エディト・パイネマン

エディト・パイネマン (1960年代)

エディト・パイネマンEdith Peinemann, 1937年3月3日 - 2023年2月24日[1])は、ドイツ生まれのヴァイオリニスト[2]

来歴[編集]

マインツ生まれ。マインツのオーケストラのコンサートマスターだった父親から音楽の手ほどきを受けたあと、ハインツ・シュタンスケマックス・ロスタルに師事。[3]

1953年ミュンヘン国際音楽コンクールで入賞し、さらに1956年にミュンヘンの放送局が主催した国際コンクールで優勝したことで、国際的な演奏活動を開始することとなった。1964年には、ニューヨークカーネギー・ホールジョージ・セルと共にベートーヴェンヴァイオリン協奏曲を演奏してアメリカ・デビューを飾った。1976年からフランクフルト音楽院のヴァイオリン科の教授となり、クリーヴランド音楽院インディアナ大学ルツェルン音楽院などでも教授活動を行った。

2005年からESTA(ヨーロッパ弦楽器教育者協会)の責任者を務めている。

脚注[編集]

  1. ^ The Strad - Violinist Edith Peinemann has died aged 85” (英語). The Strad (2023年5月24日). 2023年8月9日閲覧。
  2. ^ Süddeutsche Zeitung. “Traueranzeigen von Edith Peinemann | SZ-Gedenken.de” (ドイツ語). trauer.sueddeutsche.de. 2023年6月19日閲覧。
  3. ^ [1]