バーミングハム (CL-62)

バーミングハム
基本情報
建造所 バージニア州ニューポート・ニューズ造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 軽巡洋艦
級名 クリーブランド級
艦歴
起工 1941年2月17日
進水 1942年3月20日
就役 1943年1月29日
退役 1947年1月2日
除籍 1959年3月1日
その後 1959年11月12日にスクラップとして廃棄
要目
基準排水量 11,744 トン
満載排水量 14,131 トン
全長 610フィート1インチ (185.95 m)
最大幅 66フィート4インチ (20.22 m)
吃水 24フィート6インチ (7.47 m)
主缶 バブコック & ウィルコックス水管ボイラー×4基
主機 GE式ギヤード蒸気タービン×4基
出力 100,000馬力 (75,000 kW)
推進器 スクリュープロペラ×4軸
最大速力 32.5ノット (60.2 km/h)
航続距離 11,000海里 (20,000 km) / 15ノット
乗員 士官、兵員1,285名
兵装
装甲
  • 舷側:3.5–5インチ (89–127 mm)
  • 甲板:2インチ (51 mm)
  • バーベット:6インチ (152 mm)
  • 砲塔:6インチ (152 mm)
  • 司令塔:5インチ (127 mm)
搭載機 SOC-3水上機×4機
カタパルト×2基)
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バーミングハム (USS Birmingham, CL-62) は、アメリカ海軍軽巡洋艦クリーブランド級の6番艦。艦名はアラバマ州バーミングハムに因む。

艦歴

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「バーミングハム」は1941年2月17日にバージニア州ニューポートニューズニューポート・ニューズ造船所で起工。1942年3月20日にC・グリーン夫人(バーミングハム市委員会委員長の妻)によって進水、1943年1月29日に就役する。

「バーミングハム」は大西洋艦隊に編入され、1943年6月2日ノーフォークを出港した。地中海へ向かいシチリア島上陸作戦の支援にあたった。8月8日アメリカに戻り、太平洋艦隊に編入された。9月6日真珠湾に到着。

「バーミングハム」は高速空母任務部隊の前衛に属し1943年9月18日のタラワ攻撃、10月5日、6日のウェーク島攻撃に参加。11月8日、ソロモン諸島ブーゲンビル島エンプレス・オーガスタ湾沖で日本軍機の攻撃を受け爆弾2発、魚雷1本が命中し大破。メア・アイランド海軍工廠で修理。修理は1944年2月18日に完了し太平洋艦隊に復帰。

「バーミングハム」は第57任務部隊に所属してサイパン侵攻(1944年6月14日から8月4日)、マリアナ沖海戦(6月19日、20日)、テニアン侵攻(7月20日から8月1日)、グアム侵攻(7月21日)、フィリピン攻撃(9月9日から24日)に参加。

それから第38任務部隊と共に沖縄攻撃(10月10日)、ルソン島北部、台湾攻撃(10月15日、18日から19日)に参加。10月24日、レイテ沖海戦で日本軍機の攻撃により大破炎上した空母プリンストンの消火活動中、プリンストンの爆発に巻き込まれ上部構造物を大破、死者233名、負傷者426名[1][2]とプリンストンを上回る人的被害を出す。メア・アイランド海軍工廠で1944年11月から1945年1月まで修理。

炎上するプリンストンと併走するバーミングハム 1944年10月24日

修理完了後、硫黄島攻略戦(1945年3月4日から5日)、沖縄侵攻(3月25日から5月5日)に参加。5月4日、日本軍の特攻機が命中し損傷。真珠湾に戻り5月28日から8月1日まで修理。

「バーミングハム」は1945年8月26日に沖縄で第5艦隊に編入され、11月にオーストラリアブリスベーンに向かう。1946年3月22日にサンフランシスコに入港。1947年1月2日退役。1959年3月1日に除籍されカリフォルニア州ロングビーチで解体された。

脚注

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  1. ^ Harry Popham Recalls the Attack of the USS Princeton During the Battle for Leyte Gulf”. history.net (12 June 2006). 2019年10月24日閲覧。
  2. ^ "Birmingham II". Dictionary of American Naval Fighting Ships. Navy Department, Naval History and Heritage Command. 2024年2月3日閲覧

外部リンク

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