サッカーイングランド代表

サッカーイングランド代表
国または地域 イングランドの旗 イングランド
協会 フットボール・アソシエーション
FIFAコード ENG
愛称 Three Lions
監督 ガレス・サウスゲート
キャプテン ハリー・ケイン
最多出場選手 ピーター・シルトン(125試合)
最多得点選手 ハリー・ケイン(61得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1872年11月30日スコットランド
0-0
最大差勝利試合 1882年2月18日北アイルランド
13-0
最大差敗戦試合 1954年5月23日ハンガリー
1-7
FIFAワールドカップ
出場回数 16回(初出場は1950
最高成績 優勝(1966年
UEFA欧州選手権
出場回数 10回
最高成績 準優勝(2021年

サッカーイングランド代表(サッカーイングランドだいひょう、: England national football team)は、フットボール・アソシエーション(FA)によって組織されるイングランドサッカーナショナルチーム

愛称は「スリーライオンズ」。ホームスタジアムは、首都ロンドン郊外にあるウェンブリー・スタジアム

概要[編集]

近代フットボール発祥の地[編集]

テューダー家の紋章。ランカスター家の赤薔薇とヨーク家の白薔薇を合わせた形になっている。

フットボール/サッカー発祥の地であるイングランドのナショナルチーム。1870年3月5日、ロンドンのケニントン・オーヴァルで“非公式”ながら、世界初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われ、1-1の引き分けに終わった。その後、この試合も含め両者は5回に渡り非公式国際試合を行った(1870年の11月19日、ケニントン・オーヴァルでイングランドが1-0で勝利。1871年2月25日、同地区で1-1引き分け。1871年11月18日、ロンドンでイングランドが2-1で勝利、1872年2月24日、ロンドンでイングランドが1-0の勝利)。一連の非公式国際試合は、それらの試合を企画したイングランドサッカー協会(FA)第4代事務局長チャールズ・ウィリアム・オールコックの名前にちなんで、オールコックの国際試合と呼ばれている。1872年11月30日に、グラスゴーのパーティック地区のハミルトン・クレッセント・グラウンドで、世界で最初の“公式”国際試合が、イングランドとスコットランドの間で実施された。結果は0-0の引き分けだった。

愛称とロゴ[編集]

愛称の「スリーライオンズ」は、イングランドサッカー協会のエンブレムに描かれる「3頭の獅子」から。これはイングランド王室紋章に由来する。現在のイングランドの国章は、「獅子心王(Lion Hearted King)」ことイングランド王リチャード1世第3回十字軍で使用した紋章が発祥である。それに、イングランドの国花であるバラ薔薇戦争を終わらせたチューダー朝の紅白の「チューダーローズ」をあしらっている。ユニフォームの色に合わせて紺の縁取り(ボーデュア)で盾形に画された白のフィールドに爪と口の中が赤の紺の獅子が三頭配されている。最上段、二段目、三段目の獅子の上に3つのチューダーローズが左右と中央にちりばめられ、さらに最下段の獅子の下に一つのチューダーローズ、すなわち10のチューダーローズが配されている。これらのデザインはUMBRO社が手がけた[1]

代表チームの実績[編集]

2006 FIFAワールドカップのイングランド代表

サッカーの母国で、古くから世界を代表する強豪国として知られている。しかし、ボビー・チャールトンケビン・キーガンポール・ガスコインデビッド・ベッカムウェイン・ルーニーハリー・ケインなどの名選手を多く輩出しながら歴史的に大舞台では勝負弱く、サッカーの母国として十分な実績を残しているとは言い難い。FIFAワールドカップでの4強進出は、地元開催で優勝した1966年大会と4位になった1990年イタリア大会2018年ロシア大会の3度である。また、ワールドカップと並ぶ国際タイトルであるUEFA欧州選手権では、2020年大会で準優勝したのが最高成績である。FIFAワールドカップ優勝経験のある全ての国の中で、唯一各大陸選手権で優勝していない国でもある。

