シャルケ04

シャルケ04
crest
原語表記 Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1]
愛称 Königsblau(王者の青)
Die Knappen(炭鉱夫たち)
クラブカラー    
   
創設年 1904年
所属リーグ 2. ブンデスリーガ
所属ディビジョン 2部(2023-24
昨季リーグ順位 17位(2022-23
ホームタウン ノルトライン=ヴェストファーレン州の旗 ゲルゼンキルヒェン
ホームスタジアム
フェルティンス・アレーナ
収容人数 62,271
代表取締役 ドイツの旗 アクセル・ヘファー[2]
監督 ドイツの旗 Karel Geraerts
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

シャルケ04(FC Schalke 04, ドイツ語: [ʔɛf t͡seː ˈʃalkə nʊl fiːɐ̯]Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.フースバルクルプ•ゲルゼンキルヒェン=シャルケ•ヌルフィア•エー•ファウ)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェンを本拠地とする総合スポーツクラブ。その他、バスケットボール陸上競技ハンドボール卓球などクラブチームおよび専属選手の保有や運営、育成にも携わる。

ブンデスリーガの前身であるドイツ・サッカー選手権を7度制しており、国内カップ戦であるDFBポカールで5度の優勝、1997年にはUEFAカップで優勝を果たしている[3]

世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表した2022年度版のデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2019-20シーズンのクラブ収入は2億2280万ユーロであり、世界16位、ドイツでは3位である[4]

歴史[編集]

創立期[編集]

1904年、2つの地域名を合わせた「ウェストファリア・シャルケ」というクラブ名で創設される[5]。創設に関わったのは若い炭鉱労働者で、当時のクラブカラーは赤と黄色だった[5]。1924年に「FCシャルケ04」と改称し、クラブカラーも現在まで続く青と白に変更された[5]。1920年代のサッカー界ではキック・アンド・ラッシュ戦術が流行していたが、イングランド育ちのハンス、フレッドのバルマン兄弟がスコットランド・スタイルをチームに持ち込み、「シャルケのコマ回し」と評されたパス・サッカーを展開した[5][6]

1930年には、当時法律でプロとしての活動が禁止されていたにも関わらず、選手に勝利給を支払っていたことが公になり、責任者のヴィリー・ニーアーがライン川に身を投げ命を絶った[7][8]。協会はチーム登録の抹消や罰金処分など厳しい処分を課したが、サポーターの怒りを恐れた協会はすぐさま処分を撤回した[7]。ニーアーの葬儀でサポーターは団結を訴え、直後の公式戦では3万4000人収容のスタジアムに7万人を超える観客が詰め掛けた[7]

黄金時代[編集]

1930年代から40年代にかけてドイツ・サッカー選手権で6度優勝し黄金時代を迎えた[7]エルンスト・クッツォーラフリッツ・シュツェパンの活躍によりシャルケは国内最強の地位にあったが、第二次世界大戦後のエネルギー転換によりゲルゼンキルヒェンの石炭鉱業は衰退しクラブにも影響することとなった[5][7][9]

ブンデスリーガ発足[編集]

1958年の優勝からクラブの勢いは下降気味だったが、1963年のブンデスリーガ発足メンバーに名を連ねた[7]。1971年に一大スキャンダルとなったブンデスリーガの八百長事件では、処分された52人のうち13人がシャルケの選手だった[10]。中心選手だったスタン・リブダロルフ・リュスマンクラウス・フィッシャーらは賄賂を受け取り敗退行為に手を染め永久追放処分となった[7]。その後期間は軽減されたものの、タイトル争いをする程だったチームは有力選手を出場停止により失いチーム力を落とし、「FC八百長」と揶揄までされた[7][11]。その後フロントの迷走により財政的にも問題を抱え、クラブは2部降格の苦境に陥った[7]

初のUEFAカップ制覇とDFBポカール連覇[編集]

