ギャングスタ・ラップ

ギャングスタ・ラップ
様式的起源 ヒップホップ
文化的起源 1980年代後半、アメリカ合衆国にて。
使用楽器 ドラムマシン, ビートボックス, ヴォーカル
地域的なスタイル
ウエストコースト・ヒップホップ
イーストコースト・ヒップホップ
サザン・ヒップホップ
ミッドウエスト・ヒップホップ
チカーノ・ラップ
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ギャングスタ・ラップ(Gangsta rap)とは、ラップジャンルの1つである。

一般的には、暴力的な日常をテーマにしたラップ・ミュージックを指す言葉で、代表的なアーティストには、ドクター・ドレースヌープ・ドッグN.W.A2パックなどがいる[1]。 なお「ギャングスタ」とは、本来はストリートギャングやヤクザ者の事を表すスラングだが、「タフな人」、「男らしさ」などの意味で用いられることもある[2]。マーダードッグ・マガジンやオゾンなどの雑誌がGラップを紹介し、ペン&ピクセルやPhanky PhatグラフXが、Gラップのジャケット・アートを担当した[3]

概要[編集]

フィラデルフィアのスクーリーDの1985年のアルバムが、最初期の作品であるとされている[4]。ニューヨ-クでは1987年のブギー・ダウン・プロダクションズ『クリミナル・マインデッド』アルバムに、ギャングについての曲が収録されている[5]。2011年、Ice-Tは自伝の中で東海岸のラッパー、スクーリーDがギャングスタ・ラップのインスピレーションであると述べている。スクーリーD、Ice-T、N.W.A.らはギャングスタ・ラップの元祖とされている[1]

歴史[編集]

1980年代、1990年代[編集]

1988年にアイスTのアルバム「パワー」から「アイム・ユア・プッシャー」がヒットしたのが、ギャングスタ・ラップの快進撃のきっかけとなった出来事だった。また、オークランドのトゥー・ショートのアルバムも話題となった。その後、88年から89年にかけてN.W.Aのアルバム「ストレイト・アウタ・コンプトン」が空前の大ヒットとなり、全米にギャングスタ・ラップの存在が認識されることとなる。しかし、当初のNWAに対する評価は非難ごうごうであり、肯定的な評価は少なかった。しかし90年代にはいると、1992年にN.W.A.のメンバーの一人だったドクター・ドレー[注釈 1]が発表したアルバム「The Chronic」により、ラップミュージックの中で最も影響力を持つ存在となった。この頃からようやくギャンスタ・ラップがR&Bチャートやポップ・チャートでのヒットを出せる音楽へと、発展し始めた。彼らの楽曲には、バックトラックにPファンクやジェームス・ブラウンを使用するなどの共通点が見られる。これと同時期に、ドレーシュグ・ナイトが創設したレーベル「Death Row Records」から、2パックスヌープ・ドッグ等のアーティストが商業的な面でも成果を収めるようになる。さらにイージーEアイス・キューブ、DOC、DJクィック、アバーブ・ザ・ロウ、MCエイト、コンプトンズ・モスト・ウォンテッド、トゥー・ショート、アント・バンクス、スパイス1らのギャングスタ・ラッパーも斬新な内容のアルバムを発表し、シーンを活気づかせた。その後2パック[注釈 2]とイージーE[注釈 3]は、惜しくも若くして亡くなってしまった。90年代前半はウエストコースト・ラップの全盛期だったが、90年代の後半以降は次第に南部ラップやチカーノ・ラップへと、シーンの中心が移っていった。南部ラップでは、ゲトー・ボーイズが90年代初頭には早くもヒットを出していた。しかし本格的に南部の人気が出てきたのは、マスター・Pのノー・リミットや、キャッシュ・マネーのラッパーたちがヒットを出し初めてからである。チカーノ・ラップでは、キッド・フロストやメローマン・エースが活躍した。

2000年代以降[編集]

2000年代になっても南部ラップやチカーノ・ラップは、一定の人気を保ってきた。チカーノ・ラップではMs Krazie、Mr.ナイトアウル、チノ・グランデ、Mr.クリミナル、Mr. Capone-E、Mr.サンチョらが活躍した。レーベルでは、アーバン・キングズなどのチカーノ・レーベルが登場した。2000年代に活躍したギャングスタラッパーには50セントがいた。また、リル・ジョン等の登場により、電子音楽を多用した新しいヒップホップ・ジャンル、「クランク」が発生したが、1990年代当時の勢いを失い始める[6]オプラ・ウィンフリービル・コスビースパイク・リー監督等のアメリカを代表する黒人セレブ達によるギャングスタ・ラップの攻撃性に対する批判もGラップの勢いを弱める一因になったという説もある[6]

ギャンスタ・ラップの第一人者とされている、Ice-T。

反社会的な内容を含むギャングスタ・ラップは長年、各方面から批判を受け続けている[6]。ティッパー・ゴアらのロビイ活動により、アメリカ議会でラップやヘヴィ・メタルなどの歌詞の内容は攻撃を受けた。その結果、これらのCDジャケットには「ペアレンタル・アドバイザリー」の表示が義務付けられた。ギャングスタラップの歌詞は、アフリカ系アメリカ人に対して人種差別を行う白人優位社会への抵抗という見方も存在する。2020年には警察官による黒人殺害事件に対する抗議行動として、ブラック・ライブズ・マター運動が盛り上がった。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 93年に「ナッシン・バット・アGサング」が大ヒットになった
  2. ^ 射殺という悲劇的な結末を迎えた
  3. ^ 異性間性交によりエイズの合併症で死去している

出典[編集]

  1. ^ a b What Is Gangsta Rap? Gangsta Rap - About.com
  2. ^ online dictionary - onlineslangdictionary.com
  3. ^ Phunky Phat Graph X 2023年8月4日閲覧
  4. ^ 「ギャングスタ・ラップ」p.9 著者・小渕晃。 Pヴァイン
  5. ^ 「ギャングスタ・ラップ」p.10 著者・小渕晃。 Pヴァイン
  6. ^ a b c What Is Gangsta Rap? Gangsta Rap - Wisegeek.com

書籍[編集]

  • ソーレン・ベイカー『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』塚田桂子訳・解説、DU BOOKS、2019年9月。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]