弱体化の要因として国内リーグの最高峰であるプレミアリーグにおいて、外国籍選手の大量流入により国内若手選手の出場機会が減っていることが指摘されており、ワールドカップやEUROの予選で厳しい戦いを強いられることになるとの声もある[2]。また、イギリス人の国民性が要因で、サッカー選手なのに他国に比べて選手のアルコールの摂取量が異常に多いとの指摘もある[3]

PK戦の弱さ[編集]

国際大会のトーナメント戦でPK戦決着方式が導入されてから、ワールドカップでは1勝3敗[注釈 1]、UEFA EUROでは1勝4敗である[注釈 2]UEFA EURO 2012でPK戦に敗れた後、ロイ・ホジソン監督は「イングランドのサッカー界でPK戦はある種のトラウマとなっている」と語った[4]

  • 1990年 - ワールドカップ・イタリア大会準決勝 西ドイツ戦●
  • 1996年 - UEFA EURO 準々決勝 スペイン戦◯
  • 1996年 - UEFA EURO 準決勝 ドイツ戦●
  • 1998年 - ワールドカップ・フランス大会ラウンド16 アルゼンチン戦●
  • 2004年 - UEFA EURO 準々決勝 ポルトガル戦●
  • 2006年 - ワールドカップ準々決勝 ポルトガル戦●
  • 2012年 - UEFA EURO 準々決勝 イタリア戦●
  • 2018年 - ワールドカップ・ロシア大会ラウンド16 コロンビア戦◯
  • 2021年 - UEFA EURO 決勝 イタリア戦●

歴史[編集]

1920年代 - 1980年代[編集]

1920年代にサッカーの国際大会が始まっても、1930年からFIFAワールドカップが開催されるようになっても長らくこれらに参加しなかったが、サッカーの母国として世界最強のナショナルチームであると目されていた。

ワールドカップ初参加となった1950年のブラジル大会ではトム・フィニースタンリー・マシューズジャッキー・ミルバーン、スタン・モーテンセンらを擁して臨んだが、アメリカ戦とスペイン戦を共に0-1で連敗して1次リーグ敗退に終わり、面目を失う形となった(アメリカ VS イングランド)。

1953年11月25日には、ホームであるウェンブリー・スタジアムで当時世界最強を謳われた「マジック・マジャール」ことハンガリーとの親善試合に3-6という歴史的大敗を喫し、「ウェンブリーではいかなる外国チームにも負けなし」というイングランド代表ウェンブリー不敗伝説が終わった(すでにスコットランドに4敗しており、イギリス4協会以外とは4試合目)。雪辱を期し、翌年ブダペストへ乗り込みリターンマッチに挑むが、1-7と更なる大差で敗れた。

1954年のワールドカップ・スイス大会では1次リーグ突破を果たすも決勝トーナメント初戦でウルグアイに敗れベスト8止まり、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会ではソ連とのプレーオフに敗れてまたも1次リーグ敗退となった。これら1950年代の一連の敗北はもはやイングランドのロングボールを主体とした古き良きプレースタイルが時代の推移に大きく遅れ、世界最強の座から完全に転落した事を意味していた。

1963年に監督に就任したアルフ・ラムゼイは就任早々独自に代表選手選考を行なえる権限を得て選手強化に努め、1966年自国開催のワールドカップで念願の初優勝を果たす。これによりようやくサッカーの母国としての面目を施したものの、決勝戦の西ドイツ戦でのジェフ・ハーストの決勝ゴールは物議を醸した。

前回王者として臨んだ1970年のワールドカップ・メキシコ大会では決勝トーナメント一回戦で西ドイツと対戦。後半途中まで2-1とリードしていたため、次の準決勝を見据えエースのボビー・チャールトンを休ませるべく交代させたが(今大会から2名の選手交代が認められていた)、西ドイツの反撃を受けて2-3で敗れた。

その後、1974年のワールドカップ・西ドイツ大会ポーランドに、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会イタリアに競り負け、連続してヨーロッパ地区予選敗退に終わるという第2の低迷期を迎える。

