クリス・グレン (ミュージシャン)

クリス・グレン
Chris Glen
出生名 クリストファー・ジョン・グレン
Christopher John Glen
生誕 (1950-11-06) 1950年11月6日
イギリスの旗 イギリスグラスゴー
出身地 イギリスの旗 イギリスペイズリー
ジャンル ハードロックヘヴィメタル
担当楽器 ベース
活動期間 1969年 - 現在
共同作業者 マイケル・シェンカー・グループ
センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド
GMT
パーティー・ボーイズ
クリス・グレン&ジ・アウトフィット

クリス・グレン(Chris Glen、1950年11月6日-)は、スコットランド出身のミュージシャン、ベーシスト。マイケル・シェンカー・グループなどで活動していた[1]

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1950年11月6日グラスゴーで生まれ、ペイズリーで育つ。

初期-センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(1969-1980)[編集]

1969年にザ・ジェイドというバンドに加入し、ベーシストとしてのキャリアが始まった。後にバンドはマスタード、ティアー・ガスに改名後、1970年にファースト・アルバム『Piggy Go Getter』をリリース、1971年には後に様々なバンドで共に活動するテッド・マッケンナが加入し、アルバム『Tear Gas』をリリースした[2]

1972年、グレンと同じスコットランド出身のアレックス・ハーヴェイとティアー・ガスのメンバーでセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(SAHB)」を結成。ヨーロッパ・ツアーを開始する予定だったが、ハーヴェイは1977年にバンドを脱退し、バンドはアルバム『Rock Drill』のリリース直前に解散した。

ジョン・マーティン[編集]

1979年にギタリストのジョン・マーティンとグラストンベリーで共演。グレンはマーティンのアルバム『Grace and Danger』にも参加している。

マイケル・シェンカー・グループ(1980-1984)[編集]

マウンテン・マネージメントとのレコード契約が切れた後、他のアーティストと共演するようになった彼は、1980年、スコーピオンズUFOで活動したドイツのロック・ギタリスト、マイケル・シェンカーを紹介されてマイケル・シェンカー・グループに加入。『神(帰ってきたフライング・アロウ)』『黙示録』、『限りなき戦い』、『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』、『ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ』のレコーディングに参加した。1984年にシェンカーの酒とドラッグによる問題行動に耐えられず脱退した。

GMT(グレン/マッコーリー/テイラー)(1985)[編集]

1985年、MSGを脱退してすぐにロビン・マッコーリー、フィル・テイラー(モーターヘッド)、ブライアン・ロバートソン(シン・リジィ)らとバンド「GMT」を結成。バンドは『Wargames』という4曲入りのEPをリリースして年内に解散。解散後はテレビやラジオのセッション・ワークや、ロンドンでバスの運転手をしていた。

イアン・ギラン・バンド(1990)[編集]

1990年ディープ・パープルイアン・ギランからの誘いを受けてイアン・ギラン・バンドに加入。バンドにはテッド・マッケンナも参加した。アルバム『Naked Thunder』のプロモーションのためのワールド・ツアーに乗り出し、後にイギリスのノッティンガムで撮影されたライブDVDがリリースされた。

パーティー・ボーイズ-SAHB再結成(1991-2008)[編集]

1991年、テッド・マッケンナを中心に結成されたスーパーグループ、パーティー・ボーイズに加入。

このバンドは2年間活動したが、メンバー全員がセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド出身だったため、スティーヴィー・ドハーティをヴォーカルに迎えてバンドを再結成することを決めた。1995年に解散するが、2002年に元ナザレスのビリー・ランキンをボーカルに迎えて再結成。2008年にザル・クレミンソンの脱退により解散。

クリス・グレン&ジ・アウトフィット(2008-2020)[編集]

2008年、ドゥギー・ホワイト(ボーカル、元レインボー)、マックス・マクスウェル(センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド)、ブライアン・マクフィー(ギター、元マリアンヌ・フェイスフル)、ロス・マクファーレン(ドラム、元テキサス)を迎え、自身のバンド「クリス・グレン&ジ・アウトフィット」を結成。

このバンドではオリジナル曲はリリースせず、グレンが在籍したセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド、マイケル・シェンカー、イアン・ギランの楽曲を演奏した。

マイケル・シェンカー・グループ復帰(2008-2010)[編集]

2008年、マイケル・シェンカー・グループに復帰し、2010年のアルバム『In the Midst of Beauty』のプロモーション・ツアーに参加。グレンのMSGでのツアー参加は1984年以来だった。また、同年のマイケル・シェンカーのソロ・アルバム『Temple of Rock』でも2曲を演奏している。この間にイギリス、日本で数回のツアーを行い、ヨーロッパでもいくつかの公演を行った。

グウィン・アシュトン-ポール・ローズ(2004)[編集]

2004年、ギタリストのグウィン・アシュトン、テッド・マッケンナと共にアルバム『Prohibition』を制作した。その後、マッケンナと共にポール・ローズとも活動し、ポールにライヴへの参加を依頼されたが断り脱退した。

カフェ・ジャックス(2010)[編集]

2010年、再結成されたカフェ・ジャックスに加入。

スティール・サークル[編集]

AC/DCなどで活動したドラマーのクリス・スレイドから依頼を受けて、彼が結成したバンド「スティール・サークル」のヨーロッパ・ツアーに参加。このツアーは、スレイドの音楽活動50周年を記念したものだった。

マイケル・シェンカー・フェスト(2016-2022)[編集]

2016年、テッド・マッケンナと共にマイケル・シェンカー・フェストに加入、マイケル・シェンカーと再び活動する。2018年にアルバム『Resurrection』を、2019年に『Revelation』をリリースし、来日公演にも参加した。2022年、マイケル・シェンカー・フェストがMSGで活動を再開する時に脱退。

自伝執筆[編集]

2018年、作家で元SAHBのマネージャー、マーティン・キルティと共同で自伝『The Bass Business』を出版、それなりの成功と売上を記録した。2冊目の本が出るという話もあるが、これについてはまだ何も確定していない。

脚注[編集]

  1. ^ Barend Courbois (Blind Guardian) On Bass – Michael Schenker Himself”. michaelschenkerhimself.com. 2023年11月25日閲覧。
  2. ^ Tear Gas Songs, Albums, Reviews, Bio & More” (英語). AllMusic. 2023年11月25日閲覧。

外部リンク[編集]