ベガルタ仙台
ベガルタ仙台 | |||
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原語表記 | ベガルタ仙台 | ||
呼称 | ベガルタ仙台 | ||
愛称 | ベガルタ、ベガ | ||
クラブカラー | ゴールド[1] ブルー[1] レッド[1] | ||
創設年 | 1988年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J2リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 仙台市を中心とする宮城県全県[1] | ||
ホームスタジアム | ユアテックスタジアム仙台[1] | ||
収容人数 | 19,526[1] | ||
運営法人 | 株式会社ベガルタ仙台[1] | ||
代表者 | 板橋秀樹[1] | ||
監督 | 森山佳郎 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ベガルタ仙台 | |
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公式サイト |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2012年9月19日 - |
ジャンル | サッカー |
登録者数 | 約2.27万人 |
総再生回数 | 約951万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年3月10日時点。 |
ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、英: Vegalta Sendai)は、日本の仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームタウンは仙台市[1] を中心とする宮城県全県。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台[1](詳細は#ホームスタジアムを参照)、練習場はアイリストレーニングフィールドおよび泉サッカー場[1] である。
チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕にちなんで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語。マスコットは「ベガッ太」とルターナ(ベガッ太の妹)[1]。
歴史
Jリーグ加盟以前
1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した[1]。
1995年にJリーグ準会員となりJリーグ昇格を目指すようになる。1996年以降大型補強するも、昇格出来ずに終わっていた。1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加した。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称した[1]。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が日本最初の黄金の産地である事から[3]。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。
1999年 - 2001年(J2)
1999年
J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。
一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。
2000年
- チームスローガン:あなたとJ1
1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。
2001年
- チームスローガン:あなたとJ1
FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。
最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形が川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定した[4]。
この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた村田はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた岩本等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。
2002年基本フォーメーション |
2002年 - 2003年(J1)
2002年
この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが加入。
第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェーで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。
ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。
2003年
- チームスローガン:もっと、高く・強く
開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦監督を解任。市原、名古屋で監督を歴任したスロベニア出身のズデンコ・ベルデニックが監督に就任したが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。
練習場を「泉サッカー場」に移転。
サンパウロ(ブラジル)と友好関係を締結。
ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。
シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。
2004年 - 2009年(J2)
2004年
- チームスローガン:Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ
ベルデニック体制2年目。阪南大から梁勇基が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人が広島へ移籍した。
オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店[5]。
「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。
2005年
- チームスローガン:熱く 楽しく そしてひとつに
2月にクラブ10周年記念イベント開催。
8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。
元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。
シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョも新潟へ移籍した。
2006年
- チームスローガン:勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜
ブラジル人のジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアムが命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ仙台)」に改称。
序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス、チアゴ・ネーヴィス、ボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。
ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。
シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。
この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。
2007年
- チームスローガン:新仙走破 〜そして進化。〜
前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。
山形からMF永井篤志、鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に札幌から林卓人を、7月に元新潟のMFファビーニョを、8月には柏からDF岡山一成を、いずれも期限付き移籍で獲得。
第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。
GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン、ロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹も磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。
新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。
なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。
2008年
- チームスローガン:感動一体 絆は次なるステージへ
前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・浩がヘッドコーチに就任。
明治大学からGK関憲太郎、筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行、柏からMF佐藤由紀彦、鹿島からFW田中康平、川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾、大分から宮沢正史、川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希とDF岡山一成がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。
宮崎県延岡市でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、金子慎二、細川淳矢、富田晋伍の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。
第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。
第3クールは、山形に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛、C大阪に連勝。
30日に鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場[6]。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。
この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた[7]。
シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介らが退団。ナジソンはECヴィトーリア、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。
運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。
2009年基本フォーメーション |
2009年
- チームスローガン:闘志躍動 思いを胸に…
手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基、関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介、西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁、横浜FCからDFエリゼウ、神戸からMF曽我部慶太、韓国の水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。
リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。
続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節(12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年に川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録[注 1]。
守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。
天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。
このシーズンはユアスタ仙台が芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を宮城スタジアム(それとは別に福島県営あづま陸上競技場で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。
背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。 シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。
2010年 - 2021年(J1)
2010年
- チームスローガン:闘志躍動 より高みへの挑戦
手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。柏からDF鎌田次郎、鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰、大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジル・クルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。
リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。
W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ・大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。
ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。
代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充の日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日のアルゼンチン戦で代表デビューを果たした。
5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。
シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一、永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウは徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。
2011年
- チームスローガン:V Shift 杜が変わる、上がる、熱くなる。
手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。
選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠、鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグの城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。
1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に石巻市へと向かった。「声も出ない程の光景でした(大久保)」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた[8][9]。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、千葉県市原市と埼玉県さいたま市でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。
4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした[10]。
その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。
ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希が鳥栖へ、DF島川俊郎が東京Vへ、FW中島裕希が山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。
10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。
2012年基本フォーメーション |
2012年
- チームスローガン:V Shift 杜が進む、越える、輝く☆
手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦、C大阪から上本大海、中国スーパーリーグ・陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太、仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。
