バンクーバー・カナックス

バンクーバー・カナックス
Vancouver Canucks
カンファレンス ウェスタン・カンファレンス
ディビジョン パシフィック・ディビジョン
創設年 1945年 (79年前) (1945)
歴代チーム名 バンクーバー・カナックス
(1945 - )
ホームアリーナ ロジャース・アリーナ
ホームタウン カナダの旗 カナダ
ブリティッシュコロンビア州バンクーバー
バンクーバー・カナックスの位置(カナダ内)
バンクーバー・カナックス
チームカラー 青、緑、白
     
メディア
オーナー カナックス・スポーツ・アンド・エンタテインメント
GM ジム・ベニング
ヘッドコーチ ブルース・ボドリオー
キャプテン ボー・ホーバット
獲得タイトル(獲得年)
スタンレーカップ優勝 (0回)
なし
アブコワールド (0回)
なし
カンファレンス優勝 (3回)
1982・1994・2011
ディビジョン優勝 (10回)
1975・1992・1993・2004
2007・2009・2010・2011
2012・2013
プレジデンツトロフィー (2回)
2011・2012
カナックス
GMプレイス

バンクーバー・カナックスVancouver Canucks)はカナダブリティッシュコロンビア州バンクーバーを本拠としているナショナルホッケーリーグNHL)所属のプロアイスホッケーチームである。

歴史[編集]

1945年に太平洋岸ホッケーリーグ (Pacific Coast Hockey League, PCHL) はバンクーバー市にアイスホッケーのフランチャイズ権を与えることとした。そこで設立されたのが、バンクーバー・カナックスである。カナックスは、創設わずか2年で PCHLで優勝する順調な滑り出しを見せた。

1952年には、PCHLが西部カナダシニアホッケーリーグ (Western Canada Senior Hockey League) と合併しプロマイナーリーグである西部ホッケーリーグ (Western Hockey League, WHL) が誕生する。カナックスからは、ジョニー・バウワー(Johnny Bower)、アンディー・バスゲート(Andy Bathgate)、トニー・エスポジト (Tony Esposito) 、ボビー・オア (Bobby Orr) 、フィル・マロニー (Phil Maloney) といったスター選手が輩出されて、チームは1958年1960年1969年 及び1970年レスター・パトリック・カップ (Lester Patrick Cup) を獲得する。

1965年になると、NHLはリーグに新たに6チームを加える市場拡大構想を発表した (この構想により誕生したチームはのちに「エクスパンション・シックス」と呼ばれる)。当時WHLに加盟していたカナックスのオーナーであり、元バンクーバー市長も務めたフレッド・ヒューム (Fred Hume) はバンクーバー市もこの構想に乗って参加申請することを発表した。

ところが、NHLの理事会 (Board of Governors) に対するプレゼンテーションの準備がずさんを極めていた。このことに加えて、バンクーバーのオーナーグループがシカゴ・ブラックホークスのオーナー、ジェームス・ノリス (James Norris) やトロント・メープルリーフスのオーナー、スタフォード・スマイス(Stafford Smythe、バンクーバー市におけるアリーナ設置計画に失敗したため、同市を毛嫌いしていたと一般的にいわれる)らと反りが合わなかったことから、参加申請は不調に終わった。

にもかかわらず、バンクーバーにNHLフランチャイズチームが設立されることを見込んで、ホーム用としてバンクーバー展示場の敷地にパシフィック・コロシアムが建設された。

1970年、別のバンクーバーのオーナーグループが、マイナーリーグ所属のカナックスを買収し、度重なる協議の結果、カナックスは加盟金6百万ドルを支払いNHLに参加することが決定された。このとき、東西の2地区の均衡を保つためにカナックスは、バンクーバーが北米大陸の西海岸にあるにも拘らず、東部地区に配置された(また同年には、シカゴ・ブラックホークスが東部地区から西部地区に配転されている)。

1970年新設時のデータ

キャプテン: Orland Kurtenbach
初試合: 1970年10月9日 対 ロサンゼルス・キングス
初勝利: 1970年10月11日 対トロント・メープルリーフス戦 5対3
初ゴール: Barry Wilkins 、対 ロサンゼルス・キングス

カナックスは、チーム史上3度スタンレー・カップ決勝に進出している(2011年時点)。 初進出は、1982年でこのときは、ニューヨーク・アイランダースと対戦し4連敗となす術もなく完敗している。

1994年、2度目のスタンレー・カップ決勝に進出した際は、キャプテンのトレーバー・リンデン、点取り屋のパベル・ブレゴーリーカーク・マクリーンの活躍もあり、西カンファレンスの第7シードから這い上がり、まさにダークホースでありながらカップ決勝進出を決めた。カップ決勝ではニューヨーク・レンジャースと対戦し、3勝4敗と惜敗した。ちなみにこのとき敗北暴動がバンクーバーで起こっている。

