ダリン・アースタッド

ダリン・アースタッド
Darin Erstad
ヒューストン・アストロズ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ノースダコタ州ジェームズタウン
生年月日 (1974-06-04) 1974年6月4日(49歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1995年 ドラフト1巡目(全体1位)
初出場 1996年6月15日
最終出場 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ダリン・アースタッドDarin Charles Erstad , 1974年6月4日 - )は、アメリカ合衆国ノースダコタ州出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。

経歴[編集]

1995年ドラフト1巡目(全体1位)でカリフォルニア・エンゼルスから指名を受け、ネブラスカ大学からプロ入り。プロ2年目となる1996年6月14日にトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビューを果たした。10打数連続でヒットがなかったが、6月16日に初安打を記録した[1]。8月2日にマイナーに降格したが9月3日に再びメジャーに復帰した[1]。この年は57試合に出場し、打率.284、4本塁打、20打点、3盗塁という成績を残し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では6位につけた。

エンゼルス時代のアースタッド(2005年)

当時外野にはジム・エドモンズティム・サーモンギャレット・アンダーソンの3人がいたためレギュラー獲得は容易ではなかったため、1997年J.T.スノーの後釜として一塁のレギュラーとして139試合に出場[2]。打率.299、16本塁打、77打点、23盗塁という好成績を残した。しかし、一塁と指名打者を務めるセシル・フィルダーの加入に伴い1998年左翼と一塁を守ることになった[2]。8月4日から8月19日にかけてメジャー初の故障者リスト入りを経験したが[3]、本塁打と打点で自己ベストを更新。また、オールスターゲームにも初めて選出され、シーズン終了時のMVP投票では14位につけた。1999年モー・ボーン一塁手が加入したが、故障がちで指名打者での出場が多く、それに伴い一塁と左翼の守備に半々ずつ就いた[2]。打撃では打率が急落し、本塁打、打点などでも数字を大きく落とした。

エドモンズのセントルイス・カージナルス移籍やボーンが一塁で出場し続た事などから、2000年以降外野手に定着し、2001年にアンダーソンと入れ替わって左翼から中堅へコンバートした[2]

2000年は開幕から絶好調で4月に48安打を放ち、ダンテ・ビシェットが1998年に記録した4月の月間安打記録47安打を更新し、132試合目でシーズン200本安打を達成し1935年ジョー・メドウィックが131試合目で達成して以来の速さで達成した[4]。最終的にメジャー歴代12位の240安打を放ち、史上初めて1番打者として100打点を挙げた[4]。自身2度目のオールスター選出に加え、MVP投票で8位につけた。外野手としてシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を同時受賞し、7月24日のレンジャーズ戦では外野手としてメジャータイ記録となる1試合12刺殺を記録した[4]。打率は1割以上も上昇し、アースタッドの上昇率は400打数以上の選手の中では歴代6位にランクした[4]

2001年は打率が.250台に落ち込み、自己ワーストの113三振を喫するなど、期待を大きく裏切った形となってしまった。2002年は多少持ち直したものの、2000年には遥かに及ばない成績だった。しかし、外野手として自身2度目のゴールドグラブ賞に輝いた。6月15日に球団史上6人目となる通算1000本安打を達成し、8月3日には2006年までの4年契約を結んだ[5]

2003年は、シーズン途中で膝の靭帯を痛め、故障者リスト入り。8月6日を最後にそのまま復帰出来ずにシーズンを終えた。この当時のことをアースタッド本人は、「走れなくなってしまった。あの怪我が僕のすべての動きを制限した。」と語っている[6]。その後球団はブラディミール・ゲレーロホセ・ギーエンの2人の外野手を獲得し、アースタッド自身ヒザに古傷があり、外野は体の負担が大きいため、中堅手から一塁手コンバートとなった[2]2004年一塁手でゴールドグラブ賞に選出され、史上初めて外野手と内野手の2つの守備位置で受賞した選手となった[7]。打撃成績は低いレベルに留まった。

2005年は三振が4年ぶりに100個を超えるなど、打撃成績こそ前年よりやや落ちたものの、5月28日から6月22日にかけて球団史上5番目に長い21試合連続安打を達成している[8]。前年より守ったイニング数が多かったにもかかわらず、前年と同じく失策が4だった。

2006年はゴールドグラブ賞を2度獲得した外野(センター)に守備位置を戻し、再起を賭ける事になった。球団史上3番目の長さとなる10年連続で開幕で先発出場した[9]。しかし、右足首の故障で2度DL入りし、9月2日に戦線復帰したものの、たった4打席に立っただけでシーズンを終えてしまった。結局、自己ワーストとなる40試合の出場に留まり、打率.221、0本塁打、5打点、1盗塁という散々な成績に終わった。

4年契約を満了し、同年オフにFAとなり、2007年1月シカゴ・ホワイトソックスと1年契約。しかし、結果を残すことが出来ず、2007年オフに初のナショナルリーグ在籍となるヒューストン・アストロズにFA移籍。

2009年を最後に現役を引退し、現在はビッグ・テン・カンファレンスネブラスカ大学の野球チームで打撃コーチを務めている。

選手としての特徴[編集]

