ボビー・アブレイユ

ボビー・アブレイユ
Bobby Abreu
ニューヨーク・メッツ時代
(2014年6月1日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州マラカイ
生年月日 (1974-03-11) 1974年3月11日(50歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 1996年9月1日
最終出場 2014年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC 2006年2009年

ボブ・ケリー・アブレイユBob Kelly Abreu, 1974年3月11日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1974年3月11日、ベネズエラのアラグア州マラカイで生まれる。父ネルソンが熱狂的野球ファンだったため、アブレイユは3人の兄弟とともに野球のテレビ中継を観戦し、父から「多くの人が見逃してしまうようなプレーの細かい点まで、丁寧に解説」を受けた、という[1]。アブレイユが16歳になった1990年、ベネズエラにヒューストン・アストロズ直営のベースボール・アカデミーが設立されたため、アブレイユは1期生としてアカデミー入りする。

アストロズ時代[編集]

1990年8月21日にアブレイユはアストロズと契約。

1996年9月1日にメジャーデビューを果たすが、その後2シーズン合計で74試合しか出場機会がなかった。

1997年エクスパンション・ドラフトで、アストロズは同じベネズエラ人リチャード・ヒダルゴをプロテクト・リストに載せるためにアブレイユをリストから外した[2]。その結果アブレイユはタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)に指名されたが、数時間後にケビン・ストッカーとの交換でフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[2]。その後、アブレイユは短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭し、デビルレイズの短い歴史上最悪のトレードとなった[2]

フィリーズ時代[編集]

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2004年)

アストロズでは期待されながらも思うような成績を残せなかったアブレイユだったが、フィリーズ移籍後に才能が開花。短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭した。初めてシーズンを通して出場した1998年にはチームトップの打率.312を記録。続く1999年に打率.335(リーグ3位)を記録したが、これはフィリーズの選手としては1967年トニー・ゴンザレスが記録した.339以来の高打率だった[3][2]。シーズン終了後、球団と3年総額1425万ドルで契約延長した。球団が昨年提示したが合意に至らなかった4年総額850万ドルを上回る契約となった[2]

2001年には全162試合に出場し、31本塁打、36盗塁で球団史上初めて30本塁打・30盗塁(30-30)を達成。2003年シーズン終了後にFA権を取得するアブレイユに対し、フィリーズは2003年から球団史上最高額となる5年総額6400万ドル(6年目のオプションを含めると7800万ドル)で契約延長[4]2002年にはリーグ最多・球団史上70年ぶりの高水準となる50二塁打を記録した[5]2004年、MLB公式サイト上のネット投票により「32番目の男」としてMLBオールスターゲームに初出場を果たす。シーズン通算では30本塁打、40盗塁で自身2度目の30-30を達成し、初めてシルバースラッガー賞を受賞した。

2005年オールスターゲームに、ファン投票で253万票を得て外野手部門2位に入り、初めてファン投票による出場を果たす。試合前日に行われたホームランダービー[6]では、フィールドの形状が投手有利とされるコメリカ・パークを舞台にしながら1ラウンド24本・全ラウンド合計41本と2つの新記録を樹立して優勝した[7]。また、同年のシーズン終了後には自身初のゴールドグラブ賞を受賞。しかしながら「強肩ではあるものの打球処理が未熟」「闘争心の不足」「時たま明らかに集中力を欠いたプレーをする」という批判も地元などから多く出ており、受賞に疑問を呈す声も少なくなかった。これについて地元フィラデルフィアの新聞記者は「ボビーのプレーはスムーズすぎて情熱が伝わりにくいため、ファンから誤解を受けていたのだろう」と説明している[1]

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[8]

ヤンキース時代[編集]

ニューヨーク・ヤンキース時代
(2006年9月26日)