1977年にロン・グリーンウッドが監督に就任、1970年大会以来となるワールドカップ出場権を獲得した。1982年のワールドカップ・スペイン大会ではケビン・キーガンがアクシデントによる負傷で殆ど出場出来ないなど、無得点が響いて無敗のまま2次リーグ敗退、1986年のワールドカップ・メキシコ大会ではFWゲーリー・リネカーの活躍もあって準々決勝進出を果たす。準々決勝ではアルゼンチン戦でディエゴ・マラドーナによる「神の手」ゴールと「五人抜き」の前に1-2で敗れたが、リネカーは通算6得点をあげ得点王に選ばれた。

1990年代 - 2010年代[編集]

1990年にはリネカーとポール・ガスコインらの活躍により4位となり、1966年大会以来となる好成績を収めた。大会後グレアム・テイラーが監督に就任したが、ユーロではグループリーグ敗退。1994年ワールドカップ・アメリカ大会オランダノルウェーに各々1敗1分だったことが響き、まさかのヨーロッパ地区予選敗退となる。なお、この時のヨーロッパ地区予選では英国4協会代表が揃って予選落ちという事態となった。

1996年にはUEFA EUROを地元で開催し、30年ぶりの国際大会優勝を期待された。アラン・シアラーが大会得点王となるが、準決勝のドイツとのPK戦に惜敗した。1998年のワールドカップ・フランス大会も「ワンダーボーイ」ことマイケル・オーウェンを擁しながら、ベスト16でアルゼンチンとの死闘の末、PK戦で敗れた。この試合で退場処分を受けたデビッド・ベッカムはのちに汚名を返上し、キャプテンとして代表を牽引することになる。

2001年には代表史上初めて外国人監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンを招聘した。ベッカム、オーウェンのほかフランク・ランパードスティーブン・ジェラードジョン・テリーウェイン・ルーニーら才能ある名選手を擁し、たびたび優勝候補に挙げられながらも、国際大会では最高でベスト8止まりという状況が続いた。

UEFA EURO 2008の本大会出場を逃したのを受けて、2007年末にファビオ・カペッロを監督に迎え、ワールドカップ・南アフリカ大会欧州予選では圧倒的な攻撃力で予選参加国中、最多の34得点を挙げた。しかし、本戦グループリーグでは得点力不足に苦しみ、決勝トーナメント1回戦でドイツに敗れた。しかし、この試合でランパードの放ったシュートがクロスバーに当たった後、明らかにゴールラインを超えていながら得点を認められず、1966年イングランド大会のハーストの決勝ゴールを想起させる誤審が物議を醸した。ファビオ・カペッロは2012年2月に辞任し、ロイ・ホジソンが新監督に就任した。2大会ぶりの出場となったUEFA EURO 2012は準々決勝でイタリアに延長PK戦の末敗れた。

2012年10月9日にフランスのクレールフォンテーヌ国立研究所やイタリアのコベルチアーノに学び、世界最高峰のナショナルフットボールセンター、セント・ジョージズ・パークをバートンに開いた。

2014年ワールドカップブラジル大会では、4カ国中イングランドを含む3カ国が優勝経験を持つ最激戦区「死の組」と目されたD組において、初戦でイタリア、2戦目でウルグアイにいずれも1-2で敗れ、ワールドカップでは同じブラジルで開催された1950年大会のグループリーグで、2戦目アメリカ合衆国、3戦目スペインに連敗を喫して以来2度目、初戦からでは初となる連敗を喫し、同組で最終戦で対戦するコスタリカがイタリアを破り連勝した時点で、1950、1958各大会に続き56年ぶり3度目のグループリーグでの敗退という屈辱となった[5]。最終戦のコスタリカ戦でも負けこそしなかったものの0-0に終わり、1958年大会以来2度目の未勝利での敗退、かつグループリーグでの勝点1はイングランドのワールドカップ史上最低の勝点となった。

