コンカラー (戦列艦・5代)

コンカラー
基本情報
建造所 チャタム工廠
運用者  イギリス海軍
級名 カレドニア級戦列艦
艦歴
発注 1823年9月9日
起工 1827年3月
進水 1833年6月10日
退役 1866年[1]
最期 1918年焼失
改名 ウォータールー(建造時)
コンカラー(1862年)
ウォースパイト(1877年)[1]
要目
トン数 2694 bmトン
長さ 205 ft 5.5 in (62.624 m) (砲列甲板
54 ft 6 in (16.61 m)
深さ 23 ft 2 in (7.06 m) (庫内深さ)
推進 1859年まで:帆走のみ (リグシップ)
1859年以降:500nhp モーズリーエンジン、単軸スクリュー推進、帆走併用[1]
乗員 605人
兵装

建造時(120門):

  • 下砲列:32ポンド砲 x 30、68ポンドカロネード砲 x 2
  • 中砲列:32ポンド砲 x 34
  • 上砲列:32ポンド砲 x 34
  • 後甲板:18ポンド砲 x 2、32ポンドカロネード砲 x 14
  • 船首楼:18ポンド砲 x 2、32ポンドカロネード砲 x 2

改造後(89門)[2]

  • 砲列甲板:8インチ砲 x 32
  • 主甲板:32ポンド砲 x 34
  • 上甲板:32ポンド砲 x 22
    68ポンド砲 x 1(旋回式)

下関戦争時

その他 89門の2層蒸気戦列艦に改造
1859年4月1日—1859年12月12日[1]
出典: [4]
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HMSコンカラーは、下関戦争に参加したイギリス海軍蒸気スクリュー戦列艦

艦歴[編集]

コンカラーは、1等戦列艦カレドニア級(120門艦)の6番艦、HMSウォータールーとして、1833年6月10日にチャタム工廠で進水した[4]。1859年4月1日から同年12月12日にかけて、チャタム工廠で蒸気機関が据え付けられ、同時に砲列甲板を2層とし、艦載砲89門に改装された。1861年にコンカラー級戦列艦コンカラーが沈没したことを受け、ウォータールーは1862年にコンカラーに改名された。1864年に東インド・中国艦隊に所属し、ウィリアム・ルアード大佐(William Luard)の指揮下に入った[1]。同年、日本に派遣され下関戦争に参加した。1866年退役。

1877年、ウォースパイトと改名され、練習艦となった[1]

1918年、火災のため失われたが[4]、このとき250名の訓練生が乗艦していた[5]。後に10代の訓練生3人が、火事は放火によるものであると証言した[6]。彼らは放火容疑で裁判にかけられ、矯正施設での3年間の監禁に処された[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Lambert Battleships in Transition, p. 134.
  2. ^ Lambert Battleships in Transition p. 132, 134.
  3. ^ 元綱数道著『幕末の蒸気船物語』成山堂書店(2004年)ISBN 978-4425302512
  4. ^ a b c Lavery, Ships of the Line, vol. 1, p. 190.
  5. ^ a b "The Warspite Fire". The Times (41718): Col B, p. 3. 20 February 1918.
  6. ^ "Charge Of Burning The Warspite". The Times (41694): Col E, p. 3. 23 January 1918.

参考資料[編集]

  • Lambert, Andrew Battleships in Transition, the Creation of the Steam Battlefleet 1815-1860, published Conway Maritime Press, 1984. ISBN 0 85177 315 X.
  • Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.
  • Lyon, David and Winfield, Rif (2004) The Sail and Steam Navy List: All the Ships of the Royal Navy 1815-1889. Chatham Publishing, London. ISBN 1-86176-032-9.