2006年7月31日、トレード期限最終日にコリー・ライドルとともにトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍[9]。この時ヤンキースが出した交換要員は、遊撃手C.J.ヘンリー英語版(2005年ドラフト1巡目。フィリーズ移籍、解雇後、ヤンキースに外野手として復帰もバスケットボールへ転向)、左腕投手マット・スミス英語版、捕手ヘスス・サンチェス、右腕投手カルロス・モナステリオスの4人であり、「あまり戦力になりそうもない」と評された[10]。このためフィラデルフィアの地元紙はこのトレードを批判したが、この後フィリーズは快進撃を遂げワイルドカード争いを演じた。一方、移籍したアブレイユもヤンキースの勝利に大きく貢献した[10]。ヤンキースは松井秀喜ゲイリー・シェフィールドの故障離脱を乗り越え地区優勝を果たし、デトロイト・タイガースとのディビジョンシリーズで敗れたが、アブレイユは同シリーズで打率.333、チーム最多の4打点を記録[11]

2007年もアブレイユはレギュラーとして158試合に出場。4月23日から29日にかけて自己ワーストとなる19打数連続無安打を記録し[12]、5月の月間打率は.208など序盤は不調に陥った。後半は持ち直したものの、序盤の成績が響き、本塁打が2年連続で10本台に終わり、出塁率も6年ぶりに3割台に落ちた。しかし、自己最高の123得点を記録している。シーズン終了後、ヤンキースは1600万ドルのオプションを行使し、アブレイユは2008年もヤンキースでプレイすることになった[13]。しかし、またしても前半戦に打撃不振となり、チームも下降。なんとか中盤、後半戦で持ち直し20本塁打、100打点を記録したがチームは浮上できず、地区優勝を14年ぶりに逃した。10月30日にFAとなった。

エンゼルス時代[編集]

ロサンゼルス・エンゼルス時代
(2011年9月18日)

2009年2月12日、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと1年総額500万ドルで合意[14]。機動力と長打力を組み合わせたエンゼルス野球に対し、アブレイユは「積極的に次の塁を狙っていく。こういう野球をやりたかった」としている[15]

開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出され[16]、2大会連続2度目の選出を果たした。ベスト4進出に貢献したが、準決勝の韓国戦では集中力を欠いた守備で大量点を与えるきっかけを作ってしまった。

シーズンでは当初やブラディミール・ゲレーロ不在時は3番、他は主に2番として出場し、エンゼルスの地区優勝に貢献した。シーズン終了後に2年1900万ドルでエンゼルスと契約延長をした[17]

2010年は、ピーター・ボージャスのAAAからの昇進があり、シーズン途中から中堅手を守っていたトリー・ハンター右翼手を守り、アブレイユは左翼手を守る事になった。シーズンでは154試合に出場したが、打率は自己最低の.255に終わった。友成那智は、主砲のケンドリス・モラレスが5月に離脱して以降、打順が2番から3番になり、長打狙いになったことが大きな原因だと分析している[18]。一方で、OPSも自己最低に終わったことを理由に、衰えによる成績の低下を指摘する論調もある[19]

2011年は、バーノン・ウェルズがエンゼルスに加入したため、アブレイユは主に指名打者を務めることになった[18][19]。直近2年の打席数が1100を超えたことで、2012年の900万ドルの契約オプションが自動更新され、翌年の残留が決まった。しかし、年齢的な衰えやマイク・トラウトの台頭でチームの構想から外れ、トレード候補となった。オフにA.J.バーネットとの1対1のトレードでヤンキース復帰が決まりかけたが、バーネットが拒否権を行使したため不成立に終わった。その後も、クリーブランド・インディアンスとの間でルー・マーソンとのトレード交渉が進められたが、不成立となった[20]

2012年シーズンもエンゼルスで開幕を迎えたが、出場機会が限られ成績も伸び悩んでいたところ、マイク・トラウトの昇格に伴い、4月27日に解雇・放出された[21]。本人はまだ現役を続行する意向を表明した。

ドジャース時代[編集]

ロサンゼルス・ドジャース時代
(2012年5月9日)

