• 小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてたたかい)は、天正12年(1584年)3月から11月にかけて、羽柴秀吉(1586年、豊臣賜姓)陣営と織田信雄・徳川家康陣営間で行われた戦い。尾張北部小牧山城・犬山城・楽田城を中心に、尾張南部・美濃西部・美濃東部・伊勢北・紀伊・和泉・摂津...
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  • 沼田藩(ぬまたはん)は、上野利根郡(現・群馬県沼田市西倉内町)に存在した藩。沼田城に藩庁を置いた。 小田原征伐後、沼田領2万7000石は真田昌幸に返還されるが、昌幸は信濃上田城を居城として、地理的に離れた沼田領は嫡男真田信之に任せる。この時期信之は真田家当主(昌幸)後継者であり、公的には沼田...
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  • 沼田城(ぬまたじょう)は、群馬県沼田市(上野国利根郡)にあった日本(丘)。1976年(昭和51年)3月30日、沼田市指定史跡。幾つか守護に囲まれた堅である。沼田居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏沼田領支配拠点として機能した。沼田...
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  • 部隊が織田秀信勢と戦いこれを破る(河田木曽川渡河の戦い、米野の戦い、竹ヶ鼻城の戦い)。 8月23日、福島正則以下各隊が織田秀信居城岐阜を攻め織田秀信を降服させ、救援に駆け付けた石田三成・島津勢も撃退(岐阜城の戦い)。 8月24日、徳川秀忠は信州上田攻略ため宇都宮を立つ。岐阜と同じ西軍側...
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  • 上田は東信濃小県郡にあり、この付近は上田城築城以前から武田氏・上杉氏・後北条氏国境として不安定な地域であったが、真田昌幸が武田氏下で上野国吾妻郡・沼田を平定後、小県郡を平定し、上田城を築城した。 この戦いで真田昌幸は主に上田城に籠もり戦ったことから、上田城の戦い、上田城...
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  • 川中島の戦い(かわなかじまたたかい)は、日本の戦国時代に、領土拡大を目指し信濃国(現在長野県)南部や中部を制圧し、さらに北信濃に侵攻した甲斐国(現在山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、北信濃や信濃中部豪族から助けを求められた越後国(現在新潟県)の戦...
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  • 攻略戦だけではなく、並行して行われた後北条氏領土掃討攻略戦も同戦役に含むものとして扱う。 小田原合戦、小田原攻め、小田原役、小田原の戦い、小田原陣、小田原城の戦い、小田原決戦(天正18年)とも呼ばれる。 後陽成天皇は秀吉に対し後北条氏討伐勅書を発しなかったものの、遠征を前に秀吉に節刀を授けており...
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  • 山城国 (redirect from 城の)
    1561年:将軍地蔵山の戦い、六角義賢・畠山高政軍 x 三好長慶軍(三好義興・松永久秀) 1568年:勝竜寺城の戦い、織田信長軍(柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚) x 三好三人衆(岩成友通) 1573年:槇島城の戦い、織田信長軍 x 足利義昭軍 1573年:第二次淀古城の戦い、織田信長軍(木下秀吉、細川藤孝)...
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  • 田城を攻める。5000を超える兵で進軍する武田軍は有田城を包囲、一気に攻略を狙う。有田城の救援ため、元就は吉川元経や高橋弘厚と共に挙兵する。そして10月22日、有田城下において、佐東銀山城主・武田元繁と激突、大勝利を収めてこれを討ち取った(有田中井手の戦い)これが元就...
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  • 吉田郡山城の戦い(よしだこおりやまじょうたたかい)は、天文9年(1540年)から天文10年(1541年)まで安芸国吉田吉田郡山(現・広島県安芸高田市)周辺で行われた、大内氏に従属していた毛利氏当主・毛利元就と尼子詮久(後尼子晴久)との戦い。実際は城外での戦闘が主で、いわゆる籠...
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  • 古い館が存在した(現在、二の丸より西側小泉曲輪と呼ばれている場所)と伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込んで総構えとし、唯一攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。 上田城は戦国時代末期、信濃国小県真田氏館(真田本城)...
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  • 甲州征伐終了後3月23日、織田信長は重臣・滝川一益に上野一国と信濃小県郡・佐久郡を与え、織田家に従った関東諸侯をその与力とした。一益は箕輪、次いで厩橋を本拠とし、北毛沼田城に滝川益重、西毛松井田城に津田秀政、佐久郡小諸...
