ブルー・ナ・ボーニャ

世界遺産 ブルー・ナ・ボーニャ -
ボイン渓谷の遺跡群
アイルランド
ニューグレンジ
英名 Brú na Bóinne - Archaeological Ensemble of the Bend of the Boyne
仏名 Brú na Bóinne - Ensemble archéologique de la Vallée de la Boyne
登録区分 文化遺産
登録基準 (1), (3), (4)
登録年 1993年
備考 2013年に登録名変更。
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
ブルー・ナ・ボーニャの位置(アイルランド内)
ブルー・ナ・ボーニャ
ブルー・ナ・ボーニャ
アイルランド内の位置

座標: 北緯53度41分34秒 西経6度26分58秒 / 北緯53.69284度 西経6.44932度 / 53.69284; -6.44932 ブルー・ナ・ボーニャ(Brú na Bóinne, ボインの宮殿)は、アイルランドボイン川の屈曲部に位置する新石器時代石室墳、立石、その他先史的遺跡群の複合体で、国際的にも重要なものである。時代が下ると、鉄器時代には墓地として使われ、中世にはノルマン人が入植した。また、1690年にはボイン川の戦いの舞台にもなった。

この一帯はしばしばボイン渓谷 (Bend of the Boyne) と呼ばれ、不正確にも「ブルー・ナ・ボーニャ」それ自体を指すときにも使われることがある。世界遺産に登録されているのは、アイルランドの国定史跡にもなっている部分である。

概要[編集]

面積は780 haで、他の先史的遺跡群と同じような40の羨道墳を含んでいる。史跡の大部分は、川の北側に集中している。ブルー・ナ・ボーニャで最も有名な遺跡は、巨石群の特筆すべき集積体であるニューグレンジ (Newgrange)[1]ノウス (Knowth)、ドウス (Dowth) の各墳墓である。それらは川の屈曲部の稜線に立てられており、ノウスとニューグレンジは、より古い史跡で使われていた石を再利用しているようにも見える。この地でのより早い活動の痕跡は、中石器時代の狩人が遺したらしい火打石などを除けば、発見されていない。

川の屈曲部では、他にも多くのエンクロージャー(囲い込み)や巨石遺跡が確認されている。上掲の3つの墳墓に加えて、いくつかの祭祀場が次のような遺跡を形成している。

  • ドウス・ホール羨道墳群 (Dowth Hall passage graves)
  • Cloghalea Henge
  • タウンレイホール羨道墳 (Townleyhall passage grave)
  • モンクニュータウンヘンジ (Monknewtown henge) と祭礼の泉 (ritual pond)
  • Newgrange cursus

3つの主要巨石遺跡は、天文考古学上の重要な意味も持っている。ニューグレンジとドウスは冬至の太陽に対応し、ノウスは春分の太陽に対応している。隣接する遺跡群についても、他の対応関係がないか検討されている。また、渓谷のブルー・ナ・ボーニャのレイアウトやデザイン自体も、天文学的意味の検討がなされている。

ボイン渓谷の西側、東側、南側が囲まれているように、北側はボイン川の支流であるマトック川が流れており、ほとんど完全に水に囲まれている。2つの先史的遺跡を除けば、全てがこの川の地峡に存在している。

ブルー・ナ・ボーニャ案内センター[編集]

ニューグレンジとノウスへはガイド付きツアーでしか立ち入れない。ツアーは、ブルー・ナ・ボーニャ案内センター (Brú na Bóinne Visitor Centre) から出発することになっている。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

脚注[編集]

  1. ^ ヘクター・マクドネル『ケルト、神々の住む聖地 アイルランドの山々と自然』創元社、2014年、7頁。ISBN 978-4-422-21466-5 

参考文献[編集]

  • Lewis-Williams, D and Pearce, D, Inside the Neolithic Mind, Thames and Hudson, London, 2005, ISBN 0500051380