開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初のACL出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した[注 2]。
ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。
シーズン終了後、DF朴柱成、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充が浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔が栃木SCへ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希、鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。
2013年
- チームスローガン: Vision 継がれる力は、新しいステージへ
手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ、東京VからDF和田拓也、新潟からDF石川直樹、G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎、横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧がS仙台、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮が長崎へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮へ完全移籍。広島からDF石川大徳が期限付き移籍で加入した。
リーグ戦は、ACL出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。
初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。ナビスコ杯はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎に2敗し敗退となった。天皇杯は2009年(ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京に延長戦の末、敗戦)。
10月10日、手倉森監督が2014年より2016年 リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表[11]。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人が広島、MF松下年宏が横浜FC、MF田村直也が東京V、MF越後雄太が盛岡へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔が町田へ、GK石川慧が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。
2014年
- チームスローガン: Challenge 誇りを胸に、歴史を刻む (アーノルド監督時代)→ ReVital あふれる力を呼び覚ませ (渡邉監督時代)
新監督にオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが就任[12]。昨年途中に特別指定選手として登録された阪南大学のDF二見宏志、中央大学(東北学院中・高卒)からGKシュミット・ダニエル[13]、駒澤大学からFW山本大貴が加入。G大阪からMF武井択也、大宮からMF鈴木規郎をそれぞれ完全移籍、セントラルコーストからMFマグリンチィ、清水からMF八反田康平をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島から期限付き移籍中のDF石川大徳は移籍期間を延長して残留した。
シーズン開幕後、パースからGKヴコヴィッチを期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本へ育成型期限付き移籍した。W杯開催に伴う中断期間中に、ルーツィクからMFハモン・ロペスを完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘(8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島からMF野沢拓也を完全移籍で獲得した。
チームは開幕からナビスコ杯を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日、アーノルド監督が退任[14]。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋が就任[15]。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差⁻9、第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。
ナビスコ杯は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)で関西リーグ所属・奈良クラブ(奈良県代表)に敗れ、敗退した。
シーズン終了後、FW柳沢敦は鹿島のコーチとなり、になり、町田に期限付き移籍していたDF原田圭輔がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹が浦和、DF角田誠が川崎、DF渡辺広大が山形、FW赤嶺真吾がG大阪、MF太田吉彰が磐田、FW中原貴之が福岡、GK桜井繁が栃木SC、MF佐々木勇人が京都へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平GKコーチがU-15日本代表GKコーチ就任のため退任した。
8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催[16]。
2015年
- チームスローガン: 挽回 SENDAI 2015
渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手として登録されていたユースのMF茂木駿佑が昇格。富山第一高からFW西村拓真、韓国・光云大からMFキム・ミンテがそれぞれ加入。長崎からMF奥埜博亮、秋田からGK石川慧、松本からFW山本大貴がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗、横浜FMからGK六反勇治、磐田からFW金園英学、神戸からMF杉浦恭平、柏からDF渡部博文、大宮からMF金久保順、ブラジル・カンブリウFCからDFフェリペをそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SCへ期限付き移籍となった。
シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエルが熊本へ、7月にMF茂木駿佑が金沢へ、それぞれ期限付き移籍。
このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪戦前[注 3] に確定)。
「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された[17]。
ナビスコ杯はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海が長崎、山本と武井択也が松本、鎌田次郎が柏、多々良が千葉へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。
2016年
- チームスローガン: Build Up 興 興せ思いを。走らせろ己を。繋げ力を。
渡邉体制3年目。ユースから小島雅也と佐々木匠が昇格。青森山田高から常田克人、市立船橋高から椎橋慧也、明治大から差波優人が新加入。他クラブからは千葉から大岩一貴と水野晃樹を完全移籍、清水から平岡康裕、FC東京から三田啓貴を期限付き移籍で獲得。金沢へ期限付き移籍していた茂木駿佑が復帰。
2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志が清水へ完全移籍。また、同月にブラジルのアトレチコ・ミネイロから、パブロ・ジオゴを期限付き移籍で獲得した[18]。
J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。
ナビスコ杯[注 4] は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯はJ3の盛岡に敗れ、初戦(2回戦)敗退。
なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、ハモン・ロペスがハットトリックを達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった[19]。