1993年にルディー・アッサウアーがGMに就任しクラブ改革を実行していくと、4年後には欧州タイトルであるUEFAカップを制した[7]。アッサウアーは欧州の2部的地位にあるリーグに目を向け、補強資金の枠に縛られないチーム強化を目指し、ベテランを重用しチームの継続性を維持した[11]。1998-99、1999-2000シーズンは主力選手の怪我が相次ぎ下位に低迷し、クラブ首脳陣からステフェンス監督の解任を求められたが、アッサウアーは耳を傾けずUEFAカップでタイトルをもたらした監督を信じた[11]

2000-01シーズンはリーグ発足後初の大混戦で、前半戦の王者になったシャルケは首位バイエルン・ミュンヘンと競り、最終節で優勝可能性を残した2位につけていた[9]。迎えた最終節はSpVggウンターハヒンクに2点を先行される苦しい展開ながら、前半終了間際に同点に追いつくと後半に巻き返し5-3で勝利した[12][13]。優勝にはバイエルンの敗戦が必須条件だったが、試合終了後のスタジアムの電光掲示板に表示された「ハンブルク 1-0 バイエルン」という表記に優勝を確信したサポーターは喜びを爆発させた[13]。しかしこれは時間差の情報で、土壇場でバイエルンが同点ゴールを決めてあと一歩のところで優勝を逃すこととなった[13]

フェルティンス・アレーナ完成以降[編集]

2001年に新たなスタジアム、フェルティンス・アレーナが完成した[14]。2004-05シーズンはバイエルンとの首位攻防戦を制し25節で首位に浮上するものの、その後の9試合で5敗と大失速でタイトル獲得はならなかった[15]。続く2005-06シーズンはラルフ・ラングニック監督が首脳陣との確執で途中交代され、引き分け試合が重なり優勝争いに絡むことはできなかったものの、後任のミルコ・スロムカ監督は2006-07、2007-08シーズンで結果を残した[15]。特に2006-07シーズンは残り2試合で首位に立ち優勝に期待が寄せられたが、ペーター・レーヴェンクランズの負傷とリンコンの出場停止により勢いが続かず、またしても目前で優勝を逃すことになった[15]

2009-10シーズンにフェリックス・マガトが就任すると、軍隊と形容されるトレーニングでベテラン選手が活性化し、前シーズンの8位から大幅に順位を上げ2位と結果を残した[15]。2010-11シーズンに11名の新戦力が加わり最適解を見つけるのに手間取り、マガトが3月に解任されリーグは14位に沈んだものの、チャンピオンズリーグでは躍進しクラブで初となるベスト4進出を果たした[15]。その後の3シーズンで3年連続でチャンピオンズリーグ出場権獲得と安定した成績を残すものの、監督の途中交代が続き継続性を欠いたチームは優勝争いに加わることはなかった[15]

2014-15シーズンは1.FSVマインツ05からチュポ・モティングを獲得し、冬の移籍市場ではマンチェスター・シティからマティヤ・ナスタシッチを獲得した。チャンピオンズリーグではベスト16で再びレアル・マドリードと対戦し、アウェーのセカンドレグは勝利したものの2戦合計4-5で敗れた。この頃からマックス・マイヤーレオン・ゴレツカレロイ・サネといった若手のドイツ人プレーヤーがチームを引っ張るようになった。

2015-16シーズンの夏の移籍市場では、ボアテングの契約を解除し、ユリアン・ドラクスラーVfLヴォルフスブルクに放出した一方、フランコ・ディ・サントヨハネス・ガイスピエール・エミール・ホイビュルクなどを獲得。冬の移籍市場ではユネス・ベルアンダを獲得した。ヨーロッパリーグではベスト32でFCシャフタール・ドネツクに2戦合計0-3で敗れた。

2016-17シーズンは監督にマルクス・ヴァインツィールが就任。夏の移籍市場で主力であったサネをマンチェスター・シティに放出したが、ブリール・エンボロ (バーゼル)、イェウヘン・コノプリャーンカコケ (セビージャ)、ナウド (ヴォルフスブルク)などを獲得。冬の移籍市場ではギド・ブルクシュタラー (ニュルンベルク)を獲得した。リーグ序盤で5連敗に始まり最下位に沈むなど最悪のスタートを記録した。3バック起用などで一時はV時回復を見せるも、ブンデスリーガは10位に終わり、ヨーロッパリーグを逃した。ヨーロッパリーグはベスト8でアヤックスに敗れて敗退した。

