ノート:ポピュラー音楽

ポップ・ミュージックとの統合提案[編集]

ポピュラー音楽とポップ・ミュージック(以下ポップス)とは、厳密には異なるものかもしれません。異なるというよりも、広義のポピュラー音楽に対して狭義のポピュラー音楽をポップスと呼ぶと考えられます(広義・狭義に関しては「ポピュラー音楽」本文記事に詳述されています)。

  • ポピュラー音楽の記事冒頭に、ポピュラー音楽は「ポップスとも呼ばれる」との記述がある。
  • ポップ・ミュージックの記事の随所に、自身を「ポピュラー音楽」と表現している箇所があり、記事全体が「ポピュラー音楽」についての記事とも読み取れる。

などの点から、両記事の統合を提案します。--和太郎 2008年3月3日 (月) 06:49 (UTC)[返信]

ポップ・ミュージックは記事では「ポピュラー音楽のジャンル」とあります。英語版もそのような感じで、一つの類型というような感じではないかな。ポピュラー音楽のほうが包括的でしょう。記述を直していくことで対応するのがよいと思います。やろうかな、と、ちょっと思ったり思わなかったり。--Ks aka 98 2008年3月3日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
ポピュラー音楽を同義語の(少なくとも、本来は同義語であるはずの)大衆音楽に改名すれば、違いを明確にしやすくなるんではないでしょうか。大衆音楽をリダイレクトのままにして統合すると、大衆音楽がポップ・ミュージックにリダイレクトされるという、少々不自然なことになります。--U3002 2008年3月3日 (月) 14:44 (UTC)[返信]
ポップ・ミュージックをポピュラー音楽に統合するので、リダイレクトの件は大丈夫じゃないですか??でも、「大衆音楽」への改名はわかりやすくていいですね!「ポピュラー音楽」からは「狭義のポピュラー音楽はポップスと同義だ」という印象を受けますし、「ポップ・ミュージック」の方は「ポップスはあくまでポピュラー音楽のジャンルの一つ」というスタンスの割にはポピュラー音楽との混同甚だしいですし…(^-^;もちろん広義のポピュラー音楽はポップスと同義ではない(要するに、ポピュラー音楽の方が包括的だということですね)ので、どなたかが手直ししてくださるのであれば、英語版のように別記事扱いでも構わないとは思っています。--和太郎 2008年3月3日 (月) 15:04 (UTC)[返信]

えーとね。訳語によって、ニュアンスが変わってしまうというのが難しいところで、興味のある方は『ポピュラー音楽へのまなざし』という本の1章を参照。今はポピュラー音楽という表現が、広めに対象をおさえるという用語としては一般的になってきていると思います。--Ks aka 98 2008年3月3日 (月) 15:12 (UTC)[返信]

ポピュラー音楽は大衆音楽と同義じゃないと感じる。「大衆音楽」には大衆の音楽というそのまんまのニュアンスしかないのに対して、ポピュラー音楽には20世紀以降という時代性のニュアンスが加わる点が違う。また「ポップ・ミュージック」あるいは「ポップス」もポピュラー音楽のメインストリームなので「ポピュラー音楽」とほぼ同義なんだけど、打ち込みやシンセサイザー、ホーンセッションやストリングスを多用した音楽というニュアンスも含まれるので完全に同じではない。まあ定義についてはどっかの複数の文献からひっぱってくるのがいいと思うけどね。--Ginz 2008年3月3日 (月) 15:30 (UTC)[返信]
例えば「厠」と「トイレ」は同義語です。しかし両者の与える印象は全く違います。それでも同義語ですよね。つまり本来は、ニュアンスは同義語に影響を及ぼしません。U3002さんも、ニュアンスの違いを理解された上で改名を提案されています。--和太郎 2008年3月5日 (水) 08:53 (UTC)[返信]
いや、それはちょっと違うな。厠もトイレも同義という点に異論はないが、それは物を対象にしている。複数の定義が存在したり、時代とともに扱う範囲がかわるものじゃない。一方、音楽のジャンルは概念を対象にしている。時代とともに定義が拡張されたり、複数の定義が存在するんだ。したがって、この項目を大衆音楽に変更するのは暴論だし、それは音楽史をわかってないんじゃないかと思ってしまう。--Ginz 2008年3月5日 (水) 09:01 (UTC)[返信]
なるほど、確かに「これは厠ですが、トイレではありません。」と言われたら戸惑いますが、「これは大衆音楽ですが、ポピュラー音楽ではありません。」という状況はあり得そうですね。しかしそれは、おっしゃるとおり時代とともに拡張された定義であり、要するに狭義の(いや、本来の)大衆音楽はポピュラー音楽を指すとも言えるのではないでしょうか。ですが、私はこの記事を大衆音楽へ改名したいのではありません。余計なご心配をおかけして申し訳ありません。--和太郎 2008年3月5日 (水) 09:30 (UTC)[返信]