外野手として2回、一塁手として1回、通算3回のゴールドグラブ賞を受賞しており、ゴールドグラブ賞を複数ポジションで獲得した史上初の選手となった[10]。後にプラシド・ポランコが二人目の複数ポジション受賞者(二塁手で2回、三塁手で1回受賞)となっている[10]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 CAL
ANA
LAA
57 229 208 34 59 5 1 4 78 20 3 3 1 3 17 1 0 29 3 .284 .333 .375 .708
1997 139 605 539 99 161 34 4 16 251 77 23 8 5 6 51 4 4 86 5 .299 .360 .466 .826
1998 133 590 537 84 159 39 3 19 261 82 20 6 1 3 43 7 6 77 2 .296 .353 .486 .839
1999 142 638 585 84 148 22 5 13 219 53 13 7 2 3 47 3 1 101 16 .253 .308 .374 .682
2000 157 747 676 121 240 39 6 25 366 100 28 8 2 4 64 9 1 82 8 .355 .409 .541 .950
2001 157 711 631 89 163 35 1 9 227 63 24 10 1 7 62 7 10 113 8 .258 .331 .360 .691
2002 150 663 625 99 177 28 4 10 243 73 23 3 5 4 27 4 2 67 9 .283 .313 .389 .702
2003 67 284 258 35 65 7 1 4 86 17 9 1 2 2 18 1 4 40 8 .252 .309 .333 .642
2004 125 543 495 79 146 29 1 7 198 69 16 1 3 4 37 1 4 74 9 .295 .346 .400 .746
2005 153 663 609 86 166 33 3 7 226 66 10 3 4 2 47 3 1 109 8 .273 .325 .371 .696
2006 40 105 95 8 21 8 1 0 31 5 1 1 1 1 6 0 2 18 2 .221 .279 .326 .605
2007 CWS 87 345 310 33 77 13 1 4 104 32 7 2 6 1 28 0 0 44 4 .248 .310 .335 .645
2008 HOU 140 342 322 49 89 16 0 4 117 31 2 3 2 2 14 3 2 68 3 .276 .309 .363 .672
2009 107 150 134 13 26 8 2 2 44 11 0 2 1 1 14 3 0 31 2 .194 .268 .328 .597
MLB:14年 1654 6615 6024 913 1697 316 33 124 2451 699 179 58 36 43 475 46 37 939 87 .282 .336 .407 .743
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • CAL(カリフォルニア・エンゼルス)は、1997年にANA(アナハイム・エンゼルス)に、2005年にLAA(ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に球団名を変更

年度別守備成績[編集]



一塁(1B) 中堅(CF) 左翼(LF) 右翼(RF)
















































1996 CAL
ANA
LAA
- 36 101 0 2 0 .981 11 17 2 1 0 .950 1 2 0 0 0 1.000
1997 126 999 64 11 92 .990 1 3 0 0 0 1.000 - -
1998 70 464 39 2 46 .996 3 7 0 0 0 1.000 70 112 4 1 2 .991 -
1999 78 669 41 1 59 .999 2 8 0 0 0 1.000 67 177 7 0 1 1.000 -
2000 3 5 0 0 0 1.000 30 77 0 0 0 1.000 112 275 9 3 2 .990 -
2001 12 64 7 0 8 1.000 146 398 10 1 3 .998 - -
2002 5 9 0 0 2 1.000 143 452 11 1 3 .998 - -
2003 - 66 190 2 0 1 1.000 - -
2004 124 986 66 4 83 .996 - - -
2005 147 1218 79 4 109 .997 - - -
2006 13 31 1 0 1 1.000 27 71 1 0 0 1.000 - -
2007 CWS 22 174 14 1 18 .995 45 105 1 1 0 .991 12 15 0 0 0 1.000 9 12 1 0 0 1.000
2008 HOU 12 71 2 0 4 1.000 40 97 1 0 0 1.000 56 37 1 0 1 1.000 6 12 0 0 0 1.000
2009 15 94 7 0 13 1.000 1 0 0 0 0 ---- 24 7 0 0 0 1.000 4 8 0 0 0 1.000
MLB 627 4784 320 23 435 .996 540 1509 26 5 7 .997 352 640 23 5 6 .993 20 34 1 0 0 1.000
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 赤文字はMLBにおける歴代最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞

表彰 [編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Darin Erstad 1996 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e 樋口浩一「コンバートへの挑戦 ダリン・アースタッド[エンゼルス・一塁手]」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-6、18 - 19頁。
  3. ^ Darin Erstad 1998 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  4. ^ a b c d Darin Erstad 2000 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  5. ^ Darin Erstad 2002 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  6. ^ 『月刊スラッガー』2005年11月号 日本スポーツ企画出版社 52頁
  7. ^ Darin Erstad 2004Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  8. ^ Darin Erstad 2005 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  9. ^ Darin Erstad 2006 Career Highlights” (英語). 2008年4月13日閲覧。
  10. ^ a b Mandy Housenick (2011年11月1日). “Polanco makes history in winning Gold Glove”. The Morning Call. https://www.mcall.com/sports/baseball/ironpigs/mc-xpm-2011-11-01-mc-goldglove-1101-20111101-story.html 2019年3月22日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]