フジタ

株式会社フジタ
Fujita Corporation
フジタ本社が入居するビル(東京・千駄ヶ谷)
種類 株式会社
市場情報
東証2部 1725
2009年4月26日上場廃止
略称 フジタ
本社所在地 日本の旗 日本
151-8570
東京都渋谷区千駄ヶ谷四丁目25番2号
本店所在地 東京都新宿区西新宿四丁目32番22号
設立 2002年10月1日
(旧・(株)フジタからの会社分割日)
業種 建設業
法人番号 8011001039242 ウィキデータを編集
事業内容 建設工事の請負、企画、設計、監理およびコンサルティング業務
代表者 代表取締役社長 奥村洋治
代表取締役専務執行役員 浅川正幸
代表取締役専務執行役員 平野徹
資本金 140億2百万円
(2017年3月31日現在)
売上高 4,194億
(2022年3月期)
従業員数 3,443人(2023年4月1日現在)
決算期 3月末日
主要株主 大和ハウス工業(100%)
主要子会社 藤田商事(株)
(株)テクノマテリアル
フジタビルメンテナンス(株)
(株)高環境エンジニアリング
関係する人物 上田卓司(元社長)
藤田正明(元副社長)
重松良典
金子賜(元副社長)
土屋達郎(元副社長)
外部リンク www.fujita.co.jp/
特記事項:旧・(株)フジタは1910年創業、1937年会社設立
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株式会社フジタは、東京都渋谷区千駄ヶ谷四丁目に本社を置く、大手ハウスメーカーである大和ハウス工業大阪市北区梅田)傘下の建設会社。日本国内では準大手の総合建設業(準大手ゼネコン)である。

現在の会社は2002年に旧・株式会社フジタ(後に「ACリアルエステート」に改称、2005年に民事再生法適用を申請し再建中)の会社分割により設立されたものであるが、便宜上、会社分割前の旧・株式会社フジタについても本項で記す。

沿革[編集]

  • 1910年明治43年) - 広島県広島市藤田一郎・定市兄弟が土木請負業をはじめる。
  • 1928年昭和3年) - 警視庁庁舎の鉄骨工事を請負。
  • 1937年(昭和12年) - 会社組織(株式会社)「株式会社広島藤田組」に改組、本社を東京都丸の内に置く。
  • 1942年(昭和17年) - 「株式会社藤田組」に改称。
  • 1957年(昭和32年) - 不動産部門を独立し、藤和不動産(現・三菱地所レジデンス)設立。
  • 1960年(昭和35年) - 現在のインターンシップに相当する「学生重役」制度を開始。毎年10名の学生重役を選出し、それぞれに月給12,000円を支給した。学生重役の試験は例年5月に行われ、定員10名に対して1000人以上の応募があった年もあったという[1]
  • 1971年(昭和46年) - 「フジタ工業株式会社」に改称。
  • 1985年(昭和60年) - 現在のロゴマークに変更。
  • 1990年平成2年) - 「株式会社フジタ」に改称。
  • 1999年(平成11年) - 3月 債務免除1200億円
  • 2002年(平成14年) - バブル崩壊により著しく不採算となっていた不動産部門を分離するため、(旧)株式会社フジタを会社分割、新たに建設業の「株式会社フジタ」を設立(旧)株式会社フジタは不動産販売会社「ACリアルエステート」に改称。旧・フジタの株主には新・フジタの株式の49%が無条件に割り当てられた。
  • 2003年(平成15年)5月 - 優先株発行300億円
  • 2005年(平成17年)9月29日 - 経営再建のため、金融機関による債務免除(959億円)を行った上で90%を越える大幅な減資を実施の上、再建スポンサーとなったゴールドマン・サックスが設立したフジタ・ホールディングスを割当先とした第三者割当増資(410億円)を実施。フジタ・ホールディングスが55.0%の株式を保有する筆頭株主となる[2]と同時に債務超過を解消する。
  • 2008年(平成20年)11月26日 - フジタ・ホールディングスがフジタ株式の株式公開買い付けを実施[3]。フジタはフジタ・ホールディングスの完全子会社となり上場廃止。
  • 2012年(平成24年)8月10日 - 大和ハウス工業がフジタ・ホールディングスからフジタの全株式を500億円で買い受けることで合意し[4]、関係当局の認可が得られ次第、完全子会社化すると発表[5]
  • 2013年(平成25年)1月22日 - フジタの全株式をフジタ・ホールディングスから大和ハウス工業に譲渡し、大和ハウス工業の完全子会社となった[6]
  • 2015年(平成27年)10月1日 - 大和小田急建設吸収合併[7]

