タンジェ

タンジェ
طنجة
Tangier
モロッコの旗
タンジェの市章
市章
位置
タンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方(薄い赤) とタンジェ=アシラー県(赤)の位置の位置図
タンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方(薄い赤)
とタンジェ=アシラー県(赤)の位置
位置
タンジェの位置(モロッコ内)
タンジェ
タンジェ
タンジェ (モロッコ)
タンジェの位置(アフリカ内)
タンジェ
タンジェ
タンジェ (アフリカ)
地図
座標 : 北緯35度46分 西経5度48分 / 北緯35.767度 西経5.800度 / 35.767; -5.800
行政
モロッコの旗 モロッコ
 地域 タンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方
 県 タンジェ=アシラー県
 市 タンジェ
市長 Mounir Lymouri [1]
真正と現代党[1]
地理
面積  
  市域 199.5 km2
標高 80 m
人口
人口 (2014年現在)
  市域 947952[2]
  備考 国勢調査
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
郵便番号 90000
ナンバープレート 40[注釈 1]
公式ウェブサイト : [1]

タンジェベルベル語: ⵜⵉⵏ ⵉⴳⴳⵉ Tin Iggi, アラビア語: طنجةṭanǧa, 発音 [tˤandʒa], フランス語: Tanger, スペイン語: Tánger タンヘル, ポルトガル語: Tânger タンジェル, 英語: Tangier)は、モロッコ北部にある都市。人口は、約95万人(2014年)。ジブラルタル海峡に面した港町で、スペインジブラルタルなどから多くフェリーが行き来し、国際都市として栄えている。タンジールの表記も見られる。

歴史[編集]

紀元前4世紀頃にカルタゴによって設けられた交易拠点が起源となる。紀元前146年にカルタゴが滅亡するとタンジェはローマ帝国マウレタニア・ティンギタナ属州)となった。タンジェは発展し3世紀頃にはマウレタニア・ティンギタナ属州の州都となった[3]5世紀にはヴァンダル王国に征服され、6世紀前半のユスティニアヌス1世の時代に東ローマ帝国の支配を経て[3]711年イスラム教勢力のウマイヤ朝が征服した[4]740年頃のベルベル人の反乱英語版の結果、ウマイヤ朝から独立[5]8世紀後半にはイドリース朝がモロッコで興りイドリース朝の支配下となるが、951年には後ウマイヤ朝によって占領され[注釈 2]1075年にはムラービト朝が、1149年にはムワッヒド朝が、1275年にはマリーン朝によって占領された[3]

タンジェのイングランド軍の要塞・港を描写した1680年の版画

キリスト教徒によるレコンキスタ(再征服運動)の進展にともない、1415年にはアフリカ北岸のセウタポルトガル領に組み込まれ[注釈 3]、タンジェも1471年にはポルトガル領となった[3]1661年、ポルトガル王女カタリナイングランドチャールズ2世の結婚による持参金代わりに一時的にイギリス領になってしまったが、1679年頃にアラウィー朝スルターンムーレイ・イスマーイールの命令によってアリ・ベン・アブドゥッラー・エル=リッフィー率いる軍がタンジェを包囲[注釈 4]1684年2月5日[注釈 5]にはイングランドはタンジェ要塞の維持費が高いことを理由にアラウィー朝に引き渡しアラウィー朝が占領する[3]

帝国主義の時代になると、モロッコがフランスドイツの角逐の場となり、1905年3月31日にはフランスのモロッコ支配を阻止しようとするドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がタンジェに上陸した。このタンジェ事件(第一次モロッコ事件)は翌1906年アルヘシラス会議で妥協が図られた[3]が最終的な決着はつかず、1911年のアガディール事件(第二次モロッコ事件)を経て、モロッコはフランスにより保護国化され、タンジェは国際管理地域とされた[4]。タンジェの国際管理化は第一次世界大戦での中断を経て、1923年12月18日パリ会議でフランス、スペインイギリスの三国による条約が締結され、1925年より開始された。後に条約にイタリアポルトガルベルギーオランダアメリカソビエト連邦も加入した[3]第二次世界大戦勃発後の1940年6月、スペイン軍はタンジェに侵攻し、一方的にスペイン保護領モロッコへの併合を宣言した[3]。しかし世界大戦終結から半月後の1945年8月31日、タンジェは国際管理地域に復帰した。1956年10月、フェダラ会議にて条約加盟各国はタンジェの国際管理終結を決定。1956年12月31日をもって国際管理は終わり、タンジェはモロッコに復帰した[4][3]。復帰に当たり、1960年4月18日までの期限付きで為替や貿易に関する特別措置が採られている[3]

