ジム・タイロン

ジム・タイロン
Jim Tyrone
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州ジムウェルズ郡アリス
生年月日 (1949-01-29) 1949年1月29日(75歳)
身長
体重
184 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1971年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1972年8月27日
NPB / 1979年7月27日
最終出場 MLB / 1977年10月2日
NPB / 1982年10月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェームズ・バーノン・タイロンJames Vernon "Jim" Tyrone , 1949年1月29日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手外野手)。

1976年シカゴ・カブスでプレーしたウェイン・タイロンは実弟。

経歴[編集]

テキサス州アリス市生まれで、地元のレンジャー高校からテキサス大学パンアメリカン校に進学[1]。ブロンクスに所属し、1971年に進出したカレッジ・ワールドシリーズ (NCAA Division I Baseball Championshipに兄弟そろって参加し、チームはベスト4まで残った。

1971年MLBドラフト7巡目でシカゴ・カブスに指名され契約。1972年メジャー初昇格。1977年オークランド・アスレチックスでメジャー再昇格。本職は外野手だが、三塁手、遊撃手も務めるという便利屋的な起用でメジャーでプレーした。

1979年、この年から発足したインター・アメリカン・リーグ(IAL)のマイアミ・アミーゴスに入団。60試合に出場して226打数81安打、打率.358を記録した[1]。だがIALは広域移動による経費増、各州間での興行に対する姿勢の違いなどにより、7月14日限りで解散となってしまう[1]。この時、西武ライオンズの中村芳夫渉外担当と毒島正一スカウトが、翌1980年に獲得を検討する外国人選手の候補者リストの作成のためアメリカを訪問しており、タイロンもそのリストの中に入れていた。ところが2人はIALが解散するという情報を入手すると、急遽タイロンと交渉し、獲得にこぎつけた[1]。だが、リスト入りは成績のみに依拠していたため、西武は誰一人として実際のタイロンのプレーを見ずに獲得したのだった[1]

こうして1979年後期、西武ライオンズに入団。これにより成績不振のトニー・ミューサーは解雇となった[1]。来日2年目の1980年に1番打者として35本塁打を放つも、テリー・ウィットフィールドの加入を受けて1981年開幕直前に名取和彦との交換トレード南海ホークスに移籍。1981年こそ安定した打撃成績と12失策ながらも20補殺という強肩ぶりをアピールしたが、1982年は打撃3部門で成績を落とし、守備も不安材料として懸念されたため同年限りで解雇され、帰国した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1972 CHC 13 8 8 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1974 57 87 81 19 15 0 1 3 26 3 1 1 0 0 6 0 0 8 2 .185 .241 .321 .562
1975 11 24 22 0 5 0 1 0 7 3 1 1 0 1 1 0 0 4 0 .227 .250 .318 .568
1977 OAK 96 328 294 32 72 11 1 5 100 26 3 1 5 4 25 2 0 62 5 .245 .300 .340 .640
1979 西武 58 236 220 31 64 7 1 8 97 24 9 4 1 1 13 0 1 35 5 .291 .332 .441 .773
1980 128 562 529 87 146 14 1 35 267 68 9 13 2 1 29 1 1 76 12 .276 .314 .505 .819
1981 南海 125 533 492 77 153 23 0 18 230 60 11 2 1 5 32 0 3 45 17 .311 .353 .467 .821
1982 124 500 457 58 124 18 1 13 183 48 12 5 1 1 35 0 6 50 12 .271 .331 .400 .731
MLB:4年 177 447 405 52 92 11 3 8 133 32 6 3 5 5 32 2 0 77 7 .227 .281 .328 .609
NPB:4年 435 1831 1698 253 487 62 3 74 777 200 41 24 5 8 109 1 11 206 46 .287 .332 .458 .790
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号[編集]

  • 27 (1972年、1974年 - 1975年)
  • 26 (1977年)
  • 1 (1979年 - 1980年)
  • 42 (1981年 - 1982年)

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 週刊ベースボール1979年8月20日特大号「最下位ヤクルト西武の"ガイジン"に見る明 G・タイロン と暗 D・ヒルトン」p32-p35

関連項目[編集]

外部リンク[編集]