2大会連続の出場となったUEFA EURO 2016では、グループリーグを2位で突破し、ラウンドオブ16でアイスランドに敗れ、ロイ・ホジソン監督が辞任した。後任にはサム・アラダイスを据えたが、デイリー・テレグラフの囮取材によって不適切な言動が明らかとなり、2016年9月にわずか1試合のみで契約を解除された[6]

サム・アラダイスの解任に伴いU-21カテゴリーで指揮を執っていたガレス・サウスゲートが暫定で代表監督を務め、同年12月に正式に代表監督に就任した。ガレス・サウスゲートが監督に就任をした前後においてプレミアリーグに所属するチェルシーFCマンチェスター・シティFCトッテナム・ホットスパーFCが採用していた3バックシステムを2018 FIFAワールドカップロシア大会までイングランド代表の布陣として導入した。代表監督就任から1年が経ち2018 FIFAワールドカップロシア大会まで残り1年を切りはじめた2017年11月にドイツブラジルを本拠地ウェンブリー・スタジアムに迎え、親善試合ではあるものの両試合をスコアレスドローに抑えた。翌年2018年の5月に行われた親善試合ではオランダ相手に勝利、イタリアを相手に1-1の引き分けと、強豪国との連戦も負けなしの状態が続き2018 FIFAワールドカップロシア大会を迎えることとなった。

2018 FIFAワールドカップロシア大会に向けた代表登録の最終メンバーにはまだ20歳前後のトレント・アレクサンダー=アーノルドマーカス・ラッシュフォードそして2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で主力として活躍したハリー・ケインラヒーム・スターリングデレ・アリがメンバー入りし、例年に比べて非常に若い代表メンバーとなった。またプレミアリーグ2015-2016で初優勝を遂げたレスター・シティFCからはジェイミー・ヴァーディが選出され若い選手の多いチームに多様性をもたらした。またワールドカップメンバー全員がプレミアリーグに所属している。2018 FIFAワールドカップロシア大会では初戦のチュニジア戦でキャプテンのハリー・ケインが後半ロスタイムにヘディングで決勝点となる2点目を決めてから勢いに乗り、グループリーグを2位で突破したのちベスト16でコロンビアと対戦して延長戦の末PK戦にもつれ込んだがゴールキーパーのジョーダン・ピックフォードのセーブもあってPK戦勝利という記録的な勝利をあげた。

ベスト8では2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフイタリアを敗退に追いやって出場を手に入れたスウェーデンと対戦し無失点で2-0というスコアで勝利し1990年イタリア大会以来のベスト4進出を決めた。準決勝クロアチア戦では前半5分にキーラン・トリッピアーの直接フリーキックが決まり先制に成功するも、同点ゴールを決められ延長戦の末1-2で敗れて決勝進出が絶たれた。3位決定戦ではグループリーグの最終戦で対戦したベルギーとの再戦に敗れて大会を4位で終えた。ワールドカップ終了後もガレス・サウスゲート代表監督の続投が決まり、10月の国際親善試合とUEFAネーションズリーグ2018-19に向けた登録メンバーでは当時10代のジェイドン・サンチョメイソン・マウントを代表入りさせ、代表チームの世代交代を進めた。

2020年代[編集]

1年延期されたUEFA EURO 2020ではグループDに入り、クロアチアスコットランドチェコと対戦。3試合で2得点しか挙げられなかったものの、無失点で首位通過。ラウンド16ではドイツを2-0で退けると、準々決勝ではウクライナに4ゴールを決め快勝。準決勝ではデンマークを延長戦の末に破り初めて決勝へ進出した。その決勝では53年ぶりの優勝を狙うイタリアと対戦した。前半2分にルーク・ショーが先制点となる代表初ゴールを決めたものの、後半にレオナルド・ボヌッチのゴールで追いつかれ、延長戦でも決着はつかずPK戦に突入。そのPK戦ではハリー・ケインハリー・マグワイアはPKを成功させるも、マーカス・ラッシュフォードジェイドン・サンチョブカヨ・サカが3人連続で失敗して準優勝に終わった[7]

