ジュビロ磐田

ジュビロ磐田
原語表記 ジュビロ磐田
呼称 ジュビロ磐田
愛称 ジュビロ
クラブカラー   サックスブルー[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 静岡県御前崎市菊川市掛川市袋井市磐田市浜松市湖西市周智郡森町[1]
ホームスタジアム
ヤマハスタジアム[1]
収容人数 15,165[1]
運営法人 株式会社ジュビロ[1]
代表者 日本の旗 浜浦幸光
監督 日本の旗 横内昭展
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社ジュビロ[1]
JUBILO CO.,LTD
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
438-0025
静岡県磐田市新貝2500[2]
設立 1992年8月21日[2]
業種 サービス業
法人番号 2080401016049 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営その他
代表者 浜浦幸光
資本金 6億7,900万円[2]
売上高 32億2545万1000円
(2023年01月31日時点)[3]
営業利益 3億2640万5000円
(2023年01月31日時点)[3]
経常利益 3億4296万1000円
(2023年01月31日時点)[3]
純利益 2億8956万4000円
(2023年01月31日時点)[3]
純資産 2億6799万1000円
(2023年01月31日時点)[3]
総資産 13億5779万5000円
(2023年01月31日時点)[3]
決算期 3月期
主要株主 ヤマハ発動機[2]
浜松ホトニクス[2]
静岡銀行[2]
ヤマハ[2]
静岡新聞[2]
静岡放送[2]
外部リンク 公式ウェブサイト
特記事項:2014年7月1日、株式会社ヤマハフットボールクラブより商号変更[4]
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ジュビロ磐田(ジュビロいわた、: Júbilo Iwata)は、日本静岡県御前崎市菊川市掛川市袋井市磐田市浜松市湖西市周智郡森町をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要[編集]

1972年創部のヤマハ発動機サッカー部が前身[1]。1993年にJリーグ準会員[1]1994年にJリーグ正会員となる[1]

運営会社は株式会社ジュビロ[1]ヤマハ発動機等が出資している[2]

チーム名の「ジュビロ」はポルトガル語のjúbilo [ʒuːbilu](ジュビル)およびスペイン語のjúbilo [ˈxuβilo](フビロ)で「歓喜」を意味する[1]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)[1]、練習場はヤマハ大久保グラウンドである[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

ホームタウンは長らく磐田市のみであったが、2023年5月16日御前崎市菊川市掛川市袋井市森町浜松市湖西市を追加し、静岡県西部地域7市1町に広域化した[5][6]

歴史[編集]

1990年代[編集]

ドゥンガ

1972年に創部したヤマハ発動機サッカー部が前身となり、1992年にJリーグ準会員として承認された。1993年にジャパンフットボールリーグ1部で準優勝し、翌年からのJリーグ参加が承認された。同年にはオランダ代表ファネンブルグを獲得した。

1994年、元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。勝矢寿延をマリノスから獲得、更にJリーグ開幕を前にアリ・ダエイと契約するもイランからの出国許可が下りず[7]、移籍は破談となった。4月14日に元イタリア代表サルヴァトーレ・スキラッチを獲得。夏には現役ブラジル代表でキャプテンを務めたドゥンガを補強した。同年、藤田俊哉服部年宏田中誠奥大介が入団。1995年には名波浩福西崇史が加入。

1997年
1998年
  • 1stステージで優勝。2ndステージは2位、Jリーグチャンピオンシップは、鹿島に敗戦。ナビスコ杯で優勝。
  • 中山雅史が27試合出場36得点(現在リーグ戦最多得点記録)を記録。MVP、得点王などタイトルを獲得。
  • 1stステージ第6節セレッソ大阪戦は1-9とジュビロ磐田が圧勝、中でも中山雅史は5得点を挙げるなど活躍した。この記録は、2019年のマイケル・オルンガに抜かれるまでは、最多だった。
  • ワールドカップに中山雅史、名波浩、服部年宏、ブラジル代表キャプテンとしてドゥンガが出場。
  • 中山雅史、名波浩、ドゥンガ、奥大介がベストイレブンに選出。
  • シーズン終了後、ドゥンガが退団。
  • シーズン107得点と得失点差+68は現在J1歴代最多記録。
  • 90分以内での勝利26勝は2回戦総当たりになった1996年以降で、2020年の川崎と並んでJ1最多タイ記録。
1999年

