グラムロック

グラムロック
Glam Rock
様式的起源 ロック、アート・ロックブギー
文化的起源 1970年代前半、イギリス、アメリカ
使用楽器 ギターベースドラムボーカル鍵盤楽器など
融合ジャンル
ニュー・ロマンティック
関連項目
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グラムロック(glam rock)主にイギリスで1960年代後半から流行した、ロックのジャンル。由来は、魅惑的であることを意味する英語の"glamorous"から来ている。

概要[編集]

グラム・ロックの音楽家は、男性でも、女性でも、一般的な化粧よりも濃いメイクを施したり、煌びやかなヨーロッパ貴族的(ヨーロッパの中でも主に西欧の国々)な衣装を身につけた。

1970年代前半には、ラウドなハードロックや、演奏技術や長尺曲が特徴だったプログレッシブ・ロックが流行。それらと異なる中性的なファッションやメイク、グルーヴ感あふれるビートや、ポップなメロディーを演奏していたのがグラムロックミュージシャンだった。グラム・ロックは70年代後半のパンク・ロックの一部にも影響を与えることになる。また、T・レックスモット・ザ・フープル[1]ロキシー・ミュージックのヒット曲のように、サックスリフを刻む楽曲もグラム・ロックの一部に見られた。

グラム・ロックは、音楽性よりもメイクや、ステージングなどでカテゴライズされることが多かった。Tレックス[注釈 1]やゲイリー・グリッターはブギー[2]、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックはアート・ロック、スレイドやスウィートはハードなポップ・ロックといったように、サウンドや楽曲、音楽的志向などは大きく異なり、共通点はあまり見られない。

歴史[編集]

マーク・ボランとTレックス[3]デヴィッド・ボウイ[4]ロキシー・ミュージックモット・ザ・フープルが英国における代表的なアーティストである。日本でもグラムロックは人気があり、「オールジャパン・ポップ20」(文化放送)のようなラジオ番組のチャートを賑わせていた。ボランとボウイが成功を収めた直後、ロキシー・ミュージック、スウィート、スレイド、モット・ザ・フープル、マッド、アルヴィン・スターダストなどのアクトが続いた。英国でのグラムロックバンドの中には、英国の主要なクリスマスヒットシングルをリリースしたバンドもいた。スレイドの「MerryXmasEverybody」、ウィザードの「I Wish It Could Be Christmas Daily」、マッド・Mudの「Lonely This Christmas」は、いずれも人気を獲得した。グラム・ロックは、英国のポピュラー音楽で非常に成功したトレンドの側面だけでなく、1970年代の英国ポピュラー文化における他のカルチャーにも影響を与えた。

グラムロックのより重い変種で、ギターリフ中心のサウンドを強調し、リズムを駆り立て、聴衆が参加するライブパフォーマンスを行った。スレイドは「ムーブ・オーバー」「グッバイ・トゥ・ジェーン」「カモン」を日本でもヒットさせた。モットザフープルは「すべての若き野郎ども」「ロックンロール黄金時代」をイギリスでヒットさせている。 マーク・ボランは、グラムロックの盛衰と自身の音楽活動の波が重なるように、グラム・ロック衰退期である1977年、交通事故により29歳で死亡[5]。 デヴィッド・ボウイはグラムロック衰退以降も音楽活動を継続した。また、彼は映画『地球に落ちて来た男』(1976年)にも出演した。ボウイはモット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」(1972年)を作曲している。ボウイがジギー・スターダストというキャラクターを生み出す際に、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』や『2001年宇宙の旅』をモデルにしている。また、ボウイはこの頃、ザ・ストゥージズの『ロウ・パワー』やルー・リードの『トランスフォーマー』などのプロデュースも担当。 他にも、スウィートシルヴァーヘッドホークウインドジョーディーなどがグラムロック系のバンドとされている。 1973年オイル・ショックやその後の不況、ロック・ファンの世代交代などが重なり、グラム・ロックのブームは1975年ごろ終焉を迎えた。その後、1970年代後半のパンク/ニュー・ウェイヴが勃興することとなる。 時代背景としては、それまでのヒッピーウッドストックなどに代表される自然回帰運動への反動として、「人工的なもの」への志向が生じたのではないかとする説もある。ポップ・アートのアンディ・ウォーホール[注釈 2]の「Pork」という映画・舞台がグラム発生に影響を与えたという説もある。ウォーホールは異性装(トランスヴェスチズム)を好んでおり、またアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演していたイーディ・セジウィックも中性的なイメージを持っていた。 また、1960年代後半のロンドンのアンダーグランド・シーンの影響も見られる。UFOクラブなどのナイトクラブ、ライブハウスでの演奏を通じて、メジャー・シーンへと進出を果たしたアーティストも多い。シド・バレット[注釈 3]と初期のピンク・フロイドは、デヴィッド・ボウイマーク・ボランに影響を与えた。 グラム・ファッションの影響を受けたローリング・ストーンズも、当時は濃いメイクをしていた。ヴィジュアル面では、グラム・ロックが80年代前半に起こったニューロマンティックや、後に誕生する日本のヴィジュアル系の先駆けとなった。音楽的にはクラッシュのミック・ジョーンズがモット・ザ・フープルのフォロワーであったことが良い例だが、パンク・ロックの一部への影響が見られる。 アメリカにおいて、グラムロックでの商業的な成功を収めたのはアリス・クーパーであった。さらに、1973年にはニューヨーク・ドールズがデビューし、ルー・リードイギー・ポップなどもグラムロックに影響されたステージを見せた。他には、ラモーンズのメンバーがTレックスやスレイドを愛聴していることを、少年ナイフによるインタビューで答えたことがある[注釈 4]