2021年11月15日に2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で最終節を戦った結果カタールで開催される2022 FIFAワールドカップ本大会への出場が決定した。2022年4月2日にカタールのドーハで行われた2022 FIFAワールドカップのグループリーグ組み合わせ抽選ではグループBに入り、アジアのイランと初戦で当たり北中米から同じく英語圏のアメリカそしてウェールズの3か国と対戦することが決定した。初戦は若手が躍動しイランを相手に6-2で快勝[8]。勝利すれば決勝トーナメント進出一番乗りが決まる2戦目のアメリカ戦では前半こそ数々の決定機を作っていたものの、後半は最後まで決定機を作れずに得点を最後まで奪うことはできず、0-0の引き分けで決勝トーナメント進出は次のウェールズ戦へ持ち越しに[9]。最終節のウェールズ戦は前半こそウェールズのコンパクトな守備ブロックに苦しみ、スコアレスで前半を終えるが、後半にラッシュフォードが2ゴールを決めるなど3-0の勝利でグループリーグ首位通過を果たす[10]。ラウンド16は初戦黒星スタートから逆転でグループリーグを2位で通過したセネガルを相手に3-0で快勝しベスト8入りを果たす[11]。しかし、前回大会優勝のフランスとの準々決勝では17分にオーレリアン・チュアメニのゴールで今大会初めて先制点を奪われる。しかしその後はボール保持率で上回り、決定機を幾度も作りながら前半を0-1で終える。後半に入ると前半とは打って変わってペースを握るようになり、54分にはサカの仕掛けからPKを獲得。これをケインが決めて試合を振り出しに戻すが、78分にオリヴィエ・ジルーにヘディングシュートを決められて勝ち越されてしまう。それでも直後に投入されたばかりのメイソン・マウントが倒されるとこの試合2度目のPKを獲得。しかし、このPKは枠の上に外れて同点には追いつけず、試合終了間際にも良い位置でFKを得たが、そのキックは枠の上に外れたところで試合終了。ベスト8で大会を去り、2大会連続の4強入りとはならなかった[12][13]。なお、大会を通じてイエローカードが1枚のみ、これが評価されフェアプレー賞を受賞した。

ワールドカップ以降初の実戦は2023年3月から始まったユーロ予選となった。イタリア・ウクライナ・北マケドニア・マルタと同組のグループCに入ったイングランドは、初戦の難敵イタリア戦を勝利で飾ると、6勝2分の無敗で予選を首位通過し、2024年の本戦出場を決めた。

成績[編集]

FIFAワールドカップ[編集]

開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930年 不参加
イタリア王国の旗 1934年
フランスの旗 1938年
ブラジルの旗 1950年 グループリーグ敗退 3 1 0 2 2 2
スイスの旗 1954年 ベスト8 3 1 1 1 8 8
スウェーデンの旗 1958年 グループリーグ敗退 4 0 3 1 4 5
チリの旗 1962年 ベスト8 4 1 1 2 5 6
イングランドの旗 1966年 優勝 6 5 1 0 11 3
メキシコの旗 1970年 ベスト8 4 2 0 2 4 4
西ドイツの旗 1974年 予選敗退
アルゼンチンの旗 1978年
スペインの旗 1982年 2次リーグ敗退 5 3 2 0 6 1
メキシコの旗 1986年 ベスト8 5 2 1 2 7 3
イタリアの旗 1990年 4位 7 3 3 1 8 6
アメリカ合衆国の旗 1994年 予選敗退
フランスの旗 1998年 ベスト16 4 2 1 1 7 4
日本の旗大韓民国の旗 2002年 ベスト8 5 2 2 1 6 3
ドイツの旗 2006年 5 3 2 0 6 2
南アフリカ共和国の旗 2010年 ベスト16 4 1 2 1 3 5
ブラジルの旗 2014年 グループリーグ敗退 3 0 1 2 2 4
ロシアの旗 2018年 4位 7 3 1 3 12 8
カタールの旗 2022年 ベスト8 5 3 1 1 13 4
合計 出場16回/優勝1回 73 32 22 19 104 68

