ライアン・オニール

ライアン・オニール
Ryan O'Neal
ライアン・オニール Ryan O'Neal
1968年
本名 Charles Patrick Ryan O'Neal
生年月日 (1941-04-20) 1941年4月20日
没年月日 (2023-12-08) 2023年12月8日(82歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンタモニカ
職業 俳優
ジャンル 映画・テレビドラマ
配偶者 ジョアンナ・ムーア
(1963年 - 1967年)
リー・テイラー=ヤング英語版
(1967年 - 1973年)
著名な家族 テータム・オニール(娘)
グリフィン・オニール英語版(息子)
主な作品

映画
1970年『ある愛の詩
1973年『ペーパー・ムーン
1975年『バリー・リンドン
1987年『タフガイは踊らない英語版

テレビ
1964年『ペイトンプレイス物語
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ライアン・オニールRyan O'Neal1941年4月20日 - 2023年12月8日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の俳優

生涯[編集]

生い立ち[編集]

作家兼脚本家の父親と元女優の母親の元に生まれる。幼いころは、主にヨーロッパ諸国や中米を転々としてすごしていたが、アメリカに単身で帰国する。10代半ばの頃、兵学校卒業を機に西ドイツで両親と暮らし始めた。この時期、主にスタントマンとしてテレビドラマ中心に仕事を得て、程なく俳優としても注目され始めた。23歳の時に再びアメリカに戻り、1964年スタートのテレビシリーズ『ペイトンプレイス物語』に大役を得て転機となった。テレビドラマで成功したが、以後は映画に活躍の舞台を移し[1]、逞しい肉体と端正な二枚目マスクを武器に落ち着いた演技力を披露する。一気にスターダムに駆け上がった。

『ある愛の詩』と私生活[編集]

1960年代を代表する二枚目俳優として活躍の場を見出したオニールだったが、その女性遍歴もキャリアに負けず目を見張るものであった。出世作である『ペイトンプレイス物語』で共演したバーバラ・パーキンスと浮名を流したのを皮切りに、最初の妻ジョアンナと離婚。1967年には、やはり共演者リー・テイラー=ヤング英語版と再婚したものの、離婚に至っている。こうした私生活のゴシップがある中で主演した『ある愛の詩』が大ヒット。公開当時、日本でもテーマ音楽が信号待ちの間に街頭で流れるなど、作品の人気が後押しをしてかオニールの存在は世界にも知られるようになった。

この後は、一転してシリアス路線からコミカルな役柄に活路を見出した他、1973年の『ペーパー・ムーン』では、はじめて娘のテイタムと初共演。彼女はこの作品でアカデミー助演女優賞を受賞している。ちなみにテイタムが演じたアディ役はジョディ・フォスターに引き継がれテレビシリーズ化もされた。

この他、1975年には鬼才スタンリー・キューブリック監督が重厚な人間ドラマを演出した大河ドラマ的な異色作『バリー・リンドン』に主演。1978年には『ある愛の詩』の続編が製作されるなど、1970年代は俳優としては作品にも恵まれ絶頂期にあったが、反面、これに驕るような言動や態度が周囲にも知られる他、多くのトラブルを私生活で巻き起こし対立の火種を生むなど、問題行動も取りざたされた。

慢性白血病に[編集]

1980年代、娘の女優としての成長とシンクロするようにオニールのキャリアは下降線を辿り、主演作は急減。中期の代表作と謳われる1987年タフガイは踊らない英語版』で見せた渋味のある演技は風格を漂わせたが、1990年代にパートナーであったファラ・フォーセットとも破局。そして2001年、体調不良を訴え検査を受けた結果、慢性白血病に冒されていることが判明し、マスメディアに公表[2]。闘病生活に入る。だが、生命力は衰えず、俳優としての活動も続け、2000年代に入ってもテレビ、映画ともに仕事をこなした。2006年に寛解した[3]