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  • 上杉謙信 (redirect from 越後)
    城の金山を攻め落としたものの、武田信玄率いる武田軍が上野国へ侵攻したため輝虎は松倉城の攻城途中で帰国し、上野沼田城に入城した。 元亀元年(1570年)1月、下野において再び佐野昌綱が背いたため、上杉軍は唐沢山城を攻撃するも、攻め落とすことは出来なかった。 4月、輝虎は北条氏康...
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  • 真田昌幸 (category 織豊政権大名)
    娘である事を理由に東軍に与することとなり、真田家存続ために父子訣別した。上田城へ引き返した昌幸は、その途上で、信幸居城・沼田城を奪おうと画策し、沼田留守を預かっていた小松姫に、「孫顔が見たい」として開門を請うたが、小松姫は、昌幸知略を恐れて拒絶。昌幸は、「さすが本多忠勝...
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  • 滝川一益 (category 織豊政権大名)
    、下市場城、前田城を占拠した。当時、蟹江城は海に面しており、織田信雄の長島と徳川家康清洲城の中間に位置する重要拠点であった。しかし、山口重政守る大野城の攻略には失敗し、家康と信雄主力に下市場、前田城を奪還され、蟹江も包囲されてしまう。一益は、開城交渉も含め半月以上粘ったが力尽き7月3日に...
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  • 戦いが始まった。 天正3年(1575年)5月には三河長篠城を巡って武田勝頼軍と織田・徳川連合軍と間で長篠の戦いが発生した。この戦いで、武田軍は大敗北し、主要な家臣たちを多く失って、武田家領国は動揺した。 長篠合戦後、武田氏外戚である木曾義昌(武田信玄娘で勝頼妹・真理姫...
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  • 美濃国 (redirect from 美濃)
    竹ヶ鼻城の戦い、東軍(福島正則) x 西軍(杉浦重勝) 八幡城の合戦、東軍(遠藤慶隆・金森可重 x 西軍(稲葉貞通・遠藤胤直) 岐阜城の戦い、東軍(池田輝政) x 西軍(織田秀信) 杭瀬川の戦い、西軍(島清興・明石全登) x 東軍(中村一栄・有馬豊氏・野一色助義) 大垣城の戦い、東軍(水野勝成・西尾光教・松平康長・津軽為信)...
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  • 真田太平記 (テレビドラマ) (category すべてスタブ記事)
    田城の戦いでは、砥石に入り徳川勢側面を突く。戦い後、秀吉斡旋で徳川家傘下に加わることになったため、昌幸と共に挨拶に駿府へ向かうが、その際に家康養女として本多忠勝娘稲姫を正室に迎える。関ヶ原の戦いでは犬伏陣で西軍に味方しようとする昌幸、幸村と袂を分かち東軍に味方し、上田城攻め...
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  • 城の大部分は、基本的に土を盛ったり掘削したりして築く「土」であり、石垣は部分的に用いられた程度であった。 戦国時代は従来、室町時代に普及した詰として使われる「山城」と生活区域「居館」と関係性と同じように、防御施設として山城と山城の「根小屋」と呼ばれる居館...
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  • 北条氏康 (category 曖昧さ回避必要なリンクあるページ)
    を制圧し、太田資正は命からがら難波田城まで撤退した。こうして河越街道を手に入れた。また、蕨城の陥落により扇谷領は縦に延びる形となったため6月に深大寺城の太田資顕はを放棄、氏康がを押さえた。これにより扇谷上杉氏主なは居城の松山、太田資顕、資正兄弟岩槻、難波田憲重難波田城の3...
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  • 火打城の戦い(ひうちじょうたたかい)は、治承・寿永一つ。越前・加賀在地反乱勢力とそれを追討すべく出撃した平氏と寿永年間における戦いうち緒戦である。火打は燧、燧ヶ城の表記もある。 養和元年(1181年)夏頃、北陸在地豪族たち反平氏活動が活発化していた。それに対して平氏は平通...
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  • 安芸国 (redirect from 安芸)
    有田中井手の戦い、毛利元就 × 武田元繁 1523年 : 鏡山城の戦い、尼子経久・毛利元就 × 大内氏 1540年 - 1541年 : 吉田郡山城の戦い、毛利・大内連合軍(毛利元就、陶晴賢) × 尼子詮久 1554年 : 折敷畑の戦い、毛利元就 × 陶晴賢(宮川房長) 1555年 : 厳島の戦い、毛利元就...