日本への影響[編集]

国内では、1970年代半ば以降の沢田研二[注釈 5]忌野清志郎[注釈 6]、1980年代前半には、土屋昌巳一風堂[注釈 7]が登場した。しかし、いずれも「グラム・ロック」とは呼ばれなかった。

1980年代以降、グラマラスなメイクをしたミュージシャンらは、ニュー・ロマンティックの影響を受けていると見られている。BOØWY安全地帯マルコシアス・バンプTHE YELLOW MONKEYROLLY率いるすかんちX JAPAN毛皮のマリーズ、「ヴィジュアル系」バンド、本田恭章中川勝彦など。

なお、マーク・ボランの命日である9月16日には「マーク・ボラン追悼~グラムロックイースター」というイベントが毎年開催されている。常連参加者には、頭脳警察にいたPANTAのほか、ROLLY、マルコシアス・バンプの旧メンバーなどがいる。

代表曲[編集]

グラムロック・アーティスト[編集]

洋楽(1960年〜2000年代)[編集]

洋楽(2010年〜2020年代)[編集]

邦楽[編集]

映画[編集]

グラム・ロックスターが参加した映画[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「メタル・グゥルー」「ゲット・イット・オン」などヒット曲多数
  2. ^ ベルベット・アンダーグラウンドやローリング・ストーンズのアルバム・ジャケットを手掛けた。
  3. ^ 精神疾患のために音楽業界を去った。
  4. ^ 93年のタワー・レコード「バウンス」による。
  5. ^ 70年代にも簡単なメイクをしたことがあるが、本格的なメイクは80年代からで「OH!ギャル」はその代表的な曲である。
  6. ^ ライブでもテレビ出演でもメイクで登場していたが、「いけないルージュ・マジック」でのメイクは有名。
  7. ^ 「すみれセプテンバー・ラブ」でのメイクで知られる。
  8. ^ ヨーロッパ的な曲と、「フェイム」のような黒人音楽に影響を受けた曲の両方を演奏した。
  9. ^ 最初に三年間は主にイギリスを中心としたヒットだったが、75年に初めてアメリカ進出に成功した。
  10. ^ ヒットが出ずに解散を考えていた時に、解散を止めて曲を提供したのがデヴィッド・ボウイである。
  11. ^ 「アリスは大統領」「ノーモア・ミスター・ナイス・ガイ」などもヒット。「アリスが大統領」発表時にはプロモーションのために、実際に大統領選挙に出馬している。
  12. ^ 74年に「テル・ヒム」がイギリスのチャートで6位まで上昇したグラム・ロック・バンド。同曲はエキサイターズのカバー。

出典[編集]

関連項目[編集]