漆川古戦場 漆川古戦場 (山形県) 漆川の戦い(うるしがわのたたかい)は、南北朝時代の正平23年/応安元年(1368年)、出羽国において、南朝の大江茂信らと北朝の室町幕府鎌倉公方足利氏満・羽州探題斯波兼頼・奥州探題大崎直持らとの間で行われた戦い。 奥羽地方での南北朝の...
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漆川梁海戦(しっせんりょうかいせん。巨済島海戦とも)は、慶長の役の緒戦において、日本水軍と朝鮮水軍の間で戦われた海戦。敗北した朝鮮水軍は殆ど壊滅し、陸海で日本軍が西進する端緒となった。 文禄の役後、朝鮮水軍は日本軍の出没に対応するため閑山島に本営を前進させて海峡対岸の...
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大江時茂 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
応安元年/正平23年(1368年)漆川の戦いが勃発すると、嫡男茂信を総大将とし斯波兼頼・大崎直持の軍に当たるが一族61名が自害する大敗を喫する。斯波・大崎軍が深入りしなかったため寒河江荘を保つことはできたが、父の代に奪回した北寒河江荘は斯波兼頼の支配下に入ることとなった。漆川の戦いから5年後の...
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泗川の戦い(しせんのたたかい)は、文禄・慶長の役における合戦の一つ。日本の慶長3年/明の万暦26年9月(1598年10月)、朝鮮半島の泗川で島津義弘が率いる島津軍2千が明の武将董一元の率いる10万の明・朝鮮連合軍と戦って撃退した戦いである。絶望的な戦力差があったにもかかわらず、劣勢な島津軍が勝利し...
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寒河江時氏 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
ときうじ)は南北朝時代から室町時代の武将。初めて寒河江氏を称したとされる。寒河江氏8代。寒河江城主初代。 応安元年/正平23年(1368年)漆川の戦いが勃発すると、長兄大江茂信を総大将とし斯波兼頼・大崎直持の軍に当たるが一族61名が自害する大敗を喫する。三人の兄はこの戦い...
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の武将を定め、帰国予定の武将を中心として築城すること」が命じられていた。 慶長の役が始まり7月に日本水軍が漆川梁海戦で朝鮮水軍に壊滅的打撃を与えると、日本軍は右軍、左軍、水軍に分かれ水陸から全羅道を目指して進撃を開始する。 進撃路上の慶尚道と全羅道の...
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蔚山城の戦い(ウルサンソンのたたかい、いさんじょうのたたかい)は、1598年1月29日(慶長2年12月22日)から同年2月9日(慶長3年1月4日)に慶長の役で明・朝鮮連合軍と日本軍との間で行われた交戦(蔚山城の構造については蔚山倭城を参照)。当項の日付は和暦を用いるものとする。 文禄の役後、日明の...
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大江町 (category 書きかけの節のある項目)
大江町(おおえまち)は、山形県の中央部にある人口約8千人の町。1959年(昭和34年)、左沢町と漆川村の合併により成立。 元禄年間より大正初期にかけ、最上川舟運の中継地として大いに栄えた。 面積154.08 km²。その約80 %にあたる126.33 km²が森林である。 町域は、山形盆地中央部西端から朝日山地東端の小朝日岳まで東西約24...
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羽州探題 (category 中世日本の称号)
羽州探題の成立は正平11年(1356年)、奥州探題 斯波家兼の次男・斯波兼頼が、出羽国按察使として出羽国最上郡山形(現・山形県山形市)に入部し、当時、寒河江氏らの南朝方勢力が割拠していた出羽国の統治に当たったのが始まりである。正平22年(1367年)、漆川の戦いにより寒河江氏を下し、出羽国における南朝勢力を北...
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大江茂信 (category 南北朝時代の武将)
大江 茂信(おおえ の しげのぶ)は、南北朝時代の武将。漆川の戦いにおける南朝方大将。出羽国溝延城主。 大江時茂の子として誕生。 正平14年/延文4年(1359年)、祖父・大江元政が斯波兼頼との戦闘に敗れて没すると、跡を継いだ父・時茂は一族の子弟を寒河江荘内各地に配置し防御を固める戦略に出た。嫡男...
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川の戦い)や、東路軍による蔚山倭城攻撃(第二次蔚山倭城の戦い)でも敗退しており、1598年9月末から10月初頭にかけて実施された、明・朝鮮連合軍の総力を挙げての一大攻勢は日本軍の反撃の前にすべて失敗に終わった。 朝鮮王朝実録には、三路の戦い(第二次蔚山城の戦い、泗川の戦い、順天の戦い...
