グリーンベイ・パッカーズ

グリーンベイ・パッカーズ
Green Bay Packers
創設 1919年8月11日 (104年前) (1919-08-11)
NFL参入 1920年シーズン
所属地区
  • NFL(1920-現在)
    • NFC(1970-現在)
北地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
    • 西カンファレンス(1953-1969)
中地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
    • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
    • 西地区(1933-1949)
    • 地区分けなし(1920-1932)
  • 独立チーム(1919-1920)
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  ダークグリーン
  ゴールド
 
ユニフォーム
チーム名
  • グリーンベイ・パッカーズ(1919-現在)
ホームタウン
1919-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1919-現在
1919-現在

ウィスコンシン州グリーンベイ(1919-現在)

ランボー・フィールド
 シティ・スタジアム
(1957-現在)
シティ・スタジアム (1925-1956)
ベレビュー・パーク英語版 (1923-1924)
ハーゲマイスター・パーク英語版 (1919-1922)

ミルウォーキー主催試合[注釈 1]

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (4回)
カンファレンス・チャンピオン (5回)
NFL西
NFC
地区優勝 (17回)
NFL中地区
NFC中地区
NFC北地区
ワイルドカード(9回)
プレーオフ進出(27/58回)
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
カンファレンス・チャンピオン
NFL西
地区優勝
NFL西地区
NFL中地区
ワイルドカード
球団組織
オーナー マーク・H・マーフィー
GM ブライアン・ギュートカンスト英語版
ヘッドコーチ マット・ラフルアー英語版

グリーンベイ・パッカーズ英語: Green Bay Packers、略称: GB)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。1921年、当時まだ創立2年目だった頃にNFLに加盟しており、現在あるチームの中ではアリゾナ・カージナルスシカゴ・ベアーズに次いで3番目に古いチームとなっている。また、現在アメリカに本拠地を置くプロスポーツチームの中で唯一、一般市民がチームを100%保有している。ホームスタジアム、ならびにチームの本部は、ランボー・フィールドである。

概要[編集]

パッカーズは1920年代から1930年代のリーグ創成期に一般的だった、小さな町をホームとする最後のチームであると言われている。チームは、1919年にカーリー・ランボージョージ・ホイットニー・カルフーン英語版によって設立され、当初はウィスコンシン州内のセミプロチームと試合をしていたが、1921年にNFLへ加入した。1933年から1995年までの間、グリーンベイと並行してミルウォーキーでもホームの試合を行っていた。ミルウォーキーは現在でもチームのメディア圏内にあり、多くのファンが存在している。グリーンベイならびにグリーンベイ都市圏は、北米4大プロスポーツリーグのホームタウンのうち最も規模の小さい地域である[注釈 2] ものの、フォーブスによる「世界の価値あるスポーツチームランキング」では2019年に27位にランクインした[1]

パッカーズのNFLチャンピオン獲得回数は、リーグ最多の13回である。リーグ(旧NFLチャンピオンシップ)3連覇を成し遂げた唯一のチームでもあり、1929年から1931年と、1965年から1967年の2度にわたってこの記録を打ち立てた。スーパーボウル優勝は4回でそのうち2回はAFLとNFLチャンピオンの対戦として行われた第1回スーパーボウル第2回スーパーボウル、1970年のAFLとNFL統合後の優勝は1996年度の第31回スーパーボウル、2010年度の第45回スーパーボウルである。アメリカでは非常に人気の高いチームであり、人気チームの世論調査においてもダラス・カウボーイズなどと共に常に上位に位置している[2]

歴史[編集]

チーム創成期[編集]

1918年、ノートルダム大学時代のカーリー・ランボー

グリーンベイ・パッカーズは、1919年8月11日に創設された。当初はアクミー・パッカーズといった。創設者のカーリー・ランボー[注釈 3] は、彼の勤めるインディアン・パッキング・カンパニーに、ユニフォーム購入の資金提供を求めた。同社がこのチームを支援していたのは最初のシーズンのみだったが、グリーンベイのフットボールクラブの名称は、今も変わらず「パッカーズ」である。ノートルダム大学出身のランボーは、母校の校歌にちなんで、青と金 (黄) をチームカラーとした。この色は後に、現在の、緑と金 (黄) に変更される。この配色から、「ザ・グリーン・アンド・ゴールド」というチームの愛称が生まれた。

1921年、パッカーズは前年に設立されたプロフェッショナルリーグ(のちのNFL)に加盟したが、同じ年、缶詰会社のスポンサーが手を引いたため財政難によりフランチャイズを失う。ランボーは自ら資金を調達し、再びフランチャイズを得た。1922年から1923年にかけて、ランボーや地元新聞社主アンドリュー・ターンブルをはじめとする5人(通称"ハングリー・ファイブ")が奔走し、グリーンベイ・フットボール・コーポレーションを設立した。こうして、現在も続くパッカーズの基礎が形作られた。

1923年の グリーンベイ・フットボール・コーポレーション定款で、パッカーズのフランチャイズが売却されることになった場合は、米国在郷軍人会英語版のサリバン・ウォーレン・ポストに、"正規兵士記念碑" 建設のため、すべての債務を清算したあとの残金を寄贈するものと定められた。この規定が設けられたのは、このクラブがグリーンベイで存続し続けることと、このクラブは株主の金銭的利益のためにあるものではないことを顕示するためであった。1997年11月の年次会議の株主投票で、受取人がサリバン・ウォーレン・ポストからグリーンベイ・パッカーズ・ファウンデーションへと変更された。1950年、パッカーズは、チーム運営資金調達のために再び株式を発行した。1956年には、新しいスタジアム(後のランボー・フィールド) の建設が承認された。

