ニコライ・タルイジン

ニコライ・ウラジーミロヴィッチ・タルイジンНикола́й Влади́мирович Талы́зинNikolai Vladimirovich Talyzin1929年1月28日1991年1月23日)は、ソビエト連邦経済学者官僚政治家経済学博士

生涯[編集]

モスクワ出身。労働者の家庭に育ち、1944年から1950年まで整備士、技師、建設技師として勤務する。1955年モスクワ電気技術大学を卒業する。1960年ソ連共産党に入党する。 1965年ソ連通信省次官、1970年同省第一次官を経て、1975年ソ連通信大臣に就任する。1980年10月、ソ連閣僚会議副議長(副首相)としてニコライ・チーホノフ首相を補佐した。同時期に経済相互援助会議ソ連常任代表を務める。

1985年ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任すると、タルイジンはニコライ・バイバコフの後を襲い、ゴスプラン議長、第一副首相に任命される。1988年辞任。

1991年1月23日死去(62歳)。ノヴォデーヴィチ修道院の墓地に眠る。

関連人物[編集]

先代
ニコライ・バイバコフ
ソ連国家計画委員会議長
1985年 - 1988年
次代
ユーリ・マスリュコフ