フーズマーケット ホック

株式会社フーズマーケットホック[1]
FOODS MARKET HOK Co., ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
692-8510
島根県安来市赤江町1448番地1
設立 1949年昭和24年)10月1日[2]
業種 小売業
法人番号 4280001002451 ウィキデータを編集
代表者 代表取締役会長 佐伯行彦
代表取締役社長 南脇政文
資本金 5,000万円
純利益 4億9620万円(2020年02月29日時点)[3]
総資産 54億0507万6000円(2020年02月29日時点)[3]
主要株主 さえき
外部リンク フーズマーケット ホック
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株式会社フーズマーケットホックFOODS MARKET HOK Co., Ltd.)は、島根県鳥取県で営業しているスーパーマーケット[4]2005年平成17年)に株式会社たんぼ原徳(たんぼはらとく)から株式会社フーズマーケットホックに社名変更した[4]

ホックHOK)は旧社名のアルファベットHaratokuの頭文字Hと末尾部分のOKから名付けられたものである[5]

来歴[編集]

原徳兵衛1869年明治元年)に原徳商店として卸商を創業したのが始まりである[6]1922年大正11年)1月に資本金25万円で株式会社原徳商店として法人化した[6]株式会社原徳商店は、山陰地方で砂糖や海産物などの食品の卸売業を行うと共に、缶詰や製粉などの食料品製造缶詰も行い、缶詰の販路は関東や関西地方のみならず、朝鮮半島や満州にも広がっていた[6]

1929年昭和4年)に足立サトが分家として独立し、のちの(初代)安来店の場所で、食品小売店を創業[7]

創業当時、店舗の周囲が田んぼであったことから、本家の原徳商店と区別する形で、たんぼの原徳さんと呼ばれた[7][8]

そこで、その愛称を社名とし、1949年(昭和24年)10月1日[2]有限会社たんぼの原徳として法人化することになった[7]

1964年(昭和39年)2月にセルフサービス方式を導入してスーパーマーケットとなり[9]、同年11月に株式会社米子主婦の店(米子店・博労町店・境港店・日パ店)の運営を受託してチェーンストアとしての第一歩を踏み出すことになった[8]

1969年(昭和44年)に松江主婦の店を傘下に入れた[10]

その後、郊外へスーパーマーケットのチェーン展開を進めていった[9]

これらのチェーン店への商品供給を行うため[8]1966年(昭和41年)12月1日株式会社原徳チェーン本部を設立した[11]

1970年(昭和45年)になんば商店と合併し、平田市へ進出した[12]

1971年(昭和46年)にジャスコと提携して山陰ジャスコを設立し、当社の社長が社長を兼任したが、ジャスコ本社側から派遣された役職員が社長の頭越しに本社側と決済するなどしたため、1973年(昭和48年)に提携を完全に解消した[13]

1975年(昭和50年)11月にスペシャリティ・スーパーのホック(HOK)山代店を開設した[8]

このホック(HOK)業態は、大手スーパーの大型店舗との差別化を図るため開発されたもので[5]、 従来からあるスーパーの食料品売り場に加えて[8]、衣料品や雑貨類を扱うバラエティストア型の売り場やドラッグストアの衛生雑貨売り場を併せ持つ[8]、アメリカ合衆国型のスペシャリティ・スーパーであった[8]

また、このホック(HOK)業態の出店と並行して、ブティックの出店や原徳イチリキを開設するなど多角化も進めた[14]

安全な水産物の確保を目指し、大韓民国釜山市に合弁の世和水産(株)1978年(昭和53年)10月に設立して、水産物の加工にも進出した[15]

1983年(昭和58年)7月には、米子市の米子駅前通りにアミーゴ1号店を開店してコンビニエンスストアに参入した[16]

1985年(昭和60年)11月19日に、大韓民国釜山市にスーパーを開店して、本業でも海外進出した[17]

1988年(昭和63年)1月16日に、米子市にディスカウントストアを開店した[18]


2004年平成16年)1月13日負債総額約171億円を抱えて、民事再生法を適用を申請して、事実上倒産した[19]。 であった。

その後、さえき東京都国立市)が民事再生中の株式会社たんぼの原徳を買収[20]。 同社が株式会社原徳チェーン本部から13店舗の営業を権を取得する形で経営再建に取り組み[20]2007年(平成19年)11月12日に民事再生手続きが終結した[21]