ロンバルディの時代[編集]

1958年地区最下位となったが、1959年にヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチになると開幕から3連勝した後5連敗したが残り4試合に連勝し1947年以来となる勝ち越しを果たした。翌年の1960年にはNFL西地区優勝を果たしポール・ホーナング英語版はNFLトップの176得点をあげた。フィラデルフィア・イーグルスとのNFLチャンピオンシップゲーム英語版は一進一退のシーソーゲームとなったが最後の攻撃が敵陣8ヤードで止められて4点差で敗れた。1961年のNFLチャンピオンシップゲームではニューヨーク・ジャイアンツと対戦し1944年以来となるNFLチャンピオンになった。1962年には開幕から10連勝し13勝1敗でシーズンを終えた。2年連続の対戦となったニューヨーク・ジャイアンツとのNFLチャンピオンシップゲームでは16-7で勝利した。

その後2シーズン間をおいて1965年にパッカーズは再びNFLチャンピオンシップゲームに出場した。ウェスタンカンファレンスを制したボルチモア・コルツ戦ではドン・チャンドラー英語版の右に外れたFGが得点を認められるといったことも起きた。NFLチャンピオンシップゲームではクリーブランド・ブラウンズを破りロンバルディが就任以来3回目の優勝をかざった。

1966年、12勝2敗でバート・スターがシーズンMVPに選ばれた。ダラス・カウボーイズとのNFLチャンピオンシップゲームでは最後自陣2ヤードまで攻め込まれたがドン・メレディス英語版のパスをトム・ブラウン英語版インターセプトし34-27と勝利し、1970年に統合することが決定していたAFLのチャンピオン、カンザスシティ・チーフス第1回スーパーボウルで対戦し35-10で勝利した。

1967年NFLチャンピオンシップゲームは後にアイスボウルと呼ばれる極寒の中で行われた。この試合残り16秒でバート・スターのQBスニークでタッチダウンをあげてダラス・カウボーイズを破り3年連続NFLチャンピオンとなった[3]

第2回スーパーボウルオークランド・レイダースを33-14と破りこの試合を最後にヴィンス・ロンバルディは勇退しゼネラルマネージャーとなり、後任には彼の下でアシスタントコーチを務めたフィル・ベングソン英語版がなった。ロンバルディは1969年にワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチとなったが1970年シーズン前の9月に亡くなった。

同チームは第1回と第2回のスーパーボウルを制した。この時代のスター選手はQBバート・スター、RBジム・テイラー英語版キャロル・デイル英語版、ポール・ホーナング(エクストラポイントやFGも蹴った。)、RGのジェリー・クレイマー英語版、ディフェンスのヘンリー・ジョーダン英語版ウィリー・ウッドレイ・ニチキ英語版デイブ・ロビンソン英語版ハーブ・アダリー英語版らであった。1970年にロンバルディが死去すると、スーパーボウル優勝トロフィーは彼の功績を称えて「ヴィンス・ロンバルディ・トロフィー」と名づけられ、今に至っている。

ロンバルディ退団後の長期低迷[編集]

ロンバルディ退団以降は「dark ages(暗黒時代)」と呼ばれた(1982年のプレーオフ)

1968年から1991年までの24シーズン中パッカーズが勝ち越したのはわずか5シーズンであった。この間プレーオフに出場したのは2回で5人のヘッドコーチ(フィル・ベングソン、ダン・ディバイン英語版、バート・スター、フォレスト・グレッグ英語版リンディー・インファンテ英語版)が交代した。1974年のドラフトでは1巡目指名権2つ、2巡目指名権2つ、3巡目指名権をロサンゼルス・ラムズのピークを過ぎたQBジョン・ヘイドル英語版を獲得するために手放した。ヘイドルは1年半しかパッカーズでプレイしなかった。1989年のドラフトでは、ほとんどのスカウトから高く評価されていたOTのトニー・マンダリッチ英語版を全体2位指名したものの、歴史的な大失敗に終わった。

1975年9月29日のデンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールで、ケン・ペイン英語版が12レシーブと活躍したが、13-23で敗れた[4]

1982年9月20日、ニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで、ジェームズ・ロフトン英語版は83ヤードのTDランをあげた。これはアール・キャンベルが持っていたMNF記録を更新するものであった[5]

ファーヴの時代[編集]

パッカーズに16年在籍したQBのブレット・ファーヴ

1991年にロン・ウルフがゼネラルマネージャーに就任、1992年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンスコーディネーターであったマイク・ホルムグレン英語版がヘッドコーチに就任した。エースQBのドン・マコウスキー英語版シンシナティ・ベンガルズ戦で負傷退場したが、ロン・ウルフによってドラフト1巡目指名権と引き換えにアトランタ・ファルコンズから獲得したブレット・ファーヴがリリーフ、キトリック・テイラーへのTDパスで逆転勝利した[6]

翌週のピッツバーグ・スティーラーズ戦以降ファーヴはプレーオフも含めて271試合に先発出場する不動のエースQBとなった。

1993年にはフリーエージェントになっていたフィラデルフィア・イーグルスDEレジー・ホワイトを獲得した。12月26日のロサンゼルス・レイダース戦でファンブルリターンタッチダウンをあげたリロイ・バトラー英語版ランボー・フィールドの観客席に飛び込んだ。これが「ランボー・リープ」の始まりとなった[7]。この年チームは1982年以来11年ぶりとなるプレーオフ進出を果たした。

