• 古代ローマの最初期は王政ローマだった。その後、政体は共和政ローマとなり、またその後、帝政ローマとなった。 伝統的には476年の西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルスの退位をもって古代ローマの終焉とするのが一般的であるが、ユスティニアヌス1世によってイタリア本土が再構成される554年までを古代ローマに含める場合もある。...
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  • ローマ帝国は東西に分裂した。ここに後世神聖ローマ帝国と呼ばれる政体に結実するローマ皇帝と帝権が誕生し、1806年のライン同盟結成まで継続した。 東ローマ帝国を征服し、滅ぼしたオスマン帝国の君主(スルターン)であるメフメト2世およびスレイマン1世は、自らを東ローマ...
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  • 共和制 (redirect from 共和政体)
    ローマは紀元前6世紀に王を追放して王政ローマから共和政ローマに移行し、執政官(元首)・貴族(元老院)・平民(民会)による統治(混合政体)が行われたが、彼らは衆愚政治を意味するデモクラティアとの名称を避け、レス・プブリカ(共和国)と自称した。その後変遷を経て、後世においてローマ...
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  • かつて、古代ギリシアのアリストテレスが政体を君主政、貴族政、民主政の3つに分類したものが有名である。ポリュビオスは、これら3つの政体が堕落することでそれぞれ専制、寡頭政、衆愚政になり、ついには別の政体に移行するという政体循環論を唱え、各政体の要素をあわせた共和政ローマの混合政体を最上とした。...
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  • 当初は東フランク王国の政体を踏襲し、一般にはフランク王国やドイツ王国、正式にはローマ帝国と呼ばれていた。「ドイツ人の国家」という概念は後年に生まれた。 ^ a b 概説書としては、成瀬治、山田欣吾、木村靖二編『世界歴史大系 ドイツ1』や、ピーター H. ウィルスン『神聖ローマ帝国 1495–1806』などが詳しい。...
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  • ローマ帝国 Res Publica Romana Πολῑτείᾱ τῶν Ῥωμαίων 東ローマ帝国の版図の変遷 公式な国号は「ローマ帝国」。 正式な成立時期はない。 東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国、ビザンティン帝国、ギリシア帝国、ギリシャ帝国は、東西に分割統治されて...
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  • 1947年 ルーマニア王国 1947年 - 1965年 ルーマニア人民共和国 1965年 - 1989年 ルーマニア社会主義共和国 1989年 - 現在 ルーマニア 現在では政体を指す共和国は含まない国名が正式名称となっており、「ルーマニア共和国」という表記は誤りである。 古代にはゲタイ人(古代ギリシア語:...
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  • され、ここに東ゴート王国が創設された。ただし、東ゴート王国はローマ帝国から独立した王国というわけではなく、オドアケルの時代と同様に、その領土と住民は依然としてローマ帝国に属しており、民政は引き続き西ローマ政府によって運営され、立法権はローマ皇帝が保持していた。...
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  • いては、さらなる検討の余地があると考えられる。 共和政ローマ後期の弁論家であり政治家でもあったキケロは、標準的な混合政体モデルを取りつつも、ポリュビオスのような理想的三権分立ではなく、『元老院』によって『執政官』と議会である『民会』がコントロールされているとした。民会は、民衆の自由(リベルタス)を満たすための象徴のように捉えている。...
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  • ポリュビオスは『歴史』を執筆し、ローマが短期間に覇権を確立した理由を分析した。王政・貴族政・民主政は、長く続くと腐敗や制度老朽化によりそれぞれ僭主政・寡頭政・衆愚政へ堕落し、僭主政は貴族により打倒され、衆愚政は独裁者を招き寄せるため、この六政体は永遠に循環する(政体循環論)。しかしローマ...
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  • 元老院 (category 政治)
    マの元老院を模して設けられたコンスタンティノポリスの元老院は1453年の東ローマ帝国滅亡まで存続した。 西欧が経験した唯一の共和政体が共和政ローマであり、貴族の権威によらない合議制の統治機関として西欧が知る唯一の実例がローマの元老院だったことから、西欧世界において senatus...
