ヨハンナ・マルツィ

ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy, 1924年10月26日 - 1979年8月13日[1][2]は、ルーマニア出身の、ハンガリーで活躍したヴァイオリニスト

生涯[編集]

ティミショアラの出身。6歳からヴァイオリンをはじめ、1934年にブダペストフランツ・リスト音楽院に入学してイェネー・フバイのクラスに入る。(入学前からフバイに師事していた。)13歳でデビューを果たしたが、第二次世界大戦のために活動を中断。1947年にジュネーヴ国際音楽コンクールで入賞してからはスイスに居を定めた。1953年にイギリス・デビューを果たし、1957年にはアメリカ・デビューも果たした。1960年代半ばからは、イシュトヴァーン・ハイデュとデュオ活動を活発に行った。

グラールスにて死去[3][4][5]

脚注[編集]

  1. ^ JOHANNA MARTZY”. 2018年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月18日閲覧。
  2. ^ The Art of Johanna Martzy - ウェイバックマシン(2017年6月14日アーカイブ分)
  3. ^ Johanna Martzy (Violin) - ウェイバックマシン(2017年8月10日アーカイブ分)
  4. ^ Martzy Johanna - ウェイバックマシン(2018年8月18日アーカイブ分)
  5. ^ リュシュリコンにて没したとする資料もある。(Johanna Martzy - ウェイバックマシン(2018年8月18日アーカイブ分))