1994年にもチームはプレーオフ2回戦まで勝ちあがるようになった。

1995年には1972年のNFL以来となるNFC中地区優勝を果たした。プレーオフではアトランタ・ファルコンズに37-20、前年のスーパーボウルチャンピオンであるサンフランシスコ・フォーティナイナーズに27-17と勝ったがNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズに38-27で敗れた。シーズン終了後、3シーズン連続でオールプロに選ばれていたWRスターリング・シャープが首の負傷の影響で引退した[8]

1996年にはリーグベストの13勝3敗でプレーオフのホームフィールドアドバンテージを取るとフォーティナイナーズに35-14、カロライナ・パンサーズに35-14で勝利し第31回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを35-21で破り12度目のNFLチャンピオンとなった。この試合では第3Qにキックオフリターンタッチダウンを決めたデズモンド・ハワード英語版がMVPとなっている[9]

1997年シーズンもプレーオフでタンパベイ・バッカニアーズに21-7、フォーティナイナーズを23-10で破り第32回スーパーボウルに出場した。この試合ブックメーカーはパッカーズが11.5得点有利としたが24-31でデンバー・ブロンコスに敗れた[10]

1998年、1995年9月17日から続いていたホームでの連勝を10月5日、25連勝まで伸ばした。これはNFL歴代2位の記録であった[11]。10月5日まで11勝5敗でシーズンを終えてプレーオフで3シーズン連続破っていたフォーティナイナーズと対戦したがこの試合に敗れた。この試合を最後にホルムグレンヘッドコーチは退団し[11]シアトル・シーホークスの副社長、ゼネラルマネージャー、ヘッドコーチを兼ねるようになった。この時に多くのコーチがホルムグレンに従った。またレジー・ホワイトも現役を引退した。(彼は2000年現役復帰してカロライナ・パンサーズでプレイした。)

1999年レイ・ローズ英語版がヘッドコーチとなり8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン終了と共にローズは解任された。この年チームには規律が欠けていたとロン・ウルフは語った[11]

2000年マイク・シャーマン英語版が就任し9勝7敗でシーズンを終えた[11]

地元で行われたプレーオフでは1933年以来13勝0敗であったが2002年1月4日にアトランタ・ファルコンズに敗れてこの記録は途絶えた。

2005年、マイク・ホルムグレンの下で働いていたテッド・トンプソン英語版がゼネラルマネージャーに就任した[12]。このシーズン、4勝12敗となり1991年以来となるシーズン負け越しを喫するとチームはマイク・シャーマンヘッドコーチを解任し、1999年にパッカーズのQBコーチ、その後サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンシブ・コーディネーターを務めていたマイク・マッカーシー英語版が新ヘッドコーチとなった[12]。2006年は8勝8敗でシーズンを終えた。

2007年、チームはフリーエージェントとなったエースRBのアーマン・グリーン英語版を失い、WRランディ・モスの獲得に敗れるなど十分な補強がされなかったと見られていたが最初の11試合中10試合に勝利するなど13勝3敗でNFC第2シードとなりNFCチャンピオンシップゲームニューヨーク・ジャイアンツにオーバータイムの末20-23と敗れてシーズンを終えた。チーム躍進の立役者としてトンプソンGMが最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2008年3月4日、ブレット・ファーヴが引退を表明したためアーロン・ロジャース(2005年ドラフト1巡目に指名)をエースQBに指名した。その後ファーヴは同年7月29日に引退を撤回したがチームはロジャースをエースQBとして起用する姿勢を崩さず8月6日、ファーヴをニューヨーク・ジェッツへ放出した[13]

ロジャースの時代[編集]

2008年よりチームのQBを務めるアーロン・ロジャース

2008年、ファーヴの引退表明によりエースQBに指名されたアーロン・ロジャースは好成績を残したがチームは4点差以内で7敗するなど6勝10敗でシーズンを終えた。

2009年、チームはディフェンスコーディネーターにドム・ケイパース英語版を招きそれまでの4-3ディフェンスから3-4ディフェンスに変更を行った[14]。前半8試合を4勝4敗で折り返したが[15] 11勝5敗でワイルドカードでプレーオフに進出を果たしたが[16]アリゾナ・カージナルスにオーバータイムの末、45-51で敗れてシーズンを終えた[17]

2010年、開幕戦のフィラデルフィア・イーグルス戦でエースRBのライアン・グラント英語版がシーズン絶望となり[18]、第5週のワシントン・レッドスキンズ戦でロジャースが脳震盪、ニック・バーネット英語版ジャーマイケル・フィンリー英語版がシーズン絶望となった[19][20]。第14週のデトロイト・ライオンズ戦でロジャースが再度脳震盪を起こし途中退場して敗れるなどプレーオフ出場が一時危ぶまれた[21]。第15週をロジャースは欠場したが第16週にプレーオフを争うニューヨーク・ジャイアンツを破り[22][23]、最終週でシカゴ・ベアーズを下してNFC第6シードでプレーオフ出場を果たした[24][25]

この年チームには故障者リスト入りする選手が続出したがワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルス戦でロジャースが3タッチダウンパスをあげて21-16で[26][27]、ディビジョナルプレーオフではNFC第1シードのアトランタ・ファルコンズをロジャースがパス36回中31回を成功させ48-21と大差で勝利[28]NFCチャンピオンシップゲームで地区ライバルのシカゴ・ベアーズを下しNFCのチームとしては初めて第6シードからのスーパーボウル出場を決めた[29]。スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズを31-25で破り14年ぶりにタイトルを取り戻した[30]。MVPには3TDパスをあげたアーロン・ロジャースが選ばれた[31]