2012年5月4日、ロサンゼルス・ドジャースへの入団が決まった[22]。8月1日に40人枠から外され、事実上の戦力外となった。獲得に乗り出す球団はなく、アブレイユがマイナー降格に同意したため、3Aアルバカーキ・アイソトープスでプレーすることとなった。9月2日に再び40人枠に入ってメジャーに復帰し、シーズン終了まで代打として起用された[23]。オフの10月29日にFAとなった。

メッツ時代[編集]

2014年1月21日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[24]が、3月27日に放出された。3月31日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[25]。AAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、4月21日にメッツとメジャー契約を結んだ[26]。昇格後は67試合に出場したが、打率.238、1本塁打、14打点、1盗塁と結果を残せず、8月5日にDFAとなった[27]。8月10日にフリーエージェントとなったが、8月16日にメッツとマイナー契約し[28]、9月に再度昇格した。

現役引退[編集]

2014年9月26日、現役引退を表明し、「自分の野球人生に満足している」と話した[29]

選手としての特徴[編集]

かつては「メジャーで最も過小評価されている選手」と呼ばれていた[1]。MLB史上3人目の8年連続100四球、5年連続出塁率.400、4年連続100打点、3年連続30盗塁(打点以外はいずれも2006年まで)といった記録を達成しており、それに加えて2004年シルバースラッガー賞を受賞している。

アブレイユの最大の長所は選球眼[30]、1999年からフランク・トーマスのMLB記録に並ぶ8年連続で100四球を記録している[9]。また、並外れた長打力があるのに本塁打狙いのバッティングに陥らず、フライの打球よりもゴロになる打球の方が多い[30]。出塁すると足で投手にプレッシャーをかけ、チャンスメーカーとしての機能も高い[9]

守備面では守備範囲が広く強肩で、前方向の打球に強い。しかし、後方に飛んだフライの目測を誤ることがよくある[31]。2005年のゴールドグラブ受賞は地元ファンからも疑問を抱かれた[32]。MLB通算UZRは-85.9を記録。

薬物疑惑とは無縁の人物という評価もある。MLB公式サイトが2020年1月23日、2021年の米国野球殿堂入りメンバー候補について、「もっと注目されるべき5人」を選出したが、それは全米野球記者協会の投票で前回から得票率を9%以上アップさせた候補者の中で薬物疑惑とは無縁の候補者に絞ったものであった[33]

人物[編集]

奉仕活動[編集]

