プーサン

プーサンは、横山泰三による日本風刺漫画作品および、それを原作とした映画作品。

概要[編集]

1950年昭和25年)7月から1953年(昭和28年)12月29日までの3年間、毎日新聞夕刊4コマ漫画として連載された[1]。映画化される(後述)など人気絶頂であったにもかかわらず、連載が短期間で終了したのは、横山が「ある幹部が事あるごとに描き直しを命じてくる[1]」ことに嫌気が差し、出張先の電話口で「やめます[1]」と口走ったためである。この電話の際、横山のそばにはたまたま朝日新聞社の扇谷正造がおり、その縁で横山の新聞漫画は翌年から朝日新聞社会戯評』に移った[1]

『プーサン』は、1965年(昭和40年)9月に掲載媒体が週刊新潮に移って再開され、体裁が6コマに変わり、1989年平成元年)7月まで長期にわたって連載された[2]

横山が「プーサン」の名に込めた意味は特になく、「パピプペポがおもしろい」と思い付き、「パーサン」「ピーサン」「プーサン」「ペーサン」「ポーサン」と順に口に出し、語呂の面白いものに決めただけだという[3]

ふきだしはセリフを示す用途としては使われず、セリフは登場人物の横にそのまま添えられた。また、連載初期にはカタカナとごく少量の漢字のみが使われた。

当初は「プーサン」という主人公が、様々な役柄に扮し、ニュースに基づいた様々な出来事に巻き込まれる内容であった。プーサンは長い鼻と大きな丸い目を持つものの、禿頭の無個性な造形であり、これについて指摘した中野好夫に対して横山は「線だけでやろうと思って[3]」と答えたという。また横山は、編集者に対してプーサンは「読者一人一人なのさ[4]」とも答えている。鶴見俊輔はプーサンを「抽象的人物」「どこの誰とでも交換できるオノレ」と指摘したうえで、「泰三の漫画を戦後のものとしている重要なエレメント」と評している[3]

作中において、プーサンは次第に登場頻度が減り、似顔で書かれた人物や、擬人化された概念(目鼻と手足がついた富士山=日本、頭部がテレビになった人間=マスコミなど)が登場するものになっていった。

横山は毎日新聞での連載終了後の1954年(昭和29年)、この作品で第2回菊池寛賞を受賞した[5]

映画[編集]

プーサン
監督 市川崑
脚本 和田夏十
製作 藤本真澄
出演者 伊藤雄之助
越路吹雪
八千草薫
音楽 黛敏郎
撮影 中井朝一
編集 坂東良治
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗 1953年4月15日
上映時間 97分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

1953年(昭和28年)に東宝製作、市川崑監督で映画化された。その際は原作に同じ作者の『ミス・ガンコ』が加えられた。作者の泰三と兄の横山隆一が端役で出演している。

製作[編集]

  • 監督を担当した市川崑が持ち込んだ企画で、藤本真澄の快諾の元、製作は始まり、プーサンとミス・ガンコの恋愛をベースにストーリーを構築し、合間に原作の四コマの出来事を挿入していく脚本の構成が採られた。劇中に登場する銀行場面は日本橋日本銀行本店でロケがされている。主役を演じる伊藤雄之助血のメーデーに巻き込まれる描写は、実際のニュース映像に新撮した映像を挿入して作られているが、事件現場となった皇居前広場では撮影できず、東宝撮影所近くの馬事公苑でロケ撮影されているが、重量のあるミッチェルカメラを手持ちで撮影した映像を、現像処理の段階でフィルムの粒子を荒くしてニュース映像に画質を合わせるという工夫がなされている[6]

あらすじ[編集]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

特別出演[編集]

※映画クレジット順

※以下クレジット表記なし

ビデオソフト[編集]

かつて会員制ビデオ通信販売機構のキネマ倶楽部から、「日本傑作映画全集」レーベルの1本としてVHSソフトが発売されていた。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 寺光忠男『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』 毎日新聞社、1990年 pp.43-46
  2. ^ 「横山泰三 プーサン」の検索結果 国立国会図書館サーチ
  3. ^ a b c 『現代漫画』第1期2巻「横山泰三集」筑摩書房、1970年 pp.307-309
  4. ^ 『昭和新聞漫画史 笑いと風刺でつづる世相100年』 毎日新聞社「別冊一億人の昭和史」、1981年 pp.104-105
  5. ^ 菊池賞受賞者一覧 第1回~25回 文藝春秋
  6. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P88~92