2000年代[編集]

2000年 - 2005年[編集]

2000年
  • FUJI XEROX SUPER CUPで初優勝。
  • 9月、名波浩が復帰。
  • 年間順位4位。年間勝点数はに次ぐ2位。
  • 中山雅史が2度目の得点王獲得(29試合20得点)、ベストイレブンに選出。
2001年
2001年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
2002年
  • リーグ戦は、前後期共優勝。
  • 年間成績26勝3敗1分(リーグ戦1分1敗、天皇杯1敗)。
  • 高原直泰が得点王(27試合26得点)とMVPを獲得。シーズン終了後、高原はドイツ1部ハンブルガーSV移籍。
  • ワールドカップに服部年宏、福西崇史、中山雅史が出場。
  • ベストイレブン、同一クラブから史上最多タイ7人(田中、鈴木、名波、福西、藤田、中山、高原)選出。
  • アジアクラブ選手権は3年連続決勝に進出。
2003年
2003年開幕戦。発煙筒の演出があった。
  • 昨年までヘッドコーチだった柳下正明が監督に就任。
  • 成岡翔大井健太郎菊地直哉らが加入。
  • 8月、藤田俊哉がオランダ1部FCユトレヒトへ期限付き移籍。
  • 1stステージは2位。
  • 2ndステージでは、最終節の横浜FM戦を敗戦し優勝を逃す(ステージ順位は2位)。
  • ゼロックス杯、天皇杯で優勝。
  • 福西崇史がベストイレブンに選出。
2004年
  • 桑原隆が監督に復帰。1stステージ2位だったが、2ndステージは、一時最下位になるなど成績が低迷、何とか持ちこたえて13位で終わったが、年間順位は5位となり、黄金時代は終わりを迎えた。
  • ゼロックス杯で優勝。
2005年

2006年 - 2009年[編集]

2006年
  • ナビスコ杯は準々決勝敗退、直後に山本昌邦監督が辞任する。
  • 後任に磐田OBアジウソン監督に就任。
  • リーグ戦は5位。
  • 川口能活が4年ぶりベストイレブンを受賞。
  • ワールドカップに川口能活福西崇史が出場。
2007年
クラブスローガン :「VAMOS CONTIGO
2008年
クラブスローガン :「Hungrrrrry!
  • 入れ替え戦終了後、オフトが監督を退任。名波浩が現役引退。
  • 馬淵が成績不振と大幅減収の責任で社長を退任、後任にヤマハモーター台湾社長の吉野博行が就任。
2009年
クラブスローガン :「SPEEDY ACTION 2009
  • 磐田元監督の柳下正明が監督に復帰した。
  • 河村崇大東京V森下俊京都田中誠福岡へ完全移籍。松井謙弥が京都へ期限付き移籍。一方で那須大亮を東京Vから獲得、ユースから2人昇格。
  • 3月7日の開幕戦で山形に2-6、史上ワースト失点で敗戦したが、その後立て直す。
  • 4月、強化部長代理に服部健二が就任。
  • 韓国代表イ・グノを獲得。
  • 7月、押谷祐樹岐阜へ期限付き移籍。
  • シーズン成績は11位。
  • 前田遼一が高原以来7年ぶり日本人得点王を受賞(34試合20得点)、自身初ベストイレブンを受賞。
  • しかし、失点数が60とリーグ最多になった。

2010年代[編集]

2010年 - 2013年[編集]

