カール・ワルデン

カール・ルドルフ・ワルデン
Karl Rudolf Walden
生誕 (1878-12-01) 1878年12月1日
フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国 ウーシマー州 ヘルシンキ
死没 (1946-10-25) 1946年10月25日(67歳没)
 フィンランド ミッケリ州 シュスマ
所属組織 フィンランド国防軍
軍歴 1900年 - 1918年
最終階級 大将
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カール・ルドルフ・ワルデン(Karl Rudolf Walden、1878年12月1日1946年10月25日)は、フィンランドの軍人。最終階級は大将。第二次世界大戦中の国防相(1940年3月 - 1944年11月)。

経歴[編集]

ヘルシンキ出身。アラヤルヴィ地裁判事ヴァルフリート・ワルデンの子として生まれる。ユヴァスキュラの高校に通っていたが、金銭面での問題から1890年ハミナ士官学校に入学。1900年卒業。フィンランド内戦では臨時首都ヴァーサの管区長をはじめ、占領地防衛隊司令官、白衛軍司令官、ラウリ・イングマン内閣およびカールロ・カストレン内閣の戦争大臣を歴任し、白衛軍の勝利に多大な貢献を果たした。戦後退役し、サンクトペテルブルクに移住。1920年、Yhtyneet製紙(現在UPMに併合)を設立。フィンランド製紙協同組合の初代総裁に就任し、フィンランドの製紙業の基礎を作り上げた。

1939年、冬戦争で召集され、戦時内閣の一員となった。続く継続戦争では国防相をつとめた。

1946年、シュスマにて死去。67歳没。

年譜[編集]

  • 1900年 - ハミナ士官学校卒業
  • 1918年
    • 2月20日 - ヴァーサ管区長
    • 3月5日 - 後方部隊司令官(~5月6日)
    • 5月6日 - 占領地防衛隊司令官(~22日)
    • 11月27日 - 白衛軍司令官(~翌12月30日)
    • 12月28日 - 戦争大臣(~翌8月15日)
  • 1939年12月3日 - 臨時内閣閣僚
  • 1939年3月27日 - 国防相

栄典[編集]

出典[編集]

  • Einar W. Juva: Rudolf Walden. WSOY. Porvoo. 1957
  • Raimo Seppälä: Rudolf Walden – Isänmaan mies. Otava. Keuruu. 1981

外部リンク[編集]