ノート:坊つちやん

>本人をモデルにしたと思われる江戸っ子丸出しの喧嘩っ早くて、無鉄砲な新米教師の物語

とありますが、”本人”はむしろ赤シャツに近い立場であったのではないか、との解説も読んだことがあります。

あと、「清」が、夫人の「鏡子」に通じるのではないかという解説もありましたね。160.185.1.56 2005年8月31日 (水) 03:23 (UTC)[返信]

漱石研究家の宮崎俊彦氏(昭和57年没)によれば,坊ちゃんのモデルは,同志社を卒業して松山中学に赴任した弘中又一氏であるとされている。中学での彼の奔放な振る舞いが有名だったそうである。220.106.176.160 (ノート | 投稿記録) 2005年10月31日 (月)

小供について[編集]

「親譲りの無鉄砲で小供のときから損ばかりしている。」についてですが、原文が小供なのでしょうか。もしそうであれば、注訳を入れたほうがいいと思います。無知ですいません。--Yuutan 2007年4月4日 (水) 01:41 (UTC)[返信]

外部リンクの青空文庫内のテキストを参照すれば分かると思いますが、原文が「小供」になっています。正直なところ、「名文」という節自体が不必要に思えたので、節ごと削除しました。--カスガ 2007年4月4日 (水) 10:26 (UTC)[返信]

表記について[編集]

まず予備知識から。

最初に刊行された春陽堂版の書名は「坊っちやん」です。しかし、本文には「坊つちやん」とあり、またその後の本には「坊つちやん」の「つ」があったりなかったりと表記はまちまちです。ただし、漱石自身の原稿には「つ」の表記があるそうです。

候補としては「坊っちやん」「坊つちやん」くらいで、どちらにするかは議論に余地がありそうですが、リダイレクトがつくられていたので「坊つちやん」へ移動しました。必要ならば書目の調査を行います。--DOERAX 2007年4月29日 (日) 05:31 (UTC)[返信]

戦前の書名に関しては、決まったやり方があるわけではないようですが、「旧漢字は新漢字に改める」というというのが主流ですよね("福翁自傳"→"福翁自伝")。書名には拗音・促音が現れにくいこともあり、これまで問題にはなっていないようですが、この流れから言うとかな遣いも新かなに改めたほうが整合性が取れるのではないでしょうか。また、Wikipediaは外来語表記等でも慣習を尊重するように勧められていますが、戦前の書名に関しては、新かな新漢字に改めるのが慣習ではないかと思われます。今試しに「"夏目漱石" "坊っちゃん"」と「"夏目漱石" "坊つちやん"」でGoogle検索したところ、10万件対1610件でした。--竹田 2007年11月13日 (火) 23:26 (UTC)[返信]
>Wikipediaは外来語表記等でも慣習を尊重するように勧められていますが、戦前の書名に関しては、新かな新漢字に改めるのが慣習ではないかと思われます。
まあ、そうだと思います。--経済準学士 2007年11月14日 (水) 08:30 (UTC)[返信]
とりあえず改名提案を貼ります。
いったん「坊っちゃん」から「坊つちやん」への移動が行われているようなので、差し戻すような形になり、移動をされたDOERAXさんには申し訳ないのですが、現在ウィキブレイク中のようです。
私の考えとしては、Wikipedia全体の統一性を考えると、これを「坊つちやん」とするなら他作品も旧かな旧漢字にしないと整合性が取れないと思いますので、異論がなければそのまま移動で問題ないのですが、反対意見があるようならば、「出版後に正書法が変わり、元々のものと違う題名で現在出版されている出版物」の題をどう扱うか、外国語(原題をカッコ内で記述する場合等)を含めて議論する必要があるでしょう。
なお、前の移動を差し戻すということを考慮し、1ヶ月ほど待つ予定です。--竹田 2007年11月15日 (木) 01:28 (UTC)[返信]
すでにスタイルマニュアルのノートで議論があったんですね。まあ確かに、「一般の慣例」と「百科事典としての慣例」があれば、Wikipediaは性質上後者に従うべきかと思います。ただ、現段階では前者の根拠はあっても後者の根拠が具体的な形で示されていないので、改名提案は取り下げず、議論を続けるために貼っておこうと思います。なお、1ヶ月という期限は取り下げ、結論を待って改名(あるいは取り下げ)とします。--竹田 2007年11月15日 (木) 03:11 (UTC)[返信]
スタイルマニュアルのノートで、多くの百科事典で旧仮名遣いの作品名において拗促音の小書きを行っていないという根拠が提示されましたので、改名提案を取り下げます。--竹田 2007年12月10日 (月) 04:54 (UTC)[返信]

丸谷才一の説について[編集]

清が母であるという説は、いわゆるトンデモの部類に入る、奇を衒った独自研究として、削除したものですが、差し戻されました。「母も死ぬ三日前に愛想をつかした(中略)このおれをむやみに珍重してくれた」「母が死んでから清はいよいよ俺をかわいがった」、「すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。」の「坊ちゃん」中の記述を見れば、別人なのは明らかで、たとえ出典が明らかにできたとしても、これは(丸谷才一の)独自研究ではないかと思うんですが、皆さんいかがお考えでしょうか?--草刈人たみお 2011年3月26日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

ウィキペディアで言うところの「独自研究」とは、編集者自身による考察などを指しています。丸谷才一が著作で示した見解を(出典を明記して)紹介するのは「独自研究」ではありません。例えばこれが『丸谷才一が酒の席で冗談として一度言っていた』という程度のものなら、記事に含めるべきではないとも考えられますが、その場合は『特筆性に欠ける』などといった理由で削ることになるでしょう。ところで、丸谷才一の説は『実は清が本当の母だった。「母」は育ての母である』という意味だと思いますよ。 -- NiKe 2011年4月17日 (日) 01:49 (UTC)[返信]