UEFA欧州選手権[編集]

開催国 / 年 成績
フランスの旗 1960年 不参加
スペインの旗 1964年
イタリアの旗 1968年 3位 2 1 0 1 2 1
ベルギーの旗 1972年 予選敗退
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 1976年
イタリアの旗 1980年 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3
フランスの旗 1984年 予選敗退
西ドイツの旗 1988年 グループリーグ敗退 3 0 0 3 2 7
スウェーデンの旗 1992年 3 0 2 1 1 2
イングランドの旗 1996年 ベスト4 5 2 3 0 8 3
ベルギーの旗オランダの旗 2000年 グループリーグ敗退 3 1 0 2 5 6
ポルトガルの旗 2004年 ベスト8 4 2 1 1 10 6
オーストリアの旗スイスの旗 2008年 予選敗退
ポーランドの旗ウクライナの旗 2012年 ベスト8 4 2 2 0 5 3
フランスの旗 2016年 ベスト16 4 1 2 1 4 4
欧州連合の旗 2021年 準優勝 7 5 2 0 11 2
合計 出場10回 38 15 13 10 51 37

選手[編集]

現招集メンバー[編集]

2024年3月、国際親善試合に向けて発表されたメンバー[14]

No. Pos. 選手名 生年月日(年齢) 出場数 ゴール 在籍クラブ
GK サム・ジョンストン (1993-03-25) 1993年3月25日(31歳) 4 0 イングランドの旗 クリスタル・パレス
GK ジョーダン・ピックフォード (1994-03-07) 1994年3月7日(30歳) 58 0 イングランドの旗 エヴァートン
GK アーロン・ラムズデール (1998-05-14) 1998年5月14日(25歳) 4 0 イングランドの旗 アーセナル
DF ジャラッド・ブランスウェイト (2002-06-27) 2002年6月27日(21歳) 0 0 イングランドの旗 エヴァートン
DF ベン・チルウェル (1996-12-21) 1996年12月21日(27歳) 19 1 イングランドの旗 チェルシー
DF ルイス・ダンク (1991-11-21) 1991年11月21日(32歳) 3 0 イングランドの旗 ブライトン
DF ジョー・ゴメス (1997-05-23) 1997年5月23日(26歳) 11 0 イングランドの旗 リヴァプール
DF エズリ・コンサ (1997-10-23) 1997年10月23日(26歳) 0 0 イングランドの旗 アストン・ヴィラ
DF ハリー・マグワイア (1993-03-05) 1993年3月5日(31歳) 62 7 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド
DF ジョン・ストーンズ (1994-05-28) 1994年5月28日(29歳) 69 3 イングランドの旗 マンチェスター・シティ
DF カイル・ウォーカー (1990-05-28) 1990年5月28日(33歳) 81 1 イングランドの旗 マンチェスター・シティ
MF コビー・メイヌー (2005-04-18) 2005年4月18日(18歳) 0 0 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド
MF ジュード・ベリンガム (2003-05-29) 2003年5月29日(20歳) 27 2 スペインの旗 レアル・マドリード
MF コナー・ギャラガー (2000-02-06) 2000年2月6日(24歳) 11 0 イングランドの旗 チェルシー
MF ジョーダン・ヘンダーソン (1990-05-17) 1990年5月17日(33歳) 81 3 オランダの旗 アヤックス
MF ジェームス・マディソン (1996-11-23) 1996年11月23日(27歳) 5 0 イングランドの旗 トッテナム
MF デクラン・ライス (1999-01-14) 1999年1月14日(25歳) 48 3 イングランドの旗 アーセナル
FW ジャロッド・ボーウェン (1996-09-20) 1996年9月20日(27歳) 5 0 イングランドの旗 ウェストハム
FW フィル・フォーデン (2000-05-28) 2000年5月28日(23歳) 31 4 イングランドの旗 マンチェスター・シティ
FW アンソニー・ゴードン (2001-02-24) 2001年2月24日(23歳) 0 0 イングランドの旗 ニューカッスル
FW ハリー・ケイン (1993-06-28) 1993年6月28日(30歳) 89 62 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
FW コール・パーマー (2002-05-06) 2002年5月6日(21歳) 2 0 イングランドの旗 チェルシー
FW マーカス・ラッシュフォード (1997-10-31) 1997年10月31日(26歳) 59 17 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド
FW ブカヨ・サカ (2001-09-05) 2001年9月5日(22歳) 32 11 イングランドの旗 アーセナル
FW イヴァン・トニー (1996-03-16) 1996年3月16日(28歳) 1 0 イングランドの旗 ブレントフォード
FW オリー・ワトキンス (1995-12-28) 1995年12月28日(28歳) 9 3 イングランドの旗 アストン・ヴィラ

