アラー・フセイン・アリー
アラー・フセイン・アリー علاء حسين علي خفاجي الجابر | |
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生年月日 | 1948年(75 - 76歳) |
所属政党 | バアス党 |
在任期間 | 1990年8月4日 - 1990年8月8日 |
在任期間 | 1990年8月9日 - 1991年 |
アラー・フセイン・アリー(アラビア語: علاء حسين علي خفاجي الجابر、1948年 - )は、イラク及びクウェートの軍人、政治家。
概要
[編集]アリーは、イラクとクウェートの二重国籍を持ち、イラクの政権政党バアス党に入党すると首都バグダードで学んだ。
1990年8月、イラクによるクウェート侵攻直前に中尉から大佐に昇進。イラクの傀儡政権である「クウェート共和国」の首相、軍最高司令官、国防相、内相に就任する[1](事実上の国家元首[2])。しかし、クウェート共和国はわずか1週間でイラクに併合され、アリーはイラク政府の4人目の副首相に就任する[3][4]。
1991年、湾岸戦争の勃発と共にクウェートを逃れ、親族と偽名を用いてノルウェー・トルコで逃亡生活を送る。
1993年、クウェートの裁判所は、国家反逆の罪により死刑を宣告。
1998年、警察当局に拘束される。2000年1月、アリーはクウェートに送還され、無実を訴える。しかし同年5月3日、最高裁判所はアリーの反逆罪を確定した。2001年3月、終身刑に減刑。
出典
[編集]- ^ クウェート暫定政権、無名の顔ぶれ『毎日新聞』1990年8月6日夕刊、2面
- ^ B. Schemmel. “rulers.org - Kuwait”. 2015年11月28日閲覧。
- ^ 暫定政府首相がイラク副首相に『毎日新聞』1990年8月9日夕刊、1面
- ^ 「自由政府」首相がイラクの副首相に『朝日新聞』1990年8月9日夕刊、1面