三井道郎

三井道郎
聖職
司祭叙聖 1894年
個人情報
別名 シメオン
出生 1858年8月10日安政5年7月2日
陸奥国盛岡(現・日本の旗 日本 岩手県盛岡市
死去 (1940-01-14) 1940年1月14日(81歳没)
教派・教会名 正教会
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三井 道郎(みい みちろう、1858年8月10日安政5年7月2日) - 1940年昭和15年)1月4日)は、正教会長司祭神学者である。ロシア語学者としても活躍した。

生涯[編集]

1858年(安政5年)盛岡加賀野南部藩士の家に生まれる。1869年明治2年)に盛岡県学校に入学する。1874年(明治7年)函館で、アナトリイ・チハイより洗礼を受けてシメオンの聖名を受ける。

1875年(明治8年)に正教神学校に入学する。1883年(明治16年)に卒業し、ロシアキエフ神学大学留学し、1887年(明治20年)に帰国する。正教神学校教授に就任する。1888年(明治21年)、植松ひろ子と結婚する。

1891年(明治24年)の大津事件の時にはロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)の通訳に従事した。

1894年(明治27年)2月16日、司祭に叙聖され、京都教会管轄司祭になる。同時に、京都正教女学校校長に就任する。1896年(明治29年)には長司祭に昇叙される。京都帝国大学文学部ロシア語教師として勤務する。

1912年(明治45年)にニコライ・カサートキンが死去すると、東京正教本会(現在のニコライ堂)へ転任し、正教神学校校長に就任する。

1917年大正6年)9月のモスクワでのロシア正教地方公会議では、日本正教会代議員として出席する。1918年(大正7年)日本軍のシベリア出兵の年に、シベリア鉄道沿線のロシア難民を慰問した。

1925年(大正14年)7月に日本正教会総務局長に就任。

1940年、死去。墓所は染井霊園

家族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 河本重次郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

関連項目[編集]

訳書[編集]

  • 『正教訓蒙』(1881)
  • 『信仰の規範』(1893)

参考文献[編集]

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年