とりあえず、私の言いたいことはノート冒頭の二点を理由とした両記事の統合提案です。後者の理由(両記事の混同)は、「ポップ・ミュージックは、ポピュラー音楽に編入統合されるのがふさわしい」という積極的理由です。これだけでも十分に統合するに足ると思います。さらに前者の理由(狭義での同義性)があるわけですが、こちらは「ポピュラー音楽は、ポップ・ミュージックの受け入れ先として申し分ない」というものです。しかし、たとえ両記事が同義でなかったとしても、ポップスがポピュラー音楽の一分野であることに変わりはないので、「ポピュラー音楽は、ポップ・ミュージックの受け入れ先として差し支えない」へ格下げされる程度だと思います(「申し分ない」と「差し支えない」はほぼ同義語ですが、ニュアンスが違いますよね笑)--和太郎 2008年3月5日 (水) 08:53 (UTC)[返信]

提案後1週間が経ちましたが、改名議論に終始した感が否めないので、もう1ヶ月様子を見ます。その間に十分な加筆や訂正がないようでしたら、それをもって統合の合意が得られたとして、統合作業に移ろうと思います。--和太郎 2008年3月11日 (火) 18:30 (UTC)[返信]

こういう提案を加筆依頼がわりに使うのはやめてほしい私が来ましたよ。かと言って加筆・修正する気もサラサラありませんけど。こんなどでかい内容に真剣に取り組むなら自分のサイトでやる。

ポピュラー音楽ポップ・ミュージックも現状は独自研究の固まり、世に数多とある専門書の内容すら踏まえていないんですが、その独自研究でしかない駄文の記述を根拠にして、本来確実に別物とされていなければならない記事を統合させるメリットはあるのでしょーか。極東の1国だけの論理、しかもここ10数年の狭い視点だけで話をすすめようとしてませんか?--119.150.15.195 2008年3月31日 (月) 22:43 (UTC)[返信]

統合提案、失念していました!思い出させていただきありがとうございます。私もポピュラー音楽ポップ・ミュージックは確実に別物だと思います。しかしこの通り、両者を別記事として成立させるだけのポテンシャルをWikipedia日本版が現時点で持っていないのが事実だったではありませんか。それが極東の1国が出した解であれば、それはそれでいいんじゃないですか?--和太郎 2008年4月1日 (火) 10:34 (UTC)[返信]
ポピュラー音楽ポップ・ミュージックは確実に別物だと思うならほっとけばいいじゃん。いつかこの項目を何とかしたくなる専門家のためにおいておけばいい。専門書などの参考文献にもとづいて、統合およびその後の加筆を和太郎氏が一気に書き上げるというのなら反対しないが、2つの文章を適当にくっつけて統合、というなら統合しないほうがいい。--Ginz 2008年4月1日 (火) 16:39 (UTC)[返信]
同一だと強く主張される方がいるならばともかく、そうでない現状で統合する意味は見出せません。ポップ・ミュージックとポピュラー音楽を統一するのは、ジャズとポピュラー音楽を統一するというのと同じようなものです。どちらの記事も不十分であるとは思いますが、日本語版の記事を見ても両者の相違は一応理解できるように書かれていますから、別記事として成立しています。統合に強く反対、積極的な統合の理由が提示されなければタグをはがします。--Ks aka 98 2008年4月1日 (火) 17:59 (UTC)[返信]
無自覚だったものの、失礼ながら私がやりたかったことは統合提案を用いた削除依頼・執筆依頼だったのかもしれません。ポップ・ミュージックの記事を一時的に(!)非存在にし、まっさらな状態からポップ・ミュージックの記事(もしくは、より一般的にポップスという記事でも)を執筆していただいた方が、あのポップ・ミュージックの記事に加筆するより数段やりやすいのではないでしょうか。この数ヶ月の動向を見る限り両記事はこの先しばらく改善されないと判断するのが妥当ですよね。でしたら、一時的に(!)統合することでポップスの記事を執筆したくなる衝動を育てた方が両記事の発展のためにはよろしいかとも思うんです。それこそ、「いつかこの項目を何とかしたくなる専門家」が一から執筆してくれると思うんです。いかがでしょうか。--和太郎 2008年4月2日 (水) 15:34 (UTC)[返信]
統合による内容の混乱よりは削除のほうがマシだとは思いますが、いずれの記事とも、ポップ・ミュージックを一般化したものが「ポップス」であるという認識と比較して、「論外」あるいは明確な誤りといえる記事ではありません。削除せずとも、一から書き直すことは可能ですし、過去の執筆者への敬意を欠き、リテラシを持った閲覧者の益を損なう提案だと思います。さらにいえば、このような形で加筆・修正を促す行為は、自発的に加筆しようとする意思を損なわせる場合もあることをご理解いただきたいと思います。--Ks aka 98 2008年4月2日 (水) 16:07 (UTC)[返信]
私の言いたいことをうまく伝えられないことを残念に思いますが、取り立てて弁明するのも野暮かと思うので控えます。それでも、「無自覚だったものの、失礼ながら」と申した通り、自発意思を損なわせるものだったことは重々理解していますし、過去の執筆者への敬意を払った結果の、そしてよりよい記事を目指すための統合提案であったことだけでもわかっていただけたら嬉しく思います。統合提案は、建設的に撤回させていただきます。ありがとうございました。--和太郎 2008年4月2日 (水) 17:04 (UTC)[返信]