続く2011年から2016年までプレーオフに6年連続出場したが、スーパーボウル出場はなかった。

2017年には途中ロジャースを負傷で欠き、2008年以来初めてプレーオフを逃した。長らくGMを務めたテッド・トンプソン英語版はシーズン終了後に退任し、ブライアン・ギュートカンスト英語版が後継となった。

2018年12月2日、成績不振のためにHCのマイク・マッカーシー英語版は解任され、ジョー・フィルビン英語版が暫定HCとなった。2018年シーズンは二年連続してプレーオフを逃した。元タイタンズOCのマット・ラフルアー英語版が後継HCとなった。

2019年は地区優勝を遂げ、第2シードで3年ぶりにプレーオフに進出した。初戦ではシアトル・シーホークスを破ったがサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れてスーパーボウル出場はかなわなかった。

2020年はコロナウイルス感染症流行のため、全主催試合を無観客とした。ドラフトでは1巡目にQBジョーダン・ラブを指名した。第14週、2年連続で北地区優勝を遂げ、最終週も勝って第一シードでプレーオフに進んだが、カンファレンス・チャンピオンシップでタンパベイ・バッカニアーズに敗れた。

2021年はチームに不快感を表明したロジャースの練習への参加が遅れたが、ロジャースをエースQBとして勝ち進み、地区優勝で全チームの中で最も早くプレーオフ進出が決定し、2年連続して第一シードとなった。初戦でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに逆転負けした。2022年3月8日、ロジャースと4年231億円の契約を結んだ[32]

2022年は途中で5連敗を喫するなど苦しみ、最終戦では既にプレーオフの望みを絶たれたデトロイト・ライオンズに勝てばプレーオフ進出だったものの敗れた。

2023年4月、大型トレードによりロジャースをニューヨーク・ジェッツに譲渡した[33]

2023年以降[編集]

ロジャースの去った2023年シーズンジョーダン・ラブをQB1に指名し、ワイルドカードでプレーオフ出場を果たした。プレーオフ初戦ではシード2位のダラス・カウボーイズを破ったがディビジョナル・プレーオフではシード1位のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに3点差で惜敗した。

公有企業[編集]

グリーンベイ・パッカーズ
Green Bay Packers, Inc.
ドン・ハトソン・センター(2007)
設立 1923年8月18日 (100年前) (1923-08-18)
法的地位 公有非営利企業
本部 Lambeau Field
1265 Lombardi Ave
Green Bay, WI 54304-3927
社長 マーク・マーフィー
加盟 グリーンベイ・パッカーズ財団
テンプレートを表示

グリーンベイ・パッカーズ(Green Bay Packers, Inc.)は、ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)のグリーンベイ・パッカーズを所有する公有非営利法人である。

パッカーズは、現在のアメリカのプロスポーツチーム中唯一の、取締役会を持つ公有企業である。約36万人の株主がおり、一人が保有できる株数は全体の約4%以下に限られる。株式は議決権付きであるが、償還価格は最低限であり、配当はなく、株価が上がることもなく、株式を保有していてもシーズンチケットの権利は得られない。株式の売買は禁止され、家族間の贈与のみが可能である。NFLの規則では、1チームの所有者は最大で32人までであり、一人が最低30%の株式を所有しなければならないため、パッカーズは例外とされている。グリーンベイは人口10万余りにすぎず、ローカルテレビ局の視聴者総数も60万人程度である。パッカーズには長年にわたってウィスコンシン州全体に熱心な支持者がおり、またNFLにはレベニュー・シェアリングのシステムが充実しているため、経営が成り立っている。プロスポーツ中唯一、パッカーズは毎年収支を公開している。2022年の収入の内訳は、自前の収入が2億3170万ドルであり、リーグからの分配金は3億4727万ドルであった [1]。会社運営のため、株主の投票で取締役会が選出される。この取締役会により、経営委員会(役員)が選出される。この委員会は、社長、副社長、会計、秘書の各1名ずつと、株主代表の3名の計7名で構成される。このうち報酬が支払われるのは社長のみで、その他の役職は無給である。

グリーンベイ・パッカーズ財団[編集]

チームは1986年12月にグリーンベイ・パッカーズ財団を設立した。同財団は、教育、市民活動、保健サービス、ヒューマンサービス、青少年関連プログラムなど、幅広い活動やプログラムを支援している。1997年に行われたチームの年次株主総会では、サリバン・ウォーレン郵便局の兵士の記念碑の代わりに、球団の売却や解散に伴う残余財産の受取人としてチームが指定された。

応援スタイル[編集]

パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールド(1シーズン8試合)での試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(6万5000人以上)。現在、シーズンチケット入手までには実に40年を要する。このため、ファンがシーズンチケット権の相続人を遺言で指名することも珍しくない。

パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味)である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。

2024年シーズン

2024年シーズンのパッカーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点
2023 ディビジョナル敗退 2位(7) 9 8 0 .529 4–2 7–5 383 350 22.5 20.6
2022 レギュラー敗退 3位 8 9 0 .471 3-3 6-6 370 371 21.8 21.8
2021 ディビジョナル敗退 1位(1) 13 4 0 .765 4-2 9-3 450 371 26.5 21.8
2020 カンファレンス敗退 1位(1) 13 3 0 .813 5-1 10-2 509 369 31.8 23.1
2019 ワイルドカード敗退 1位(3) 13 3 0 .813 6-0 10-2 376 313 23.5 19.6
2018 レギュラー敗退 3位 6 9 1 .406 1-4-1 3-8-1 376 400 23.5 25.0
2017 レギュラー敗退 3位 7 9 0 .438 2-4 5-7 320 384 20.0 24.0
2016 カンファレンス敗退 1位(4) 10 6 0 .625 5-1 8-4 432 388 27.0 24.3
2015 ディビジョナル敗退 2位(5) 10 6 0 .625 3-3 7-5 368 323 23.0 20.2
2014 カンファレンス敗退 1位(2) 12 4 0 .750 5-1 9-3 486 348 30.4 21.8
2013 ワイルドカード敗退 1位(4) 8 7 1 .531 3-2-1 6-5-1 417 428 26.1 26.8