※★印はA代表初招集選手。

記録[編集]

出場数ランキング[編集]

2023年9月12日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 出場 得点 期間
1 ピーター・シルトン 125 0 1970年 - 1990年
2 ウェイン・ルーニー 120 53 2003年 - 2018年
3 デビッド・ベッカム 115 17 1996年 - 2009年
4 スティーヴン・ジェラード 114 21 2000年 - 2014年
5 ボビー・ムーア 108 2 1962年 - 1973年
6 アシュリー・コール 107 0 2001年 - 2014年
7 ボビー・チャールトン 106 49 1958年 - 1970年
フランク・ランパード 29 1999年 - 2014年
9 ビリー・ライト 105 3 1946年 - 1959年
10 ブライアン・ロブソン 90 26 1980年 - 1991年

得点数ランキング[編集]

2023年10月18日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 得点 出場 期間 得点率
1 ハリー・ケイン 61 87 2015年 - 0.69
2 ウェイン・ルーニー 53 120 2003年 - 2018年 0.44
3 ボビー・チャールトン 49 106 1958年 - 1970年 0.46
4 ゲーリー・リネカー 48 85 1984年 - 1992年 0.60
5 ジミー・グリーブス 44 57 1959年 - 1967年 0.77
6 マイケル・オーウェン 40 89 1998年 - 2008年 0.45
7 トム・フィニー 30 76 1946年 - 1958年 0.39
ナット・ロフトハウス 33 1950年 - 1958年 0.91
アラン・シアラー 63 1992年 - 2000年 0.48
10 ビビアン・ウッドワード 29 23 1903年 - 1911年 1.26
フランク・ランパード 106 1999年 - 2014年 0.27

監督[編集]

2023年9月12日時点(試合数、勝敗数)

期間 名前 国籍 試合数
1946年 - 1962年 ウォルター・ウィンターボトム イングランドの旗 イングランド 139 78 33 28
1963年 - 1974年 アルフ・ラムゼイ 113 69 27 17
1974年 ジョー・マーサー 7 3 3 1
1974年 - 1977年 ドン・レヴィー 29 14 8 7
1977年 - 1982年 ロン・グリーンウッド 55 33 12 10
1982年 - 1990年 ボビー・ロブソン 95 47 30 18
1990年 - 1993年 グレアム・テイラー 38 18 13 7
1994年 - 1996年 テリー・ヴェナブルズ 23 11 11 1
1996年 - 1999年 グレン・ホドル 28 17 6 5
1999年 ハワード・ウィルキンソン英語版 1 0 0 1
1999年 - 2000年 ケビン・キーガン 18 7 7 4
2000年 ハワード・ウィルキンソン英語版 1 0 1 0
2000年 ピーター・テイラー 1 0 0 1
2001年 - 2006年 スヴェン・ゴラン・エリクソン  スウェーデン 67 40 17 10
2006年 - 2007年 スティーブ・マクラーレン イングランドの旗 イングランド 18 9 4 5
2007年 - 2012年 ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 42 28 8 6
2012年 スチュアート・ピアース (暫定) イングランドの旗 イングランド 1 0 0 1
2012年 - 2016年 ロイ・ホジソン 56 33 14 9
2016年 サム・アラダイス 1 1 0 0
2016年 - ガレス・サウスゲート 88 55 19 14

