リトアニアの統治者の一覧

リトアニアの統治者の一覧(リトアニアのとうちしゃのいちらん)では、リトアニア主権国家もしくは独立した存在(リトアニア・ソビエト社会主義共和国)と見なされていた時期の、リトアニアの歴代君主・元首(大公・王・大統領)を示す。

リトアニア国家は、北方をリヴォニア帯剣騎士団、南方をドイツ騎士団に脅かされていた時期の1230年代に、ミンダウガスに統率されたバルト諸部族によって形成された。ミンダウガスはリトアニア王となり、ミンダウガスの建設した国はリトアニア大公国として知られるようになった。

1386年に大公ヨガイラポーランド国王に即位した後は、リトアニア大公国はポーランド王国と緊密な関係となり、1440年からは同君連合となった。1569年に「ルブリン合同」を結び、ポーランド・リトアニア共和国が成立した。1795年ポーランド分割により、リトアニアは1918年2月16日までロシア帝国の一部となった。

リトアニア評議会英語版が主権を回復したのは、ドイツ帝国第一次世界大戦に敗北した後の1919年である。リトアニア第一共和国ソビエト連邦に占領される1940年まで続いた。独ソ戦の間、リトアニアはナチス・ドイツに占領された。1944年にドイツは敗北し、ソ連がリトアニアを再占領してリトアニア・ソビエト社会主義共和国を設立した。

1990年3月11日、リトアニアはソビエト連邦の中で初めて独立を宣言した。リトアニア第二共和国は民主主義国家であり、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の一員となっている。

リトアニア大公国(1236年 – 1569年)[編集]

リトアニア王リトアニア語: Lietuvos karalius)となったミンダウガスを除いてリトアニア大公リトアニア語: Lietuvos didysis kunigaikštis)を称した。

初期の大公(1236年 – 1285年)[編集]

文献が乏しいため年代はおおよそである。

名前 肖像 在位期間 備考
ミンダウガス
Mindaugas
1236年1263年 初めは大公、1253年からリトアニア王。
トレニオタ
Treniota
1263年1264年 ミンダウガスの甥。
ヴァイシュヴィルガス
Vaišvilkas
1264年1267年 ミンダウガスの子。後継者を残さず死去。
シュヴァルナス
Švarnas
1267年1269年 リューリク家出身。
トライデニス
Traidenis
1269年1282年
ダウマンタス
Daumantas
1282年1285年

ゲディミナス家(1285年 – 1440年)[編集]

一部の年代はおおよそである。

名前 肖像 在位期間 備考
ブティゲイディス
Butigeidis
1285年1291年
ブトヴィーダス
Butvydas
1291年1295年 ブティゲイディスの兄弟。ゲディミナス家の祖。
ヴィテニス
Vytenis
1295年1316年 ブトヴィーダスの子。
ゲディミナス
Gediminas
1316年1341年 ヴィテニスの弟。死後、領土は7人の息子に分割された。
ヤヴーヌティス
Jaunutis
1341年1345年 ゲディミナスの子。兄のアルギルダスとケーストゥティスにより退位させられた。
アルギルダス
Algirdas
1345年1377年 ゲディミナスの子。西方を統治する弟ケーストゥティスとの共同統治。
ヨガイラ
Jogaila
1377年1381年 アルギルダスの子。ヨガイライティス家を創設。
ケーストゥティス
Kęstutis
1381年1382年 ゲディミナスの子、兄アルギルダスとの共同統治者。トラカイを本拠としたリトアニア西部を統治。
1381年にヨガイラを退位させてリトアニア全土を支配下に治めたが、翌年にヨガイラに捕われて殺害された。
ヨガイラ
Jogaila
(復位)
1382年1392年 リトアニアとポーランドの人的同君連合を設立。ポーランド王(1386年 - 1434年)。
スキルガイラ
Skirgaila
(摂政)
1387年1392年 ヨガイラの弟。ヨガイラから摂政に任じられた。
ヴィータウタス
Vytautas
1392年1430年 ケーストゥティスの子。父と共にヨガイラと戦っていたが、後に和解してリトアニア大公位を譲られた。
1429年にリトアニア王に即位したが、ポーランドから認められず退位。
シュヴィトリガイラ
Švitrigaila
1430年1432年 ヨガイラの弟。従兄ジーギマンタス・ケーストゥタイティスの信奉者によって退位させられた。
ジーギマンタス1世
Žygimantas I
1432年1440年 ヴィータウタスの弟。シュヴィトリガイラの支持者に殺害された。