2010年
クラブスローガン :「EVOLUTION 2010
2010年ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
2011年
クラブスローガン :「ROAD TO CHAMPION 2011
2012年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2012
2013年
クラブスローガン :「原点開起 ROAD TO CHAMPION 2013
  • 黄誠秀群馬、千代反田充が徳島、荒田智之が岡山ハン・サンウンが韓国1部・蔚山現代FCロドリゴ・ソウトがブラジル1部・クルーベ・ナウチコ・カピバリベへ完全移籍。竹重安希彦が新潟、押谷祐樹が岡山へそれぞれ期限付き移籍、岡田隆の移籍期限が延長された。
  • 前年度、期限付き移籍で加入していた植村慶、菅沼駿哉、宮崎智彦、小林祐希を完全移籍で獲得した。神戸から現役日本代表伊野波雅彦とシーズン途中にフィテッセから日本代表安田理大を完全移籍で獲得、京都からチョン・ウヨンが期限付き移籍で加入。
  • 磐田U-18所属で2種登録されていた牲川歩見、関西大学から田中裕人が加入。
  • リーグ戦は、開幕7戦を2分5敗、第7節時点で最下位。第8節湘南戦でリーグ戦初勝利を挙げるが、第9節甲府に敗戦、5月4日に森下が監督を解任された。
  • ヘッドコーチ長澤徹が監督代行を務め、5月19日よりU-23サッカー日本代表元監督関塚隆が監督に就任(長澤はヘッドコーチに復帰)。
  • しかし第31節で鳥栖に敗れ、クラブ史上初のJ2へ降格が決定した。
  • 天皇杯3回戦敗退。
  • シーズン終了後、監督の関塚、GMの服部健二、ヘッドコーチの長澤が退任。

2014年 - 2015年(J2)[編集]

2014年
クラブスローガン :「勝!!!
2015年
クラブスローガン :「繋ぐ――Road to J1

2016年 - 2019年(J1)[編集]

2016年
クラブスローガン :「繋ぐ 夢の実現へ
2017年
クラブスローガン:「繋ぐ Challenge For Next
2018年
クラブスローガン:「繋ぐ 2018 Challenge For Next
2019年
クラブスローガン:「繋ぐ Challenging! 2019

2020年代[編集]

2020年 - 2021年(J2)[編集]

2020年

クラブスローガン:「Jubiro PRIDE 覚悟

2021年

クラブスローガン「UNITE FOR W1N 集結せよ勝利のために

2022年(J1)[編集]

クラブスローガン「Go Beyond 突き進め!!

2023年(J2)[編集]

クラブスローガン「夢と感動を 共に」

2024年 -(J1)[編集]

2024年

成績[編集]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

表彰[編集]

個人記録[編集]

リーグ戦記録ゴール[編集]

J1リーグ[編集]

  • 6000得点目 鈴木秀人 【1999年2nd第12節(11月7日)・広島戦】

J2リーグ[編集]

  • 14000得点目 川辺駿 【2015年第27節(8月1日)・岡山戦】

リーグ戦通算GK最小防御率[編集]

  • ヴァンズワム 0.89点

ハットトリック[編集]

J1リーグ[編集]

  • 5得点
    • 中山雅史【1998年1st第6節(4月15日)・C大阪戦】
  • 4得点
    • 中山雅史【1998年1st第7節(4月18日)・広島戦】
    • 中山雅史【1998年1st第8節(4月25日)・福岡戦】
    • 高原直泰【2002年2nd第5節(9月22日)・FC東京戦】
    • ジャーメイン良【2024年第2節(3月1日)・川崎戦】
  • 3得点
    • スキラッチ【1995年サントリー第20節(6月28日)・柏戦】
    • スキラッチ【1996年第14節(5月15日)・平塚戦】
    • 中山雅史【1997年2nd第13節(9月20日)・V川崎戦】
    • 中山雅史【1998年1st第9節(4月29日)・札幌戦】
    • 奥大介【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 高原直泰【1998年2nd第8節(9月26日)・市原戦】
    • 中山雅史【1998年2nd第9節(10月3日)・横浜F戦】
    • 藤田俊哉【2000年1st第10節(5月3日)・川崎戦】
    • 中山雅史【2000年2nd第14節(11月23日)・広島戦】
    • 清水範久【2001年2nd第9節(10月17日)・FC東京戦】
    • 高原直泰【2002年1st第14節(8月10日)・仙台戦】
    • 前田遼一【2005年第15節(7月9日)・C大阪戦】
    • 前田遼一【2008年第28節(10月5日 ・札幌戦】
    • 前田遼一【2009年第30節(10月25日) ・名古屋戦】