その後はマーク・メシエ(Mark Messier)などがチームに入るものの、1994年ほどの結果は残せていない。 さらに、プレーオフにも進出できないようになってきたが、2006年にフロリダ・パンサーズから、スーパースター・ロベルト・ルオンゴ(Roberto Luongo)を獲得し、久々にプレーオフ進出を果たした。 Luongoは初のプレーオフだったが、1回戦の相手ダラス・スターズと猛烈なゴーリー戦(スターズのゴーリー、Turcoは3完封)を繰り広げた末、4勝3敗ながら2回戦進出を果たした。しかし、2回戦ではそのごスタンレーカップを取ることになるアナハイム・ダックスと対戦、結局得点力不足を克服できないまま2回戦で敗退した。

シーズン別成績[編集]

GP W L T OL GF GA PTS 最終順位 プレイオフ
1970-71 78 24 46 8 - 229 296 56 イースト7位 不参加
1971-72 78 20 50 8 - 203 297 48 イースト8位 不参加
1972-73 78 22 47 9 - 233 339 53 イースト7位 不参加
1973-74 78 24 43 11 - 224 296 59 イースト7位 不参加
1974-75 80 38 32 10 - 271 254 86 スマイス1位 準々決勝敗退 (MTL)
1975-76 80 33 32 15 - 271 272 81 スマイス2位 1回戦敗退 (NYI)
1976-77 80 25 42 13 - 235 294 63 スマイス4位 不参加
1977-78 80 20 43 17 - 239 320 57 スマイス3位 不参加
1978-79 25 42 13 2 - 217 291 63 スマイス2位 1回戦敗退 (PHI)
1979-80 80 27 37 16 - 256 281 70 スマイス3位 1回戦敗退 (BUF)
1980-81 80 28 32 20 - 289 301 76 スマイス2位 1回戦敗退 (BUF)
1981-82 80 30 33 17 - 290 286 77 スマイス2位 スタンレー・カップ決勝敗退 (NYI)
1982-83 80 30 35 15 - 303 309 75 スマイス3位 地区準決勝敗退 (CGY)
1983-84 80 32 39 9 - 306 328 73 スマイス3位 地区準決勝敗退 (CGY)
1984-85 80 25 46 9 - 284 401 59 スマイス5位 不参加
1985-86 80 23 44 13 - 282 333 59 スマイス4位 地区準決勝敗退 (EDM)
1986-87 80 29 43 8 - 282 314 66 スマイス5位 不参加
1987-88 80 25 46 9 - 272 320 59 スマイス5位 不参加
1988-89 80 33 39 8 - 251 253 74 スマイス4位 地区準決勝敗退 (CGY)
1989-90 80 25 41 14 - 245 306 64 スマイス5位 不参加
1990-91 80 28 43 9 - 243 315 65 スマイス4位 地区準決勝敗退 (LA)
1991-92 80 42 26 12 - 285 250 96 スマイス1位 地区決勝敗退 (EDM)
1992-93 84 46 29 9 - 346 278 101 スマイス1位 地区決勝敗退 (LA)
1993-94 84 41 40 3 - 279 276 85 太平洋2位 スタンレー・カップ決勝敗退 (NYR)
1994-95 48 18 18 12 - 153 148 48 太平洋2位 カンファランス準決勝敗退 (CHI)
1995-96 82 32 35 15 - 278 278 79 太平洋3位 カンファランス準決勝敗退 (COL)
1996-97 82 35 40 7 - 257 273 77 太平洋4位 不参加
1997-98 82 25 43 14 - 224 273 64 太平洋7位 不参加
1998-99 82 23 47 12 - 192 258 58 北西4位 不参加
1999-00 82 30 29 15 8 227 237 83 北西3位 不参加
2000-01 82 36 28 11 7 239 238 90 北西3位 カンファランス準々決勝敗退 (COL)
2001-02 82 42 30 7 3 254 211 94 北西2位 カンファランス準々決勝敗退 (DET)
2002-03 82 45 23 13 1 264 208 104 北西4位 カンファランス準決勝敗退 (MIN)
2003-04 82 43 24 10 5 235 194 101 北西1位 カンファランス準々決勝敗退(CGY)
2005-06 82 42 32 - 8 256 255 92 北西4位 不参加
2006-07 82 49 26 - 7 222 201 105 北西1位 カンファランス準決勝敗退(ANA)
2007-08 82 39 33 - 10 213 215 88 北西5位 不参加
2008-09 82 45 27 - 10 246 220 100 北西1位 カンファランス準決勝敗退(CHI)
2009-10 82 49 28 - 5 272 222 103 北西1位 カンファランス準決勝敗退(CHI)
2010-11 82 54 19 - 9 262 185 117 北西1位 スタンレー・カップ決勝敗退(BOS)

2010-11年のスタンレー・カップ決勝[編集]

2011年6月15日夜、バンクーバーでスタンレー・カップ決勝の第7戦が行なわれ、バンクーバー・カナックスはボストン・ブルーインズに0-4で敗北し、3勝4敗で3たびスタンレー・カップを逃した。18年ぶりにカナダに優勝カップをもたらす期待が大きかったため、敗北を受け一部ファンが暴徒化し十数台の放火や略奪が発生。出動した機動隊が催涙弾で鎮圧した結果100人以上が逮捕された[1]

出典[編集]

  1. ^ ホッケー敗戦でファンが暴徒化、カナダ・バンクーバー(AFP.BB.NEWS)2011年6月17日

外部リンク[編集]