ヨガイライティス家(1440年 – 1569年)[編集]

リトアニア大公国は1385年の「クレヴォの合同」によりポーランド王国と人的同君連合となったが、1つの家系によって統治されるようになったのは、カジミエラス1世以降である(カジミエラス1世の死後、リトアニアとポーランドで異なる統治者になったことが2度あったが、実質的にはリトアニア側がポーランドの王座にあったと見なされている)。同君連合の君主は、リトアニア大公とポーランド王(リトアニア語: Lenkijos karalius)の2つの称号を保持していた。ヨガイライティス家はゲディミナス家の直系である。

名前 肖像 在位期間 備考
カジミエラス1世
Kazimieras I
1440年1492年 ヨガイラの子。ポーランド王(1447年1492年)。
アレクサンダラス
Aleksandras
1492年1506年 カジミエラス1世の子。ポーランド王(1501年1506年)。
ジーギマンタス2世
Žygimantas II
1506年1548年 アレクサンダラスの弟。
ジーギマンタス3世
Žygimantas III
1548年1569年 ジーギマンタス2世の子。1529年から実質的な統治者。

ポーランド・リトアニア共和国(1569年 – 1795年)[編集]

1569年ルブリン合同によってポーランド・リトアニア共和国が成立した。ポーランド王は国会(セイム)によって選出され(国王自由選挙)、自動的にリトアニア大公となる(リトアニア大公位が世襲である間)。初代の統治者はジーギマンタス3世である。1772年、1793年、1795年のポーランド分割によって同君連合は終結し、リトアニアは以後ロシア帝国の一部となった。下記の表の在位年には新しい大公が選出されるまでの間に空白期間があることがある。

リトアニア大公[編集]

名前 肖像 家名 在位期間 備考
ジーギマンタス3世
Žygimantas III
ヨガイライティス家 1569年1572年
ヘンリカス・ヴァルア
Henrikas Valua
ヴァルア家 1573年1575年 大公位を捨て、フランスに逃亡。
ステポナス・バトラス
Steponas Batoras
バトラス家 1576年1586年
ジーグマンタス4世
Zigmantas IV
ヴァザ家 1588年1632年 ポーランド・リトアニアとスウェーデンの同君連合の提案者。スウェーデン王(1592年1599年)。
ヴラディスロヴァス2世
Vladislovas II
1632年1648年 ジーグマンタス4世の子。
ヨナス1世
Jonas II
1648年1668年 ヴラディスロヴァス2世の弟。退位して修道士となった。
ミーコラス1世
Mykolas I
ヴィシュニオヴェツキス家 1669年1673年
ヨナス2世
Jonas II
ソビエスキス家 1674年1696年
アウグスタス2世
Augustas II
ヴェティナイ家 1697年1706年 ザクセン選帝侯1694年 - 1733年)。
スタニスロヴァス1世
Stanislovas I
レシュツィンスキス家 1706年1709年
アウグスタス2世
Augustas II
(復位)
ヴェティナイ家 1709年1733年
スタニスロヴァス1世
Stanislovas I
(復位)
レシュツィンスキス家 1733年1736年
アウグスタス3世
Augustas III
ヴェティナイ家 1734年1763年 アウグスタス2世の子。
スタニスロヴァス2世
Stanislovas II
ポニアトヴスキス家 1764年1795年 在位中にポーランドとリトアニアを合併する5月3日憲法が採択された。
ポーランド分割の後に退位。

リトアニア王国(1918年)[編集]