J2リーグ[編集]

  • 3得点
    • ジェイ【2015年第28節(8月8日)・京都戦】

スタジアム・練習場[編集]

ホームスタジアム[編集]

ホームスタジアムはヤマハスタジアム(磐田)である。また、静岡県小笠山総合運動公園スタジアム(エコパ)でも不定期にホームゲームを開催している。

ホームゲーム開催数はジュビロ磐田の年度別成績一覧#会場別主催ゲーム開催数を参照。

過去に浜北市(現:静岡県浜松市)で計画された複合スタジアムについては浜北市#複合スタジアム構想を参照。

練習場[編集]

  • ヤマハ大久保グラウンド:トップチームの練習場。ピッチサイドにはクラブハウスが併設されている[20]。元々ヤマハ発動機野球部(現在はクラブチーム登録)の本拠地として使用されていた野球場であったが、ジュビロ磐田がJリーグに加盟したのと同時期に野球部がここから撤退し、ジュビロ磐田の専用グラウンドとして使用されるようになった。野球場時代の名残りからベンチルームの一部が残っている。また、マスコットとロゴマークが描かれたバックスクリーンも残されていたが、撤去された。
    磐田スポーツ交流の里・ゆめりあ(天然芝のサッカーグラウンド2面)に隣接しており、ユースなどの試合やトップチームの練習・並びに練習試合に供される場合もある。
    グラウンド北側にはラグビー場が設けられており、JAPAN RUGBY LEAGUE ONE静岡ブルーレヴズが練習場として使用している。
  • ジュビロ上大之郷グラウンド:ジュビロ磐田U-18、ジュビロ磐田U-15などの試合・練習場[21]。人工芝グラウンド1面と人工芝フットサルグラウンド2面を有する。
  • ヤマハ加茂グラウンド:ジュビロサッカースクール磐田会場専用の練習場。人工芝グラウンド1面を有する。

ユニフォーム[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色 水色 水色
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

クラブカラー[編集]

  •     サックスブルー[1]
    • Jリーグ昇格以前の1stユニフォームは、濃い青色の上下に赤をアクセントとして使用、2ndユニフォームは白に赤と青のライン。
    • 2003年、クラブ創立10周年を記念して全身紺色(ヤマハ時代のものよりも更に濃い青色)の3rdユニフォームが用意され、ホームの清水戦で着用
    • 2005年、レアル・マドリード及びFCバイエルン・ミュンヘンとの親善試合等で全身紺色を着用
    • 2006年からは練習試合用としてその年のリーグ戦のユニフォームを紺色にしたものが用意されている。
    • 背番号下のネームはオ段の伸びる音「H」が表記されている。
    • エンブレム上(2011年までは襟後ろ)の3つの星(★)は3度のJ1年間優勝を表す。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
ヤマハ発動機 YAMAHA 1993年
2009年 -
1997年 - 2008年は袖
2007年 - 2008年はパンツ前面
鎖骨 なし - -
背中上部 サーラグループ SaLa 2011年 - 2009年 - 2010年は袖およびパンツ前面
背中下部 サクラ工業 SAKURA 2020年 -
浜松ホトニクス HAMAMATSU
PHOTON IS OUR BUSINESS
2012年 -
パンツ前面 なし - -
パンツ背面 なし - -

ユニフォームサプライヤーの遍歴[編集]

歴代ユニフォーム[編集]

FP 1st
1994 - 1996
1997
1998 - 1999
2000 - 2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010 - 2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024 -
FP 2nd
1994 - 1996
1997
1998 - 1999
2000 - 2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010 - 2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024 -
FP Other
2003