広辞苑に載りました そのまま引用できないから簡単に ポップス=流行曲(pop)を派生させた和製語だそうだ--220.41.66.64 2008年12月19日 (金) 14:57 (UTC)[返信]

「音楽史」で「ポピュラー音楽史」を書いた者ですが[編集]

「音楽史」の項目で「ポピュラー音楽史」の部分を大幅に書いた者ですが、リンクを貼りながら、こちらの「ポピュラー音楽」の記載がいかにもあっさりしているのが気になっていました。現状だと「ポピュラー音楽」の定義についてだけ、英語版からの訳が存在しているだけの状態です。 腹を括って、ポピュラー音楽の定義・各種の源泉・アメリカにおけるポピュラー音楽の成立などとしっかり項目を分けて、「音楽史」のところにあるポピュラー音楽史の記載をさらに充実化させるような形でつくってしまったらどうなるだろうと考えています。ご意見お聞かせください。--Sunrise 2013会話2018年6月3日 (日) 04:42 (UTC)[返信]

とりあえず反応がありませんが、反対する方もいらっしゃらないようですので、まず見出しをつくって見ます。中身の方はじわじわ書きます。--Sunrise 2013会話2018年6月12日 (火) 11:00 (UTC)[返信]
とりあえず1980年代までできました。この後は2000年くらいまで何とか書いて、それから出典を示す作業に入ろうかと思います。ご意見・ご感想を引き続きお待ちしております。--さんらいず会話2018年6月16日 (土) 12:21 (UTC)[返信]
コメント 音楽分野の門外漢なので参考程度に聞き流して貰うつもりの感想です。歴史が大作記述になっているので「ポピュラー音楽の歴史」で切り出して、本記事の歴史節は要約程度に留めた方が良いんじゃないかしら。例えば、「オープンソースソフトウェア」と「オープンソースソフトウェアの歴史」みたいに。コンピュータ分野は歴史が浅くそのコンプレックスから「○○の歴史」記事が多いけど、音楽分野はどうなのか分からないです。今更分けようとすると分割提案が必要で面倒そうなので消極的な提案です。しかし、さんらいずさんの加筆前はあっさりしすぎなので、多角的観点の記述は門外漢なりに加筆したい所存です。出来るかは別だけど。--やなぎ0会話2018年6月28日 (木) 13:56 (UTC)[返信]
うーん、どうでしょう。私個人は、書いた文章がどこにあろうがあまり気にしませんが、ポピュラー音楽史の要約はすでに「音楽史」の項目にあり、あれより短い記載だと「ポピュラー音楽」という項目としてはちょっとどうだろうという感じであり、別な方にも聞いてみたいですね。ただ、大変長くなってしまったのは認めます。--さんらいず会話2018年6月30日 (土) 11:00 (UTC)[返信]

ノートページでの議論[編集]