2017-18シーズン、32歳のドメニコ・テデスコを監督に就任させた。夏の新戦力として、フランクフルトからバスティアン・オツィプカを、FCナントからアミーヌ・アリを獲得した。また、テデスコはマックス・マイヤーを司令塔ポジションにコンバートさせ、見事成功させた。リーグ戦においてはシーズン通算18勝9分け7敗という結果を残し、中でも、11月に行われた第13節ドルトムント戦では、4点差のビハインドを跳ね返し、奇跡のドロー決着にさせた。これらの出来事により、クラブは、リーグ順位2位で4シーズンぶりのチャンピオンズリーグ出場権を手にした。

2019-20シーズンは監督にデイヴィッド・ワグナーが就任。2019年12月時点で3位に立ち、前半戦を8勝3敗6分けの5位で終えるなど、上々の滑り出しを見せていたが、多くの負傷者の存在や対戦相手からの分析が進んだ後半戦以降は、2020年1月17日のボルシアMGを2-0で下したのを最後に勝ち星から遠ざかり、6月7日の1.FCウニオン・ベルリン戦を1-1のドローで終え、1993-94シーズン以来となる27年ぶりのリーグ戦連続未勝利数がクラブ史上ワーストとなる12試合にまで伸び、未勝利記録を樹立した。その後も最終節のSCフライブルク戦も0-4と大敗し、順位こそ前半戦での大きな貯金もあり、前シーズンから2つ上がった12位で終えたが、後半戦だけの成績に限れば1勝10敗6分け(7得点37失点)の成績だった。同シーズン終盤の絶不調に加え、かねてより懸念されていたチームの財政事情が、2019新型コロナウイルスの影響により更に悪化。その為、クラブはシーズン終了後にノルトライン=ヴェストファーレン州から4000万ユーロ(約45億円)の借り入れを発表した[16][17][18]

2020-21シーズンは開幕節でFCバイエルン・ミュンヘン戦に0-8で敗れると、第2節のヴェルダー・ブレーメン戦も1-3で敗れ、同日ワグナー監督を解任。その後も監督を交代させるなど、不安定なシーズンに終始する。2020年11月4日に行われたDFBポカール2020-2021 1回戦・1.FCシュヴァインフルト05戦で4-1と快勝し、同年2月5日に行われたDFBポカール2019-2020 3回戦・ヘルタ・ベルリン戦 (3-2)以来となる公式戦での勝利となった。しかし、リーグ戦初勝利は2021年1月に入ってからで、2勝目も4月に入ってからという、歴史的大低迷に喘いだ。同月21日のアルミニア・ビーレフェルト戦で0-1で敗北し、最下位決定での降格となった[19]

2021-22シーズンは第4節までにわずか1勝とスタートダッシュに失敗したが新加入の板倉滉らの活躍により前半戦は上々のできであった。しかし第25節ハンザ・ロストックに3-4で敗れ ディミトリオス・グラモジス監督を解任。暫定監督としてマイク・ビュスケンス 氏が指揮を執った。ビュスケンス監督のもとチームは復調。第31節のヴェルダー・ブレーメン戦を1-4で落とすも第33節のザンクトパウリ戦で2点差からの逆転勝利を収め1年での一部復帰を決めた。第34節のニュルンベルク戦も2-1で勝利し2部優勝を飾った。

復帰1年目となった2022-23シーズンは、開幕5試合未勝利の後、第6節ボーフム戦で初勝利を挙げる。その後は7連敗を喫し、一時は圧倒的な最下位に沈んでいたものの、第18節ケルン戦から8試合無敗と立て直しに成功。だが、序盤戦で失った勝ち点はあまりにも多く、17位でシーズン終了。1年で2部に戻ることとなった[20]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

公式ホームページの情報に基づく[3]

過去の成績[編集]

