クマ・エルハジ・ババカル

クマ・ババカル
名前
本名 クマ・エル・ハッジ・ババカル
Khouma El Hadji Babacar
愛称 ババ(BABA[1]
ラテン文字 Khouma Babacar
基本情報
国籍 セネガルの旗 セネガル
生年月日 (1993-03-17) 1993年3月17日(31歳)
出身地 ティエス
身長 191cm[2]
体重 85kg[2]
選手情報
在籍チーム デンマークの旗 FCコペンハーゲン
ポジション FW
背番号 11
利き足 両足[1][3]
ユース
2007-2008 イタリアの旗 ペスカーラ
2008-2009 イタリアの旗 フィオレンティーナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009-2018 イタリアの旗 フィオレンティーナ 99 (27)
2012 スペインの旗 ラシン・サンタンデール (Loan) 8 (0)
2012-2013 イタリアの旗 パドヴァ (Loan) 16 (1)
2013-2014 イタリアの旗 モデナ (Loan) 39 (20)
2018 イタリアの旗 サッスオーロ (Loan) 13 (2)
2018-2022 イタリアの旗 サッスオーロ 29 (7)
2019-2020 イタリアの旗 レッチェ (Loan) 22 (3)
2020-2022 トルコの旗 アランヤスポル(loan) 41 (11)
2022- デンマークの旗 コペンハーゲン
代表歴2
2009-2010 セネガルの旗 セネガル U-17 3 (1)
2010-2013 セネガルの旗 セネガル U-20 6 (1)
2015- セネガルの旗 セネガル 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年1月8日現在。
2. 2017年6月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クマ・エル・ハッジ・ババカルKhouma El Hadji Babacar, 1993年3月17日 - )は、セネガルティエス出身のサッカー選手セネガル代表FCコペンハーゲン所属。ポジションはフォワード

経歴[編集]

クラブ[編集]

ユース時代[編集]

2005年に出身地ティエスを本拠地とするUSライユにてサッカー選手としてのキャリアをスタートする。2007年夏、ババカルが14歳のときにイタリアのクラブペスカーラに移籍するために渡伊。1年後の2008年7月にはACFフィオレンティーナの下部組織に移籍する[4]

フィオレンティーナ[編集]

下部組織[編集]

移籍初年度の2008-09シーズンにフィオレンティーナのアッリエーヴィにおいて全国大会で優勝し[5]レアル・マドリードFCバルセロナマンチェスター・ユナイテッドFCチェルシーFCのスカウト陣の注目を集める[6][7]。同シーズンはアッリエーヴィの1つ上のカテゴリであるプリマヴェーラにも15歳ながら飛び級で所属し、掛け持ちで出場したトルネオ・ディ・ヴィアレッジョでは得点を決め、その活躍とプレースタイルからイタリアの全国スポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」には将来のディディエ・ドログバ、ヴィオラのマリオ・バロテッリ[8]と賞賛された。

トップチーム[編集]

2009年のプレシーズンに初めてトップチームの練習に参加。チェーザレ・プランデッリ監督やチームメイトのセバスティアン・フレイらに「下部組織に非常に興味深い選手がいる」と印象付ける。その後、16歳でクラブとプロ契約を交わし、UEFAチャンピオンズリーグの登録メンバーにAリスト選手として選出される[9]。2010年1月14日に行われたコッパ・イタリアでの対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦にて、16歳にしてトップチームデビュー及び、プロ公式戦デビューを果たす。デビュー戦の後半30分にはマヌエル・パスクアルが放った直接フリーキックがババカルに当たりコースが変わり得点も記録する。チームの3-2の勝利に貢献し、プレー内容とともに上々のデビューとなった。同年2月27日にはアウェイで行われた対SSラツィオ戦にてマリオ・ボラッティとの交代でリーグ戦に出場、16歳でセリエAにデビューを果たした[10]。続く3月13日のアウェイで行われた対SSCナポリ戦では途中出場ながら勝ち越し点の起点となり、さらに終了間際には相手ゴールキーパーのモルガン・デ・サンクティスが上がっているのを見逃さす、50メートルほど離れた無人のゴールにボールを流し込みステヴァン・ヨヴェティッチへのアシストを記録した[11]。初アシストを記録した翌試合の対ジェノアCFC戦では17歳と3日でセリエA出場2試合目にして初得点をあげる。3月20日に行われた同試合で終了間際の後半35分にアルベルト・ジラルディーノと交代で出場すると、その6分後である後半41分に後方からのロングパスを相手ディフェンダーと競り合いながらもキープし、ゴールキーパーとの1対1を制しコースを突くゴールを決めた[12]

2010年7月13日には、フィオレンティーナと2015年までの契約を延長することで合意した[13]シニシャ・ミハイロヴィッチが監督就任後は背番号9番を任された[14]

ラシン、パドヴァへのレンタル、モデナでの活躍[編集]

2012年1月31日、ラシン・サンタンデールにレンタル移籍した。 2012年7月11日、カルチョ・パドヴァにレンタル移籍した。 2013年8月11日、モデナFCへレンタル移籍[15]。モデナではレギュラーFWとして活躍し、セリエBのリーグ戦において39試合出場、得点はリーグ3位となる20得点を記録した。出場試合数、得点数共にチームトップの数字であり、この活躍からレンタル元であるフィオレンティーナがレンタルバックを求める事になった[16]

再びフィオレンティーナへ[編集]