先日、この記事に「出典の不足」と「独自研究のおそれ」のタグが貼られ、修正とノートページでの議論への協力が求められています。出典は「後で貼る」と言っておいてまだ貼っていなかったわけなので、作業に手をつけました。実は、この文章はほぼ全て出典がありますので、どこから持ってきた記載かを調べ直せば、出典を示すことは可能です。

で、「独自研究のおそれ」に該当しそうなのは、歴史の最後の方、1990年代以降の記載でしょうね。ここは、シングルCDの歴代売上トップ50に入っている曲のうち90年代以降のものを取り上げ、それまでのジャンルに当てはまることを示したのち、MicrosoftEncarta2005のポピュラー音楽のまとめの記事を引用し、それにかぶせる形で展望を示しています。

「シングルCDの歴代売上トップ50のうち15曲は1990年代以降のものだ」と言うのは客観情報であり、ソースとなるリンクを示せば問題ないでしょう。 「この15曲はそれまでに現れたジャンルのどれかに該当する」と言うのも客観情報ですが、出典は示すのが難しいですね。「マライア・キャリーはカリスマだ」とか「リッキー・マーティンはプエルトリコ出身だからラテンの雰囲気がある」とか言う話は、誰でもわかるがゆえに、まともと見なしてもらえる出典にはあまり書いてもらえない話です。 MicrosoftEncarta2005のまとめ記事の引用は、アリでしょう。独自研究のおそれはありません。 その後のまとめは、「インターネットの発達と普及は音楽の媒体をCDからダウンロード販売に移行させ、スマートホンの普及は若年層の時間とお金を音楽から奪い取り、」が客観情報で出典を示すこともできそうなもので、「CDバブルの頃のようなメガヒットはもはや生まれないであろう。」というのはそこから必然的に導き出される予想、「しかし、こうした連続性はいまに至るも保たれている。」はEncarta2005のオウム返し、「今後ともアメリカ・ポピュラー音楽は、これまで黒人音楽が与えてくれたような活力をさまざまなローカルなものに求めつつ、世界で売れる音楽をつくろうとし続けるだろう。」はこれらすべてを踏まえて必然的に導き出される予想です。

必然的に導き出される予想をどこまで許容するか、ということについては、さまざまな記事で議論がなされているようです。 私個人としては、出典を示すことは必要と思いますが、例えば「1+1=2」と言うレベル・「顔が南を向いたら後頭部は北を向く」と言うレベルの、当然の推測についてまで出典を厳格に求めるのは馬鹿げていると思いますし、だいたいそういうレベルでウィキペディアの記事全体がしっかり監督を受けているわけでもありません。教条主義的な典拠主義・「出典のない記載は存在してはならない」というドグマを非妥協的に適用すると、ウィキペディアの記載の質を下げることにもなりかねません。

「ロック(音楽)」という記事に以前あった歴史の項はバッサリ削られました。あの記事は確かに多少問題があったと思いますし、出典もいつまでも示されなかったのでやむを得ないのかも知れません。しかし、あの歴史の記載がない「ロック(音楽)」は、大変さびしい記載になってしまっています。

ウィキペディアがもたらしたのは、世の百科事典が売れなくなって駆逐されるという事態でした。今の若い人たちは、特に何の疑問もなく、ウィキペディアを百科事典だと思って利用しています。そうした時に、例えば中学生や高校生がその問題についての概要をさっと調べられるような記載は、多少問題があったとしても残っていてほしかったと思う次第です。

私はそういう心算で様々な記事を書いています。つまり、中学生・高校生・大学生くらいの人々が、ネットで調べようと思った時に、最初に出てくるのがウィキペディアの記事である場合が非常に多いため、そういう人たちに問題の概要をきちんと伝えられるように書こう、ということです。

出典が必要なのは認めます。また、そうした出典や客観情報と言うことを軽視した記事が危険なのもわかります。私が書きなおしているのはそういう意味で「見かねた」記事です。ロック(音楽)の歴史の項は、面白いし勉強にはなるが、ウィキペディアの記事としてはかなり微妙だな、というのが思っていたことでした。

しかし、だからと言ってバッサリと言うのは、イエスを迫害したユダヤの教条主義を思わせます。イエスの反論は「人間のために安息日があるのであって、安息日のために人間がいるのではない」でしたか。wikiで言えば「記事のために出典があるのであって、出典のために記事があるのではない」でしょう。「読む人の知見拡大のためにwikiの出典ルールがある」のであって、「wikiの出典ルールのために読む人の知見が制約を受ける」のは良いことではないでしょう。