シーズン ディビジョン DFBポカール
リーグ 順位
1963-64 ブンデスリーガ1部 30 12 5 13 51 53 29 8位 準々決勝敗退
1964-65 ブンデスリーガ1部 30 7 8 15 45 60 22 16位 準決勝敗退
1965-66 ブンデスリーガ1部 34 10 7 17 33 55 27 14位 2回戦敗退
1966-67 ブンデスリーガ1部 34 12 6 16 37 63 30 15位 準々決勝敗退
1967-68 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 42 48 30 15位 2回戦敗退
1968-69 ブンデスリーガ1部 34 14 7 13 45 40 35 7位 準優勝
1969-70 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 43 54 34 9位 2回戦敗退
1970-71 ブンデスリーガ1部 34 15 6 13 44 40 36 6位 準決勝敗退
1971-72 ブンデスリーガ1部 34 24 4 6 76 35 52 2位 優勝
1972-73 ブンデスリーガ1部 34 10 8 16 46 61 28 15位 2回戦敗退
1973-74 ブンデスリーガ1部 34 16 5 13 72 68 37 7位 1回戦敗退
1974-75 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 52 37 39 7位 3回戦敗退
1975-76 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 76 55 37 6位 3回戦敗退
1976-77 ブンデスリーガ1部 34 17 9 8 77 52 43 2位 4回戦敗退
1977-78 ブンデスリーガ1部 34 14 6 14 47 52 34 9位 準々決勝敗退
1978-79 ブンデスリーガ1部 34 9 10 15 55 61 28 15位 3回戦敗退
1979-80 ブンデスリーガ1部 34 12 9 13 40 51 33 8位 準決勝敗退
1980-81 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 43 88 23 17位 1回戦敗退
1981-82 ブンデスリーガ2部 38 19 13 6 70 35 51 1位 1回戦敗退
1982-83 ブンデスリーガ1部 34 8 6 20 48 68 22 16位 準々決勝敗退
1983-84 ブンデスリーガ2部 38 23 9 6 95 45 55 2位 準決勝敗退
1984-85 ブンデスリーガ1部 34 13 8 13 63 62 34 8位 3回戦敗退
1985-86 ブンデスリーガ1部 34 11 8 15 53 58 30 10位 準々決勝敗退
1986-87 ブンデスリーガ1部 34 12 8 14 50 58 32 13位 1回戦敗退
1987-88 ブンデスリーガ1部 34 8 7 19 48 84 23 18位 1回戦敗退
1988-89 ブンデスリーガ2部 38 13 10 15 58 51 36 12位 3回戦敗退
1989-90 ブンデスリーガ2部 38 16 11 11 69 51 43 5位 1回戦敗退
1990-91 ブンデスリーガ2部 38 23 11 4 64 29 57 1位 3回戦敗退
1991-92 ブンデスリーガ1部 38 11 12 15 45 45 34 11位 2回戦敗退
1992-93 ブンデスリーガ1部 34 11 12 11 42 43 34 10位 2回戦敗退
1993-94 ブンデスリーガ1部 34 10 9 15 38 50 29 14位 3回戦敗退
1994-95 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 48 54 31 11位 準々決勝敗退
1995-96 ブンデスリーガ1部 34 14 14 6 45 36 56 3位 3回戦敗退
1996-97 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 35 40 43 12位 2回戦敗退
1997-98 ブンデスリーガ1部 34 13 13 8 38 32 52 5位 2回戦敗退
1998-99 ブンデスリーガ1部 34 10 11 13 41 54 41 10位 2回戦敗退
1999-00 ブンデスリーガ1部 34 8 15 11 42 44 39 13位 3回戦敗退
2000-01 ブンデスリーガ1部 34 18 8 8 65 35 62 2位 優勝
2001-02 ブンデスリーガ1部 34 18 7 9 52 36 61 5位 優勝
2002-03 ブンデスリーガ1部 34 12 13 9 46 40 49 7位 3回戦敗退
2003-04 ブンデスリーガ1部 34 13 11 10 49 42 50 7位 2回戦敗退
2004-05 ブンデスリーガ1部 34 20 3 11 56 46 63 2位 準優勝
2005-06 ブンデスリーガ1部 34 16 13 5 47 31 61 4位 2回戦敗退
2006-07 ブンデスリーガ1部 34 21 5 8 53 32 68 2位 2回戦敗退
2007-08 ブンデスリーガ1部 34 18 10 6 55 32 64 3位 3回戦敗退
2008-09 ブンデスリーガ1部 34 14 8 12 47 35 50 8位 準々決勝敗退
2009-10 ブンデスリーガ1部 34 19 8 7 53 31 65 2位 準決勝敗退
2010-11 ブンデスリーガ1部 34 11 7 16 38 44 40 14位 優勝
2011-12 ブンデスリーガ1部 34 20 4 10 74 44 64 3位 3回戦敗退
2012-13 ブンデスリーガ1部 34 16 7 11 58 50 55 4位 3回戦敗退
2013-14 ブンデスリーガ1部 34 19 7 8 63 43 64 3位 3回戦敗退
2014-15 ブンデスリーガ1部 34 13 9 12 42 40 48 6位 1回戦敗退
2015-16 ブンデスリーガ1部 34 15 7 12 51 49 52 5位 2回戦敗退
2016-17 ブンデスリーガ1部 34 11 10 13 45 40 43 10位 準々決勝敗退
2017-18 ブンデスリーガ1部 34 18 9 7 53 37 63 2位 準決勝敗退
2018-19 ブンデスリーガ1部 34 8 9 17 37 55 33 14位 準々決勝敗退
2019-20 ブンデスリーガ1部 34 9 12 13 38 58 39 12位 準々決勝敗退
2020-21 ブンデスリーガ1部 34 3 7 24 25 86 16 18位 3回戦敗退
2021-22 ブンデスリーガ2部 34 20 5 9 72 44 65 1位 2回戦敗退
2022-23 ブンデスリーガ1部 34 7 10 17 35 71 31 17位 2回戦敗退
2023-24 ブンデスリーガ2部
出典[21][22]

