庁の国務長官パチェッリ枢機卿の下で働いた。 パチェッリ枢機卿が教皇ピウス12...
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1783年に司祭に叙階された。教皇ピウス6世のもとで働くようになると、ティルスの名義司教を皮切りに、ケルンやパリの教皇使節を歴任した。その中で彼は外交官としてナポレオンや各国の宮廷との折衝に努めた。 1820年にピウス7世によって枢機卿にあげられ、1823年のコンクラーヴェにおいて63歳で教皇...
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に生まれた。これは貴族の家系に生まれた前任者のピウス12世とは対照的であった。1905年に司祭に叙階されたロンカッリは、1915年に従軍司祭・衛生兵として第一次世界大戦に従軍した。1925年のブルガリアの教皇使節任命を皮切りに、トルコ・ギリシャと非ローマ・カトリック国での職務を歴任し、1944年には...
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ハドリアヌス2世(Hadrianus II, 792年 - 872年12月14日)は、第106代ローマ教皇(在位:867年12月14日 - 872年12月14日)。 出身はローマ。家系は貴族で、司祭や枢機卿を歴任した。867年11月13日に先代のニコラウス1世が死去したため、12月14日に75歳の高齢で教皇...
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教皇パウロ6世によって、司牧経験の少ない人物としては異例の枢機卿に叙任された。1981年、ローマ教皇庁の最も重要な部局のひとつである教理研究所の所長に任命された。2002年から教皇に選出されるまで、首席枢機卿も務めた。教皇になる前は、ヨハネ・パウロ2世...
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ウス7世の秘書も任され、1405年に枢機卿となる。翌1406年のインノケンティウス7世急死後のコンクラーヴェでローマ教皇に選出される。 アヴィニョンに対立教皇ベネディクトゥス13世がいたため、コンクラーヴェでは出席した枢機卿全員で、分裂終結のためベネディクトゥス13世との交渉および両教皇...
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ベネディクトゥス12世(ラテン語:Benedictus XII, ベネディクト12世; 1285年 - 1342年4月25日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位:1334年 - 1342年)である。 フランス出身で、本名はジャック・フルニエ(Jacques...
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カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を最高指導者として全世界に13億人以上の信徒を有する、キリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座(聖座、ローマ教皇庁)に置くことから、ローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。 カトリック教会自身による「カトリック」の定義は、教会憲章(Lumen...
59 KB (7,945 words) - 06:40, 30 August 2024
12世の突然の死について、当時のローマでは、情事を交わした人妻の夫によって殺されたという噂が流れた。 ヨハネス12世の治世下、ローマ教会と教皇の権威は急落した。これにより、ローマ教会において「鉄の世紀」と呼ばれる、ローマ教皇の堕落した時代が始まった。そしてオットー1世は、教皇...
6 KB (675 words) - 08:17, 12 January 2024
ルキウス1世(Lucius I, 200年? - 254年3月5日)は、ローマ教皇(在位:253年6月25日 - 254年3月5日)。ローマ出身。父親の名前はポルフィリウスであったという。 トレボニアヌス帝の迫害下に教皇に選出され、前任者のコルネリウスと同じように逮捕された。しかし、後をついだウァレ...
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ローマ教皇の一覧(ローマきょうこうのいちらん)は、歴代のローマ教皇をあげる。 初期の教皇たちはカトリック教会に伝えられてきた伝承による。歴史的には、教皇の称は3世紀から使われるようになり、西方教会ではさかのぼって歴代のすべてのローマ司教に教皇の称をあてた。また、この一覧においてリスト化されるのは教...
60 KB (190 words) - 13:36, 11 September 2024
ステファヌス9世と呼ばれることがあるローマ教皇は2人存在する。「ステファヌス」の名を持つ教皇の代数に関する歴史的経緯はステファヌス (教皇選出者)#「教皇ステファヌス」とその代数を参照。 ステファヌス9世 (在位:939年-942年)→ステファヌス8世 (ローマ教皇) を参照。 ステファヌス9世...
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ユリウス3世(Julius III, 1487年9月10日 - 1555年3月23日)は、ルネサンス教皇の最後の1人ともいわれる対抗宗教改革期のローマ教皇(在位:1550年2月7日 - 1555年3月23日)。本名はジャンマリア(Giammaria)またはジョヴァンニ・マリア・チオッキ・デル・モンテ(Giovanni...
10 KB (1,281 words) - 13:41, 16 December 2023