私の記載は、そういう意味でまずいものなのか、出来れば管理者の方などに伺ってみたいです。とりあえずは、タグを貼ったJapaneseA氏に聞いてみたいですが、他の方も(管理者でなくても)ご意見いただければと思います。--さんらいず会話2018年6月30日 (土) 11:56 (UTC)[返信]

当たり前の事を言いますが、Wikipediaでは事実かどうかより検証可能かどうかが重視されます(WP:V)。「1+1=2」と言うレベルどころか「俺の考えた新説」レベルの記述も多々混じっています。次に、「大変目立つ」「爆発的な人気を得た」「カリスマたちである」「今でも耳にするような名作曲を生み出した」「「最もロックらしいロック」と言われる」、この手の表現は「〇〇は~~~であると評している」形式にする必要があります(WP:NOR)。これを断定形にするのであれば、複数の強固な信頼できる情報源が必要でしょう。なお、「ジョーズやスター・ウォーズのテーマ音楽」は独自研究です(映画音楽で十分です)。それから誤リンクや曖昧さ回避へのリンクが多々あるので、wikifyタグも必要ですね。--JapaneseA会話2018年6月30日 (土) 12:26 (UTC)[返信]
「俺の考えた新説」は、入れていないつもりですが、どこでしょうか。

表現は、参照元をほぼそのまま書いていますが、例えば平凡社大百科事典の「ロック」の項には「全米で人気が爆発した」「最もロックらしいロック」、ポピュラー音楽の項には「ブームが突如巻き起こる」「人気を奪う」などと言う表現が見られます。これに限らず、ポピュラー音楽に関する文献は大げさな言い回しが多いので、出典があってもこういう批評を頂くのでしょうね。とりあえずは出典をしっかり示します。 「ジョーズやスター・ウォーズのテーマ音楽」という文は、ポピュラー音楽の項にはありませんが、ちゃんとご覧になったのでしょうか。書いていないものを「独自研究である」と言われても困ります。「ジョーズ」は書いた覚えがありません。検索をしても出てきませんよ。 誤リンクや曖昧さ回避へのリンクは直します。--さんらいず会話2018年6月30日 (土) 13:01 (UTC)[返信]