シーズン終了後、水野が鳥栖、ウイルソンが甲府、渡部博文が神戸、キム・ミンテと金園英学が札幌、杉浦恭平が金沢、六反勇治が清水、ハモン・ロペスが柏へそれぞれ完全移籍した。
2017年
チームスローガン: Be STRONG 興せ、未来を
渡邉体制4年目。法政大から永戸勝也が新加入。FC東京から平山相太が完全移籍[20]、柏から増嶋竜也、浦和から石原直樹、川崎から中野嘉大、SCブラガからクリスランがそれぞれ期限付き移籍加入。松本へ期限付き移籍していたシュミット・ダニエルが復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した三田啓貴と平岡康裕がともに完全移籍に移行。
シーズン開幕直後の3月に中東高校のイ・ユノを獲得、リーグ戦中断期間の7月には名古屋から古林将太が期限付き移籍で加入した一方、石川直樹が札幌へ完全移籍した。
3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の神戸戦で、東日本大震災の発生後初めて3月11日に試合が開催された[21]。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成[22]。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。
ルヴァン杯(旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出[注 5][23]。ノックアウトステージ・準々決勝では鹿島と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では川崎と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェーでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、西村拓真が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。
天皇杯は2回戦で筑波大学に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった[24]。
シーズン終了後、石川慧が栃木、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、ヴィニシウスと野沢拓也がともに契約満了となり退団。また、小島雅也が町田、藤村慶太が金沢へそれぞれ期限付き移籍。盛岡へ期限付き移籍していた差波優人が富山、徳島へ期限付き移籍していた佐々木匠が讃岐へそれぞれ期限付き移籍。
博報堂DYメディアパートナーズと10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結[25]。
2018年基本フォーメーション |
2018年
チームスローガン: Be STRONG 興せ、「シン」の力を
渡邊体制5年目。流通経済大からジャーメイン良が新加入、G大阪から金正也、新潟から川浪吾郎、岐阜から庄司悦大、韓国・蔚山現代から阿部拓馬がそれぞれ完全移籍で、川崎から板倉滉が期限付き移籍で加入した[26]。また、前年に期限付き移籍で加入した野津田岳人が移籍期間を延長し、中野嘉大、古林将太、石原直樹がそれぞれ完全移籍に移行した[27]。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた平山相太が[28]、キャンプイン後に現役引退を表明し退団[29][30]、ECヴィトーリアからラファエルソンを期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季までC大阪に在籍していた関口訓充が6シーズンぶりにチームに復帰[31]。6月25日にはG大阪から矢島慎也、7月9日には神戸からハーフナー・マイクがともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していたハモン・ロペスが完全移籍で復帰。その一方で6月11日には茂木駿佑が水戸、7月14日には庄司が京都へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には金久保順が京都、9月1日には西村拓真がロシアのPFC CSKAモスクワへそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、サッカーダイジェストのブレイクランキングで1位の評価を得た[32]。
J1リーグは開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ[注 6] で湘南と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。天皇杯はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で浦和に0-1で敗れ、準優勝となった)。
シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた菅井直樹が引退。この他、古林が湘南、中野が札幌へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、藤村慶太、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。富山へ期限付き移籍していた差波優人も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。イ・ユノが福島へ期限付き移籍した。また、町田へ期限付き移籍していた小島雅也が金沢、讃岐へ期限付き移籍していた佐々木匠が山口へそれぞれ育成型期限付き移籍した。板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍[33]。
2019年
チームスローガン: ReVolution
渡邉体制6年目。桐生第一高から田中渉、成立学園高から照山颯人が新加入。この他、長崎から飯尾竜太朗、札幌から兵藤慎剛、神戸から松下佳貴、松本から石原崇兆、甲府から道渕諒平(仙台ユース出身)、G大阪から神戸へ期限付き移籍していた長沢駿、前年までアル・アハリSCでプレーしていたモザンビーク代表のシマオ・マテが完全移籍、横浜FMから吉尾海夏が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日にはディバ・アル・フジャイラからジオゴ・アコスタ、7月2日にはシロンスク・ヴロツワフからヤクブ・スウォビィク、7月25日には札幌から中原彰吾が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになったシュミット・ダニエルがシント=トロイデンVVへ完全移籍。
J1リーグは選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの永戸勝也がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで名古屋と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。天皇杯はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる長崎に敗れた。
シーズン終了後、渡邉監督が退任[34]。選手では16年間在籍し続けた梁勇基が鳥栖、主将の大岩一貴および石原直樹が湘南、永戸勝也が鹿島、阿部拓馬が琉球、金沢へ期限付き移籍していた小島雅也が群馬へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は町田へ期限付き移籍。ジオゴ・アコスタとハモン・ロペスも契約満了により退団した。
2020年
チームスローガン: 熱結 LINK to the FUTURE
前年まで山形を指揮していた木山隆之が新監督に就任[35]。選手ではユースから小畑裕馬が昇格。この他、広島から地元・仙台出身の吉野恭平、ボタフォゴSP(ブラジル)からパラ、鳥栖からスペイン出身のイサック・クエンカ、名古屋から赤﨑秀平、水戸から浜崎拓磨がそれぞれ完全移籍、ヴィトーリアSC(ポルトガル)からアレクサンドレ・ゲデス、C大阪から山田寛人、FC東京から前年、山形でプレーしていた柳貴博がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、山口へ期限付き移籍していた佐々木匠と福島へ期限付き移籍していたイ・ユノが復帰。
リーグ戦では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位で本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより"降格なし"となりJ1残留。6勝は全てアウェーで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。