文化[編集]

1996年以降の応援歌は「スリーライオンズ英語版」(コメディアンのデイビッド・バディール英語版フランク・スキナー英語版とロックバンドのライトニング・シーズによる作品)であり、この曲に由来する「It's Coming Home」または「Football's Coming Home」という合言葉は応援で多く用いられる[15][16][17]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2018年ワールドカップラウンド16のコロンビア戦でワールドカップPK戦初勝利を挙げた。
  2. ^ 1996年大会のスペイン戦では勝利している。

出典[編集]

  1. ^ “[W杯豆知識]スリーライオンズ”. スポーツ報知. (2010年3月17日). https://web.archive.org/web/20100401125519/http://hochi.yomiuri.co.jp/2010worldcup/etc/news/20100317-OHT1T00130.htm 2011年3月26日閲覧。 
  2. ^ “カントナ、アーセナルとリヴァプールを批判 「外国人を制限しない限りイングランドは苦しむ」”. Goal.com. (2010年7月16日). http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2010/07/16/2027976/カントナアーセナルとリヴァプールを批判 2011年3月26日閲覧。 
  3. ^ https://www.footballchannel.jp/2014/04/13/post35924/2/
  4. ^ “敗退のイングランド指揮官「PK戦はトラウマになっている」/ユーロ2012”. livedoor スポーツ. (2012年6月25日). https://news.livedoor.com/article/detail/6690893/ 2012年6月27日閲覧。 
  5. ^ まずイングランドが消えた…“まさか”のコスタリカ突破で「死の組」大混乱”. 講談社 (2014年6月21日). 2014年6月21日閲覧。
  6. ^ 悪徳ぶり暴露のアラダイスが代表監督をクビに…OBシアラーは「世界の笑いもの」と激怒する”. サッカーダイジェストウェブ (2016年9月28日). 2017年9月13日閲覧。
  7. ^ イタリア、53年ぶり2度目のEURO制覇! PK戦でイングランド下し34戦無敗維持”. サッカーキング (2021年7月12日). 2021年7月12日閲覧。
  8. ^ イングランドが圧巻ゴールショー、アジア最強のイランを6発粉砕! 19歳ベリンガムら若手躍動で白星発進”. Goal.com (2022年11月22日). 2022年12月4日閲覧。
  9. ^ イングランド、16強入り一番乗りならず…アメリカの大健闘でスコアレスドローに”. Goal.com (2022年11月26日). 2023年6月10日閲覧。
  10. ^ 【動画】イングランドが英国対決を制し首位通過!スタメン起用にラッシュフォードが2ゴールで回答”. Goal.com (2022年11月30日). 2022年6月10日閲覧。
  11. ^ W杯無敗継続!イングランド、セネガルに3発圧勝で8強入り…56年ぶりVへ前回王者フランスと対戦”. Goal.com (2022年12月5日). 2023年6月10日閲覧。
  12. ^ 【動画】ジルー決勝弾でフランスがW杯連覇へあと2勝に!イングランドはケインが痛恨のPK失敗”. Goal.com (2022年12月11日). 2023年6月10日閲覧。
  13. ^ PK失敗のケインにヘンダーソン「この先もっと強くなっていくだろう」”. Goal.com (2022年12月11日). 2023年6月10日閲覧。
  14. ^ England squad: Jarrad Branthwaite and Anthony Gordon handed first call-ups as Ivan Toney recalled for March friendlies” (英語). Sky Sports. 2024年3月20日閲覧。
  15. ^ “It's coming home: How Three Lions became the definitive England song” (英語). BBC News. (2018年7月5日). https://www.bbc.com/news/newsbeat-44711564 2022年12月17日閲覧。 
  16. ^ 'It's Coming Home': English Soccer Anthem Explained” (英語). Newsweek (2018年7月9日). 2022年12月17日閲覧。
  17. ^ World Cup 2018: Why English soccer fans chant 'It's coming home'” (英語). www.sportingnews.com (07-11-2018). 2022年12月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]