エットーレ・グラチス

エットーレ[注釈 1]・グラチス
Ettore Gracis
生誕 (1915-09-24) 1915年9月24日
イタリアの旗 イタリアラ・スペツィア
死没 (1992-04-12) 1992年4月12日(76歳没)
イタリアの旗 イタリアトレヴィーゾ
学歴 パルマ音楽院、ヴェネツィア音楽院、キジアーナ音楽院
ジャンル クラシック
職業 指揮者

エットーレ[注釈 1]・グラチスEttore Gracis1915年9月24日 - 1992年4月12日)は、イタリア指揮者作曲家

生涯[編集]

1915年、ラ・スペツィアに生まれる。パルマ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、ヴェネツィア音楽院ピアノと作曲を学ぶ。更にキジアーナ音楽院で作曲をジャン・フランチェスコ・マリピエロ指揮法アントニオ・グァルニエリに師事し、1942年からベネデット・マルチェロ器楽アンサンブルの指揮者として活動を始め、1948年まで務めた。1948年から1950年まではフィレンツェ五月音楽祭の首席指揮者、1950年から1959年までミラノのポメリッジ・ムジカーリの指揮者、1959年よりヴェネツィアフェニーチェ劇場の音楽監督を歴任し、かつての母校であるヴェネツィア音楽院でも教鞭をとった。また、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団パリ管弦楽団イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団など各地のオーケストラに客演している。

レパートリーは広く、バロック古典派の作品の紹介に努めると共に、現代音楽にも関心を寄せ多くの作品を初演している。1992年にトレヴィーゾで没する。

遺された商業録音のうちでは、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリと協演した協奏曲(ラヴェルラフマニノフ第4番)、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」、ガエターノ・ドニゼッティのオペラ《ドン・パスクワーレ》などが有名である。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b イタリア語では語頭のEにアクセントがあるため、カナ表記としては「エットレ」が原音に近く、「エットーレ」という表記は明らかに誤りである[1]

出典[編集]

  1. ^ 『伊和中辞典』(第2版)小学館、580頁。ISBN 4-09-515402-0 

参考文献[編集]