大前提として、貴方の編集だけを批評しているのではなく、現状の記事を批評しています。もう1つの大前提として、出典がないものは論外です(出典のない批評は「俺の考えた新説」として扱われても文句は言えません)。「概説」節に「ジョーズやスター・ウォーズのテーマ音楽」と記載があります。次に、意見は意見として記載します(「平凡社大百科事典は~と評している」となります)。--JapaneseA会話2018年6月30日 (土) 16:12 (UTC)[返信]
なるほど、「概説」節のそれは気づきませんでした。しかし、そこだけだったらさっさと除去してしまえば済むのではと思います。誰も文句を言わないような部分でしょう。わざわざタグの形で、全体が独自研究にまみれているかのような印象を与える必要はありません。
最初の言い方だと「俺の考えた新説」レベルの記述も多々混じっている、ということでしたが、どこなのかお聞きしたところ、「出典のない批評は『俺の考えた新説』として扱われても文句は言えません」とトーンダウンしました。おそらく「大変目立つ」「爆発的な人気を得た」「カリスマたちである」「今でも耳にするような名作曲を生み出した」「最もロックらしいロック」などのような表現が、出典に基づいたものだとは思わず、Sunrise2013が主観で書いた、と思われたのでしょう。が、これらに出典があるとなると、「俺の考えた新説」は無くなってしまいます。で、トーンダウンされた、ということでしょう。
やむを得ないとは思いますが、是正メインの方は完全に形式主義ですね。内容に関する疑問や問題点ではなく、ルールに則っているかどうかを最優先する。逆に言えば、ルールに則ってさえいればいくら中身がグチャグチャでも無内容でも構わない。社会的に見て意味があるのではと言うような記載でも、形式主義を盾にバッサリ切ったりする。私はせっかく警告いただいたので、出典はきちんと示してこの記事を守り通したいと思います。--さんらいず会話2018年6月30日 (土) 23:07 (UTC)[返信]
独自研究はそこだけではありません。トーンダウンはしていません。Wikipediaでは基本的に出典のない批評は全て独自研究として扱われます。「大変目立つ」「爆発的な人気を得た」「カリスマたちである」「今でも耳にするような名作曲を生み出した」「最もロックらしいロック」、これらに出典がなければ全て独自研究です。出典を提示してはじめて、独自研究ではない事を証明できるのです(勿論「〇〇は~~~であると評している」形式にしなければならない事)。形式主義も何も、Wikipediaとは検証可能な出典により独自研究をしない、そういう場所です。なお、「吉田拓郎・荒井由実・中島みゆきなどのシンガーソングライターの時代」のような箇所を多々目にしますが、こういう人物・作品を代表例とする記述も、出典の提示がなければ「俺が考えた新説」です。出典があるという前提で話しますが(なければ論外)、これは事実から抜粋した批評です。私がブリタニカの編集者なら小田和正氏を入れますが、そうしていないのはなぜでしょうか?恐らく編集者なりの理由があるのでしょう。だから「〇〇は~~~であると評している」形式にしなければならないのです。悪い事は言わないから、WP:VWP:NORを熟読して下さい。そして、私と問答している暇があれば、私や他の利用者により出典のない記述を除去される前に、出典をつけるべきでしょう。--JapaneseA会話2018年7月1日 (日) 01:05 (UTC)[返信]
コメント {{出典の明記}}をsection指定で使っては如何か。記事全体に出典を求めるほどではないが、90年代以降の記述に出典を求めているのだから、行単位で細々{{要出典}}をつけるのはWP:TAGBOMBでしょうに。--やなぎ0会話2018年7月1日 (日) 18:05 (UTC)[返信]
 追記 話題を新規に挙げるほどでもなく、編集合戦になるのを嫌って、ここにコメントしましたが、別段JapaneseAさんへのコメントではないので悪しからず。--やなぎ0会話2018年7月1日 (日) 22:57 (UTC)[返信]
私もあの要出典範囲タグの使い方はいかがなものかと思っていました。全体や節単位に貼るか、あるいは記述の除去のいずれかにすべきかと思います。--JapaneseA会話2018年7月2日 (月) 08:07 (UTC)[返信]

コメント 出典付けが終わったようなのでコメント。キリがないので2箇所だけ例示します。「メイン・ストリーム・映画とのつながり・黒人文化」「オペラ人気の再燃?」、独自研究です。「音楽が全体に過激に走っていく時代にあって、敢えてシンプルで美しいメロディーの普遍性を訴えるスタイルで人気となった。」、出典はありますか?出典付けが終わったのであれば、出典のない独自研究を除去しますが、宜しいですか?なお、いずれにせよ批評・意見が断定形で書かれているのは問題です(適切なタグがないので、とりあえず独自研究タグで代用します)。--JapaneseA会話2018年7月4日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