2007年(平成19年)12月25日、公正取引委員会はフーズマーケットホックが販売する食料品及び日用雑貨品の価格表示について調査を行ってきたところ、景品表示法第4条第1項第2号(有利誤認)の規定に違反するおそれがあるものとして、同社に警告を行った[22]

2019年11月19日、確固たる経営基盤を確立するため、株式会社マルマンと有限会社丸萬商店の全株式を取得し、100%子会社化した。[23]

2020年6月1日、株式会社マルマンの6店舗全てが、フーズマーケットホックに店名変更。但し、マルマンカードは引き続き使用可能である。[24]

2020年9月1日、フーズマーケットホックが株式会社マルマンを吸収合併した。[25]これに伴いマルマンカードも廃止となった。

店舗[編集]

山代店

かつて存在した店舗[編集]

島根県[編集]

安来市[編集]
  • (初代)安来店(安来市安来町1110[26]1929年(昭和4年)開店[7] - 1968年(昭和43年)閉店[9]
1954年(昭29年)に[27]拡張してたんぼ原徳マーケットとなり[28]1964年(昭和39年)2月にセルフサービス方式を導入してスーパーマーケットとなった[9]
安来市の本町交差点西北角にあった敷地のかなりの部分が国道9号拡幅の用地となることになり、残った敷地に安来ショッピングセンターを建設するために閉店した[29]
売場面積2,300m2[30]
旧本店跡に建設された鉄筋コンクリート造り3階建ての安来ショッピングセンターに出店した[29]
安来ショッピングセンターは、日本初の協同組合によるショッピングセンターであった[9]
安来ショッピングプラザ(延床面積8,487m2[31]、売場面積5,332m2)に出店していた[31]
売場面積370m2[32]
  • 荒島店(安来市荒島町2269[33]1964年(昭和39年)6月開店[34] - ?閉店)
売場面積150m2[33]
売場面積145m2[37]
松江市[編集]
売場面積990m2[30]
松江主婦の店として1959年(昭和34年)5月15日開店[38]
  • 城北店(松江市東奥谷町赤崎372-5[39]
売場面積333m2[39]
  • キャスパル店
売場面積310m2[30]
出雲市[編集]
売場面積1,497m2[41]
売場面積1,023m2[41]
売場面積1,739m2[42][43]
2階には「山陰ジャスコ」が出店していた[42]
売場面積1,742m2[44]
浜田市[編集]
売場面積4,259m2[43]

鳥取県[編集]

米子市[編集]
売場面積400m2[45]
米子主婦の店から運営を受託[8]
米子主婦の店から運営を受託[8]
米子主婦の店から運営を受託[8]
売場面積100m2[49]
売場面積725m2[51]
売場面積530m2[48]
境港市[編集]
売場面積490m2[45]
米子主婦の店から運営を受託[8]


大韓民国[編集]


かつて存在した関連会社[編集]