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1352年 : 小手指原の戦い(こてさしがはら 武蔵国) 1352年 : 笛吹峠の戦い(ふえふきとうげ 武蔵国) 1355年 : 神南の戦い(こうない 摂津国) 1359年 : 筑後川の戦い(ちくごがわ 筑後国) 1368年 : 漆川の戦い(うるしがわ 出羽国) 1368年 : 武蔵平一揆の乱(むさしへいいっき 武蔵国)...
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楠木兄弟の戦死によって、南朝側は同月末に臨時首都吉野行宮を喪失し、賀名生へ逃れた。一方、この戦いの勝利と吉野行宮攻略によって執事師直の名声が高まったことで、幕府の事実上の最高権力者である足利直義(将軍尊氏の弟)との政治権力の均衡が崩れ、幕府最大の内部抗争の一つである観応の擾乱(1350年 -...
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筑後川の戦い(ちくごがわのたたかい)は、南北朝時代の正平14年/延文4年8月6日(1359年8月29日)、筑後川をはさんで南北朝が戦った戦。大保原の戦い、大原合戦とも。 南北朝時代に九州で発生した合戦では最大のもの。日本三大合戦の一つとする説もある。 延元元年(1336年)、後醍醐天皇は征西大将軍...
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の戦い)、足利義詮・上杉憲顕・桃井直常・高重茂らは房総方面に脱出した。この前後、北条時行が南朝に降伏し、北畠勢に合流している。 翌延元3年/暦応元年(1338年)1月2日、北畠勢は鎌倉を出発し、足利勢と戦いながら東海道を西上する。途中宗良親王と合流し、1月20日には美濃国に到達した。京都の...
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左沢楯山城 (category 山形県の城)
左沢楯山城が築かれ左沢氏が入った。左沢氏初代元時は大江時茂の次男であり、時茂が南北朝の争乱に備えて白岩・柴橋・寒河江・溝延などに一族の子弟を配して守りを固めた際に、左沢に配置された。元時は応安元年/正平23年(1368年)最上氏との漆川の戦いで敗れ一族60数名と共に自害してしまうが、子孫は代々左沢楯山城を守る。...
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最上氏 (category 東北地方の氏族)
の最上郡に因んで最上氏を称することとなった。 最上氏初代兼頼以降、寒河江氏を討伐して出羽国最上郡の南朝勢力を一掃し(1368年漆川の戦い)、2代直家・3代満直が最上郡・村山郡各地へ子らを分散配置することにより勢力を伸張するなど、室町時代に最初の最盛期を迎える。しかし、5代義春の...
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八幡の戦い(はちまんのたたかい、男山の戦い、男山八幡の戦いとも)は、南北朝時代の観応の擾乱の余波として発生した合戦の一つ。正平7年/文和元年(1352年)閏2月から5月にかけて、山城国京都から男山八幡(京都府八幡市の石清水八幡宮)において、後村上天皇ら南朝方の軍勢と、足利義詮ら北朝方の軍勢との間で行われた合戦である。...
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7月15日 漆川梁海戦、朝鮮水軍大敗 8月13日 南原城の戦い (15日まで) 8月14日か15日 黄石山城の戦い (16日まで) 8月19日 全州城を占領 8月24日 全州城を破却 9月7日 稷山の戦い 朝鮮の世子、再び漢城府から避難 9月16日 鳴梁海戦 12月22日 第1次蔚山城の戦い (翌年1月4日まで)...
382 KB (67,656 words) - 12:58, 1 May 2024
忠州の戦い(ちゅうしゅうのたたかい、朝鮮語読み:忠州はチュンジュ)は、文禄元年(1592年)4月28日、忠州市付近の弾琴台(朝鮮語読み:タングムデ)で戦われた文禄・慶長の役初期の戦闘の一つである。具体的な戦場の地名を取って「弾琴台の戦い」とも言う。 朝鮮朝廷は北方の女真族との戦いで数多くの...
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のの、応安元年/正平23年(1368年)斯波兼頼との戦いに敗れ(漆川の戦い)、以降は斯波氏の子孫である羽州管領最上氏に臣従していた。一方の伊達氏は9代政宗の時、天皇家・将軍家とつながる正室を迎え、元中2年(1385年)出羽国置賜郡への進出に成功した。かくして、伊達氏と寒河江氏は最上川が流れる五百川渓谷を通じて、接することとなった。...
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斯波兼頼 (category 日本の歴史関連のスタブ項目)
の各地で南朝方が蜂起したが、漆川の戦いにおいて、鎌倉公方を継いだ足利氏満や、兄で奥州探題の大崎直持と共に南朝方の寒河江大江氏を攻撃し降伏させた。また、近隣の里見氏に弟の義宗を養子に送り、一門とするなど武力政策と婚姻・養子政策を駆使し、山形斯波氏(後の最上氏)の基礎を築いた。兄の直持は奥州管領家の...