歴代社長[編集]

広島藤田組社長
藤田組社長
フジタ工業社長
  • 藤田一暁:1971年 - 1990年
フジタ社長

主な施工物件[編集]

JV(共同企業体)施工のものも含む。

フジタとサッカー[編集]

フジタは1970年代から1990年代にかけて、サッカーへの支援に力を注いでいた企業であることでも知られている。

子会社であった藤和不動産のサッカー部は1968年の設立からわずか3年で当時のトップリーグである日本サッカーリーグ (JSL) に昇格。1975年にはフジタ工業(当時)のサッカー部となり、1993年にJリーグ準会員の湘南ベルマーレ(1994年にベルマーレ平塚とチーム名を改めてJリーグ昇格)に移行後も、自社の業績不振が深刻化する1999年の撤退まで支援を継続していた。この時の運営撤退にあたっても、新旧分離によりクラブの負債をすべてフジタが引き取った上で、フジタの所有であった大神グラウンド(現・松蔭大学湘南キャンパス)を2006年まで練習場として使用させるなど、間接的な支援を継続していた[9]。大和ハウス傘下で経営再建を果たした後の2017年シーズンには、ユニフォームスポンサーとして18年振りにクラブをサポートすることが発表された[9][10]。その一方で創業家の出身地である広島県との地縁から、サンフレッチェ広島のパートナー企業にも「クラブパートナー」として参加している[11]

また、女子サッカーにおいても1990年に天台FCを支援、フジタ天台SCマーキュリーとして日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)に参加していたが、ベルマーレ平塚(当時)への支援打ち切りと同時期の1999年に解散している。

フジタがサッカーに積極的に関わっていたのは、元副社長(藤和不動産元社長)の藤田正明が大学時代までサッカーの選手であったことも影響していたと見られている。藤田正明は、上記チームとは別に個人として広島のサッカークラブ「広島フジタSC」のオーナーも務めており、こちらは現在広島県リーグ1部に在籍している。

旧本社ビル[編集]

フジタ旧本社ビル

1991年平成3年)3月に東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目6番15号に18階建ての本社ビルを竣工。1993年には9階建ての本社別館も竣工。ドラマ『振り返れば奴がいる』において天真楼病院のロケ地となった。

2000年平成12年)8月にリストラの一環により三井不動産などが設立した投資ファンドに約150億円で売却することが決定。更に賃料節減のため、フジタ東京支店として入居していた近隣の修養団SYDビルに本社機能も移転、約800人いた本社従業員も同11月までに同ビルや近隣の諸ビルに移転した。結果、売却した旧自社ビルを隣に望む賃貸ビルに本社が所在するという皮肉な状況になっているものの、これによって年間約10億円程度の経費節減が達成できるとされた[12]

売却された本社ビルの本館は、2001~2017年にかけて外資系製薬会社のグラクソ・スミスクライン株式会社の本社として同社が一棟借りし、GSKのロゴが外壁上部に掲げられ「GSK本社ビル」名称となっていた。屋上には千駄ヶ谷中継局(2006年廃止、難視聴対策のために設置された中継局)が設置されていた。