丁寧にご指摘いただきありがとうございます。おかげさまでヤバそうなところをまた多少補うことができました。いろいろと言いたいことはないではないですが、また長くなっても面倒です。できれば(意図せざる、結果的な)独自研究はタグをつける程度にして下さい、とだけお願い申し上げます。--さんらいず会話2018年7月5日 (木) 11:16 (UTC)[返信]
「最も売れたアーティストたち/映画のテーマ/黒人」などの分類が独自研究だという事に、まだ気づきませんか?繰り返しますが、あらゆる箇所で批評・意見が断定形で書かれているのは問題です。ある程度の期間、改善しないようであれば、大幅な除去・改修とする場合もあります。--JapaneseA会話2018年7月5日 (木) 13:37 (UTC)[返信]
[1]には黒人どうこうという分類はされていません。つまり分類する事自体が独自研究なのです。音楽関係者100人が分類しても、同じ分類になるのであればともかく、これはそうではないでしょう。百歩譲って、まだ黒人霊歌なら話もわかりますが、ただ単に黒人というだけで分類するのは不適切です。更に言えば、映画音楽という分類も同様で、映画音楽の3位までという「3」の根拠も不明です。音楽の歴史としてどこの百科事典であろうが、どの評論家の意見であろうが、同じ内容になるであろう箇所は断定形でも構わないかもしれませんが、そういう場合は強固な出典が複数必要でしょう。出典が1つしかないのであれば、「〇〇は~と評している」形式にする必要があります。「吉田拓郎・井上陽水・荒井由実・矢野顕子・中島みゆき」などは、出典の著者の評価にしか見えません。それとも他の出典でもこの4人<isn>5人なのでしょうか?私がなぜ独自研究タグを貼ったか、これで御理解頂けたでしょうか?--JapaneseA会話) 2018年7月6日 (金) 10:35 (UTC)ミス修正--JapaneseA会話2018年7月6日 (金) 13:03 (UTC)[返信]
理解しました。その上で、釈明…ではありませんが、そんなようなことをします。
まず、取り上げた曲はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%E9%9F%B3%E6%A5%BD#cite_note-143のうち、1990年以降に発表された19曲です。この19曲を、ジャンル分けしたものが「・最も売れたアーティストたち」以下の項です。
「黒人」と言う分類は、「アフロ・アメリカン音楽をルーツとする者」と言いたいわけです。ホイットニー・ヒューストンはソウルシンガーを親戚に持ちゴスペルクワイヤーに入っていましたし、マライア・キャリーはブラックミュージックを基盤としていますし、ビヨンセもソウル・ミュージックやゴスペルに夢中になるところから音楽歴をスタートしていますし、残りの2名は明らかにアフロ・アメリカン音楽をしていますし、全員アフリカ系の血を引いています。これまでのアメリカ・ポピュラー音楽の中で、アフロ・アメリカンが果たしてきた役割や伝統を引き継いでいると言える人々です。アフロ・アメリカ系の人々の音楽は、明確なジャンル名を失いつつあります。しかし、そんな中でホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーやビヨンセは、アフロ・アメリカン音楽を基盤に、カリスマに上り詰めた人々だと言えるでしょう。「ただ黒人と言うだけ」で分類したわけではありませんし、専門家に見せても、ありうる分類だと言う評価はいただけると思います。
「映画音楽」の3位までの根拠は、先ほどの19曲に含まれている映画音楽がこれら3曲だった、それだけです。
当初「最も売れたアーティストたち/映画のテーマ/黒人」としたのは、これらの中に複数に当てはまるものがあるため、重複を嫌ったためまとめましたが、「まとめる」という行為自体が解釈だと言われればそうですから、より中立的にしたつもりでした。
「音楽関係者100人が分類しても、同じ分類になるのであればともかく」とおっしゃいますが、https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E8%BC%89%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84#%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%92%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8Bの中に、「多くの場合、複数の確立した観点が一つの議題に関して存在しています。そのような場合、いかに良く調査・研究されていたとしても、単一の観点がその議題に関する権威となることはありません。」とあります。これを素直に読めば、音楽関係者100人中、まあ50人以上が賛成してくれるのであれば、問題なしでしょう。そして「彼女ら5名がアフロ・アメリカン音楽にルーツがある」と明示した出典は、まず見つからないでしょう。当たり前だからです。
「『吉田拓郎・井上陽水・荒井由実・矢野顕子・中島みゆき』などは、出典の著者の評価にしか見えません。」とおっしゃいますが、同じ辞典ですので同じ著者の可能性もありますが、Encarta2005のシンガー・ソング・ライターの項では吉田拓郎・井上陽水・五輪真弓・荒井由実が挙げられており、リンクは五輪真弓を除く3人についており、ほぼ同じです。さらに言えば、吉田拓郎と井上陽水は1975年のフォーライフの設立メンバーであり、Encarta2005の「日本の流行歌」の項にはこの二人だけ名前が二回載っています。出典が一つの辞典(の二つの記事)しかない弱みはありますが、それほどおかしな人選ではないでしょう。ちなみに、4人ではなく5人です。