記録[編集]

2019年3月13日現在

欧州での記録[編集]

大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 77 31 18 28 109 117 −8 040.26
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 100 51 26 23 170 95 +75 051.00
UEFAカップウィナーズカップ 14 9 2 3 21 14 +7 064.29
UEFAインタートトカップ 12 10 2 0 23 5 +18 083.33
総通算 203 101 48 54 323 231 +92 049.75

欧州の成績[編集]

1950-2000[編集]

2001-2010[編集]

2010-[編集]

現所属メンバー[編集]

2023-24シーズン ブンデス2部 開幕戦(ハンブルガーSV)フォーメーション(4-3-3)
2023年2月1日現在[23]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ドイツ ラルフ・フェールマン
2 DF オランダ トーマス・ウーワイアン
3 DF オーストリア レオ・グライムル
5 DF オランダ セップ・ファン・デン・ベルフ
6 MF ドイツ トム・クラウス
7 FW スウェーデン ヨーダン・ラーション ()
8 MF ドイツ ダニー・ラッツァ ()
9 FW ドイツ シモン・テロッデ
10 MF ウルグアイ ロドリゴ・サラサール ()
13 GK ドイツ アレクサンダー・シュヴォロウ
15 DF フランス ティモテー・コロジエチャク
17 MF ドイツ フロリアン・フリック
18 DF フィンランド イェレ・ウロネン
19 FW トルコ ケナン・カラマン ()
No. Pos. 選手名
20 MF ドイツ ティム・スカルケ
22 DF マリ共和国 イブラヒマ・シセ ()
23 MF ドイツ メフメト=キャン・アイディン ()
24 MF ドイツ ドミニク・ドレクスラー
26 FW スイス ミヒャエル・フライ
27 DF スイス セドリック・ブルナー
28 GK ドイツ ユスティン・ヘーケーレン
29 MF ドイツ トビアス・モーア
30 MF チェコ アレックス・クラール ()
34 GK オーストリア ミヒャエル・ランガー
35 DF ポーランド マルチン・カミンスキ
38 FW 日本 上月壮一郎
40 FW ドイツ セバスティアン・ポルター
41 DF ドイツ ヘニング・マトリチャーニ ()
42 MF ドイツ ケリム・チャルハノール ()