アブレイユはフィラデルフィアデラウェア川流域において様々な地域活動に携わってきた。2001年にはアメリカ赤十字輸血キャンペーンの名誉チェアマンを務めた。また、2003年・2004年シーズンには「アブレイユのアミーゴ」プログラムを通じて金曜ナイターの試合に1万ドル分のチケットを購入し、子供たちを招待。練習着やクーポン、試合前の練習風景見学などを見学する機会を子供たちにプレゼントしていた。これらの活動が評価され、2004年にフィリーズ地域活動賞を受賞し、同年のロベルト・クレメンテ賞の式典にチーム代表として出席した。2008年には日本でサイン会などチャリティーイベントを行った[34]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 HOU 15 24 22 1 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 2 0 0 3 1 .227 .292 .273 .564
1997 59 210 188 22 47 10 2 3 70 26 7 2 0 0 21 0 1 48 0 .250 .329 .372 .701
1998 PHI 151 589 497 68 155 29 6 17 247 74 19 10 4 4 84 14 0 133 6 .312 .409 .497 .906
1999 152 662 546 118 183 35 11 20 300 93 27 9 0 4 109 8 3 113 13 .335 .446 .549 .995
2000 154 680 576 103 182 42 10 25 319 79 28 8 0 3 100 9 1 116 12 .316 .416 .554 .970
2001 162 704 588 118 170 48 4 31 319 110 36 14 0 9 106 11 1 137 13 .289 .393 .543 .936
2002 157 685 572 102 176 50 6 20 298 85 31 12 0 6 104 9 3 117 11 .308 .413 .521 .934
2003 158 695 577 99 173 35 1 20 270 101 22 9 0 7 109 13 2 126 13 .300 .409 .468 .877
2004 159 713 574 118 173 47 1 30 312 105 40 5 0 7 127 10 5 116 5 .301 .428 .544 .971
2005 162 719 588 104 168 37 1 24 279 102 31 9 0 8 117 15 6 134 7 .286 .405 .474 .879
2006 98 438 339 61 94 25 2 8 147 65 20 4 0 6 91 5 2 86 8 .277 .427 .434 .861
NYY 58 248 209 37 69 16 0 7 106 42 10 2 2 3 33 1 1 52 5 .330 .419 .507 .926
'06計 156 686 548 98 163 41 2 15 253 107 30 6 2 9 124 6 3 138 13 .297 .424 .462 .886
2007 158 699 605 123 171 40 5 16 269 101 25 8 0 7 84 0 3 115 11 .283 .369 .445 .814
2008 156 684 609 100 180 39 4 20 287 100 22 11 0 1 73 2 1 109 14 .296 .371 .471 .843
2009 LAA 152 667 563 96 165 29 3 15 245 103 30 8 0 9 94 7 1 113 15 .293 .390 .435 .825
2010 154 667 573 88 146 41 1 20 249 78 24 10 0 5 87 3 2 132 13 .255 .352 .435 .787
2011 142 585 502 54 127 30 1 8 183 60 21 5 1 3 78 5 1 113 8 .253 .353 .365 .717
2012 8 27 24 1 5 3 0 0 8 5 0 0 0 1 2 0 0 5 1 .208 .259 .333 .593
LAD 92 230 195 28 48 8 1 3 67 19 6 2 0 0 35 3 0 51 6 .246 .361 .344 .704
'12計 100 257 219 29 53 11 1 3 75 24 6 2 0 1 37 3 0 56 7 .242 .350 .342 .693
2014 NYM 78 155 133 12 33 9 0 1 45 14 1 0 0 2 20 0 0 21 3 .248 .342 .338 .680
MLB:18年 2425 10081 8480 1453 2470 574 59 288 4026 1363 400 128 7 85 1476 115 33 1840 165 .291 .395 .475 .870
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1996 HOU 6 6 0 0 0 1.000 - 1 0 0 0 0 ----
1997 10 6 0 1 0 .857 1 0 0 0 0 ---- 43 78 4 1 1 .988
1998 PHI - - 146 276 17 8 0 .973
1999 - - 146 260 8 3 0 .989
2000 - - 152 338 13 4 2 .989
2001 - - 162 309 11 8 4 .976
2002 - 18 30 1 0 1 1.000 148 253 9 5 1 .981
2003 - - 158 304 6 6 0 .981
2004 - - 158 311 13 6 4 .982
2005 - - 158 266 7 4 0 .986
2006 - 1 0 0 0 0 ---- 97 178 4 1 0 .995
NYY - 1 1 0 0 0 1.000 57 113 6 2 0 .983
'06計 - 2 1 0 0 0 1.000 154 291 10 3 0 .990
2007 - - 157 313 6 4 1 .988
2008 - - 150 270 10 2 3 .993
2009 LAA 10 20 0 0 0 1.000 - 126 249 10 8 4 .970
2010 41 71 1 0 1 1.000 - 93 171 6 6 1 .967
2011 18 20 2 0 0 1.000 - 10 9 0 1 0 .900
2012 6 10 0 0 0 1.000 - 1 1 0 0 0 1.000
LAD 46 56 2 1 1 .983 - 1 3 0 0 0 1.000
'12計 52 66 2 1 1 .986 - 2 4 0 0 0 1.000
2014 NYM 5 6 0 0 0 1.000 - 26 31 0 2 0 .939
MLB 142 195 5 2 2 .990 21 31 1 0 1 1.000 1990 3733 130 71 21 .982

表彰[編集]