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC北地区 2023
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 得失差
(3)デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 461 395 27.1 23.2 3.9
(7)グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 383 350 22.5 20.6 1.9
ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 344 362 20.2 21.3 -1.1
シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 360 379 21.2 22.3 -1.1
NFC 2023

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区優勝
1[a] サンフランシスコ・49ers 西 12 5 0 .706 5–1 10–2 .509 .475
2[a] ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 5–1 9–3 .446 .392
3[a] デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .481 .436
4[b] タンパベイ・バッカニアーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .481 .379
ワイルドカード
5 フィラデルフィア・イーグルス 11 6 0 .647 4–2 7–5 .481 .476
6 ロサンゼルス・ラムズ 西 10 7 0 .588 5–1 8–4 .529 .453
7[c][d] グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .474 .458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 2–4 7–5 .512 .392
9[b][c] ニューオーリンズ・セインツ 9 8 0 .529 4–2 6–6 .433 .340
10 ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 .509 .454
11 シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .464 .370
12 アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 3–3 4–8 .429 .462
13 ニューヨーク・ジャイアンツ 6 11 0 .353 3–3 5–7 .512 .353
14 ワシントン・コマンダース 4 13 0 .235 0–6 2–10 .512 .338
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 0–6 3–9 .561 .588
16 カロライナ・パンサーズ 2 15 0 .118 1–5 1–11 .522 .500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1月21日
フォード・フィールド
    1月28日
リーバイス・スタジアム
    2月11日
アレジアント・スタジアム
 5  イーグルス  9
 4  バッカニアーズ  32  
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4  バッカニアーズ  23
   3  ライオンズ  31  
 6  ラムズ  23 NFC
 3  ライオンズ  24   1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3  ライオンズ  31
   1  49ers  34  
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7  パッカーズ  48
 7  パッカーズ  21
 2  カウボーイズ  32    
 1  49ers  24  
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1  49ers  22
   A3  チーフス  25
 6  ドルフィンズ  7 第58回スーパーボウル
 3  チーフス  26  
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3  チーフス  27
   2  ビルズ  24  
 7  スティーラーズ  17 AFC
 2  ビルズ  31   1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3  チーフス  17
   1  レイブンズ  10  
AFCチャンピオンシップ
 5  ブラウンズ  14
 4  テキサンズ  10
 4  テキサンズ  45    
 1  レイブンズ  34  
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績[編集]

NFC北地区(2002年-現在)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 DET(3c) 12 5 0 GB (7d) 9 8 0 MIN 7 10 0 CHI 7 10 0
2022 MIN(3w) 13 4 0 DET 9 8 0 GB 8 9 0 CHI 3 14 0
2021 GB (1d) 13 4 0 MIN 8 9 0 CHI 6 11 0 DET 3 13 1
2020 GB (1c) 13 3 0 CHI(7w) 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 5 11 0
2019 GB (2c) 13 3 0 MIN(6d) 10 6 0 CHI 8 8 0 DET 3 12 1
2018 CHI(3w) 12 4 0 MIN 8 7 1 GB 6 9 1 DET 6 10 0
2017 MIN(2c) 13 3 0 DET 9 7 0 GB 7 9 0 CHI 5 11 0
2016 GB (4c) 10 6 0 DET(6w) 9 7 0 MIN 8 8 0 CHI 3 13 0
2015 MIN(3w) 11 5 0 GB (5d) 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0
2014 GB (2c) 12 4 0 DET(6w) 11 5 0 MIN 7 9 0 CHI 5 11 0
2013 GB (4w) 8 7 1 CHI 8 8 0 DET 7 9 0 MIN 5 10 1
2012 GB (3d) 11 5 0 MIN(6w) 10 6 0 CHI 10 6 0 DET 4 12 0
2011 GB (1d) 15 1 0 DET(6w) 10 6 0 CHI 8 8 0 MIN 3 13 0
2010 CHI(2c) 11 5 0 GB (6v) 10 6 0 DET 6 10 0 MIN 6 10 0
2009 MIN(2c) 12 4 0 GB (5w) 11 5 0 CHI 7 9 0 DET 2 14 0
2008 MIN(3w) 10 6 0 CHI 9 7 0 GB 6 10 0 DET 0 16 0
2007 GB (2c) 13 3 0 MIN 8 8 0 DET 7 9 0 CHI 7 9 0
2006 CHI(1s) 13 3 0 GB 8 8 0 MIN 6 10 0 DET 3 13 0
2005 CHI(2d) 11 5 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0
2004 GB (3w) 10 6 0 MIN(6d) 8 8 0 DET 6 10 0 CHI 5 11 0
2003 GB (4d) 10 6 0 MIN 9 7 0 CHI 7 9 0 DET 5 11 0
2002 GB (3w) 12 4 0 MIN 6 10 0 CHI 4 12 0 DET 3 13 0

NFC中地区(1970年-2001年)[編集]