9月1日、従来の運営会社である株式会社ベガルタ仙台とマイナビとの間で、マイナビベガルタ仙台レディースの経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。[36] 2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。
10月20日、道渕諒平が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ[37]、事実関係を確認した上で契約を解除した[38]。
また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、債務超過に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された[39]。
シーズン終了後、木山は監督を退任[40]、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した関憲太郎が契約満了により山口へ移籍、椎橋慧也が柏、ジャーメイン良が横浜FC、川浪吾郎が広島、常田克人と浜崎拓磨が松本へそれぞれ完全移籍。セレッソ大阪から期限付き移籍でプレーしていた山田寛人は移籍期間が満了。兵藤慎剛、飯尾竜太朗、金正也、アレクサンドレ・ゲデス、パラ、イ・ユノも契約満了により退団した。
2021年
チームスローガン: Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ
2013年まで6年間チームを指揮していた手倉森誠が8シーズンぶりに監督に復帰。
阪南大学から真瀬拓海、流通経済大学から加藤千尋とアピアタウィア久、仙台大学から井岡海都が新加入。この他、長崎から氣田亮真、横浜FCから皆川佑介、浦和からマルティノス、名古屋から秋山陽介、岐阜から長倉颯が完全移籍、磐田から上原力也が期限付き移籍でそれぞれ加入。ポルティモネンセからストイシッチ、FCヴィゼラからオッティ、サントスFCからカルドーゾ、アヴァイFCからフォギーニョも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。
本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新したクエンカとシマオ・マテ、新加入のマルティノスはシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。
7月に田中渉は山口への育成型期限付き移籍が決定。8月に富樫敬真、福森直也が加入。
前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われたJ1リーグ戦は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、東京五輪開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた原崎政人が"暫定"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった[注 7]。
ルヴァン杯はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。
2年ぶりの出場となった天皇杯では岩手県代表として出場したJ3リーグ所属の岩手と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。
シーズン終了後、石野智顕GKコーチが清水へ移籍。選手ではユース出身の佐々木匠が愛媛、6年間在籍した西村拓真が横浜FM、GKのヤクブ・スウォビィクがFC東京、アピアタウィア久が京都へそれぞれ完全移籍。ベテランの関口訓充(後に南葛SC入団)、長倉颯、オッティも契約満了により退団した。
初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、株式会社エス・ブイ・シー(SVC) と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。
また、ベガルタチアリーダーズユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始[41]。
2022年 - (J2)
2022年
チームスローガン:CRAWL UP 這い上がる
前年11月に暫定監督に就任した原崎政人がそのまま続投し、アシスタントコーチに角田誠、GKコーチに大神友明、フィジカルコーチに松本純一らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた梁勇基が鳥栖からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、鹿島から地元・仙台出身の遠藤康、水戸から中山仁斗、福島から鎌田大夢、長崎から期限付き移籍で名倉巧などを新戦力として迎えた。蔚山現代FCから期限付き移籍でキム・テヒョン、ロサリオ セントラルからデサバトも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。田中は山口への期限付き移籍期間の延長が決定。
木下グループとユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結[注 8][42]。また、デジタルマーケティングパートナー、セプテーニ・ホールディングスと、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した[43]。
4月6日、6日前に赤﨑秀平が一身上の都合で退団(後に南葛SC入団)しセレッソ大阪より中島元彦を育成型期限付き移籍で獲得。4月26日、ホームタウンを「仙台市」から「仙台市を中心とする宮城県全県」に変更することを発表[44]。
6月1日、25周年を迎えたユアスタにて天皇杯2回戦ホンダFCに勝利[注 9]。
7月7日、ガンバ大阪より佐藤瑶大を育成型期限付き移籍で獲得。7月16日、盛岡戦でJ2通算200勝を達成[45]。
9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで磐田の監督を務めていた伊藤彰の新監督就任を発表[46][47]。
チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。
シーズン終了後、7年間在籍した平岡康裕が契約満了で愛媛へ、ストイシッチも満了で町田へ、カルドーゾと名倉巧と佐藤瑶大は期限付き期間満了、デサバトや大神GKコーチも退団となった[注 10]。吉野恭平は横浜FC、富樫敬真は鳥栖、田中渉は山形、石原崇兆は金沢へ移籍し、18年在籍した富田晋伍は現役引退を表明した。
2023年
チームスローガン:GRAV 協創 [注 11]
前年最終戦の翌日、伊藤彰監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに渋谷洋樹、コーチに堀孝史、GKコーチに工藤輝央らが入閣。選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、山田寛人も3季ぶりに復帰、神戸から郷家友太、ポルティモネンセからエヴェルトン、FC東京から林彰洋、浦項からホ・ヨンジュン、鳥栖から相良竜之介、大分から小出悠太、熊本から菅田真啓を新戦力として迎えた。新卒ではオナイウ情滋、工藤蒼生、梅田陸空、菅原龍之助が入団し、大曽根広汰は藤枝へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。
2023年1月10日、運営会社が広告主となり泉中央駅に副駅名として「ベガルタ仙台・ユアスタ前」と命名した[48]。1月11日、平成の森 多目的運動場が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった[49]。
2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「アイリストレーニングフィールド」となった[50]。
5月3日、秋田戦はマイナビ仙台レディースの長野戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、J30ベストアウォーズにおいて、ベストマッチを受賞[51]。
7月13日、天皇杯敗退後に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表[53][54]。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。
10月27日、2023年6月11日に開催された対ジュビロ磐田戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された[55]。また、クラブの元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した[55]。
6月11日の磐田戦から2ヶ月勝利なし、昇格組のいわきと藤枝に一度も勝てず(2分2敗)、最下位で降格した金沢に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。またアウェイ山形戦で1-4で大敗し、13年ぶりのダービー敗戦を喫した[56]。