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  • 000万から3,000万人が死亡したと推定されている。 西アフリカにおけるガーナ王国、マリ王国、ソンガイ王国の繁栄 15世紀〜17世紀 西洋において主に近世に区分される 東ローマ帝国の滅亡 欧州におけるルネサンスと宗教改革、宗教戦争(三十年戦争) 大航海時代以降、文明の世界化がはじまる...
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  • に適用されていくという歴史を辿ったからである。 3世紀中葉から、ローマ帝国では、法文化の刷新が次々に進むような条件が揃わなくなり始めた。皇帝は政治生命のあらゆる場面で親政の強化を目論み始め,政治的・経済的状況が全般的に悪化し、共和政体の特徴をいくらか留めていた元首政という政治制度も、君主政という絶...
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  • また、「近代」という語は、「現在の政体や国際社会の時代(現代)の一つ前の時代」という意味を伴う。この為、アジアでは、第二次世界大戦終結(1945年)を境にして「近代」と「現代」に分けられている。一方、ヨーロッパでは、第一次世界大戦終結(1918年)を境にして「近代」と「...
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  • ファーレン体制を端緒とし、さらに18世紀のオーストリア継承戦争や七年戦争などによる、政体としての神聖ローマ帝国の形骸化は誰の目にも明らかであった。さらにフランス革命を受けたナポレオン帝国の出現で、中世以来の神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。ハプスブルク家は、事実上の国家を形成していた中東欧に広がる...
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  • ナポレオン戦争の終結により、百日天下の期間を除きブルボン朝が復古した。極端な反動政治も見られ、社会も騒擾・擾乱があり不安定であったが、アンシャンレジームの絶対王政ではなく立憲王政の政体であった。 七月革命により、新たにブルボン家の支流であるオルレアン家のルイ・フィリップが即位し、オルレアン朝(1830年 -...
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  • 古代ローマの料理(こだいローマのりょうり)は、それを産んだ古代の文明が長期にわたり存続したために多くの転換を経た。これらの習慣には、ギリシアの文化、王政から共和政をはさみ帝政へという政体の変更、および属州(provincia)から多くの新しい調理習慣や料理技術をもたらすことになった帝国の大幅な拡張...
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  • ティトゥス・リウィウス (category 古代ローマの歴史家)
    ティトゥス・リウィウス(Titus Livius, 紀元前59年頃 - 17年)は、共和政末期、帝政初期の古代ローマの歴史家。単にリウィウスと呼ばれることが多い。アウグストゥスの庇護の下に『ローマ建国』を著した。 リウィウスは、パタウィウム(現在のイタリア・パドヴァ)において生まれた。結婚しており少なく...
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  • ない。ドイツ王国・ブルグント王国(アルル王国)と共に神聖ローマ帝国を構成していた。名目上は帝国の中核だったが、実際にはフランク王国や東フランク王国(ドイツ)の従属国だった。8世紀後半に成立して以来1000年以上の歴史を持つものの、独立した政体だったのは9世紀から10世紀にかけての100年足らずであ...
    49 KB (6,748 words) - 02:04, 27 January 2024
  • クリア民会 (category 王政ローマ)
     139–141. 原田俊彦『ローマ共和政初期立法史論』敬文堂、2002年。ISBN 4767001072。  ヘンリック・ムーリツェン、髙橋亮介・鷲田睦朗(訳)「(翻訳・解題)「民衆/民会の権力:ローマ政体への新しいアプローチ」」『パブリック・ヒストリー』第7巻、大阪大学西洋学会、2010年、86-104頁。 ...
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  • 君主制 (category 政体)
    政体が絶対君主制である。絶対君主制は独裁政治の一種であり、政治体制としては権威主義体制に含まれる。権力継承のシステムが確立している上に王族によって支配体制が固められているため、権威主義体制の各政体の中ではもっとも安定性が高い。これに対し、君主が権力を制限されていたり付与されていない政体...
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  • 年3月18日)。歴代皇帝と異なりイタリアを本拠とした進歩的な君主で、イタリアの中央集権化とゲルマニア(ドイツ)の分割統治を推し進めた。しかし安定した政体を次代に残せないまま崩御、イタリア並びにゲルマニアは中央政権を欠いた都市国家群及び領邦国家群と化し、帝位とイタリア王位はハインリヒ7世即位まで60年以上も途絶える。(大空位時代)...