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍[編集]

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
5 DF オランダ セップ・ファン・デン・ベルフ (リヴァプールFC)
6 MF ドイツ トム・クラウス (RBライプツィヒ)
13 GK ドイツ アレクサンダー・シュヴォロウ (ヘルタ・ベルリン)
18 DF フィンランド イェレ・ウロネン (スタッド・ブレスト29)
No. Pos. 選手名
20 MF ドイツ ティム・スカルケ (1.FCウニオン・ベルリン)
26 FW スイス ミヒャエル・フライ (ロイヤル・アントワープFC)
30 MF チェコ アレックス・クラール (スパルタク・モスクワ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF コソボ ブレンディ・イドリツィ (SSVヤーン・レーゲンスブルク)
-- FW ドイツ マーヴィン・ピアリンガー (SCパーダーボルン07)
-- DF ベルギー ドリース・ワウテルス (KVメヘレン)
No. Pos. 選手名
-- MF モロッコ ナッシム・ブジェラブ (HJKヘルシンキ)
-- MF オーストリア ラインホルト・ランフトル (FKアウストリア・ウィーン)
-- MF ドイツ キャン・ボズドガン (FCユトレヒト)

愛称[編集]

1930年代から50年代にかけてリーグで7度優勝したことから、「王者の青」を意味する"Königsblau"(ケーニヒスブルー)という愛称が定着した[24]。また、14~15歳の若い炭鉱夫が地元のパブに集ってクラブを創設したことから、「若い炭鉱夫たち」を意味する "Die Knappen"(ディ・クナッペン)という愛称も用いられる[24]。シーズン開幕前には、炭鉱跡地を訪れセレモニーを行うのが伝統となっている[5]

スタジアム[編集]

観戦中のサポーター

1973年から使用していた陸上競技場のパルクシュタディオンの老朽化により、2001年に完成したフェルティンス・アレーナをホームスタジアムとして使用している[24]。ドイツで初の屋根付きスタジアムであり、天然芝育成のため札幌ドームのようにピッチが可動する[24][25]

サポーターはドイツでも特に熱狂的と言われ、2013-14シーズンから2017-18シーズンまでの5シーズンで平均観客動員数は6万人を超え欧州でもトップクラスの数字を記録した[24][26]

ライバル[編集]

本拠地が20kmしか離れていないボルシア・ドルトムントとの対戦はルールダービー、レヴィア・ダービーと呼ばれ、ドイツでも特に盛り上がる対戦である[27]。初対戦は1925年で、1947年5月18日にシャルケが当時格下だったドルトムントに敗れたことから因縁が始まったとされる[27][28]。サポーターの抗争はスタジアム内外問わず激しく、相手を威嚇するため近くの動物園からライオンを連れてきたという逸話も存在する[28]

育成組織[編集]

「クナッペン・シュミーデ」と呼ばれるシャルケの育成組織はドイツでも評価が高く、2014年のワールドカップに優勝したドイツ代表にはマヌエル・ノイアーベネディクト・ヘーヴェデスメスト・エジルユリアン・ドラクスラーら4人の下部組織出身者が選出されていた[29]。また、2014-15シーズンでは、レロイ・サネジョエル・マティプラルフ・フェールマンら育成出身選手はクラブの半数弱を占めていた[29]

2016年にクリスティアン・ハイデルがスポーツディレクターに就任すると育成組織への関心が下がり、ハイデルの後任のヨッヘン・シュナイダーは「若いタレントがドルトムントやボルシアMG、RBライプツィヒを選ぶようになった」と凋落を認めている[30]

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

出典[編集]

  1. ^ Die Satzung des FC Schalke 04”. Schalke04. 2014年6月13日閲覧。
  2. ^ Supervisory Board”. シャルケ04. 2022年1月27日閲覧。
  3. ^ a b "Honours". schalke04.de. 2023年8月5日閲覧
  4. ^ "Deloitte Football Money League 2022" (PDF). Deloitte. 2022年. 2023年8月5日閲覧(2022年3月に国際監査法人『デロイト』が公表した2021-2022シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]