ジミー・ウェールズは物理と歴史のトンデモ理論をウィキペディアから排除したくて、独自研究は載せないと言うルールをつくったと言います。しかし、ポピュラー音楽(とくにここ20年ほどの、歴史的評価が定まったとは言い難いもの)に関しては、まとまった記載がなかなかありません。そうした中で、ぎりぎり許される記載がどういうものなのか、この辺の問題は、出来れば専門家の意見を伺ってみたいところです。--さんらいず会話2018年7月6日 (金) 12:36 (UTC)[返信]
映画音楽ですが、3位のブライアン・アダムスは[2]に含まれていないように見えます(何か見落としがあれば すみません)。さて、専門家に見せてもありうる分類、ほとんどの独自研究はきっとそうだと思います。私は貴方の分類が間違っているとは言いませんし、思っていません。ここが貴方のサイトであれば、賛同したかもしれません。しかし、ここは百科事典です。独自研究するなはWikipediaの3本の柱です。私が分類する最も美しいビーチランキングも、私が分類する歌手の歌唱力ランキングも、きっと評価する専門家は大勢いるでしょう。それを掲載するのと同列だという事です。まとめますが、独自研究は載せるな、他者の考えた批評は帰属化しましょう(〇〇は~と評している形式)、です。せっかく出典を提示しているのにそうしないのは勿体無い話ですね。--JapaneseA会話2018年7月6日 (金) 13:03 (UTC)[返信]
リンクが[3]で、同じページですが違うランキングで、ポピュラー音楽のページでは[143]と表示されています。誤解を招きやすい表記だったとすればすみません。
独自研究のページにある「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。」に、「分類」が該当する、ということなのでしょうが、これを回避したければ、あとは表にしてその曲やアーティストの属性を示すくらいしかないでしょうね。ただ私はウィキペディアに参加して日が浅く、表はまだ作ったことがないので、これから調べます。
帰属化もしようと思いますが、どこにそれが必要なのか洗い出すところからですね。単一の出典しかなくて、他の資料では違った解釈をしている可能性がある部分については帰属化せよ、ということでしょうが、おそらく出典を全て示すのに費やしたのに近い時間がかかるでしょう。しかし、できあがれば、ウィキペディアの趣旨に相当沿った記事にすることはできるかも知れません。
ある程度予想はしていましたが、ウィキペディアの執筆は大変ですね。なぜ音楽関係の記事で重要度の高そうな項目に限ってすごくあっさりした記載が多いのか、よく分かった気がします。ウィキペディアの三本柱を遵守しようとすると、音楽理論の話やクラシックの歴史ならいざ知らず、ポピュラー音楽関係は針の穴をラクダを通すような話になってしまいます。以前のような「独自研究を通り越して明白な間違い」のような記事を削って行った時に、三本柱を遵守しつつ出がらしにならずに意味のある記載を貫徹するのは非常にハードルが高いと言うことでしょう。今回はそれがかなりわかったと思います。
長々お付き合いいただいて感謝いたします。--さんらいず会話2018年7月6日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
Wikipediaでは「分類しよう」と思わない方が良いかもしれません。曲やアーティストの属性も、人によって分類方法は様々ですし、どの分野にも分類者泣かせの事物は必ずあります(複数に分類される、分類の中間など)。--JapaneseA会話2018年7月8日 (日) 11:43 (UTC)[返信]
更新された表ですが、累計はそのシングルを歌った(演奏した)アーティストの売上という意味でしょうか?で、あえばそう書かないと提示したシングル曲の売上と誤解されます。単位も必要です(枚?ドル?)。ちなみに、ブリトニーは出典[4]に記載がありませんし(見落としがあればすみません)、エルトン・ジョンは確かに2億以上ですが、出典では約2.5億なので、約2.5億の方が良いでしょう。あと、「90年代に入ってCDの売り上げは伸びを見せ、98年には世界的にCDの売り上げが過去最高となった」の出典が(世界の話をしているのに)日本の売上ではダメでしょう。それともこれは、全世界の売上をまとめた出典なのでしょうか?で、あれば問題ありません。--JapaneseA会話2018年7月8日 (日) 12:52 (UTC)[返信]
「黒人」は除去しました。WP:NORを熟読して下さい。--JapaneseA会話2018年7月9日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
なんとか全て対応したつもりですが、あとは何もないでしょうか?少なくとも、「まあ、これなら何とか」くらいにはなったでしょうか?なったのであれば、出典要求と独自研究のタグを外したいのですが、よろしいでしょうか?--さんらいず会話2018年7月15日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
再三申し上げているのですが、全体を通して、ほとんど帰属化されておらず、意見・論評が事実として記載されています。例えば「CD不況と音楽業界の低迷」節、前半3文は事実ですので、このままで良いとしても、後半2文は評価なので、帰属化が必要です。それから「パンクの誕生とロックの危機」節のように出典がついていて、かつ記述に別の出典がついている、これは普通のやり方なのでしょうか?1文、1文に出典を記載すべきと思いますが、いかがでしょうか?(この観点では「CD不況と音楽業界の低迷」節は完璧です)。なお、「スター不在の年代」節は直リンクだらけなので、refタグを使用すべきでしょう。--JapaneseA会話2018年7月15日 (日) 17:52 (UTC)[返信]