    11 KB (1,563 words) - 05:02, 5 March 2024
  • 河内国 (redirect from 河内)
    となり、篭城戦はできないと判断した大坂方は、京都から大坂をめざす徳川方を野戦で迎え撃ち、京坂間にある河内各所で戦いが行われた。主なものとして、道明寺の戦い(後藤基次 vs 伊達政宗・松平忠輝・水野勝成、真田信繁・北川宣勝・薄田兼相 vs 伊達政宗・松平忠輝・水野勝成)、八尾・若江の戦い(木村重成...
    28 KB (4,283 words) - 03:24, 26 October 2023
  • 戦国無双 〜真田丸〜 (category 2016年コンピュータゲーム)
    の戦いで討死にする昌幸兄、信之、幸村叔父である真田信綱と真田昌輝を登場させて史実通りとなっている。 織田信長による「甲州征伐」に際して、真田昌幸は武田勝頼を居城の岩櫃逃亡を促した史実があり、真田昌幸武田信玄と武田勝頼へ...
    10 KB (1,331 words) - 10:11, 22 November 2023
  • 真田氏 (category 沼田歴史)
    田城に住した(信濃上田藩)。 その後大坂陣では信之は出陣せず、豊臣方に参じた信繁が徳川方を寡兵で翻弄し日本一兵と評された。 元和8年(1622年)に信之は4万石加増うえ信濃松代藩へ転封となり、松代に住した。この際に沼田領3万石を長男信吉に分与した。これにより支藩沼田...
    39 KB (4,489 words) - 03:56, 25 April 2024
  • 真田信之 (category 出典を必要とする記述ある記事/2016年9月)
    本多忠勝娘・小松姫を養女とし、駿府に信幸を出仕させて娶らせた。 天正18年(1590年)、沼田領割譲問題から発生した小田原征伐で信幸は上野松井田城攻めで戦功をあげ、戦後に沼田領が真田家所領として確定すると沼田城主となる。...
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  • 北条氏政 (category 北条氏康子女)
    城の小田原を攻められる。(小田原城の戦い)氏政は籠でこれを撃退し、以後関東で上杉氏と抗争を繰り返す。 謙信関東侵攻により北条氏は領土多くを失い、危機に陥ったが氏康、氏政親子は永禄四年(1561年)生野山の戦い、永禄七年(1564年)第二次国府台合戦で立て続けに勝利し、関東覇権を取り戻す。...
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  • 沼田城を攻略、城主北条氏秀(沼田康元)を追うと、岩下、続いて厩橋を落とす。謙信は厩橋を接収し関東攻め拠点とすると那波氏居城・那波を攻略、更に武蔵に南下して羽生も陥落させた。 一方、北条氏康は里見義堯久留里を包囲していたが、上杉軍襲来を知り河越を経由し、9月下旬頃松山...
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  • の戦い)。これにより駿河・遠江は甲斐源氏勢力下に入った。一方頼朝はこの機を捉えて上洛を検討するが、坂東経営を優先すべきという上総氏ら意見を受け入れ、まずは上総氏千葉氏利害対立者である佐竹氏と交戦する(金砂城の戦い...
    51 KB (7,029 words) - 08:38, 18 April 2024
  • 細川忠興 (category 出典日付が正しくないページ)
    『麒麟がくる』(2020年、NHK大河ドラマ、演:望月歩) ウィキメディア・コモンズには、細川忠興に関連するカテゴリがあります。 黒井城の戦い 勝竜寺田城 (紀伊国)#第二次太田城の戦い 歌仙兼定 - 和泉守兼定によって作られた日本刀(打刀)であり、忠興愛刀とされている。 大三原 - 愛刀脇差 肥後細川藩拾遺...
    37 KB (5,742 words) - 03:54, 25 March 2024
  • 鎌倉幕府編纂歴史書である『吾妻鏡』には壇ノ浦の戦いについては元暦二年三月二十四日条で「長門国赤間関壇ノ浦海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う。平家は五百艘を三手に分け山鹿秀遠および松浦党らを将軍となして源氏に戦いを挑んだ。午刻に及んで平氏は敗北に傾き終わった。」とのみ簡潔に書かれており、合戦...
    27 KB (4,694 words) - 10:14, 10 March 2024