地理[編集]

ジブラルタル海峡に臨む港湾都市である。北西の郊外にはジブラルタル海峡と大西洋の境界線のスパルテル岬英語版がある。

気候[編集]

ケッペンの気候区分地中海性気候(Csa)に区分される。

タンジェ(イブン・バットゥータ国際空港) (1961年–1990年、極値 1961年–現在)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22.0
(71.6)
27.0
(80.6)
25.0
(77)
27.0
(80.6)
34.0
(93.2)
36.0
(96.8)
41.0
(105.8)
39.0
(102.2)
39.5
(103.1)
30.0
(86)
27.0
(80.6)
24.5
(76.1)
41.0
(105.8)
平均最高気温 °C°F 16.2
(61.2)
16.8
(62.2)
17.9
(64.2)
19.2
(66.6)
21.9
(71.4)
24.9
(76.8)
28.3
(82.9)
28.6
(83.5)
27.3
(81.1)
23.7
(74.7)
19.6
(67.3)
17.0
(62.6)
21.8
(71.2)
日平均気温 °C°F 12.5
(54.5)
13.1
(55.6)
14.0
(57.2)
15.2
(59.4)
17.7
(63.9)
20.6
(69.1)
23.5
(74.3)
23.9
(75)
22.8
(73)
19.7
(67.5)
15.9
(60.6)
13.3
(55.9)
17.7
(63.9)
平均最低気温 °C°F 8.8
(47.8)
9.4
(48.9)
10.1
(50.2)
11.2
(52.2)
13.4
(56.1)
16.2
(61.2)
18.7
(65.7)
19.1
(66.4)
18.3
(64.9)
15.6
(60.1)
12.2
(54)
9.7
(49.5)
13.6
(56.5)
最低気温記録 °C°F −4.2
(24.4)
1.0
(33.8)
3.5
(38.3)
1.0
(33.8)
7.0
(44.6)
10.0
(50)
11.0
(51.8)
11.0
(51.8)
10.0
(50)
7.0
(44.6)
3.0
(37.4)
4.0
(39.2)
−4.2
(24.4)
降水量 mm (inch) 103.5
(4.075)
98.7
(3.886)
71.8
(2.827)
62.2
(2.449)
37.3
(1.469)
13.9
(0.547)
2.1
(0.083)
2.5
(0.098)
14.9
(0.587)
65.1
(2.563)
134.6
(5.299)
129.3
(5.091)
735.9
(28.972)
平均降水日数 11.2 11.4 10.1 9.3 6.1 3.7 0.8 0.8 3.1 8.0 11.1 12.0 87.6
湿度 80 81 78 78 76 74 70 72 73 76 79 81 76
平均月間日照時間 169.2 166.9 231.7 251.7 298.9 306.8 344.0 330.7 275.6 238.2 180.6 166.9 2,960.7
出典1:NOAA[6]
出典2:ドイツ気象局 (humidity, 1973–1993)[7] Meteo Climat (record highs and lows)[8]

経済[編集]

主な産業としては、織物化学物質機械金属工学、海軍装備である[9]。また、イブン・バットゥータ国際空港の近くにはタンジェ・フリーゾーン(自由貿易地区)があり、10年間で60億モロッコ・ディルハム投資されており、45,000人の雇用を創出している[10]。日本の自動車部品メーカーも多く進出している[11]フィナンシャル・タイムズの格付けによると2015年にタンジェ・フリーゾーンがアフリカ1位のフリーゾーンに選ばれた[12]

