ジョン・フランシス・キャンベル

アイラ島のキャンベル、行政官、民俗学者、科学者
アイラ島ブリジェンドのキャンベル家記念碑Monument near Bridgend, Islay
Illustration from a Popular Tales of the West Highlands
Grave of John Francis Campbell, far left

ジョン・フランシス・キャンベルJohn Francis Campbellスコットランド・ゲール語Iain Frangan Caimbeul1821年12月29日アイラ島 - 1885年2月17日カンヌ)は、アイラのキャンベル(Campbell of Islay)またはゲール語で"Iain Òg Ìle" 「アイラ島の若きイアン」とも呼ばれる。多芸の人で、政府の要職を務めながら、博物学やゲール民俗文化の研究に大きな足跡を残した[1]

『西ハイランド昔話集 (Popular Tales of the West Highlands)』(1860年 - 1862年)の編者、『霜と火(Frost and Fire: Natural Engines, Tool Marks and Chips)』(1864年)、『サーモグラフ(Thermograph)』(1880年)などを著した。

略歴[編集]

アーガイル公爵ジョージ・ダグラス・キャンベル (George Campbell, 8th Duke of Argyllの従兄でウィームズ伯の孫、幼少期をヘブリディーズ諸島アイラ島で過ごし、ゲール語を話す乳母に育てられ、島民中に多くの友を作った。イートン校を経てエディンバラ大学に博物学を学ぶために入学したが、途中で法学部に転部し弁護士資格を得て卒業した。従弟のジョージ・キャンベル(第8代アーガイル侯爵)の私設秘書となり、衛生局 (Sanitary Board)、トリニティ・ハウス (Trinity House、地質学協会などの事務局長を勤め、1861年から王璽尚書次官 (Groom of the Chamberの要職に就いた。公務の側ら、博物学や民俗の研究に多大な業績を残した[2]

ゲール民俗研究[編集]

ゲール語が軽視され迫害を受けていたこの時代に、生存している語り手を見つけ出し、当時のスコットランド高地地方や西方の島々に残る伝承・伝説・言い伝えを分析した。彼のやり方は採集者たちにチームを組ませ、ゲール語の特訓をしてから目的の地域全体に網の目を貼る様に送り出すというもので、後に民俗学調査の手本となった。時には採集に同行し、生きた伝承を正確にとらえる方法を熱心に教えた。出版したのは『西ハイランド昔話集』だけだったが、膨大な手書き草稿を未発表のまま残していて、それら多くは英訳され、彼の確立した方法に従いゲール語との対訳の形で活字化された。彼の生涯と同時期の人に及ぼした影響についてはリチャード・M.ドーソンRichard Dorson)の『イギリスのフォークロア研究家たち (The British Forklorists)』に詳しい。これらの業績が認められ、エジンバラ大学から初代民俗学教授のポストに招請されたが、これを断ったと言われる。

日本旅行[編集]

1874年7月から休暇を取り、世界一周の旅に出た。日本には同年11月から翌年2月まで滞在し、明治政府御雇いであったコリン・アレクサンダー・マクヴェイン (Colin Alexander McVeanの案内で日光などの東京周辺の名勝を視察し、さらに内務省地理寮による12月9日の金星日面通過観測を補佐した。帰路は、東京から旧中山道を通り諏訪湖と琵琶湖を経て京都まで馬の背に乗り旅行し、神戸から出港した[3]。帰国後、日本で購入した多数の古美術品を画家のフランク・ディロンFrank Dillonなどの多数の友人に披露した。彼の日本旅行譚は『私の周遊記My Circular Notes 』[4]として1876年に出版され、イザベラ・バードをいたく刺激し、彼女の日本行きの発端となった。

サーモグラフの発明[編集]

1854年、衛生局事務局長を務めていた時、ロンドンにコレラが蔓延し、居住状態を調査しようと市内各所に観測所を設置した。従来の気温湿度以外に日照時間を計ることを思い立ち、そのために自ら太陽光記録計を発明した。1879年にジョージ・ストークス (Sir George Gabriel Stokesによって改良が加えられ、キャンベル・ストークス日照計(カンベル式日照計)  (Campbell–Stokes recorderとして実用化された。キャンベル自身は、『サーモグラフThermograph』と呼んだ。

出典・脚注[編集]

  1. ^ "Campbell, John Francis," in Encyclopædia Britannica (11th ed., 1911).
  2. ^ John Francis Campbell, Frost and Fire, natural engines, tool marks and chips, 1865.
  3. ^ John Francis Campbell's Letter to C.A. McVean dated December 27, 1874, Shimosua, McVean Archives.
  4. ^ John Francis Campbell, My Circular Notes, 2 volumes, 1876.

参考文献[編集]

  • キャサリン・ブリッグズ(:en:Katharine Mary Briggs) 著、平野 敬一・三宅 忠明・井村 君江・吉田 新一 訳『妖精事典 (A DICTIONARY OF FAIRIES)』冨山房、1992年。ISBN 978-4572000934