最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を記録するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に18年在籍した梁勇基が引退し、12年間在籍した蜂須賀孝治も契約満了で秋田へ移籍、エヴェルトンとキム・テヒョンとホ・ヨンジュンは期限付き期間満了、堀監督は退任した。
2024年
チームスローガン:PASSION 限界を超えろ
クラブ30周年の節目の年。前所属の川崎を強豪クラブにした立役者の一人である庄子GMは「リフォームしようと思っていたら、建て替えに近い状態だった」とベガルタの抜本的な改革を試案。クラブの短期的な目標は毎年「昇格」を念頭に置きつつも長期的には下部組織をプレミアリーグに昇格させて競争力を上げ、トップチームとの交流を増やす事でチームの核となる選手、世界で活躍する選手を一人でも多く育成して「育成クラブ」として発展しようと決意[57]。クラブは前U-17日本代表監督で育成年代で実績十分な森山佳郎を新監督に招聘し、東北学院大学泉キャンパスに練習場を新設するプロジェクトを立ち上げた[58]。コーチ陣も大幅に変わり、ヘッドコーチに片渕浩一郎、コーチに今野章、フィジカルコーチに村岡誠を招聘し、GKコーチには植田元輝をユースから引き上げた。
選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、秋田から髙田椋汰、横浜FCからマテウス・モラエス、浦和から知念哲矢、川崎から名願斗哉、ヴィラ・ノヴァFCからエロンを獲得[注 12]。新卒は神村学園高等部から西丸道人、仙台大学から石尾陸登、びわこ成蹊スポーツ大学から工藤真人、中央大学から有田恵人が入団。
キャプテンには遠藤康が就任し、空位となった背番号「10」は鎌田大夢が引き継いだ[注 13]。
1月、東北大学大学院経済学研究科、バンコクFCと包括連携協定を締結[59][60]。
3月12日、川崎フロンターレより松井蓮之を期限付き移籍で獲得。3月21日、「人権擁護功労賞」を受賞[61]。
ルヴァン杯は1stラウンドでアスルクラロ沼津と対戦するが、2-3で敗退。
成績 · 表彰
国内タイトル
個人別
リーグ
- ベストイレブン
- フェアプレー個人賞
- 優秀選手賞
- 功労選手賞
- J2得点王
- 明治安田生命Jリーグ KONAMI 月間優秀監督賞/MVP
- 月間ベストゴール
- TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD
- J's GOAL J1月間MIP
- JPFAアワード J2ベストイレブン
リーグ杯
その他
国際大会出場
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- FIFAコンフェデレーションズカップ
- 2017年
- ダニエル・ヴコヴィッチ
- マイケル・マグリンチィ(2014年)
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- EAFF東アジアカップ
- AFC U-23選手権
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- トゥーロン国際大会 (U-22)
- FIFA U-20ワールドカップ (監督)
リーグ戦の主な記録
チーム記録
最多得点試合
H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 6-0 | 2013年第25節(9月14日) | 大分トリニータ |
アウェー | 4-1 | 2017年第27節(9月23日) | セレッソ大阪 | |
4-0 | 2020年第27節(11月14日) | ガンバ大阪 | ||
J2 | ホーム | 5-1 | 2006年第17節(5月20日) | ザスパ草津 |
5-2 | 2006年第43節(9月30日) | |||
5-2 | 2007年第9節(4月14日) | サガン鳥栖 | ||
アウェー | 5-1 | 2000年第30節(8月27日) | 水戸ホーリーホック | |
5-0 | 2009年第18節(5月30日) | |||
5-1 | 2006年第18節(5月28日) | サガン鳥栖 | ||
5-1 | 2022年第27節(7月26日) | いわてグルージャ盛岡 |
最多失点試合
H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 2-8 | 2018年第16節(7月18日) | 横浜F・マリノス |
アウェー | 0-7 | 2017年第6節(4月7日) | 浦和レッズ | |
J2 | ホーム | 2-6 | 2000年第31節(9月3日) | 湘南ベルマーレ |
アウェー | 1-5 | 1999年第17節(7月11日) | 川崎フロンターレ | |
0-5 | 2000年第28節(8月12日) | 大分トリニータ | ||
1-5 | 2007年第22節(6月16日) | 京都サンガF.C. |
最多連勝
連勝試合数 | 期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
J1 | 6連勝 | 2011年第24節(8月27日)- 第29節(10月15日) | |
J2 | 7連勝 | 2009年第8節(4月15日)- 第14節(5月10日) |
開幕連勝記録
連勝試合数 | 期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
J1 | 5連勝 | 2002年第1節(3月3日)- 第5節(4月6日) | 昇格チーム新記録 |
最多連敗
連敗試合数 | 期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
J1 | 6連敗 | 2003年1st第7節(5月5日)- 第12節(7月12日) | |
J2 | 12連敗 | 1999年第9節(5月2日)- 第20節(8月7日) |
個人記録
通算最多試合出場
試合数 | 氏名 | 備考 | |
---|---|---|---|
通算 | 569試合 | 梁勇基 | |
J1 | 322試合 | 富田晋伍 | |
J2 | 337試合 | 千葉直樹 |
年度別チーム得点王
年度 | チーム得点王 | 得点 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
J2 | 1999 | 阿部良則 | 7得点 | |
2000 | 藤吉信次 大友慧 | 10得点 | ||
2001 | マルコス | 34得点 | J2得点王 | |
J1 | 2002 | マルコス | 18得点 | |
2003 | 佐藤寿人 | 9得点 | ||
J2 | 2004 | 佐藤寿人 | 20得点 | |
2005 | バロン | 14得点 | ||
2006 | ボルジェス | 26得点 | J2得点王 | |
2007 | ロペス 萬代宏樹 | 14得点 | ||
2008 | 梁勇基 | 13得点 | ||
2009 | マルセロソアレス | 16得点 | ||
J1 | 2010 | 梁勇基 | 11得点 | |
2011 | 赤嶺真吾 | 14得点 | ||
2012 | 赤嶺真吾 | 14得点 | ||
2013 | ウイルソン | 13得点 | ||
2014 | 赤嶺真吾 | 9得点 | ||
2015 | 奥埜博亮 金園英学 ハモンロペス | 7得点 | ||
2016 | ハモンロペス | 10得点 | ||
2017 | 石原直樹 | 10得点 | ||
2018 | 西村拓真 | 11得点 | 海外移籍 | |
2019 | 長沢駿 | 7得点 | ||
2020 | 長沢駿 | 9得点 | ||
2021 | 西村拓真 | 6得点 | ||
J2 | 2022 | 中山仁斗 | 14得点 | |
2023 | 郷家友太 | 10得点 |
サポーターが選ぶ年間MVP
年度 | 選手 | スポンサー |
---|---|---|
2002 | シルビーニョ | ー |
2003 | ー | ー |
2004 | ー | ー |
2005 | 高桑大二朗 | ー |
2006 | ロペス | ー |
2007 | ー | ー |
2008 | 梁勇基 | ー |
2009 | 梁勇基 | ー |
2010 | 梁勇基 | アシアナ航空 |
2011 | 菅井直樹 | アシアナ航空 |
2012 | 赤嶺真吾 | アシアナ航空 |
2013 | 林卓人 | アシアナ航空 |
2014 | 富田晋伍 | アシアナ航空 |
2015 | 奥埜博亮 | アシアナ航空 |
2016 | 三田啓貴 | アシアナ航空 |
2017 | 石原直樹 | NTTドコモ |
2018 | 石原直樹 | NTTドコモ |
2019 | シマオ・マテ | NTTドコモ |
2020 | ヤクブ・スウォビィク | NTTドコモ |
2021 | ヤクブ・スウォビィク | NTTドコモ |
2022 | 中島元彦 | NTTドコモ |
2023 | 郷家友太 | SGC |
通算最多得点