2001年、SF大作『オデッセイ2001英語版』では久々に主演。そして、2004年には日本でも放送され好評を博しているテレビドラマ『デスパレートな妻たち』にも出演するなど、健在ぶりをみせた。

2008年から2009年にかけて、癌の闘病生活を続けているファラの介護に務めて介護の模様を描くリアリティ番組も制作されたが、メディアと視聴者、ネットユーザーらはそれはファラの数百万ドルの遺産目当てと冷ややかな評価を与えた。2009年6月25日にファラは死去したが、結局、ファラも結婚はせず、遺産は全額ファラとオニールの間に生まれた三男に贈られた[4]

2012年には前立腺がんであることが公表された[5]

2023年12月8日(現地時間)息子パトリックのInstagramにより死去したことが報告された[6]。82歳没。

家族[編集]

父親チャールズ・オニールは作家、母親パトリシアは女優[7]。女優ジョアンナ・ムーアリー・テイラー=ヤング英語版と相次いで結婚、離婚を繰り返し、1980年から17年間に渡りファラ・フォーセットと同棲した結果、息子のレドモンドをもうけた。最初の妻ジョアンナとの間に娘テイタム・オニールと息子グリフィン・オニール英語版、後妻のリーとの間に息子パトリック・オニール(スポーツ記者)がいる。

2005年に長女テータムが自叙伝を出版し、父親であるライアンによる虐待を告白した。ライアンは否定したが、他の子供たちも証言した。テータムもグリフィンも父親の影響から幼少期にドラッグに手を出し、薬物中毒になった。ファラとの息子も薬物依存で苦しんでいる[8]

逮捕歴[編集]

2007年2月4日にはロサンゼルスのマリブの自宅で息子グリフィンに銃を発砲し、逮捕された[9]。ファラ・フォーセットとの子である三男が薬物中毒だったため、グリフィンが縛っていたところ、それを見つけたライアンが怒り、火かき棒でグリフィンに襲いかかった。グリフィンはよけ、彼の臨月になっていた婚約者に当たった。火かき棒をグリフィンに取られたライアンは、銃を彼に向け発砲した。

2008年9月17日には違法薬物所持の容疑で三男と共に逮捕された[10]。同年6月には娘のテータムも逮捕されている[11]

出演[編集]

映画[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1969年 悪女のたわむれ
The Big Bounce
ジャック・ライアン
1970年 栄光への賭け
The Game
スコット・レイノルズ
ある愛の詩
Love Story
オリバー・バーレット四世
恐怖の復讐鬼
Love Hate Love
ラス テレビ映画
1971年 夕陽の挽歌
Wild Rovers
フランク・ポスト
1972年 おかしなおかしな大追跡
What's Up, Doc?
ハワード・バニスター
1973年 おかしなおかしな大泥棒
The Thief Who Came to Dinner
ウェブスター・マッギー
ペーパー・ムーン
Paper Moon
モーゼ
1975年 バリー・リンドン
Barry Lyndon
バリー・リンドン
1976年 ニッケルオデオン
Nickelodeon
レオ・ハリガン
1977年 遠すぎた橋
A Bridge Too Far
ギャビン准将
1978年 ザ・ドライバー
The Driver
ザ・ドライバー
続・ある愛の詩
Oliver's Story
オリバー・バレット
1979年 メーン・イベント
The Main Event
エディ・スキャンロン
1981年 エメラルド大作戦
Green Ice
ジョセフ
恋のジーンズ大作戦/巨人の女に手を出すな
So Fine
ボビー・ファイン
1982年 パートナーズ
Partners
ベンソン
1984年 ペーパー・ファミリー
Irreconcilable Differences
アルバート
1985年 ザ・ギャンブラー
Fever Pitch
スティーヴ・タガート
1987年 タフガイは踊らない
Tough Guys Don't Dance
ティム・マッデン
1989年 ワン・モア・タイム
Chances Are
フィリップ・トレイン
ファラ・フォーセット/薔薇の秘密
Small Sacrifices
ルー・ルイストン テレビ映画
1992年 たった一度のクリスマス/ある逃亡者との物語
The Man Upstairs
ムーニー・ポラスキー テレビ映画
1997年 アラン・スミシー・フィルム
An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn
ジェームズ・エドモンズ
1998年 ゼロ・エフェクト
Zero Effect
ジョージ・スターク
1999年 エクスタシーをさがして
Coming Sonn
ディック
2000年 ザ・リスト/官能の罠
The List
リチャード・ミラー
2001年 オデッセイ2001
Epoch
アレン テレビ映画
2002年 ニューヨーク最後の日々
People I know
ケアリー・ローナー
2003年 お坊ちゃまはラッパー志望
Malibu's Most Wanted
ビル

