ソフト・パワー

ソフト・パワー: soft power)とは、国家軍事力経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力のことである。対義語はハード・パワー

ジョセフ・ナイの提唱するソフト・パワー[編集]

ソフト・パワーの概念誕生の背景とその概要[編集]

ソフト・パワーとは、軍事力や経済力などの他国を強制し得るハード・パワーと対置する概念であり、アメリカの対外政策のあり方・手法として生まれた概念である。アメリカ国内においてソフト・パワーという考え方が唱えられた背景には、ブッシュ政権以降のアメリカの中東政策による、国際的な批判の高まりによるところが大きい。2001年オサマ・ビン・ラディン率いるアルカーイダによるアメリカ同時多発テロ事件を契機として、アメリカがイラクに対する核兵器保有疑惑やテロリスト支援国の疑いがあることを理由にはじめたイラク戦争、また、その後のイラクの戦後統治などにおいて行った一連の政策が、圧倒的な軍事力を背景にした強硬なものであるという国際社会からの批判や、中東イスラム圏を中心とした反米感情の広がり、またそれを背景にしたテロリズムの頻発やその被害に悩む中で、その事態の打開のための手法として提唱されるようになった。

ソフト・パワーという概念を提唱したのは、クリントン政権下において国家安全保障会議議長、国防次官補を歴任したアメリカ・ハーバード大学大学院ケネディスクール教授ジョセフ・ナイである。1980年代のアメリカ衰退論に異議を唱えた著書 Bound to Lead (邦題『不滅の大国アメリカ』)で最初に提示され、Soft Power: The Means to Success in Wold Politics(邦題『ソフト・パワー』)において精緻化されたものである。

ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる対外政策の重要性を説く上でブッシュ政権や政権の中枢を占めた、いわゆるネオコンという勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の伴うハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワーを活かすことの重要性を唱えた。さらに、ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーをハード・パワーと相互に駆使することによって、国際社会の支持を獲得し、グローバル化や情報革命の進む国際社会において真の国力を発揮し得ることを説いている。

ソフト・パワーの源泉~文化・政治的価値観・政策の魅力~[編集]

ジョセフ・ナイはソフト・パワーを提唱し、ソフト・パワーを構成する三つの要素として、文化(その地域を魅力的に見せるような)・政治的価値観(それが国内外の人々の期待に応えるとき)・外交政策(他の人から正当かつ道徳的な権威があると見なされたとき)が挙げられている。 ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な例として文学美術高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆娯楽などの大衆文化が挙げられる。ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策をとれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにくいとしている。

また、ジョセフ・ナイは国家の国内外における政策も、ソフト・パワーの源泉足り得るとしている。その例としてアメリカ国内の黒人などへの人種差別によりアメリカのアフリカ諸国に対するソフト・パワーが損なわれ、銃の野放しや死刑制度により、ヨーロッパにおけるアメリカのソフト・パワーが損なわれたことを指摘している。 一方で、アメリカの人権政策は、かつて軍事政権を敷き人権抑圧を行っていたアルゼンチンからは反発されたが、その後、投獄されたペロン派が政権を握ったことで、アルゼンチン国内におけるアメリカのソフト・パワーが高まったとしている。

さらにジョセフ・ナイは同じソフト・パワーであっても、文化によるソフト・パワーと政府の政策によるソフト・パワーは必ずしも一致しないことも指摘している。2003年に世界各国の世論調査において、アメリカのイラク政策への失望から、アメリカを魅力的であるという回答が低下したが、これはあくまでブッシュ政権に対する失望であり、アメリカの技術力、音楽映画テレビ番組については依然とアメリカを魅力的であるという意見が強いというのがその例である。

こうしたソフト・パワーの作用として、ジョセフ・ナイが指摘するのは、ソフト・パワーは国家により管理できないという点である。軍事力や経済力などのハード・パワーと異なり、ソフト・パワーは部分的に政府の目標に影響しているに過ぎないし、そもそも自由な社会において国家がソフト・パワーを管理することがあってはならないとも述べている。

ソフト・パワーの限界[編集]

一方で、ジョセフ・ナイはソフト・パワーの限界についても言及している。それは、ソフト・パワーにおける魅力により、国家の望む結果が得られる可能性が高い場合もあれば低い場合もあるというところによる。概してソフト・パワーとなり得るその国の魅力とは関係する国々とある程度似ている状況であり、かつその魅力の効果は分散型で漠然としていることにもよる。好意で行動しても相手から好意的な対応が得られるとは限らず、効果が分散する親善関係のもとではその具体性に乏しい。まして、自国の映画や大学教会など非政府組織か独自のソフト・パワーを持ったとき、政府の政策を強化する場合もあれば対立する場合もあるし、ソフト・パワーを測る世論調査などの調査手法がどの程度信用できるのかという点でソフト・パワーに対する懐疑的な見方も存在しているのも事実である。

ハード・パワーとソフト・パワーの相互作用[編集]

また、ジョセフ・ナイはソフト・パワーとは時にハード・パワーと補完し合うこともあれば対立することもあるということを指摘する。自国の人気を上げたい国家はハード・パワーを行使すべきときにそれを行使することを嫌い、ソフト・パワーに与える影響を無視してハード・パワーを行使すれば他国の妨害に遭う場合もあることによるからである。

特に2003年以降のイラク戦争はソフト・ハード両方のパワーの相互関係をみる上で好例である。ブッシュ政権やネオコンがイラク戦争開戦に踏み切った一部の動機として、ハード・パワーから見た場合、かつてアメリカがイラクと交戦した湾岸戦争がその後の中東和平に繋がったこともあり、再び核保有疑惑やテロリズムの温床となっている中東地域に同様の結果を生み出そうという考えや、イランシリア等の中東において見られるテロリストへの支援を抑制させようということが挙げられる。ソフト・パワーの側面から見た場合、イラクに民主主義を輸出し、政治体制の変革をもたらそうという動機があったとし、ネオコンの政策が成功すればイラク戦争がその結果により正当化されていたはずであるとしている。しかし、結果としてアメリカのイラク戦争は、ヨルダンインドネシアなどの友好国の国民からも反発を買い、同時多発テロ事件に集められたアメリカへの同情と共感が消えたと指摘し、ハード・パワーとソフト・パワーが分かちがたく結びついていると述べている。

世界情報化とソフト・パワー[編集]

また、21世紀の世界はグローバル化と情報革命が高まっている中、ジョセフ・ナイはこれからのソフト・パワーの重要性が高まることを指摘する。特にインターネットの普及などを情報革命通じ仮想共同体の形成や多国籍企業、非政府組織がテロリストを含めて、さらに役割をになうこととなり、独自のソフト・パワーを養い、国境を越えて人々をひきつける。そうしたときに国家は魅力と正当性、信頼性をめぐる競争になるだろうと述べている。そして、情報を提供し、かつその情報が信頼できるものとして受け入れられる能力こそ、ソフト・パワーにおける魅力と力の需要な源泉となるだろうとしている。

参考文献[編集]

  • ジョセフ・S・ナイ『ソフトパワー:21世紀国際政治を制する見えざる力』山岡洋一訳、日本経済新聞社、2004年。ISBN 978-4532164751

関連項目[編集]