ドイツ帝国陸軍Deutsches Heer)による占領中の1918年2月16日、リトアニア評議会はリトアニア王国の独立を宣言した。1918年7月9日に評議会はウラッハ公ヴィルヘルム2世がミンダウガス2世として即位することを宣言した。しかし、11月2日に評議会はこの決定を覆し、リトアニアは民主主義共和国となることを宣言した。

名前 肖像 家名 在位期間
ミンダウガス2世
Mindaugas II
ウラチャス家 1918年7月11日 - 11月2日

リトアニア共和国(1918年 – 1940年)[編集]

リトアニア第一共和国大統領リトアニア語: Prezidentas)は1919年4月4日に設置された。

大統領[編集]

名前 肖像 所属政党 在任期間 備考
1 アンタナス・スメトナ
Antanas Smetona
民族進歩党 1919年4月4日1920年6月19日 リトアニア評議会により選出。
2 アレクサンドラス・ストゥルギンスキス
Aleksandras Stulginskis
リトアニア・キリスト教民主党 1920年6月19日1926年6月7日 リトアニア憲法制定の指導者。
1922年12月21日と1923年6月に国会により再選出。
3 カジース・グリニュス
Kazys Grinius
リトアニア農民人民連合 1926年6月7日12月17日 国会により選出されたが、軍のクーデターにより退陣。
- ヨナス・スタウガイティス
Jonas Staugaitis
リトアニア農民人民連合 1926年12月17日12月18日 国会議長として大統領代行。クーデター後は役職を放棄。
- アレクサンドラス・ストゥルギンスキス
Aleksandras Stulginskis
リトアニア・キリスト教民主党 1926年12月19日 国会議長として大統領代行(数時間のみ)。
(1) アンタナス・スメトナ
Antanas Smetona
リトアニア人民族主義連合 1926年12月19日1940年6月15日 2期目。軍部によるクーデター後大統領に選出。
ソ連からの最後通牒の後はドイツ、その後アメリカ合衆国に亡命。
- アンタナス・メルキース英語版
Antanas Merkys
リトアニア人民族主義連合 1940年6月15日6月17日 首相。スメトナ亡命後の事実上の元首。
スメトナが辞任していなかったため、リトアニアを対外的に代表する人物とは承認されなかった。
- ユスタス・パレツキス英語版
Justas Paleckis
無所属 1940年6月17日7月21日 ソ連の圧力の下、憲法に反してリトアニアの共産主義指導者たちにより選ばれた。
リトアニアを対外的に代表する人物とは承認されなかった。
4 ヨナス・ジェマイティス英語版
Jonas Žemaitis
リトアニア自由戦士連合英語版 1949年2月16日1954年11月26日 ソ連に抵抗したリトアニア自由戦士連合英語版の議長。
死後の2009年、リトアニア国会は「リトアニア共和国大統領」の称号を授与。

リトアニア・ソビエト社会主義共和国(1940年 – 1990年)[編集]

ソビエト連邦はリトアニアを占領し、1940年7月にリトアニア・ソビエト社会主義共和国を設立した。ナチス・ドイツがソ連を攻撃すると、リトアニアはドイツに占領された。ドイツ軍による占領の数日前、リトアニアはユオザス・アンブラジェヴィチュス英語版によるドイツ寄りの反政府組織により統治された。ドイツ占領下のリトアニア地域はペトラス・クビリューナス英語版将軍による管理下に置かれた。

1944年にドイツが撤収すると、ソ連によって再び占領され、リトアニア・ソビエト社会主義共和国の統治が復活した。公式な国家元首は最高会議幹部会議長(リトアニア語: Aukščiausiosios Tarybos Prezidiumo pirmininkas)であったが、実質的な地位はリトアニア共産党中央委員会第一書記リトアニア語: Lietuvos komunistų partijos Centro komiteto pirmasis sekretorius)にあった。

最高会議幹部会議長[編集]