記録[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 三尾圭 「知られざるスーパースター ボビー・アブレイユ[フィリーズ]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、38-41頁。
  2. ^ a b c d e The Ballplayers - Bobby Abreu biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2007年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月13日閲覧。
  3. ^ "1999 Career Highlights," The Official Site of The New York Yankees. 2008年1月22日閲覧。
  4. ^ Chass, Murray (2002年2月21日). “Twins Up for Sale; Will Likely Survive” (英語). The New York Times. 2009年12月26日閲覧。
  5. ^ "Philadelphia Phillies Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年1月22日閲覧。
  6. ^ 通常は両リーグから4選手ずつが選出されるが、この年は第1回ワールド・ベースボール・クラシックを翌年に控えていたため、特別に「国別対抗戦」の形式をとった。アブレイユはベネズエラ代表として出場。
  7. ^ それまでの最多記録は前年の2004年にミゲル・テハダが記録した1ラウンド15本・全ラウンド合計27本だった。
  8. ^ 2006 Tournament Roster Archived 2015年2月19日, at Archive.is The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  9. ^ a b c Bobby Abreu from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月13日閲覧。
  10. ^ a b 李啓充金満ヤンキース トレード戦線での圧勝」 『NumberWeb』、2006年8月3日。2014年1月25日閲覧。
  11. ^ 2006 AL Division Series - DET vs. NYY” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月13日閲覧。
  12. ^ Kepner, Tyler (2007年4月30日). “Yankees Go to Bat for Torre After Another Loss” (英語). The New York Times. 2009年12月26日閲覧。
  13. ^ Hoch, Bryan (2007年11月2日). “Abreu coming back to Yanks” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  14. ^ Spencer, Lyle (2009年2月12日). “Out of left field, Abreu joins Angels” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  15. ^ 小林信行 「MLB30球団レポート ロサンゼルス・エンゼルス/LAA 早くも首脳陣から高い信頼度」 『月刊スラッガー』2009年5月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-5、79頁。
  16. ^ 2009 Tournament Roster Archived 2015年2月19日, at Archive.is The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  17. ^ Spencer, Lyle (2009年11月5日). “Angels ink Abreu to two-year deal” (英語). MLB.com. 2009年12月26日閲覧。
  18. ^ a b 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、225頁。
  19. ^ a b 月刊スラッガー』2011年4月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、29頁。
  20. ^ Angels add Trout; release Abreu The Orange County Register
  21. ^ 「エンゼルスがアブレイユを解雇 米大リーグ」 (日本語) 47Newsの記事。2012年4月28日配信・閲覧。
  22. ^ http://losangeles.dodgers.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120504&content_id=30367496&vkey=news_la&c_id=la
  23. ^ Dodgers bring back Bobby Abreu Los Angeles Times
  24. ^ Phillies sign Abreu”. MLB.com Phillies Press Release (2014年1月21日). 2014年1月22日閲覧。
  25. ^ Anthony DiComo (2014年3月31日). “Mets sign veteran Abreu to Minors deal”. MLB.com. 2014年4月1日閲覧。
  26. ^ Anthony DiComo (2014年4月21日). “Abreu joins Mets before Cardinals series”. MLB.com. 2014年4月22日閲覧。
  27. ^ Anthony DiComo (2014年8月5日). “Mets designate Abreu, recall Nieuwenhuis”. MLB.com. 2014年8月6日閲覧。
  28. ^ Transactions | mets.com: Team”. 2014年8月17日閲覧。
  29. ^ メッツのアブレイユが引退=米大リーグ”. 時事通信 (2014年9月27日). 2014年9月27日閲覧。
  30. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、45頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  31. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、67頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  32. ^ 『月刊スラッガー』2006年6月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-6、36頁。
  33. ^ 殿堂入り候補もっと注目されるべき5人を公式が選出 日刊スポーツ 2020年1月24日14時4分 (2021年7月18日閲覧)
  34. ^ アブレイユが北九州市でチャリティー”. 日刊スポーツ (2008年1月31日). 2014年10月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]