ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ

ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ
ユニオン ラグビー・フットボール・ユニオン
アイリッシュ・ラグビー・フットボール・ユニオン
スコティッシュ・ラグビー・ユニオン
ウェルシュ・ラグビー・ユニオン
愛称 Lions(ライオンズ)
創設年 1888年
ヘッドコーチ ウォーレン・ガットランド (2021 tour)
主将 コナー・マレー (2021 tour)
最多出場選手 ウィリー・ジョン・マクブライド(17)
最多得点選手 アンディ・アーヴィン(274、全試合)
ジョニー・ウィルキンソン (67、テストマッチ)
最多トライ選手 トニー・オライリー(38)
ファースト
ジャージ
初試合
オタゴ 3 – 8 ブリテン諸島
(1888年4月28日)
最大差勝利試合
西オーストラリア 10 – 116 ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ
(2001年6月8日)
最大差敗戦試合
 ニュージーランド 38 – 6 ブリティッシュ・ライオンズ
(1983年7月16日)
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ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ英語: The British and Irish Lions) は、ラグビーユニオンホームユニオンイングランドスコットランドウェールズアイルランド)の代表選手から選ばれ構成された特別チーム。「ライオンズ」の愛称を持つ。

概要[編集]

エンブレムにはイングランド代表の薔薇、スコットランド代表のアザミ、ウェールズ代表のプリンス・オブ・ウェールズの羽根、アイルランド代表のシャムロックが描かれている。ユニフォームについても、ジャージはウェールズの赤、パンツはイングランドの白、ソックスはスコットランドの青とアイルランドの緑と4ヶ国のカラーがあしらわれている。

テストマッチにおいて国歌やそれに準ずるアンセムは演奏されず、試合前には相手国の国歌のみが演奏される。2005年の遠征チームのアンセムとして「The Power of Four」が制定されたものの、選手・ファンの評価は得られず同回限りで廃止されている。

英国・アイルランドのラグビー選手にとってライオンズに選ばれることは名誉のこととされ、出場したライオンズの選手にもキャップは贈られる。

歴史[編集]

1888年にオーストラリアおよびニュージーランドへ遠征したイングランド、スコットランドおよびウェールズの選手によって構成されたチームが初めとなるが、オーストラリアではオーストラリアンフットボールのルールでの試合もあったとされる。

1891年に南アフリカへ遠征したのが第1回目とされ、イングランドおよびスコットランドの選手で構成されたチームであった。

ホームユニオン4協会で構成されたのは1910年の遠征から。この頃はブリテン諸島代表(British Isles)と呼ばれ、「ライオンズ」という愛称が付いたのは1930年頃からである。

近年の活動[編集]

ライオンズは南半球南アフリカオーストラリアニュージーランド)への遠征に向けて結成される。1970~1980年代は3年ごとの遠征。そして、4年ごと開催のワールドカップが始まった1990年代以降は、それに2年ずらす形で4年ごとに、南アフリカ共和国・オーストラリア・ニュージーランドのいずれかへ遠征している。

1986年の南アフリカ遠征は、同国のアパルトヘイト問題により中止になった。これにより、南アフリカ遠征は1997年の再開まで、17年間の空白となる。

それぞれの遠征の前または途中に、他の国のチームと対戦することがある。2005年の遠征前にアルゼンチンと対戦。2013年のオーストラリア遠征中には香港において、対バーバリアンズ戦が行われた。ライオンズにとって、初のアジアでの試合となった。

2021年には、南アフリカ遠征の前にスコットランドのエディンバラで、6月26日に日本代表と対戦した。日本にとって、ワールドカップ2019以来1年8か月ぶりのテストマッチとなった。28-10でライオンズが勝利したが、試合後半は日本のほうが多く得点した。この対戦の開始7分で、キャプテンのアラン=ウィン・ジョーンズウエールズ)が肩を負傷退場し、南アフリカ遠征の前半は離脱することになった[1][2]

第二次世界大戦後の遠征先一覧[編集]

選手[編集]

現在の代表[編集]

[3] スコッド

※選手名の前に来る国旗はその選手が所属するユニオン

※所属、 キャップ数(Cap)は2021年5月7日現在

2005年、ニュージーランド代表(黒のジャージ)と対戦するライオンズ(赤のジャージ)

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]