得点数 | 氏名 | 備考 | |
---|---|---|---|
J1 | 44得点 | 赤嶺真吾 | |
J2 | 47得点 | 梁勇基 |
シーズン最多得点
得点数 | 氏名 | 達成年度 | |
---|---|---|---|
J1 | 18得点 | マルコス | 2002年 |
J2 | 34得点 | 2001年 |
ハットトリック
得点数 | 氏名 | 達成日 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|
J1 | 3得点 | ハモン・ロペス | 2016年10月1日(2nd第14節) | サガン鳥栖 |
長沢駿 | 2020年11月14日(第27節) | ガンバ大阪 | ||
J2 | 3得点 | マルコス | 2001年4月28日(第8節) | 京都パープルサンガ |
ボルジェス | 2006年5月20日(第17節) | ザスパ草津 | ||
2006年9月30日(第43節) | ||||
萬代宏樹 | 2007年4月14日(第9節) | サガン鳥栖 |
最多入場者数試合
H & A | 入場者数 | 試合日 | 対戦相手 | スタジアム | |
---|---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 43,092人[63] | 2002年2nd第9節(10月20日) | ジュビロ磐田 | 宮城スタジアム |
19,503人 | 2019年第3節(3月10日) | ヴィッセル神戸 | ユアテックスタジアム仙台 | ||
アウェー | 39,545人 | 2012年第15節(6月23日) | 浦和レッズ | 埼玉スタジアム2002 | |
J2 | ホーム | 19,412人 | 2001年第43節(11月11日) | サガン鳥栖 | 仙台スタジアム |
23,745人 | 2008年第42節(11月9日) | サンフレッチェ広島 | 宮城スタジアム | ||
アウェー | 32,979人 | 2022年第40節(10月8日) | アルビレックス新潟 | デンカビッグスワンスタジアム |
最少入場者数試合
H & A | 入場者数 | 試合日 | 対戦相手 | スタジアム | |
---|---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 17,183人 | 2013年第31節(11月10日) | 浦和レッズ | 宮城スタジアム |
10,931人 | 2019年第5節(3月30日) | セレッソ大阪 | ユアテックスタジアム仙台 | ||
アウェー | 3,287人 | 2002年2nd第4節(9月18日) | ジェフユナイテッド市原 | 市原臨海競技場 | |
J2 | ホーム | 2,568人 | 1999年第7節(4月25日) | 大分トリニータ | 仙台スタジアム |
7,154人 | 2009年第4節(3月25日) | ヴァンフォーレ甲府 | 宮城スタジアム | ||
アウェー | 951人 | 2000年第4節(3月30日) | ヴァンフォーレ甲府 | 山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場 |
ホームスタジアム
Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台スタジアム / 仙台市泉区。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、キューアンドエースタジアムみやぎ(宮城スタジアム / 宮城郡利府町。北緯38度20分7.5秒 東経140度57分1.2秒。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。
2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場(現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台(JFL)時代に岩手県で開催経験がある)。
また、2011年3月の東日本大震災に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。
2016年にベストピッチ賞を貰ったり、サッカーダイジェストのスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど関係者からの評価は高い[64]。臨場感、快適さ、アクセスのどこから見てもポイントが高く、サッカーへの造詣が深い平畠啓史氏の評は次の通りである。
「地下鉄南北線の終点 · 泉中央駅からわずか4分とアクセスに優れている。大きすぎず小さすぎず、サッカーを楽しむには最適な規模。サポーターの声援がスタンドを覆う屋根に、ほど良く反響するので、目だけでなく耳でも熱気を味わえる[65]。」
キー局でも反響があった「カレーは飲み物」を絡めた スタジアムグルメ や「ふわふわベガッ太(有料)」で子供が遊べる等スタジアム環境も年々進化させている[66]。
座席は屋根で覆われてるので前方の席でなければ雨で濡れない。また、3~5名利用の為のテーブル付きのボックスシートの販売、高密度Wi-fiサービス「VEGALTA FREE Wi-Fi」も充実させて年々観戦環境を向上[67]。
尚「VPORT」というホームゲーム限定コンテンツはVEGALTA FREE Wi-Fiからのみアクセスが出来て、試合毎にマッチデープログラム、限定壁紙のダウンロードなどが利用可能[68][69]。
- ホームゲーム開催地一覧[70]
年度 | リーグ戦 | Jリーグ杯 | ACL | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
仙台ス (ユアスタ) | 宮スタ (Qスタ) | その他 | ||||
1999 | 18 | - | 仙台ス1 | 不参加 | ||
2000 | 20 | - | ||||
2001 | 22 | - | 仙台ス3 | J1昇格 | ||
2002 | 14 | 1 | ||||
2003 | 12 | 3 | J2降格 | |||
2004 | 21 | 1 | 不参加 | |||
2005 | 22 | 0 | ||||
2006 | 24 | 仙台ス=命名権導入によりユアテックスタジアム仙台に変更 | ||||
2007 | 23 | |||||
2008 | 20 | 1 | ||||
2009 | 14 | 11 | 福島1 | J1昇格 | ||
2010 | 3 | ユアスタ3 | ||||
2011 | 17 | 0 | ユアスタ2 | リーグ戦:当初予定していた宮スタの1試合が 震災の影響でユアスタに変更 | ||
2012 | ユアスタ4 | リーグ杯:決勝T2(準々決勝・準決勝)を含む | ||||
2013 | 16 | 1 | ユアスタ1 | 仙台ス[注 14] 3 | リーグ杯:ACL出場につき、決勝トーナメントのみ | |
2014 | 17 | 0 | ユアスタ3 | 不参加 | 宮スタ=命名権導入によりひとめぼれスタジアム宮城に変更 | |
2015 | ||||||
2016 | ||||||
2017 | ユアスタ4 | リーグ杯:ノックアウトS1(準々決勝)を含む | ||||
2018 | リーグ杯:プレーオフ1含む | |||||
2019 | ||||||
2020 | ユアスタ1 | |||||
2021 | 19 | ユアスタ3 | J2降格 | |||
2022 | 21 | 不参加 | ||||
2023 |
JFL時代に使用された上記以外のスタジアム
スタジアムDJ
- MiC(2019年-)
- 過去のスタジアムDJ
ベストマッチ
Jリーグ表彰
各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。①と②は Youtube Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、②はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれている。サッカーダイジェストにおいても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている[71][72]。
※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。
対戦カード | 開催日/開催スタジアム | 概要 | 動画 | 試合データ | |
---|---|---|---|---|---|
① | 2001 Jリーグ ディビジョン2 第44節 京都パープルサンガ 0-1 ベガルタ仙台 | 2001年11月18日Ⅰ | 悲願のJ1初昇格試合。 最終節での首位京都と3位仙台の直接対決。東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定。 | ハイライト - YouTube | 公式記録 |