2014年6月20日にフィオレンティーナ復帰[16]。2014-2015シーズンは途中怪我により離脱したものの、リーグ戦において20試合出場、7得点をあげる。10月5日の対インテル戦ではゴールから30メートルの距離からゴールを決め、セリエAにおいても通用しうるポテンシャルを印象づけた。 2015年7月14日にフィオレンティーナと5年 (2020年まで) の契約延長にサインした事をクラブCEOのアンドレア・ロッグが公式発表し[17]、年俸150万ユーロと報道された[18]。 2016-17シーズン4月22日のインテル戦で先発すると2ゴールを決め5-4での勝利に貢献した。2016-17シーズンはセリエA10得点を記録した[19]。2019-20シーズンはサッスオーロからレッチェへレンタル移籍した。

代表[編集]

2015年3月23日にセネガル代表に初招集される[20]

人物[編集]

ACFフィオレンティーナの下部組織において特筆すべき活躍をし、国内外のスカウトの注目を浴びる選手[6]。イタリアのメディアからは新たなディディエ・ドログバとも呼ばれ[7]、フィジカルと身体能力の高さを活かし、豊富な得点パターンを持つセンターフォワードである[1]。両足を遜色なく使い、ポストプレーにも優れる[1][3]。本人も憧れているディディエ・ドログバヌワンコ・カヌのように強靭な体躯と高いテクニックを併せ持つが、同時に、トップチームに引き上げたプランデッリ監督からは「少々ボールを持ちすぎる」[21]と指摘されていた。

エピソード[編集]

  • 本人はイスラム教徒であることを公言している[22]が、トレーニングを行いながら実行するのは困難との理由でラマダーンは行っていないと話している。

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2009-10 ACFフィオレンティーナ 21 セリエA 4 1 1 1 - - 5 2
2010-11 9 18 0 2 2 - - 6 2
2011-12.1 1 0 - - - - 1 0
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
2012.1-7 ラシン・サンタンデール 11 プリメーラ・ディビシオン 8 0 - - - - 8 0
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2012-13 カルチョ・パドヴァ 21 セリエB 14 1 1 1 - - 15 2
2013-14 モデナFC 15 39+2 20 1 0 - - 42 20
2014-15 ACFフィオレンティーナ 30 セリエA 20 7 3 0 EL5 2 28 9
2015-16 18 5 1 0 5 2 24 7
2016-17 21 10 1 0 8 4 26 13
通算 ACFフィオレンティーナ セリエA 82 23 9 3 18 8 110 34
総通算 147 44 18 8 11 4 176 56

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Khouma Elhadji Babacar "BABA" eufootballuniversity.com(イタリア語),2010-3-1閲覧
  2. ^ a b Giocatori - Khouma el Babacarフィオレンティーナ公式(イタリア語),2010-3-22閲覧
  3. ^ a b Khouma Babacar, el triunfo del trabajo y la humildadelmundodeportivo.es(2010-1-17)(スペイン語),2010-3-1閲覧
  4. ^ Bollini: "Babacar ricorda Weah ma deve ancora poter sbagliare"fiorentina.it(2009-12-22)(イタリア語),2010-1-14閲覧
  5. ^ CAMPIONATO ALLIEVI NAZIONALI 2008-09campionatoprimavera.com(イタリア語),2010-2-13閲覧
  6. ^ a b ババカル代理人:「フィオレンティーナが良い。」firenzeviola.it(イタリア語),2009-12-30閲覧
  7. ^ a b レアル・マドリードとマンチェスター・ユナイテッドが新たなドログバに注目goal.com(英語),2009-12-30閲覧
  8. ^ 1年毎に新しくなるヴィオラ(イタリア語),2009-12-25閲覧
  9. ^ Lista Uefaフィオレンティーナ公式(2009-8-10)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  10. ^ Lazio-Fiorentina 1-1: a Siviglia risponde Keirrisoncorrieredellosport.it(2010-2-27)(イタリア語),2010-3-1閲覧
  11. ^ Lavezzi gol, Gila doppietta E la Fiorentina sbanca Napoligazzetta.it(2010-3-13)(イタリア語),2010-3-13閲覧
  12. ^ La Fiorentina non si ferma Tre gol anche al Genoagazzetta.it(2010-3-20)(イタリア語),2010-3-20閲覧
  13. ^ Comunicato Stampaviolachannel.tv(2010-7-13)(イタリア語),2010-7-13閲覧
  14. ^ Numeri di magliaviolachannel.tv(2010-8-6)(イタリア語),2010-8-6閲覧
  15. ^ Ultimissime dal Modena Football ClubModena FC(2013-8-9)(イタリア語),2013-8-11閲覧
  16. ^ a b BABACAR E BERNARDESCHI TORNANO ALLA FIORENTINAviolachannel.tv(2014-6-20)(イタリア語),2015-7-13閲覧
  17. ^ ROGG - BABACAR: "INSIEME PER ALTRE CINQUE STAGIONI. VOGLIAMO CONTINUARE A CRESCERE"violachannel.tv(2015-7-14)(イタリア語),2015-7-15閲覧
  18. ^ Fiorentina: c'è la firma di Babacar, rinnovo da 1,5 milioni a stagionegazzetta.it(2015-7-6)(イタリア語),2015-7-13閲覧
  19. ^ Decimo gol stagionale in 23 presenze per Babacar. Le sue reti valgono 7 punti in Serie A” [Tenth season goal in 23 appearances for Babacar. His goals equal 7 points in Serie A] (イタリア語). Fiorentina (2017年4月2日). 2018年2月5日閲覧。
  20. ^ Babacar soddisfatto: "Contento per la convocazione in nazionale"fiorentina.it(2015-3-23)(イタリア語),2015-7-15閲覧
  21. ^ プランデッリ:「ババカルは無限の可能性を秘めている。」(イタリア語),2009-12-30閲覧
  22. ^ フィオレンティーナ公式サイト内インタビュー動画(イタリア語),2009-12-30閲覧

外部リンク[編集]