テレビシリーズ[編集]

放映年 邦題
原題
役名 備考
1962年 - 1963年 Empire タル・ギャレット 28エピソード
1964年 - 1969年 ペイトンプレイス物語
Peyton Place
ロドニー・ハリントン 458エピソード
1991年 グッド・スポーツ
Good Sports
ボビー・タネン 15エピソード
2003年 miss match ミス・マッチ
Miss Match
ジェロルド・フォックス 18エピソード
2005年 デスパレートな妻たち
Desperate Housewives
エピソード
2010年 新ビバリーヒルズ青春白書
90210
スペンス・モンゴメリー 3エピソード
2007年 - 2017年 BONES
Bones
マックス・キーナン/トビー・コルター神父 18エピソード

脚注[編集]

  1. ^ 映画「ある愛の詩」米俳優ライアン・オニールさんが死去、82歳”. 日刊スポーツ (2023年12月9日). 2023年12月9日閲覧。
  2. ^ "Actor O'Neal Has Cancer". BBC News (イギリス英語). BBC. 2001年5月3日. 2023年12月11日閲覧
  3. ^ Graham, Caroline (2006年10月7日). “Why I Have To Be Strong For Farrah” (英語). Daily Mail (London, UK). https://www.dailymail.co.uk/femail/article-409164/Why-I-strong-Farrah.html 2023年12月11日閲覧. "a disease now in remission but for which he still takes daily medication" 
  4. ^ "Ryan O’Neal diagnosed with stage four prostate cancer days after slamming Oprah over reality show" - ウェイバックマシン(2012年4月17日アーカイブ分)by Joyce Chen, New York Daily News April 15, 2012.
  5. ^ Marikar, Sheila (2012年4月17日). "Ryan O'Neal's 'Peculiar' Cancer Prognosis". Yahoo News (英語). ABC News Blogs. 2023年12月11日閲覧
  6. ^ "米俳優ライアン・オニールさんが死去 82歳 「ペーパー・ムーン」では長女テイタム・オニールと共演". スポーツ報知. 報知新聞社. 2023年12月9日. 2023年12月9日閲覧
  7. ^ Profile, familysearch.org; accessed June 22, 2014[リンク切れ]
  8. ^ 娘の友人と不倫、親子で薬物所持……セレブに見る機能不全家族の実態”. サイゾーウーマン. サイゾー (2013年2月7日). 2023年12月11日閲覧。
  9. ^ "Actor Ryan O'Neal claims self-defense in shooting at son". The Seattle Times (英語). The Associated Press. 2007年2月5日. 2023年12月11日閲覧
  10. ^ ファラ・フォーセットの息子と父親のライアン・オニール、薬物所持の疑いで逮捕!”. シネマトゥデイ (2008年9月18日). 2014年7月30日閲覧。
  11. ^ 『ペーパー・ムーン』のテイタム・オニール、ドラッグ購入で逮捕!”. シネマトゥデイ (2008年6月3日). 2014年7月30日閲覧。

外部リンク[編集]