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 CHI(2d) 13 3 0 GB(4d) 12 4 0 TB(6w) 9 7 0 MIN 5 11 0 DET 2 14 0
2000 MIN(2c) 11 5 0 TB(5w) 10 6 0 GB 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 5 11 0
1999 TB(2c) 11 5 0 MIN(4d) 10 6 0 DET(6) 8 8 0 GB 8 8 0 CHI 6 10 0
1998 MIN(1c) 15 1 0 GB(5w) 11 5 0 TB 8 8 0 DET 5 11 0 CHI 4 12 0
1997 GB(2s) 13 3 0 TB(4d) 10 6 0 DET(5w) 9 7 0 MIN(6d) 9 7 0 CHI 4 12 0
1996 GB(1v) 13 3 0 MIN(6w) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 6 10 0 DET 5 11 0
1995 GB(3c) 11 5 0 DET(5w) 10 6 0 CHI 9 7 0 MIN 8 8 0 TB 7 9 0
1994 MIN(3w) 10 6 0 GB(4d) 9 7 0 DET(5w) 9 7 0 CHI(6d) 9 7 0 TB 6 10 0
1993 DET(3w) 10 6 0 MIN(5w) 9 7 0 GB(6d) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1992 MIN(3w) 11 5 0 GB 9 7 0 TB 5 11 0 CHI 5 11 0 DET 5 11 0
1991 DET(2c) 12 4 0 CHI(4w) 11 5 0 MIN 8 8 0 GB 4 12 0 TB 3 13 0
1990 CHI(4d) 11 5 0 TB 6 10 0 DET 6 10 0 GB 6 10 0 MIN 6 10 0
1989 MIN(3d) 10 6 0 GB 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0 TB 5 11 0
1988 CHI(1c) 12 4 0 MIN(4d) 11 5 0 TB 5 11 0 DET 4 12 0 GB 4 12 0
1987 CHI(2d) 11 4 0 MIN(5c) 8 7 0 GB 5 9 1 TB 4 11 0 DET 4 11 0
1986 CHI(2d) 14 2 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0 TB 2 14 0
1985 CHI(1v) 15 1 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 7 9 0 TB 2 14 0
1984 CHI(3c) 10 6 0 GB 8 8 0 TB 6 10 0 DET 4 11 1 MIN 3 13 0
1983 DET(3d) 9 7 0 GB 8 8 0 CHI 8 8 0 MIN 8 8 0 TB 2 14 0
1982 GB(3d) 5 3 1 MIN(4d) 5 4 0 TB(7w) 5 4 0 DET(8w) 4 5 0 CHI 3 6 0
1981 TB(3d) 9 7 0 DET 8 8 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 CHI 6 10 0
1980 MIN(3d) 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 10 1 GB 5 10 1
1979 TB(2c) 10 6 0 CHI(5w) 10 6 0 MIN 7 9 0 GB 5 11 0 DET 2 14 0
1978 MIN(3d) 8 7 1 GB 8 7 1 DET 7 9 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1977 MIN(3c) 9 5 0 CHI(4d) 9 5 0 DET 6 8 0 GB 4 10 0 TB 2 12 0
1976 MIN(1s) 11 2 0 CHI 7 7 0 DET 6 8 0 GB 5 9 0
1975 MIN(1d) 12 2 0 DET 7 7 0 CHI 4 10 0 GB 4 10 0
1974 MIN(s) 10 4 0 DET 7 7 0 GB 6 8 0 CHI 4 10 0
1973 MIN(s) 12 2 0 DET 6 7 1 GB 5 7 2 CHI 3 11 0
1972 GB(d) 10 4 0 DET 8 5 1 MIN 7 7 0 CHI 4 9 1
1971 MIN(d) 11 3 0 DET 7 6 1 CHI 6 8 0 GB 4 8 2
1970 MIN(d) 12 2 0 DET(d) 10 4 0 GB 6 8 0 CHI 6 8 0

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)[編集]

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ
  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退
  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場
  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 MIN(s) 12 2 0 DET 9 4 1 GB 8 6 0 CHI 1 13 0
1968 MIN(c) 8 6 0 CHI 7 7 0 GB 6 7 1 DET 4 8 2
1967 GB(v) 9 4 1 CHI 7 6 1 DET 5 7 2 MIN 3 8 3

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
スーパーボウル開始
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 DET(v) 9 3 0 LA 9 3 0 SF 7 5 0 GB 6 6 0 CHB 5 7 0 DAL 1 11 0
1951 LA(v) 8 4 0 DET 7 4 1 SF 7 4 1 CHB 7 5 0 GB 3 9 0 NYY 1 9 2
1950 LA(n) 9 3 x CHB 9 3 x NYY 7 5 x DET 6 6 x GB 3 9 x SF 3 9 x BAL 1 11 x

NFL西地区(1933年-1949年)[編集]

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0
1936 GB(v) 10 1 1 CHB 9 3 0 DET 8 4 0 CHC 2 8 1
1935 DET(v) 7 3 2 GB 8 4 0 CHB 6 4 2 CHC 6 4 2
1934 CHB(n) 13 0 0 DET 10 3 0 GB 7 6 0 CHC 5 6 0 StL 1 2 0 CIN 0 8 0
1933 CHB(v) 10 2 1 POR 6 5 0 GB 5 7 1 CIN 3 6 1 CHC 1 9 1

NFL(1921年-1932年)[編集]





チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
1932 8 1 CHB 7 1 6 2 GB 10 3 1 3 POR 6 2 4 4 BOS 4 4 2 5 NY 4 6 2 7 CHC 2 6 2
1931 10 1 GB 12 2 0 2 POR 11 3 0 3 CHB 8 5 0 4 CHC 5 4 0 5 NY 7 6 1
1930 11 1 GB 10 3 1 2 NY 13 4 0 3 CHB 9 4 1 7 CHC 5 6 2 8 POR 5 6 3
1929 12 1 GB 12 0 1 2 NY 13 1 1 4 CHC 6 6 1 9 CHB 4 9 2
1928 10 4 GB 6 4 3 5 CHB 7 5 1 6 NYG 4 7 2 9 CHC 1 5 0
1927 12 1 NYG 11 1 1 2 GB 7 2 1 3 CHB 9 3 2 9 CHC 3 7 1
1926 22 2 CHB 12 1 3 5 GB 7 3 3 6 NY 8 4 1 10 CHC 5 6 1
1925 20 1 CHC 11 2 1 4 NY 8 4 0 7 CHB 9 5 3 9 GB 8 5 0
1924 18 2 CHB 6 1 4 6 GB 7 4 0 8 CHC 5 4 1
1923 20 2 CHB 9 2 1 3 GB 7 2 1 6 CHC 8 4 0
1922 18 2 CHB 9 3 0 3 CHC 8 3 0 8 GB 4 3 3
1921 21 1 CHS 9 3 2 7 GB 7 2 1 9 CHC 3 3 2

主な選手[編集]

現役選手[編集]

永久欠番[編集]

パッカーズ永久欠番
A white number 3 with a green background. An autographed photo of Tony Canadeo holding a football
トニー・カナデオ
A white number 4 with a green background. A photo of Brett Favre from behind throwing a football
ブレット・ファーヴ
A white number 14 with a green background. A photo of Don Hutson running with the football
ドン・ハトソン
A white number 15 with a green background. A photo of Bart Starr pitching the football towards the camera
バート・スター
A white number 66 with a green background. A photo of Ray Nitschke holding his helmet
レイ・ニチキ
A white number 92 with a green background.
レジー・ホワイト
グリーンベイ・パッカーズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
3 トニー・カナデオ Tony Canadeo HB 1941-1944, 1946-1952
4 ブレット・ファーヴ Brett Favre QB 1992-2007
14 ドン・ハトソン Don Hutson WR, DB 1935-1945
15 バート・スター Bart Starr QB 1956-1971
66 レイ・ニチキ Ray Nitschke LB 1958-1972
92 レジー・ホワイト* Reggie White DE 1993–1998

* 背番号92は実質1999年以降使用されていなかったが、2004年12月26日のホワイトの不慮の死を追悼し、2005年9月18日の試合のハーフタイムセレモニーで、永久欠番と定められた[34]

プロフットボール殿堂入り[編集]

プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
36 カル・ハバード Cal Hubbard OT 1929–1933, 1935 1963
14 ドン・ハトソン Don Hutson E 1935–1945 1963
20 カーリー・ランボー Curly Lambeau HB 1919–1929 1963
- ヘッドコーチ, GM 1919–1949
24 ジョニー・ブラッド・マクナリー Johnny "Blood" McNally HB 1929–1933, 1935–1936 1963
30 クラーク・ヒンクル Clarke Hinkle FB 1932–1941 1964
2 マイク・ミカルスキ Mike Michalske OG 1929–1935, 1937 1964
38 アーニー・ハーバー Arnie Herber QB 1930–1940 1966
49 ウォルト・キースリング Walt Kiesling OG, OT 1935–1936 1966
45 エムレン・タネル Emlen Tunnell DB, S 1959–1961 1967
3 トニー・カナデオ Tony Canadeo HB 1941–1944, 1946–1952 1974
31 ジム・テイラー Jim Taylor FB 1958–1966 1976
89 レン・フォード Len Ford DE 1958 1976
75 フォレスト・グレッグ Forrest Gregg OT 1956, 1958–1970 1977
- ヘッドコーチ 1984–1987
15 バート・スター Bart Starr QB 1956–1971 1977
- ヘッドコーチ 1975–1983
66 レイ・ニチキ Ray Nitschke LB 1958–1972 1978
26 ハーブ・アダリー Herb Adderley CB 1961–1969 1980
87 ウィリー・デービス Willie Davis DE 1960–1969 1981
51 ジム・リンゴ Jim Ringo C 1953–1963 1981
5 ポール・ホーナング Paul Hornung HB 1956–1962, 1964–1966 1986
24 ウィリー・ウッド Willie Wood S 1960–1971 1989
83 テッド・ヘンドリクス Ted Hendricks LB 1974 1990
10 ヤン・ステナルード Jan Stenerud K 1980–1983 1991
74 ヘンリー・ジョーダン Henry Jordan DT 1959–1969 1995
80 ジェームズ・ロフトン James Lofton WR 1978–1986 2003
92 レジー・ホワイト Reggie White DE 1993–1998 2006
89 デイブ・ロビンソン Dave Robinson LB 1963–1972 2013
4 ブレット・ファーヴ Brett Favre QB 1992–2007 2016
64 ジェリー・クレイマー Jerry Kramer G 1958–1968 2018
44 ボビー・ディロン Bobby Dillon DB 1952–1959 2020
21 チャールズ・ウッドソン Charles Woodson CB 2006–2012 2021
36 リロイ・バトラー LeRoy Butler S 1990–2001 2022
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
ヴィンス・ロンバルディ Vince Lombardi ヘッドコーチ 1959–1967 1971
ロン・ウルフ Ron Wolf GM 1991–2001 2015

チーム殿堂入り[編集]