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の達成後は城塞(倭城)を築城し、城の在番担当を定め、それ以外の軍は帰国する計画が定められていた。 釜山周辺に布陣していた日本軍は7月16日漆川梁海戦で朝鮮水軍を殲滅すると陸上でも全羅道を目指して進撃を開始する。このとき明・朝鮮軍では全羅道と慶尚道との道境付近にある南原城と黄石山城で守りを固めていた。...
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高橋氏 (category 出典を必要とする記述のある記事/2017年6月)
近江佐々木源氏を祖とし、大江広元の長子・親広が承久3年(1221年)承久の乱で敗れると、共に出羽国寒河江荘に下向したという。高橋氏は寒河江氏譜代の臣として活動し、応安元年/正平23年(1368年)9代信綱のとき斯波兼頼との漆川の戦いにおいて息子運信と共に討死、また大永元年(1521年)18代正行の時、伊達氏との...
16 KB (1,851 words) - 10:32, 11 April 2024
南北朝時代 (日本) (redirect from 南北朝の内乱)
川の戦い(大保原の戦い)では、南朝方の懐良親王、菊池武光、赤星武貫、宇都宮貞久、草野永幸らと北朝方の少弐頼尚、少弐直資の父子、大友氏時、城井冬綱ら両軍合わせて約10万人が戦ったとされる。この戦いに敗れた北朝方は大宰府に逃れ、九州はこの後10年ほど南朝の支配下に入ることとなった。足利義詮の...
63 KB (7,960 words) - 15:11, 26 April 2024
東萊城の戦い(とうらいじょうのたたかい、朝鮮読み:トンネ)は、文禄元年(1592年)4月14日から15日に行われた、文禄・慶長の役の初期の戦闘の一つである。 釜山鎮の戦いで釜山と周辺の砦を陥落させた後、日本軍は沿岸部の橋頭堡を確保する必要があったが、釜山の内陸、北方数kmの...
8 KB (1,453 words) - 15:39, 14 February 2024
の環境により表示が異なります。 薩埵峠の戦い(さったとうげのたたかい、薩埵山の戦いともいう)は、南北朝時代の正平6年/観応2年12月(1352年1月)、駿河国の由比(静岡県静岡市清水区)・内房(静岡県富士宮市)一帯において、足利尊氏の軍勢と足利直義の軍勢とで行われた合戦である。戦の行われた場所から桜野の戦いともいう。...
6 KB (953 words) - 14:47, 11 April 2023
溝延氏 (category 日本の氏族)
の居城寒河江城から寒河江川を越えた地点にあり、北の抑えとして重要な拠点であった。溝延氏は南北朝時代の寒河江大江氏時茂の長子茂信を祖とし、応安元年/正平23年(1368年)漆川の戦いで総大将を務めた茂信は戦死してしまうものの、子孫は白岩氏、左沢氏とともに寒河江氏の支流としてこの地を治めた。...
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島津義弘 (category 織豊政権の大名)
その後、島津の軍勢は四番隊を率いる毛利吉成の後を追って江原道に展開した。また、和平交渉中の文禄2年(1593年)9月、朝鮮滞陣中に嫡男の久保を病気で失っている。 慶長の役では慶長2年(1597年)7月、藤堂高虎らの水軍と連携して朝鮮水軍を挟み撃ちにし、敵将・元均を討ち取った(漆川梁海戦)。8月には南原城の戦い...
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8月27日 (category 出典を必要とする関連フィクションの記述)
紀元前479年 - ペルシャ戦争: プラタイアの戦い。 1232年(貞永元年8月10日) - 北条泰時が御成敗式目を制定。 1335年(建武2年8月9日) - 足利尊氏が北条時行を討つための征東将軍に任ぜられ、鎌倉へ出発。 1597年(慶長2年7月15日) - 慶長の役・漆川梁海戦: 日本水軍が朝鮮水軍を撃滅する。...
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豊臣政権 (category 書きかけの節のある項目)
の目的は赤国(全羅道)を残らず成敗し、余力をもって青国(忠清道)その他を討つこととされている。日本軍は、漆川梁海戦で朝鮮水軍を壊滅させると進撃を開始し、全羅道の道都全州を占領、忠清道の稷山で明軍と交戦(稷山の戦い:双方とも自軍の勝利と記録)した後、京畿道の...
39 KB (6,378 words) - 16:19, 27 March 2024