  • 山陰ミート(食肉加工・保管[52]、資本金900万円[52]1968年(昭和43年)3月設立[50]
  • 原徳フーズ(レストラン[52]、資本金3000万円[52]1971年(昭和46年)設立[52]
  • 原徳いちりき(うなぎ店[52]、資本金2000万円[52]1978年(昭和53年)設立[52]
  • 原徳興産(不動産・旅行・損害保険[52]、資本金4500万円[52]1973年(昭和48年)7月設立[50]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ “セルコチェーン55周年特集 地域に貢献する加盟企業=フーズマーケットホック”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2017年1月18日) pp18
  2. ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp682
  3. ^ a b 株式会社フーズマーケットホック 第7期決算公告
  4. ^ a b “セルコチェーン50周年特集 地域に貢献する加盟店=フーズマーケットホック・伯耆店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年10月26日) pp17
  5. ^ a b 足立優 『個性ある店づくりを目ざすスーパーチェーン』 山陰の経済 1985年11月号 (山陰経済経営研究所) (1985年10月)。pp22
  6. ^ a b c 『誇り』 能義郡刊行会、1934年2月。pp55
  7. ^ a b c d 足立優 『個性ある店づくりを目ざすスーパーチェーン』 山陰の経済 1985年11月号 (山陰経済経営研究所) (1985年10月)。pp19
  8. ^ a b c d e f g h i j k “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp89
  9. ^ a b c d e 足立優 『個性ある店づくりを目ざすスーパーチェーン』 山陰の経済 1985年11月号 (山陰経済経営研究所) (1985年10月)。pp21
  10. ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp30-31
  11. ^ a b 足立優 『個性ある店づくりを目ざすスーパーチェーン』 山陰の経済 1985年11月号 (山陰経済経営研究所) (1985年10月)。pp27
  12. ^ “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp90
  13. ^ “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp88
  14. ^ 足立優 『個性ある店づくりを目ざすスーパーチェーン』 山陰の経済 1985年11月号 (山陰経済経営研究所) (1985年10月)。pp23
  15. ^ “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp91
  16. ^ “米子市にコンビニ一号店原徳チェーン本部”. 総合食品 1983年10月号 (総合食品研究所) (1983年10月).pp167
  17. ^ a b c 『激動の世代"昭和"グラフと写真で綴る64年間の軌跡』 山陰の経済 1989年2月号 (山陰経済経営研究所) (1989年2月)。pp43
  18. ^ 『経済日誌』 山陰の経済 1988年2月号 (山陰経済経営研究所) (1988年2月)。pp57
  19. ^ 『読売年鑑 2005年版』 読売新聞社、2005年2月。ISBN 978-4643050011 pp583
  20. ^ a b 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp215
  21. ^ “さえき、フーズマーケットホックの再生完了 3年余で黒字化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月21日) pp4
  22. ^ 公正取引委員会:株式会社フーズマーケットホックに対する警告について
  23. ^ 株式会社マルマン及び有限会社丸萬商店の全株式取得”. 2020年9月1日閲覧。[リンク切れ]
  24. ^ 6/1(月) より、店名が変更になります”. 2020年9月1日閲覧。[リンク切れ]
  25. ^ 毎日の食卓に、新鮮なおいしさをお届けします - 株式会社マルマン”. www.super-maruman.jp. 2020年9月1日閲覧。[リンク切れ]
  26. ^ 『メリヤス総合名簿 1965上巻』 センイ・ジヤァナル、1964年。pp202
  27. ^ 安来市誌編さん委員会『安来市誌』 安来市、1970年9月1日。pp998
  28. ^ 安来市誌編さん委員会『安来市誌』 安来市、1970年9月1日。pp558
  29. ^ a b c 安来市誌編さん委員会『安来市誌』 安来市、1970年9月1日。pp559
  30. ^ a b c d e f g h 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp476
  31. ^ a b c d 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp44
  32. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp475
  33. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp305
  34. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp485
  35. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp683
  36. ^ 広瀬町史編纂委員会『広瀬町史 下巻』 広瀬町、1969年11月3日。pp160
  37. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp486
  38. ^ 『食品工業総合名鑑』 光琳書院、1964年4月28日。pp34-9
  39. ^ a b 『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 日本食糧新聞社、1971年11月25日。pp143
  40. ^ 『食糧年鑑 昭和44年版 名簿編』 日本食糧新聞社、1969年3月20日。pp174
  41. ^ a b c d e f 『出雲市四十年誌』 出雲市、1982年3月。pp634
  42. ^ a b c d 『出雲市四十年誌』 出雲市、1982年3月。pp633
  43. ^ a b c d e 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp966
  44. ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp163
  45. ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp470
  46. ^ a b 『食糧年鑑 昭和44年版 名簿編』 日本食糧新聞社、1969年3月20日。pp174
  47. ^ 『食品工業総合名鑑』 光琳書院、1964年4月28日。pp31-6
  48. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp479
  49. ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp302
  50. ^ a b c d e f g 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。pp258-260
  51. ^ a b 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp45
  52. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “スーパー地域一番店シリーズ 島根県 ジャスコと離縁して急成長した原徳チェーンのローカル根性”. 総合食品 1983年4月号 (総合食品研究所) (1983年4月).pp92

外部リンク[編集]