    71 KB (9,780 words) - 13:05, 24 April 2024
  • ローマの建国神話(ローマのけんこくしんわ)は、古代ローマが誕生するまでの伝承や神話である。主な内容としてアイネイアースの伝承や、ロームルスのローマ建国などが挙げられる。建国伝承以外のローマ神話はローマ神話等を参照。 アイネイアースはトロイア側の将軍でトロイア王家の人間である。また、愛と美の女神ウェヌ...
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  • 桜井万里子編 『世界各国17 ギリシア』 山川出版社、2005年。 ヘンリック・ムーリツェン、髙橋亮介・鷲田睦朗(訳)「(翻訳・解題)「民衆/民会の権力:ローマ政体への新しいアプローチ」」『パブリック・ヒストリー』第7巻、大阪大学西洋学会、2010年、86-104頁。 ...
    7 KB (1,036 words) - 22:42, 16 February 2024
  • Republic)は、フランス史上初の共和政体である。 8月10日事件によるブルボン王政打倒を経て国民公会によって王政廃止が宣言された1792年9月21日から、ナポレオン1世の下で帝政が宣言された1804年5月18日まで存続した。 第一共和政は、少なくとも3つの時期に分けられ、3つの政体があった。 すなわち、...
    13 KB (1,416 words) - 23:43, 27 June 2023
  • から逃れてカルタゴを建設したとされる。ディードーは主神メルカルトの神官の妻だったが、ピュグマリーオンがディードーの夫を殺害したためにテュロスを去った。ローマの歴史家グナエウス・ポンペイウス・トログスの『ピリッポス』によれば、岬に上陸したディードーは、1頭の牛の皮で覆うだけの土地を求めた。岬の住人が承知をすると、細く切った皮で紐を...
    40 KB (5,541 words) - 21:08, 5 January 2023
  • 寡頭制 (category 政体)
    (plutocracy)」の用語が使用される)。 寡頭制による国家制度は、王政ローマや共和政ローマにおける元老院が有名である。 互いに戦う部族の族長たちが次第に連合を組むことで、社会は自然と寡頭制的になってゆく。またあらゆる政体の政府はその成長の過程で寡頭制に変化してゆくことがある。もっともありうる寡...
    8 KB (1,351 words) - 08:04, 15 August 2023
  • 政略論 (redirect from ローマ史論)
    本書は古代ローマの歴史家リウィウスによって著された140巻にわたる『ローマ建国』のうち、15世紀に発見された第1巻から第10巻に記された共和政ローマの事例を参照しながら共和政の議論を展開した3巻にわたる著作である。 本書では政体...
    3 KB (402 words) - 03:57, 4 October 2023
  • の影響力が大評議会を凌ぐようになり、その権限は縮小された。 トマス・アクィナスは、ヴェネツィア共和国の政体は共和制とドージェによる君主制、そして貴族院による貴族政治と大評議会による民主政治の複合政体であると考えた。また、ニッコロ・マキャヴェッリは、『君主論』でヴェネツィアを共和制国家に分類した。...
    38 KB (5,065 words) - 12:03, 20 January 2024
  • グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王) (category フーゴー・グローティウス)
    る黄金の自由と呼ばれる選挙君主制、貴族共和制であった(政体においては制限選挙制時代のイギリスやアメリカ合衆国に、民族の扱いについては古代ローマのコスモポリタニズムや、現代のベルギー、スイスなどに共通する点がある)。これらの政体は、今日の現代的政体と完全に一致するものではない。当時の貴族共和制は形式的...
    40 KB (5,797 words) - 12:37, 17 December 2023
  • しかしローマの政治体制の変遷を記述したポリュビオス、リウィウスら歴史家の著作は大変示唆に富んでいる。特にポリュビオスの政体循環論はローマ時代を代表する知見であると言える。さらにローマ時代は多くの哲学者が政治家として政治に関わり、哲学者ではない政治家も積極的に自らの政治思想・信条に関する文献を残した時...
    41 KB (6,279 words) - 18:32, 10 January 2024