その他主な選手[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

# シーズン 氏名
1 1921-1949 カーリー・ランボー 209 104 21
2 1950-1953 ジーン・ロンザーニ 14 31 1
1953 ヒュー・デボー (暫定) 0 2 0
レイ・スクーター・マクリーン (暫定)
3 1954-1957 ライル・ブラックボーン 17 31 0
4 1958 レイ・スクーター・マクリーン 1 10 1
5 1959-1967 ヴィンス・ロンバルディ 98 30 4
6 1968-1970 フィル・ベングソン 20 21 1
7 1971-1974 ダン・ディバイン 25 28 4
8 1975-1983 バート・スター 53 77 3
9 1984-1987 フォレスト・グレッグ 25 37 1
10 1988-1991 リンディー・インファンテ 24 40 0
11 1992-1998 マイク・ホルムグレン 75 37 0
12 1999 レイ・ローズ 8 8 0
13 2000-2005 マイク・シャーマン 57 39 0
14 2006-2018 マイク・マッカーシー 125 77 2
2018 ジョー・フィルビン (暫定) 2 2 0
15 2019- マット・ラフルアー 39 10 0

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1933年から1994年の間、レギュラーシーズンの数試合をミルウォーキーで開催していた
  2. ^ グリーンベイ都市圏の人口はおよそ30万人
  3. ^ 選手兼ヘッドコーチ。パッカーズの本拠地であるランボー・フィールドに名前が残っている
  4. ^ マット・ミレンがフロント入りしてからというもの同地区ライバルのデトロイト・ライオンズは低迷し彼の解任の噂が絶えなかった。2008年シーズン16戦全敗したライオンズはミレンを解任した。
  5. ^ 1993年のドラフト5巡目で指名された
  6. ^ 1992年のドラフト9巡目で指名された
  7. ^ 2008年のドラフト7巡目で指名された

出典[編集]

  1. ^ The World's 50 Most Valuable Sports Teams 2019”. Forbes (2019年7月22日). 2021年4月21日閲覧。
  2. ^ Dallas Cowboys are Again America's Favorite Football Team Harris Interactive. 2013年2月1日閲覧。
  3. ^ VHS 『グレーテスト・タッチダウン ベスト100』(Number)
  4. ^ MNF History: 1975”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  6. ^ The record starts here”. ロサンゼルス・タイムズ. 2012年6月6日閲覧。
  7. ^ パッカーズ本拠地の名物“ランボー・リープ”が生まれて15年”. NFL JAPAN (2008年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  8. ^ 【スーパーボウルまで追いかけ隊】コルツはワンマンアーミーだったのか”. アスキー (2011年11月4日). 2012年6月6日閲覧。
  9. ^ Super Bowl XXXI MVP: Desmond Howard”. nfl.com (1997年1月27日). 2012年6月6日閲覧。
  10. ^ Packers Open as Super Bowl Favorite”. topsportsbooks.com (2011年1月25日). 2012年6月6日閲覧。
  11. ^ a b c d Packers Manager Steps Down”. ABC (2001年2月1日). 2012年6月6日閲覧。
  12. ^ a b 生沢浩 (2011年4月7日). “ドラフトはポリシー発露の場、名人の戦略に注目【前編】”. NFL JAPAN. 2011年4月28日閲覧。
  13. ^ ロジャース抜擢の賭けに成功したパッカーズ”. NFL JAPAN (2011年2月2日). 2011年2月7日閲覧。
  14. ^ パッカーズ指揮官、守備の3-4隊形移行に好感触”. NFL JAPAN (2009年6月19日). 2011年2月7日閲覧。
  15. ^ パッカーズHC、プレイオフ出場も「まだ仕事は残っている」”. NFL JAPAN (2009年12月28日). 2011年2月7日閲覧。
  16. ^ 【第17週】パッカーズ、プレイオフ前哨戦に圧勝”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年2月7日閲覧。
  17. ^ 【WC】カーディナルスがOT勝利、壮絶な点取り合戦制す”. NFL JAPAN (2010年1月11日). 2011年2月7日閲覧。
  18. ^ パッカーズに衝撃、エースRBグラントがシーズン絶望に”. NFL JAPAN (2010年9月15日). 2011年2月7日閲覧。
  19. ^ 【第6週プレビュー】故障者続出のパッカーズ、試金石の一戦”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。
  20. ^ パッカーズひと安心、QBロジャースが次戦先発へ”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。
  21. ^ プレイオフ進出へ黄信号? ジェッツ&パッカーズ”. NFL JAPAN (2010年12月14日). 2011年2月7日閲覧。
  22. ^ ロジャース大活躍のパッカーズ圧勝、プレイオフ戦線に生き残る”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  23. ^ QBロジャース完全復活、「ポジション奪回しなくちゃ」”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。
  24. ^ パッカーズ、ロースコアの戦い制しプレイオフの切符つかむ”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。
  25. ^ 最終切符ゲットのパッカーズ、第6シードからの波乱に自信”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。
  26. ^ QBロジャース3TDパス、パッカーズが敵地で熱戦制す”. NFL JAPAN (2011年1月10日). 2011年2月7日閲覧。
  27. ^ ディビショナル・プレイオフ進出、好調パッカーズの強みとは?”. NFL JAPAN (2011年1月11日). 2011年2月7日閲覧。
  28. ^ QBロジャース大暴れ、パッカーズが第1シードのファルコンズ粉砕”. NFL JAPAN (2011年1月16日). 2011年2月7日閲覧。
  29. ^ パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。
  30. ^ パッカーズ、14年ぶりスーパーボウル制覇!”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。
  31. ^ スーパーボウルMVPは3TDパスのQBロジャース”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。
  32. ^ パッカーズとQBロジャースが4年231億円の契約延長に合意”. NFL Japan. 2022年3月8日閲覧。
  33. ^ OFFICIAL”. newyorkjets.com. 2023年4月28日閲覧。
  34. ^ Packers To Retire Reggie White's Number Sept. 18 packers.com

外部リンク[編集]