名前 肖像 所属政党 在任期間
1 ユスタス・パレツキス英語版
Justas Paleckis
無所属リトアニア共産党 1940年8月25日1967年4月14日
2 モティエユス・シュマウスカス英語版
Motiejus Šumauskas
リトアニア共産党 1967年4月14日1975年12月24日
3 アンタナス・バルカウスカスポーランド語版
Antanas Barkauskas
リトアニア共産党 1975年12月24日1985年11月18日
4 リンガウダス・ソンガイラ英語版
Ringaudas Songaila
リトアニア共産党 1985年11月18日1987年12月7日
5 ヴィータウタス・アストラウスカス英語版
Vytautas Astrauskas
リトアニア共産党 1987年12月7日1990年1月15日
6 アルギルダス・ブラザウスカス
Algirdas Brazauskas
リトアニア共産党 1990年1月15日3月11日

共産党中央委員会第一書記[編集]

名前 肖像 所属政党 在任期間 備考
アンタナス・スニエチクス英語版
Antanas Sniečkus
リトアニア共産党 1940年7月21日1974年1月22日
ペトラス・グリシュケヴィチュス英語版
Petras Griškevičius
リトアニア共産党 1974年2月18日1987年11月14日
リンガウダス・ソンガイラ英語版
Ringaudas Songaila
リトアニア共産党 1987年12月1日1988年10月19日 初めて存命中に退任した第一書記。
アルギルダス・ブラザウスカス
Algirdas Brazauskas
リトアニア共産党 1988年10月19日1990年3月11日 ソ連邦からの独立が宣言されたことにより権力を失った。

リトアニア共和国(1990年 – 現在)[編集]

1990年3月11日の独立宣言から、国会と大統領(リトアニア語: Prezidentas)職が設置された新憲法英語版1992年に施行されるまで、最高会議議長(リトアニア語: Aukščiausiosios Tarybos pirmininkas)が公式の国家元首であった。リトアニア共和国が国際的に承認されたのは、1991年9月である。

最高会議議長[編集]

名前 肖像 所属政党 在任期間
ヴィータウタス・ランズベルギス
Vytautas Landsbergis
サユディス 1990年3月11日1992年11月15日

大統領[編集]

リトアニア大統領旗
名前 肖像 所属政党 在任期間 備考
- アルギルダス・ブラザウスカス
Algirdas Brazauskas
リトアニア民主労働党 1992年11月15日1993年2月25日 国会議長として大統領代行を務めた。
1 1993年2月25日1998年2月25日 1993年2月14日に行われた独立回復後初の大統領選に勝利し、独立回復後初の大統領に就任した。
1998年の大統領選には出馬せず、1期で辞職した。
2 ヴァルダス・アダムクス
Valdas Adamkus
無所属 1998年2月26日2003年2月25日 1998年大統領選で当選し、大統領に就任。
続く2002年大統領選にも出馬したが、パクサスに敗れ落選した。
3 ロランダス・パクサス
Rolandas Paksas
自由民主党 2003年2月26日2004年4月6日 2002年大統領選でアダムクスを破り当選。2004年に大統領弾劾が成立して辞職した。
- アルトゥーラス・パウラウスカス
Artūras Paulauskas
(代行)
新同盟 2004年4月6日7月12日 国会議長。パクサスの弾劾後、次の大統領選が行われるまでの3ヶ月間、大統領代行を務めた。
2 ヴァルダス・アダムクス
Valdas Adamkus
無所属 2004年7月12日2009年7月12日 2期目。2004年大統領選で当選。
4 ダレ・グリーバウスカイテ
Dalia Grybauskaitė
無所属 2009年7月12日2019年7月12日 2009年大統領選で当選し、初の女性大統領となった。
2014年大統領選で再選を果たし、2期目も務めた。
5 ギタナス・ナウセダ
Gitanas Nausėda
無所属 2019年7月12日 – (現職) 2019年大統領選で当選。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Lietuvos Respublikos Prezidentė” (リトアニア語). 2006年8月26日閲覧。
  • Vytautas Spečiūnas. Lietuvos valdovai (XIII-XVIII a.) : enciklopedinis žinynas. Vilnius 2008: Mokslo ir enciklopedijų leidybos institutas. ISBN 5-420-01535-8  (リトアニア語)

外部リンク[編集]