ナイラク・ブカ

ナイラク・ブカモンゴル語: Нялх бух中国語: 乃剌忽不花 Nairaqu buqa、生没年不詳)は、チンギス・カンの孫のアリクブケの息子で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では乃剌忽不花(nǎiláhū búhuā)、『集史』などのペルシア語史料ではنایرو بوقا(Nāīrū būqā)と記される。

概要

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『集史』「バルグト部族志」によると、ナイラク・ブカはバルグト部の分枝トーラス氏出身の側室より生まれたという[1]

ナイラク・ブカの事蹟については記録が少ないが、『集史』「クビライ・カアン紀」第三部(事実上のアリクブケ伝)によるとコンギラト出身のアシクタイ・ハトゥンとの間にヤイジ、ヤムシュカ、バヤン、エブゲンという息子がおり、オルクヌウト出身のウルジン・エゲチとの間にウラテムルという息子がいたという[2]

アリクブケ王家

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  • アリクブケ大王(Ariq Buke >阿里不哥/ālǐbúgē,اریغ بوکا/Arīq būkā)
    • 威定王ヨブクル(Yobuqur >薬木忽児/yàomùhūěr,یوبوقور/Yūbūqūr)
    • メリク・テムル(Melik temür >明里帖木児/mínglǐ tiēmùér,ملک تیمور/Melik tīmūr)
    • ナイラク・ブカ大王(Nairaqu buqa >乃剌忽不花/nǎiláhū búhuā,نایرو بوقا/Nāīrū būqā)

脚注

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  1. ^ 志茂2013,765頁
  2. ^ 志茂2013,739-740頁

参考文献

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  • 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
  • 松田孝一「ユブクル等の元朝投降」『立命館史学』第4号、1983年
  • 松田孝一「メリク・テムルとその勢力」『内陸アジア史研究』第4号、1988年
  • 村岡倫「シリギの乱:元初モンゴリアの争乱」『東洋史苑』第24/25合併号、1985年