この旧本社ビル(GSK本社ビル)は、グラクソ・スミスクラインが2017年10月に移転し、日本ビルファンド投資法人が保有。同年12月には三井不動産レジデンシャルへ売却され、解体された。跡地には、地上27階の分譲集合住宅パークコート神宮北参道 ザ タワーが2023年1月に竣工した[13]

フジタヴァンテ[編集]

フジタが旧本社ビルの1階ロビーにメセナ活動の一環で開設した文化施設。美術館「ヴァンテミュージアム」やアミューズメントスペース、ハイビジョンシアターなどが設けられ、展覧会などが開催されていた。1階ロビーのトイレにはINAXのガラス製小便器が設置されていた。本社機能の移転に伴い閉鎖された。その後、GSK本社ビルの受付を除いてセキュリティエリアとなったため、ヴァンテ跡地部分に一般の者は立ち入ることが出来ない。

中国当局による社員の拘束[編集]

2010年9月下旬に、中国河北省内の軍事管理区域に侵入し、許可なく撮影したとしてフジタの社員4人が拘束された[14]9月30日に3人が釈放されたと新華社通信が報じた[15]。当初はこの4人が死刑にされる可能性があるという報道もあった。一連の騒動は、同時期に発生した尖閣諸島沖での中国漁船の船長が逮捕された事件(尖閣諸島中国漁船衝突事件)の関連性が疑われている。2010年10月9日に残る一人が釈放された。

脚注[編集]

  1. ^ “『毎日新聞』学生欄「株式会社藤田組 学生重役7年の歩み」”. (1967年10月5日) (1967-10-05発行) 
  2. ^ 第三者割当増資における割当先の決定ならびに親会社、筆頭株主及び主要株主の異動に関するお知らせ (PDF) - フジタニュースリリース2005年8月19日
  3. ^ 非上場の親会社である有限会社フジタ・ホールディングスによる当社株券等に対する公開買付けの結果に関するお知らせ (PDF) - フジタニュースリリース2008年11月18日
  4. ^ “大和ハウス、海外事業強化狙う フジタ買収を発表”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2012年8月10日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD100H9_Q2A810C1TJ0000/ 2012年8月11日閲覧。 
  5. ^ 株主異動のお知らせ (PDF) - フジタニュースリリース2012年8月10日
  6. ^ 株主異動完了のお知らせ
  7. ^ ハウス、子会社のフジタと大和小田急建設を経営統合
  8. ^ 図書館問題研究会茨城支部 編『鹿島町図書館調査報告書』シリーズ まち・むら図書館調査報告書13、図書館問題研究会茨城支部、1987年7月1日、59p. 全国書誌番号:88002465(2ページより)
  9. ^ a b 藤江直人 (2016年12月20日). “【コラム】湘南、18年ぶりにフジタとスポンサー契約…“再タッグ”を実現させた愛情と熱意とは”. サッカーキング. 2016年12月21日閲覧。
  10. ^ 2017シーズン ユニフォームパートナー(袖)「株式会社フジタ」決定のお知らせ』(プレスリリース)湘南ベルマーレ、2016年12月20日http://www.bellmare.co.jp/1611582016年12月21日閲覧 
  11. ^ パートナー企業 - サンフレッチェ広島、2020年2月8日閲覧。
  12. ^ ワールド東海.com 2000年8月31日
  13. ^ GSKビル”. 超高層ビル部 (2022年3月3日). 2023年9月8日閲覧。
  14. ^ 【邦人拘束】中国がフジタ社員4人の取り調べを日本大使館に通告 2010年9月24日。
  15. ^ 中国:日本人取り調べ フジタの3人釈放、1人は拘束続く 「違反認め始末書」 2010年9月30日。

関連する人物[編集]

フジタ社員だった人物について記す。プロ化前のフジタ工業サッカー部所属選手については「藤和不動産サッカー部#藤和不動産、フジタサッカー部に所属した主な選手」を参照のこと。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]