ヨハン・ペーター・ウッツ

ヨハン・ペーター・ウッツ、1780年。

ヨハン・ペーター・ウッツドイツ語: Johann Peter Uz1720年10月3日 アンスバッハ - 1796年5月12日 アンスバッハ)は、神聖ローマ帝国の詩人、法律家。

生涯[編集]

アンスバッハにあるヨハン・ペーター・ウッツの記念像、2005年撮影。

1720年10月3日、アンスバッハで生まれた[1]。1739年から1743年までハレ大学で法律を学び、ヨハン・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・グライム英語版ヨハン・ニコラウス・ゲッツなどの詩人と知り合いになり、ゲッツとは共作でアナクレオン頌歌を翻訳した(1746年)[1]。1748年に無給の裁判所秘書に任命され、以降12年間務めた[1]。1763年、帝国ニュルンベルク裁判所の陪席判事英語版になり、1790年には裁判官に任命された[1]。1791年12月2日にアンスバッハ侯領プロイセン王国に併合されると、プロイセンの法曹界に入ったが、1796年に地域裁判所の裁判官に任命された直後の1796年5月12日、アンスバッハで死去した[1]

著作[編集]

本節の出典は[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Uz, Johann Peter" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 27 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 828–829.