交通[編集]

空港[編集]

南西15kmのところにはイブン・バットゥータ国際空港がある。

鉄道[編集]

市内北部にはONCFの鉄道駅タンジェ・ヴィル駅がある。2018年11月18日には、北アフリカ最初の高速鉄道として、フランスTGVを土台にしたタンジェ=カサブランカ高速鉄道カサブランカとの間で開通している [13]

フェリー[編集]

市内のフェリー乗り場からは、アルヘシラスなど向かうフェリーが出ている。

旧市街

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

タンジェをホームとするサッカークラブがある。

タンジェ出身の著名人[編集]

施設・観光地[編集]

観光地[編集]

スポーツ施設[編集]

タンジェにはイブン・バットゥータ・スタジアムを中心とした74haに及ぶスポーツ複合施設があり、テニスコート、ラグビー競技場、バスケットボール競技場などがある[16]

別荘地[編集]

多文化な国際都市であることから、1930年代ごろから著名人や富裕層が集まるリゾート地として人気を集め、ポール・ボウルズテネシー・ウィリアムズウィリアム・バローズアレン・ギンズバーグジャック・ケルアックローリングストーンズジョージ・オーウェルといった文化人や、バーバラ・ハットンら世界のミリオネアが別荘を所有し、滞在した[要出典]

姉妹都市[編集]

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b Le Bureau du Conseil Communal” (フランス語). タンジェ. 2024年2月4日閲覧。
  2. ^ Note sur les premiers résultats du Recensement Général de la Population et de l’Habitat 2014” (フランス語). 高等計画委員会フランス語版. 2024年2月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j HISTOIRE” (フランス語). tanger experience. 2024年2月4日閲覧。
  4. ^ a b c Histoire de la ville” (フランス語). タンジェ. 2024年2月4日閲覧。
  5. ^ La grande révolte amazighe” (フランス語). amazigh press. 2024年2月4日閲覧。
  6. ^ Tangier Climate Normals 1961–1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2016年10月14日閲覧。
  7. ^ Klimatafel von Tanger / Marokko” (German). Baseline climate means (1961–1990) from stations all over the world. Deutscher Wetterdienst. 2016年10月14日閲覧。
  8. ^ Station Tangier Airport” (French). Météo Climat. 2016年10月14日閲覧。
  9. ^ Tanger” (フランス語). Clima Med. 2024年2月4日閲覧。
  10. ^ Monographie régionale 2020 de TTA” (フランス語). 高等計画委員会フランス語版. 2024年1月24日閲覧。
  11. ^ フリーゾーンの概要について: モロッコ”. 日本貿易振興機構. 2024年2月5日閲覧。
  12. ^ “Tangier Free Zone Ranks Best Free Zone in Africa”. CNN.co.jp. (2015年10月19日). https://www.moroccoworldnews.com/2015/10/170785/tangier-free-zone-ranks-best-free-zone-in-africa 2024年2月5日閲覧。 
  13. ^ アフリカ初の高速鉄道LGV、モロッコで開通式”. 日本貿易振興機構 (2018年11月20日). 2023年3月12日閲覧。
  14. ^ Billet de 200 DH” (フランス語). モロッコ中央銀行英語版. 2024年1月24日閲覧。
  15. ^ Welcome to the American Legation in Tangier, Morocco” (英語). 旧アメリカ公使館 (タンジェ)英語版. 2024年2月5日閲覧。
  16. ^ La cité des sports” (フランス語). タンジェ. 2024年2月4日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l Un jumelage Tanger - Phuket (Thaïlande) en projet” (フランス語). bladi.net. 2024年2月5日閲覧。
  18. ^ Jumelage et Pactes d'amitié” (フランス語). ピュトー. 2024年2月5日閲覧。
  19. ^ “Tanger et Da Nang liées par un accord de jumelage”. le Matin. (2019年3月29日). https://lematin.ma/express/2019/tanger-da-nang-liees-accord-jumelage/313253.html 2024年2月5日閲覧。 

外部リンク[編集]