② | 2011 Jリーグ ディビジョン1 第7節 川崎フロンターレ 1-2 ベガルタ仙台 | 2011年4月23日 | 東日本大震災に伴うリーグ戦中断明けの初戦。 クラブ自身も甚大な被害を受けた仙台が逆転勝利。等々力でのクラブ初勝利を記録。 | もう一度見たいあの試合 - YouTube Jクロニクルベスト - YouTube J30ベストアウォーズ - YouTube | 公式記録 |
復興応援試合
東日本大震災に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦はJ30ベストアウォーズでベストマッチに選ばれた[73]。
翌年から3.11より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。
試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。
仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている[74]。
- 選手被災地訪問
- 東日本大震災追悼式典参列
- 復興支援サッカーキャラバン
- 復興支援in石巻
- 宮城・東北Dream Project (被災地招待事業)
- こころもからだも元気Project
- 被災地商店街訪問
2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用[75][76]。
2021年には新しく 『東日本大震災10年プロジェクト』 と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した[77]。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。
毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である[78]。
対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。
※2015と2016シーズンは2ステージ制
シーズン | 節 | ホーム | スコア | アウェイ | 中継 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
J1 | 2011 | 第7節 | 川崎 | 1 - 2 | 仙台 | NHK BS1 スカパー! スカパー光 ひかりTV e2 | 開催情報 |
2012 | 第1節 | 仙台 | 1 - 0 | 鹿島 | NHK総合 スカパー! スカパー光 e2 | 開催情報 | |
2013 | 第2節 | 鹿島 | 3 - 2 | 仙台 | NHK BS1 スカパー! スカパー!プレミアムサービス | 開催情報 | |
2014 | 第2節 | 鹿島 | 2 - 0 | 仙台 | NHK BS1 スカパー! スカパー!プレミアムサービス | 開催情報 | |
2015 | 1st第1節 | 仙台 | 2 - 0 | 山形 | NHK(東北6県) スカパー! スカパー!プレミアムサービス | 開催情報 | |
2016 | 1st第3節 | 仙台 | 1 - 0 | 鹿島 | NHK総合 スカパー! スカパー!プレミアムサービス | 開催情報 | |
2017 | 第3節 | 仙台 | 0 - 2 | 神戸 | DAZN サンテレビ | 開催情報 | |
2018 | 第3節 | 仙台 | 1 - 1 | 神戸 | DAZN ミヤギテレビ サンテレビ(録) | 開催情報 | |
2019 | 第3節 | 仙台 | 1 - 3 | 神戸 | DAZN NHK BS1 | 開催情報 | |
2020 | コロナ禍により開催中止 | ||||||
2021 | 第2節 | 仙台 | 1 - 5 | 川崎 | DAZN 仙台放送 NHK BS1 | 開催情報 | |
J2 | 2022 | 第4節 | 仙台 | 3 - 0 | 盛岡 | DAZN NHK BS1 | 開催情報 |
2023 | 第4節 | 仙台 | 0 - 1 | いわき | DAZN NHK BS1 | 開催情報 | |
2024 | 第3節 | 仙台 | 1 - 0 | 水戸 | DAZN 仙台放送 | 開催情報 |
ユニフォーム
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チームカラー
- ゴールド[1]、 ブルー
デザイン・配色
- シャツの首下(2011年 - 2014年は裾、2015年以降のモデルは右袖の「SENDAI」ロゴの両端)とソックス(2011年 - 2012年モデル以降は廃止)ならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍もしくはプリントされている(これは1999年-2001年使用のベガルタ初代モデルから続いている)。
- フィールドプレーヤー用2ndユニフォームは白を基調としたモデルが多いが、2007年 - 2010年まではシャツ、パンツ、ストッキング共にシルバーを使用。2015年・2016年は、シャツ、ストッキングにそれぞれ青、パンツに白を使用。
- ゴールキーパー用ユニフォームは、1stユニフォームは2007年 - 2010年まで薄いピンク、2017年は鮮やかなピンクだったのを除き、赤(2018年 - 2020年は蛍光色)が採用されている。また緑色ユニフォームは2006年までと2013年 - 2014年に、水色ユニフォームは2007年 - 2014年と2018年に採用。グレーユニフォームは2006年まで採用されていたが2007年 - 2014年は設定がなかった。2015年に再びゴールキーパー用2ndユニフォームとしてグレーを採用。
- 2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。2014年10月のリーグ戦ホームゲームも、クラブ創設20周年を記念して同じ配色の特別ユニフォームを着用した(前年12月に発表)。
- 2011年 - 2012年モデル以降はフィールドプレーヤー用1stユニフォームのストッキングが、青からゴールドに変更。なお対戦相手のユニフォームに合わせて青のストッキングも引き続き用意されている。
- 2015年シーズンよりアディダスジャパンとサプライヤー契約を結んだと発表[79]。サプライヤーの変更は、Jリーグに加盟した1999年以来となる。
- 2016年シーズンよりサマーユニフォームを開始している。
- 2016年夏季のリーグ戦ホームゲームでは、東日本大震災から5年が経過し、その復興を祈念してベージュに近い金色をベースにした襟付きユニフォームを着用[80]。
- 2017年夏季のコンセプトは、ユアテックスタジアム仙台開場20周年を記念して黒(ゴールキーパー用は赤)をベースに、ブランメル仙台の緑色とベガルタゴールドの襷掛けをデザイン。夏季のリーグ戦(およびヴィッセル神戸とのプレシーズンマッチ)ホームゲームで着用された[81][82]。
- 2018年夏季のコンセプトは「一体感」。クラブ史上初となる試みで、ユニフォームスポンサーをゴールド一色に統一。7月下旬から8月のホームゲームで着用する[83][84]。
- 2019年夏季のコンセプトは「闘志継承」。クラブ創立25周年を記念して黒と紺のボーダー柄をベースに、襟と袖にブランメルグリーンをあしらい、ネームナンバーのフォントはブランメル時代のフォントを再現。ブランメルエンブレムとベガルタエンブレムの特別なロゴもつき、クラブの歴史を感じるデザインとなっている[85][86]。
- 2019シーズンはJリーグ史上初めて、ユニフォームにマスコット(ベガッ太と妹のルターナ)の顔がデザインされている[87]。
- 2021シーズンは、2年ぶりにリミテッドユニフォームをリリース。ベガルタブルーをベースにしたデザインになっている。10月の広島戦より、ホームゲーム3試合で着用する[88][89]。
- 2022シーズンは、仙台の夏の風物詩 七夕まつりで願いを込める短冊がモチーフ。クラブ史上初のネイビーを基調とし真夏の夜空に輝く無数の短冊を表現。ホーム長崎戦、千葉戦で着用した[90]。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | アイリスオーヤマ | IRIS IRIS OHYAMA | 2004年 - | 2000年 - 2003年は背中 2000年 - 2003年は「アイリスオーヤマ」表記 2004年 - 2022年は「IRIS OHYAMA」表記 |
鎖骨 | なし | - | - | |
木下グループ | 木下工務店 KINOSHITA GROUP | 2022年 -[91] | 右側に表記 2022年は「木下グループ」表記 2022リミテッドは「木下のリフォーム」表記[92] | |
背中上部 | 木下グループ KINOSHITA GROUP | 2022年は「木下グループ」表記 2022リミテッドは「木下不動産」表記 | ||
背中下部 | なし | - | - | |
袖 | 七十七銀行 | 七十七銀行 | 1998年 - | |
パンツ前面 | マイナビ | MN マイナビ | 2021年 - | 2021年 - 2022年は「マイナビ」表記 |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|